同期の人から

このページは同期の人に、各人の得意なテーマや、住んでいる地域の話題などを自由に投稿してもらうページです。内容が増えてくればテーマ別に分類をしたいと考えています。
皆様の投稿をお待ちしております。

Eメールで送って下さい。テキストファイルか、一太郎、ワードの形式でお願いします。


板見潤一「文学部卒から見るCOVID−19(武漢肺炎)」(PDF文書)20/3/30掲載

板見君から千葉高の文化系の立場でのコロナ騒動に関しての論評が来ました。PDF文書にしましたから、各自で拡大してお読みください。文中で彼のブログへのリンク(カミュの『ペスト』に関して)があります。

衣笠幸夫・伊原昭男「コロナウィルス(同期の理科系諸氏から)」20/3/9→3/23→4/23追記掲載

2020年の冬から初春は、コロナウィルスで世の中は大騒ぎである。この風潮の一つのマスク不足について衣笠君から、彼が考えた「マスクの洗浄再利用方法」案を提案してくれた。
花王のHPに、布マスクの洗浄方法が掲載されており、それを参考に追記されてます。
伊原君は、マスコミに踊らされている現在の風潮に対して、生の「数字」からなる正確な「データ」を、冷静に、客観的に、素直に、読みましょうと「COVID−19(コロナウィルス)を正しく理解を」提言してくれている。

白鳥順嗣「白鳥象堂『象の鼻』川柳選20/2/20掲載

川柳つくりを楽しんでいる白鳥君が作品400句を集めた句集『象の鼻』を上梓した。その中から事務局の好みで選んだ川柳(16句)をアップしています。

世相を風刺したり、人間社会における行動に皮肉を効かせたり、普段は気がつかない視点でモノごとを見たり、思いがけない対比でなるほどと思わせたりの独特のユーモアをお楽しみください。

川柳は江戸時代の中後期(18世紀半ば)の宝暦年間に柄井川柳(からいせんりゅう)によってはじめられたものです。宝暦〜天明の時代は田沼意次の時代で面白い時代です。天明時代には天明狂歌と呼ばれる狂歌も隆盛になりました。元禄文化、化政文化とは別の宝天文化の時代です。

中台孝雄「主の導きの軌跡19/9/10掲載

西船橋キリスト教会の牧師を長く勤められ、現在は高校生聖書伝道協会(hi−b.a.)の代表役員の中台君が、信仰の道に導かれ、現在に至るまでを記したものである。PDFファイルですので、読み易く回転して、字も各自が大きくしてお読み下さい。

同じくキリスト教の信仰を持つ山本邦昭君から送ってもらったもので、山本君の手紙によると「月刊いのちのことば」という雑誌の2019年6月号〜8月号に連載されたものです。公刊されている雑誌の記事なので、中台君には断り無しで、転載させてもらってます。

拝読すると「(神に)ゆだねる」という生き方が印象的で、なるほどと合点いたしました。

伊藤三平「隣にいてくれる女性たち19/6/4掲載

意味深なタイトルだが、伊藤が手元に置いて観てきた絵画の中から、女性を描いたものだけをアップしたから標記のタイトルになったわけである。

高校時代は美術を選択した。伊藤先生が「歳を取って、また筆をとることもあるだろうから」とおっしゃていたが、それ以降は御縁の無い生活を送っている。しかし美術品は好きであり、各種展覧会にも出向いている。

刀剣、刀装具、浮世絵と購入しており、これらの鑑賞記はHPにアップしている。「寝床での鉄鐔愛玩日記」というオタクの鑑賞記を日々アップしているほどだ。
何か、今回、絵の鑑賞記をまとめたくなり、アップした。

嶋田正文「タンデム」(PDF文書)19/1/18掲載

タンデムという2人乗り自転車の後ろに盲目の人を乗せて、一緒に渡良瀬遊水池を巡行するボランティアの様子を描いたものです。

目が見えない故に鋭敏になる聴覚、嗅覚を描写する渡良瀬遊水池は美しく、清々しい。
8年ほど前に上毛新聞に連載されたものを板見君が校正したとのことです。
嶋田君は点字を作成するボランティア活動をやっていると聞いたが、この時の経験が反映されているのだろう。

題は渡良瀬遊水池の様子がわかり、若いが成長しつつある主人公と盲人の人の母の思い出を「若柳の香(わかやぎのかおり」などにしたらとも思うが、あなたも考えてください。

嶋田正文「洋上研修船コーラル・プリンセス搭乗体験記」(PDF文書)18/12/11→12/12差し替え

彼の33歳頃の体験記とのことです。PDFは文字の拡大・縮小もできますから、後はあなたのお好みで、気合いを入れて読んでください。

酒飲みの旅行記であり、私は気に入らないが、登場人物それぞれの描写にA君として書いて同期諸氏に感動を呼んだ「”サヨナラだよ”ー菊地久治先生の思い出」の片鱗がみられます。彼は今、車椅子でPCに向かい、左手でポツポツと作品整えていると板見君が伝えてくれました。

●奥山悦男「2018越前大雪18/2/13掲載

2018年は寒く、関東でも雪で悩まされたが、栄村の杉浦さんからの便りは同報メールで紹介したが、越前市の奥山君から奮闘ぶりを送ってもらった。

●川名和夫「1968年
17/11/8掲載

佐倉の歴史民俗博物館で「「1968年」−無数の問いの噴出の時代」という展覧会が2017年10月11()〜12月10()に開催される。

この展示に元日大全共闘の一員として協力した川名君から寄せられた文章である。

●伊藤三平「『江戸の日本刀−新刀・新々刀の歴史的背景』を書いて17/8/7掲載

伊藤が日本刀の専門書を書いたのは既報の通りですが、「何でも鑑定団」で刀が登場すると鑑定・評価を担当する(株)刀剣柴田さんから、少しわかりやすく内容紹介的な小論をと頼まれて通販雑誌「麗」に寄稿したものです。わかりやすくと言っても刀に興味のある人向けですが、後半の方は、敢えて少し筆を滑らせて刀の研究を通して見た日本文化論的内容を記してます。PDFファイルに落としています。

嶋田正文「回文(上から読んでも、下から読んでも)17/6/10掲載

不思議な才能です。読んでるとクラクラしてくる。彼の不思議な才能と、回文に。

ヒマラヤ山系の回文」というサイトの投稿ページに彼の作品が「スリッパ」という投稿者名で掲載されています。

甲田正二郎著・嶋田正文編「モップ −捨てられていた老犬−16/11/21掲載

これは以前に甲田君が発行していた「医心伝心」に掲載された、彼の日記が原本である。その日記から、彼と捨てられていた老犬「モップ」(彼が名付ける)との交流の様子を、嶋田君が抜き出し、加筆・編集したものである。

PDFファイルにしたが、大作であり、じっくりとお読みください。犬好きの同期は感じるものも多いと思う。甲田君の人柄もよくわかる。

私はこれを読むと、在りし日の甲田医院の様子が目に浮かび、感傷に耽る。奥様も存命で、お元気で楽しい方だった。犬も多くいて、上がると子犬はじゃれついてきた。魂消たのは、玄関を開けたら大きな猟犬(犬種は忘れた)が出てきたことだ。犬は平気だが、この犬には思わず退いてしまった。室内で猟犬など飼うな。大きな亀もいた。ご子息、お嬢様も時に見かけた。看護婦さんも多かった。そして医院の周りの団地は古びていたが、多く建っていて、老人も多かった。この人たちが患者さんとして、彼を慕っていた。その内、近くの小学校は閉校になり、今は団地も建て替え中で閑散としている。モップが捨てられていた公園はまだある。

伊原君のセブ島に竹ノ内君登場(15/12/15掲載)

今回、『僕の村』に始めて来てくれたユキ(高校、大学の同級生)が、自分のブログに『僕の村』を紹介してくれました。海の中の世界、素朴な人々、お店やトライシクルなど町(ん?、村だね!)の様子が、上手く写真と短い映像4本にまとめて紹介してくれています。日本には既になくなってしまった、僕の大好きな「平和で素朴な世界」、その一端が5〜6分で見られます。 
是非ご覧ください。(もちろん、本人の許可は得てあります。3部に分かれています。)

http://ryoukafan.i-ra.jp/e912859.html
http://ryoukafan.i-ra.jp/e913675.html
http://ryoukafan.i-ra.jp/e913705.html

(伊原君の備忘録:最新版)
ただいま!!
18回目、Cebu島『僕の村』から帰国しました。
16回目までは年に2回、毎回2ヶ月間過ごしてきましたが、前回から1ヶ月間の滞在にしました。

ヤダネー!! この寒さ!! うっそ、みたい。
『僕の村』は、昼間30〜32℃、夜は25〜27℃。
これが1年中続く。 (もちろん極寒はないけど)、35度を超える「猛暑日」もない。
夜は「シーツ」1枚を掛けて「天井ファン」だけで十分寝られる。
今回はわずか1ヶ月の期間に、6組12名の友達が入れ替わり立ち代わりやって来た。 旧KDDの同期仲間、千葉高の友達が1人ずつ3組(ヒロ、ノリ、ユキ)、大阪赴任時の同僚、若者ダイバー仲間達である。 最初の同期仲間は「体験ダイビング」と「スノーケリング」だったので僕自身が本格的に潜ったのは現地入りしてから1週間後である。 初めての人には村や穴場レストランを案内したり、トライシクルで町に出かけたり、スノーケリングをアレンジしたり、それはそれで気晴らしになるし、非常に楽しい。
そうそう、こんなこともあった。
1人で町に出た時、エドウィン君(僕の前のお抱え〈トライシクル〉運転手)が奥さんと露天でランソネス(熱帯果物)を売っていた。 商売を手伝おうと、露天の中に入って、「ランソネスだよ!! 甘いよ! キロ50ペソだよ。」って、現地語で大声で叫んでいたら、その内ドンドン人が集まって来て、バンバン売れ始めたのにはブッたまげたね。 俺って商才があるんだあ!って勘違いしたくらい売れたよ。 よく見かける日本人が商売を始めたんかと、珍しかったんだろうね。 
素朴な村はこれだから、本当に楽しいよ。
僕の最近のダイビング・パターンは、以前と違って、毎日ガンガン潜るような、日本人的なダイビングはしなくなった。 早朝7:30と午前10:30の2本潜った後、午後はのんびり、読書や昼寝をしたり、現地仲間やその家族と話したり・・・、 夕方には新鮮なマグロ1匹を刺身に下ろしてバーに持ち込み、スタッフや長期滞在の常連客と「サン・ミゲル」(ビール)を片手に語り合う、そんなヨーロッパ型余暇を楽しんでいる。 
(沖縄には絶対にない)「全て生きたサンゴ」が目の前一面に、しかも透明度50mという澄んだ海中に広がっているのに、「これを潜らないなんて、もったいない! 何というバチ当たり!」と非難されそうだが、それは僕がまた一歩、現地人に近づいてしまったからかも知れないね。 

目の前の海のことを「House Reef」と呼ぶが、今、このHouse Reefに文字通り「雲」のような小魚の大群が、ここ4〜5年住み付いている。 それを狙ってマグロ、ギンガメアジ、カイワレなど大型魚の大群が押し寄せてきている。 
ボートなんか必要ない、すぐ目の前のドロップオフにだよ。 しかも今回、遂に、憧れのサメ「Thresher Shark (和名:ニタリ)」までもが捕食にやって来た。 Thresherは非常に臆病で、大きな円らな目(直径10cm)がとてもかわいくて、僕の大好きなサメだ。 胴体が3〜4m、また尻尾も3〜4mもあり、非常に均整のとれた格好いいサメだ。 友達を案内していて、一瞬Thresherを見つけたので、金属棒でタンクを叩いて注意喚起して振り返ったら、ユキだけが「見たぞー!」との合図を返してきた。 目の前のHouse Reef にThresher が出るなんて、こんな話、聞いたことがない。
(以下、フィリピンも最近は税関検査が先進国並みになってきたことを記載されてますが略します。興味ある方は伊原君に連絡してください)

●衣笠幸雄「高齢になったら注意すべき自動車運転技術」15/11/2掲載

元自動車技術者の衣笠君から、車を運転する同期(要は高齢ドライバー)の皆様への注意喚起です。

千葉高昭和43年卒業同期会の皆様へ

宮崎で不幸な暴走事故が起き、年齢の上がってきた我々同期の皆様に、同様の事故の当事者になってほしくないので、元自動車技術者として一言お知らせしておきたく,この一文を書きます.

暴走事故では殆どの場合、運転者の証言は「ブレーキを床までいくら踏んでも車は加速して、止まらなかった」が殆どです。これは、ブレーキが故障しており、なおかつアクセルペダルの制御が故障で最大限に開いてしまうという殆ど考えにくい程確率の低い条件が重なった時にしか起こり得ない特殊な条件です。
米国の暴走騒ぎも基本はこれでした。実際はブレーキと思ってアクセルペダルを思い切り床まで踏んでいるのです。

前後に車の居ない道路か、広い駐車場等とかで実際に試してもらうと良いのですが、自動車と言うものは、ブレーキが故障していない状態で、ある車速で走っている条件から、アクセルとブレーキを両方を同時に床まで踏み込めば、必ず徐々に減速して停止します。
先ず、これをしっかり覚えておいてください。
(もちろんアクセルを踏まず、ブレーキだけ踏んだ場合より、アクセルを踏んでいる分、停止するまでの距離/時間は多くかかるのですが)

ですから、万一エンジンコントロールコンピュータが故障して、ペダルを踏んでいないのに、アクセル開度全開状態に誤った制御をしたとしても、ブレーキのハードウエアシステムが故障していなければ(めったに故障はありません)車は確実に停止に向けて減速します.

もし、「ブレーキを床までいくら踏んでも車は加速して、止まらない」と感じる状況に遭遇された方は、上から順番に
(1)先ずペダルを踏むことを止める(それできっと減速)
(2)左足でブレーキペダルを踏んでみる
(3)足元を見て自分が踏んでいるペダルを確認する
など、自分がブレーキと誤ってアクセルを踏みつけていないか、
確認をお願いします。

これを知識として知っているだけで、パニックに陥ることなく、かなりの確率で暴走事故を回避できると思いますので、ご参考に。

●奥山悦男「定年後の農業、地域活動&チェロ」15/9/14掲載 

これは、元在籍した会社のOB会報に投稿したもの。日常の活動はブログ「越前市の自然と暮らし」に日々書いています。音楽活動では2015年9月1日の福井新聞に「仲間と夢中 越前町弦楽アンサンブル クラシック魅力発信」でも取り上げられています。 

伊藤隆英「自分で造ったパリの茶室15/6/8掲載

元体操部の伊藤隆英君はフランスに永住している。彼がパリ郊外の自宅に、独力で5年の年月をかけて、四畳半の茶室を造り上げた。

材料の調達から難儀をし、それを加工する道具も用意し、中には研ぐ為の仕上げ砥を日本から取り寄せ、加えて釘を使わないで木組みをしたというから凄い。

畳は調達できたようだが(柔道の影響か)、障子の桟は自作、壁土を塗るのも自分でコテを使う。大したものである。本人は小さい時に図工の授業で作った本棚、椅子くらいと書いているが信じられない。釘を使っていないのですぞ。

フランス広しと言えども、個人邸に日本の茶室があるのは伊藤君の邸だけか(パリの日本文化会館内にはあるそうです)。

篠原剛「65歳14/6/30掲載

篠原君は現在、市川市国際交流協会でボランティアをしている。それを手伝うように到った心境や、そこでの経験を簡単にまとめている。

65歳という年齢は篠原君に限らず、我々にとっても一つの節目であり、今を考えさせてくれる。篠原君にとっては兄上が、この歳で亡くなられたということもある。

あなたにとっての65歳を考えてください。 

日暮高則「会いたいと思っていた友人が故人になっていた時の辛さ(鈴木秀君追悼)」14/4/15掲載

日暮君による鈴木秀君(2010年6月6日逝去)への追悼文である。彼自身が理事をしている公益財団法人「岡本国際奨学交流財団」の機関誌に投稿したものをもとにまとめてもらっている。

鈴木秀君の人柄がわかると同時に、哀悼の念が切々と現れている文章です。加えて、まだこちら側にいる我々に、彼岸に行っては会えないのだから、今のうちに「会いたい人には躊躇なく会っておくべき」というメッセージを伝えている。

私は鈴木(秀)君とは高校時代に面識は無いが、この文章を読んだ後に卒業アルバムを引っ張り出して、鈴木秀君を確認した。 

山越裕「初めてのMt.富士 ヒルクライム参戦記13/7/19掲載

富士山は今年、世界遺産に登録されました。眺める山、信仰の山、日本美術の題材となった山、日本文化に影響を及ぼした山ですが、その山に自転車で登るというのだから大変です。

富士ヒルクライムという自転車のレースは、富士山の一合目から五合目まで、全長24q、標高差1255bを登るというものです。

山越君は、初参加ながら、制限時間内に登り切ったとのことです。そして、翌日も翌々日も脚の方は大丈夫だったようで、大したものです。

彼に聞くと、このレースにママチャリで登るつわものもいるようです。興味深い内容です。

金子充人「人事を尽くして天命を待つ13/1/15掲載

これは、金子君の奥様の御母上の病気治療時の体験をまとめたもので、歯科医師の雑誌に投稿されたものである。御母堂様は、今年(平成25年)の1月5日に残念ながら逝去されたが、ご家族に慕われた方だったようだ。
ご病気になられ、当初に入院した病院では「ご老体だから」というような治療をされたが、その対応に疑問を持って転院されて良い治療を受けられた経緯が書いてある。

考えさせられる内容です。同じ病気でありながら、老人になった時には別の治療(言い方は悪いが手を抜かれる治療)でいいのかという問題を提起しています。もちろん、老人としての基礎体力の違いで、治療法に差ができるのは良いのでしょうが、治療する側の精神が疎かになってはいけません。

●衣笠幸夫「登山の楽しみ−ライチョウと井本に遭遇:立山縦走ー」 12/9/24掲載

衣笠君は、地元の登山グループのARUKUに所属して、月に1回程度、登山を楽しんでいる。この団体では彼は若手とのことだ。
今夏の立山縦走の写真と、この団体が過去に登った山のリストをアップしてある。これらの山に関する情報が必要であれば提供は可能とのことであり、関心がある人は問い合わせてください。

「ライチョウはわかるが、井本とは何だ?」と思う人はお読みください。

伊原昭男「第3の人生:ダイビング12/9/3掲載

これまでも、伊原君のダイビングの様子は、このHPでも紹介してましたが、彼が現役時代に出向していた情報通信技術委員会(TTC: Telecommunication Technology Committee)が年4回季刊誌を出しているようで、その巻末に「OBシリーズ」があって、そこに掲載したものとのことです。
あなたの家もそうだが、普通、自分の妻や子は、夫や父親の文章など読まないものだが、伊原君の奥さんが「パパ、おもしろいから一気に読んじゃった」と言われたそうです。お読みください。

伊藤三平「私の2011年3月11日」 12/3/6掲載

甲田君の雑誌「医心伝心」に掲載したものである。怖い経験でした。直接、被害に遭われた方の体験に比べると、取るに足らない内容ですが、ビルの一室で「死ぬか」と思った経験であり、とりまとめておきました。

伊原昭男「セブ島、8,9,10回」 PDF文書)11/2/23掲載

今回はセブ島の文化を中心に書いている。PDF文書としてアップしています。彼にはせっかくのシリーズをこんな同期会サイトではなく、自分でダイビングの魅力を記したサイトを作って、そちらで広く公開した方がいいとアドバイスをしているのですが。

時田清俳句・短歌選 11/1/11掲載→12/10/21追記→14/1/6追記→15/7/29

時田君は技術者として、会社人生において18回の転勤を経験している。定年前から俳句を嗜みはじめた。
俳句の結社には参加されていないようだが、師も探されて、主に朝日新聞に投稿している。

朝日新聞の埼玉版以外に、全国版の「朝日俳壇」にも選ばれた句があるほどである。(私は詳しくないが、朝日新聞の「朝日俳壇」に掲載されるということは大変なことで、赤飯で祝うほどと聞いたことがある)

今後も句作に励まれるわけであり、また良い句ができたら紹介してもらいます。(彼も謙虚で、自分から選に入ったとは連絡してこないから、朝日新聞をお読みの方で気付いたら連絡してください)

★2012年10月8日に全国版の「朝日俳壇」に2度目の入選となりました。深谷市の俳句大会で入賞した句も追記しています。

★2013年に朝日新聞埼玉版に選句された句と、「文芸埼玉 第90号」(平成25年12月)に掲載の句を追記しました。

★最近は短歌もはじめられ、それも評価されている。2015年に朝日新聞埼玉版に選句された和歌と俳句を追記しました。

多賀秀俊君の千葉高在校生への講演「平和学の実戦」聴講記録10/6/9掲載→12/10/7

還暦になった時は、総会・懇親会の幹事と併せて、高一の総合学習における講演者を還暦の幹事年度から選ぶ慣習があり、多賀君にお願いしました。

同期5人も講堂の後ろで聴かせてもらい、それを取りまとめたです。最後列だから聞き取り難い点もあるが、ご了承ください。

渡辺(神保)公子、伊藤三平「千葉市今昔」 10/3/23掲載→3/26追記

神保さんが、千葉市の明治20年、昭和7年、昭和49年、平成21年の地図を、ほぼ同じ縮尺にして持参された。

伊藤が暇にまかせて加工して、登戸村の今昔と、千葉の中央部の今昔を比較してみた。登戸村では北斎が描いた富嶽三十六景「登戸浦」、同じく千絵の海「下総登戸」を併せてご紹介する。後者の絵に、高橋(純)君のご先祖の家が画いてあるとの伝承があるのだ。
(高橋(純)君から詳しい話を聞いて補足した)

千葉の中央部では、昭和7年当時は、京成千葉駅が三井ガーデンホテル前の千葉中央公園にあったことがわかり、非常に興味深い。

伊藤三平「3800年前の縄文土器片」 09/6/1掲載

私が小学生の頃だから、今から50年ほど前になるが、友達と拾った縄文土器のかけらを持っている。それを市川考古学博物館に持ち込んで鑑定してもらった。また当時のこともうかがい面白かった。縄文人の生活だけでなく、市川の古代の地形もわかり、色々と今を考えた。

千葉県は屈指の貝塚遺跡が多いところ。千葉市には加曽利貝塚、市川市にも堀之内貝塚、姥山貝塚、曽谷貝塚と国史跡などがある。当時の人口は全国で約16万人、内、関東で約5万人。特に千葉県が多く、当時、千葉が日本で一番良いところだったのだ。
千葉高のページに貝塚、縄文時代のことがなかったことが不備だったわけで、やっと古代人に申し訳がたったのだ。

伊原昭男「セブ島 第7回目の『僕の村』(1ヶ月間)−身障者の方にセブの海の楽しさを、セブの子供に楽器の楽しさを PDF文書)09/4/6掲載

またかと思わず、お読みください。今回は身障者の方をセブの美しい海の案内したプロジェクトの内容や、彼の妹さん(教師)が来島して、子供たちに楽器をプレゼントし、その交流が書かれています。
中古の楽器をセブに寄付するプロジェクトがはじまったら、ご協力お願いいたします。
きれいな写真もあります。PDF文書としてアップしています。

伊原昭男「ゴッドファーザー、そして、海亀とワルツ」 PDF文書)09/1/5掲載

彼のセブ島は6回目、今度は60日の滞在。「何んだ、このタイトルは」と思わず、お読み下さい。
彼が「ゴッドファーザー」になったのだ。マフィアの組長ではないですぞ。浦島太郎のマネはダメなのだ。海亀はダンスの相手なのだ。これを旭川の動物園が今度、採用するのではなかろうか。

人情が厚く、すごしやすい、すばらしい村です。通りがかりの奥さんが伊原君に向かって「Hello,Akio, My second husband without SEX!」と叫ぶ。もちろん伊原君の人徳もありますが、セブ島の「僕の村」の良さがわかります。
写真もレイアウトされてますので、PDF文書としてアップしています。

川名和夫「日大闘争私史」 09/1/5リンク

川名君は、ここでも「31年経って「全共闘」について思うこと」 を寄稿してくれているが、踏み込んで、細部のことまでは書いていない。このリンクした日大闘争私史では、そのあたりのことまで、できるだけ正確に書いておこうとの意志を感じる。
人間は得てして自分の過去を美化しがちであるが、彼は末端の闘士として、事実を辿っている。生々しく、興味深いところがある。

高尾広明「セブ島ー潜って、食べてー」 08/12/26掲載

村田(正)君、植草(隆)君に続いて、高尾君も伊原君の「僕の村」に行ってきた。訪問した人が次々と旅行記を書くのは、それだけ感銘が深かったということ。
高尾君は少しダイビングの経験があったようで、ダイビングの怖さ=自然の怖さと、そのために必要なダイビングにおける事前準備のことや、護るべきことなどがよく理解できます。

村田正夫「セブ島旅行記−伊原君の「ぼくの村」に行ってきた−」 PDF文書)08/11/10掲載

ダイブマスターの伊原君が常々魅力的に話しているセブ島に植草夫妻とともに同行した村田君の旅行記です。実際に伊原君の話以上に良いところのようで、村田君の具体的かつ生き生きとした文章をお楽しみください。
きれいにレイアウトされて文書化されていたので、そのままPDF文書としてアップしています。

伊藤三平「谷崎源氏刊行時の読者の声−源氏物語千年紀にちなんで−」 08/11/4掲載

拙宅に母が残した谷崎源氏がある。その配本ごとの付録である「源氏物語研究」に読者からの投書が掲載されている。
これがなかなか興味深い。最近、趣味の世界でも、昔の人の方が文化レベルは高いよなと感じることが多い。あなたはどう感じるか?
甲田君の来年の「医心伝心」用にまとめている中から抜粋する。2008年11月1日が紫式部日記に源氏物語の記述があった時からちょうど1000年とのこと。源氏物語も読んでいない伊藤が時流に乗ってまとめたもの。

伊藤三平「白内障の手術」 08/8/21掲載

白内障の手術をしたのは、ちょうど1年前だ。早い遅いの差があるが、あなたも加齢に伴い白内障になる。
そういう意味でご参考になるかと思い、アップします。甲田君の「医心伝心」に今年掲載したものを、その後、色々な出来事もあったので、加筆・修正したものである。

「いらざる助言」ということで、伊藤が皆様にへらずなアドバイスをしています。

甲田正二郎君「イタリア語は楽しい」 08/7/22掲載

甲田君は車椅子の奥様を介護中で、今は夜のつきあいなどは基本的には絶っている。(犬の世話もある)
その中で、金、土は九段のイタリア文化会館でイタリア語を習っている。これは「日本医事新報」という雑誌に投稿した文書である。
英語はもちろん、ドイツ語、スペイン語もある程度できるから、語学の才能はあるのでしょうね。(私などは日本語会話能力と書写能力だけが劣ると揶揄しているのだが、彼の聞き取りにくい日本語が、彼の風貌も相俟って、患者さんの信頼感を高めているのだと思う)

彼の家でジョバンニという日本語もできるイタリア人の先生にあった時に、彼のイタリア語の実力を聞いたら「3級以上は確実にあります」と去年言っていました。大したものだと思います。

板見潤一君「同窓の日々」 08/2/25掲載

板見君は仙台で国語教師をしている。しばらく消息不明だったのだが、中学の同窓会幹事の努力で判明した。
彼のブログの中で、中学、高校の思い出を書き始めたのを読むと、よく覚えており、驚嘆した。杉浦君の人柄も彷彿とさせるし、菊地先生、本野先生、稲葉先生の授業ぶりも鮮やかに書かれている。緑町中の授業も素晴らしいものだったことがよくわかります。
当時から国語が出来た板見君が、菊地先生と同じ国語の先生になっておられるのは何よりのことだ。

山本邦昭君「障害者と衣服」 07/12/17掲載

山本邦昭君は現在、脳出血の後遺症のリハビリ中である。彼の懸命な姿を見た和洋女子大の布施谷先生が、学生の前で「障害者の衣服」について話すように依頼された。そのために、山本君がまとめた概要である。
昔から「病は気から」とも言われている。私もそう思う。そして、衣服は着ている人の気分を変える。背広を着たら、改まった気分になる。寝間着でいると、寝付いてしまいがちになるだろう。
また彼は、この中で車イスを使っている人を見かけたら、遠慮しないで、手伝って欲しいと書かれている。心したいことです。

八木明子さん「歌集『マニキュア』」 07/11/12掲載

八木さんが、歌集「マニキュア」を角川書店から上梓した。帯に”第一歌集”とも印刷されているから、次も期待したい。
お世辞抜きにいい歌がたくさんあります。八木さんは現代の相聞歌を詠いたいと書かれている。これもいいが、自分自身を「鏡」に託して映し、自身の中にある「女」を詠んだ歌に私はえらく感心。
画家における自画像みたい感じをいだきました。

人それぞれの感性でお読みいただくと、また違った良さ、凄さを感じると思います。

高橋純一君「めでたいー高橋純一君の釣果ー」 07/10/29→12/10/15編集して掲載

高橋君の釣果を折りに触れて「掲示板」に掲載してきたが、最後の鯛の写真が埋没するのは勿体ない。凄い鯛だ。また彼の顔もいい。

今後も、趣味を楽しまれ、ここまで大きいのでなくてもいいですから、また別の魚でもいいですから、投稿してください。

伊原昭男君「ダイブ・マスターへの道」 07/10/29掲載

伊原君は早期退職をしたが、のんびりと過ごしているのではない。やりたかったことをやっているのだ。
ダイビングが好きで、その技術を磨いている。そしてついに、ダイブ・マスターというとんでもなく高度な資格を取得した。その時々にメールしてくれたものを集め、ここにアップしている。スーパー退職者だ。

ダイビングに言った沖縄やフィリピン・セブ島の様子なども興味深い。また彼は農作業にもせいを出し、その話も面白い。

伊藤三平「無粋ながら」 07/9/26掲載→11/2/14追加

伊藤は昔から右翼と言われてきたが、どうも最近、右の意見がおかしいように感じ始めている。だからと言って左に転向したわけでない。そこで自分なりに政治的問題を整理してみた。時々、断片的に人に言うのだが、どうも正しく伝わっていない感じがする。もっとも正しく伝わったところで大した意見ではないのだが、何となく気持ち悪い。
政治、宗教は話題にしない方が人間関係を保つ上では大事。でもいいのだ。どうせ理解などはされないのだ。
よくわからないことに中途半端な知識で首を突っ込むのは怪我のもと。それも正しい。だけど、よく知るための膨大な努力など政治的問題に時間をつぎ込みたくもない。それに知識がないと言ってはいけないものでもない。言論の自由だ。

声高に主張したつもりは一切ないし、そうするつもりもない。無粋ながら政治的話題を取り上げます。

甲田君の「医心伝心」2011年号に掲載したもの「「保守」を考える」を追加します。

榊原信行君「事故、安全とは何か」 07/7/26掲載

彼があるところで頼まれて、「このような事故を2度と起こさないように」との願いを込めて、事故当時から今までの経緯を語った内容である。
彼が、このページに掲載している「向きあう日々」の中で「怜子は我々に宿題を出し、又、解答を出していったと思うのです。一つ目の宿題はよく生きるとはどういうことか、二つめは安全とは何か、三つめは報道、マスコミとは一体何か」と書いている。その二つめの「安全とは何か」と、三つめの「報道、マスコミとは一体何か」に関して、彼は彼なりに答えを模索しているのだ。

A君「ひと恋初めし、千葉高時代」 07/2/26掲載

「これ、実話か?」と野暮な伊藤は聞く。「ある程度は」とA君が控えめに答える。「モデルは誰だ?」と聞くほどには野暮でない。
初恋とは不思議な語感を持つ言葉です。英語圏の人間も「First Love」に独特の語感を持っているのだろうか。
皆様、それぞれに初恋という言葉、またその経験をお持ちでしょう。同じ高校であった一つの物語としてお読みください。

なお、タイトル、章立ては、事務局が独断で行いました。ご了承ください。

梅澤修一君「郵政民営化ー自民党造反劇の裏側ー」 07/2/5掲載

梅澤君が銀行時代の後輩の講演会に出席した。関岡英之氏は銀行員→建築学修士という変わった経歴を持つが、建築基本法の改正案を調べる内に、これはアメリカが日本政府に提出している「年次改革要望書」の内容のままではないかと気付いた。氏はその後、日本の郵政民営化も含む規制改革全般の流れが、この要望書に基づいていることを『拒否できない日本』(文春文庫)にまとめ出版している。

今、公正取引委員会が談合の摘発に熱心に取り組んでいる背景や、裁判員制度も含む司法改革の背景も、その一環と展開する。

確かにアメリカと言う国はダブルスタンダードです。でも、上記書を読みながら、私自身は税金のかすめ獲りの談合は許せないし、郵政民営化の方向は正しいと思ってしまう。

皆様、お考えください。こういうことを知って考え直すのは大切と思います。

平野昇君「韓国の高校生が学んだ浮世絵」 06/12/11掲載

「歴史教育者協議会」に属している平野君が韓国の高校生に対して、韓国人教師の韓国民画の授業と同時に、日本の浮世絵の授業を実施した。その時の経験をまとめてくれたものである。
韓国に民画なるものがあるということは皆様もご存じなかったでしょう。新たに認識させてもらいました。
また韓国の高校生が浮世絵を見た反応の一部が書かれていますが、しっかりした視点の質問で、興味深いです。

今のままの日韓関係でいいと思っている人は少ないと思う。平野君のような交流は続けていって欲しいと思います。
同時に日本の高校生にもこういう授業は必要ではないかと考えます。隣国の文化を学ぶとともに、世界の印象派が驚愕した日本の浮世絵の素晴らしさを学んで欲しいものです。

「榊原信行君「向きあう日々」 06/9/4掲載

榊原君は、お嬢様がJR福知山線事故に遭われた時に同期の人からいただいた弔意に大変感謝しているが、個別に十分なお礼も出来ていないと言う。それなら、折りに触れて心境をまとめたものを取りまとめたらどうかと勧め、書いてもらった。
喪の回復過程の中で、彼の心が一生懸命にこの事故に向かいあい、また亡くなった怜子さんにも常に向きあっていることがわかります。

18年を明るく一生懸命に駆け抜けた怜子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

喜田茂君「北について話す会報告書」 06/7/22→07/7/18掲載(会員限定)

喜田茂君が北朝鮮について知っている範囲で思い切り話してくれた。その時のレポートである。同期会諸氏限定にしたい。
「輸送手段を持っているのは軍だから、軍が動かない限り何もできない」なんてことを教えてくれただけで、霧が晴れたように北朝鮮の実情がわかる。

古山明男君「山下道隆君を追悼する」 06/6/12掲載

2000年12月28日に逝去された山下道隆君に対する追悼文です。5年も経てからも、なお追悼したくなる山下君の人柄が偲ばれます。

堀田君による追悼文も併せて再読してください。

小林(渡辺)芳枝さん「須賀川牡丹園」 06/5/29掲載

現在、福島県須賀川市でご夫婦で医院を営んでいる小林さん(ご自身は耳鼻科)から、牡丹の名所として名高い「須賀川牡丹園」の案内をいただいた。
ご存知でない人が多いでしょうが、西の牡丹の名所である長谷寺が150種類7000株に対して、東の須賀川牡丹園が290種類7000株ですから、その規模がご理解いただけると思います。

牡丹は花の大きさ、美しさから、花の王者とされています。花の径が20p〜30pと大きく、花形も牡丹咲きの言葉が他の植物でも使われるように見事。色も様々な品種が改良されて絢爛たるものです。

古屋信明君「ある歴史のすれ違い:原子爆弾の開発」 06/2/8掲載PDF文書)

”橋の古屋”君が防衛大の授業で原子力発電のことを講義した。その資料作りの過程で原子爆弾開発の経緯を知り、それをとりまとめてくれた。

はじめの方に書かれている原子爆弾の仕組みは文系には難しいが、原子番号94質量数239のプルトニウムが生成できたことで一挙に開発が加速されたことが理解できます。
後半の開発の歴史は色々と考えさせられます。ミッドウェー後に大統領の開発許可が出されたんですよ。当時の日本の指導者は戦争目的も不明確なまま開戦し、あとは美学で無意味な戦いを続けたような気がします。(「アメリカけしからん」で戦争を始め、「死を恐れない勇敢な日本民族の姿を見せてやる」で続けたような気がします)

これを読むと今、騒がれているイラン、北朝鮮の核開発、難しいものではない気がしてきます。10ページにわたりますから印刷した方が読みやすいです。ご一読ください。考えさせられますよ。

近藤ゆり子さんに関する毎日新聞の記事 06/1/10掲載及び朝日新聞の記事06/9/12

毎日新聞の06年1月7日の特集記事『団塊世代のあす:第1部 第2幕のベルが鳴る』の「6.革命、挫折…支えてくれた夫の死 ◇終わらぬ二人の闘い」を転載しております。(毎日新聞の了解をお願いしている最中です)

長谷川ゆり子さんの”生きざま”が紹介されている良い記事です。この中で、若い世代にこれだけは伝えたいとして、「もの言うことをためらうな。権威を簡単に信じるな。自分で考えろ」とメッセージを発信されていますが、共感する人もいると同時に、自分の生きざまを振り返って考える人も出ることでしょう。

掲載した写真は新聞の記事の写真ではなく、去年、京都でブッシュ大統領に抗議をした時の写真です。長谷川さんは嫌がるかもしれません。いいでしょう。

毎日新聞のサイト「団塊世代のあす」→我々の世代の話題です。興味深いシリーズです。お読み下さい。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/dankai/

朝日新聞の06年8月22日に「徳山、最後の夏」というシリーズで、近藤さんのことが取り上げられました。掲載された写真は徳山ダムでダム反対運動を長く続け、先年、逝去された近藤さんの夫の骨を散骨しているところです。なかなか印象的な写真です。

伊藤三平「京都紅葉考」 05/12/6掲載,06/12/11追加)

2005年11月の終わりの週末、妻と2人で京都の紅葉狩り。自然にも美しい彩度の高い真紅の紅葉があるでしょうが、京都の紅葉は格別です。その美しさの謎を自分なりに解いてみました。

京都の庭を見ていくと、紅葉をメインにしている庭が多いことに気がつきます。桜もいいけど、紅葉もいいです。眼を向けてください。

小出貢二君の写真「落下紅葉」も併せてご覧ください。写真はこちらの方がいい。
また2006年に今度は西山、洛北、洛東をまわり「季節の便り」で紹介したものをリンク。

ドクター林君「健康げらげら音頭」 05/11/14掲載

林(雅)君が千葉高卒業生らしいのは国立大学医学部を卒業したことくらいで、あとは千葉高卒業生らしくない多彩な活躍をしている。

その彼が、「お笑い」を指向したのは次のような講演会の出来事であった。
医師として健康に関する講演を頼まれ、熱弁をふるう中で、聞いている人が一生懸命に耳を傾け、メモをとるのを見た彼は、生来のサービス精神を発揮して、聴衆を笑わせようとした。
「皆さん、心臓の治療に桜が有効なのは知ってますよね。え、知らない。それはですね、ドウキのサクラと言うでしょう?そう、心臓の動悸には桜がいいんですね。」
ウケルと思った林君は、次の瞬間、前でメモをとっていた女性(おばさん)がそのメモをクシャクシャと丸めて、林君に投げつけてきたのに驚いた。
この出来事をふまえ、どうせならまじめにお笑いを極めようということにしたそうだ。

皆さんも授業、講義、講演で聴衆に笑ってもらおうと思って失敗して経験があるでしょう。そう、難しいのです。
今、林君は笑おうと思ってきている人が笑わないことに悩んでいる。プロの道は厳しいのだ。

健康げらげら音頭の歌詞は彼が作詞したようだが、いい詩ですよ。

A君「浦島になった日」 05/10/24掲載

A君が千葉高を久しぶりに訪れた。
千葉駅前のモノレールの醜悪さ、葭川を覆うモノレールの傲慢さ、それが赤字だと。
北斎の富嶽三十六景にある登戸の浜を埋め、美浜区幸町とつけたのはジョークか。
建物は文化。残すべきものを残すのが伝統。今、千葉に、あの中庭を持つ校舎に匹敵する建築物があるのか。それを耐震基準とかのもっともな理由で壊すとは。校庭があれだけ広いじゃないか。

小出(恒)君は英国人が風景を大事にしていること書いて、それを壊す日本を嘆いている。A君も同じ嘆きだ。昔が全ていいわけではないのをわかっている。センチメンタリズムであるのもわかっている。でもA君は書かずにいられなかった。

人間がこれだけ壊すのなら、もっと徹底的に壊してやろうと自然が地下で考えていても仕方がないですね。

小出恒介/知恵子「妻と一緒に英国縦走1500q」05/7/13掲載、7/19、7/25、8/15、9/5、10/3、10/10追加)

2005年、テロ前のイギリスに小出恒介君が出向き、奥様と一緒にエディンバラからロンドンにレンタカーを借りて、フィッシュ&チップスを食べ、ギネスを飲んで、B&Bに泊まって縦走してきた。

ガーデニングの本場の研究も兼ねての旅であり、英国ガーデニング事情に詳しい。

昔、文学少女だった奥様の文章も併せて掲載しております。イギリスの正式名が「大ブリテン北アイルランド連合王国」と聞いたことがありますが、スコットランドの風物を描く文章に、それが理解できます。
気候が違えば風土も違う。風土が違えば植生も動物も違う。文化も違う。それがよくわかります。

濁郎「館林逍遥」04/12/9、06.3.13追記

館林の嶋田君は、毎朝、近くの公園、沼を散歩しているが、ある時、急に俳句に目覚めた。
菊地Q治先生の「句は才能ではなく、ひたむきに見詰める心なのですね」という教えが甦った。
そして彼は濁郎になった。

情景がパァーと広がるような良い句があります。彼も、選ぶ事務局も俳句の季語など無頓着であり、伝統的な俳句に詳しい方がご覧になったらおかしいものもあるかもしれません。ご容赦を。

濁郎は、ただ5.7.5に、見詰めたものを閉じこめる。徹底的に閉じこめたものが、読む人の心に情景を拡げる。眼がいい男です。
ただ、眼というのは不思議なもので、どんな名品でも飽きがくる。いつもの散歩コースで、いつまで見続けることができるだろうか。

清水教博「尾崎へー尾崎雅信君追悼ー」04/8/19掲載

テニス部で尾崎君と一緒だった清水君による尾崎君への弔辞スタイルの弔文です。
尾崎君に呼びかけているわけだから、「知る人と知る」的な逸話も入っている。
尾崎君の人柄や、尾崎君のご家族の暖かい家庭の様子などが思い浮かぶ文章です。

彼は、この弔文を尾崎君へのラブレターと位置づけている。そこまで思って書いた弔文である。

また「故人の思い出」における尾崎雅信の項には神保さん、會澤さんの弔文も掲載しております。尾崎君の人柄を偲んでください。

森下(小林)和子さん「高原の木々、草花」04/6/28掲載

小林さんが、時々、季節の便りとして、ハイキングに出向いた各地の高山植物、木々を紹介してくれています。これまでのを集め、今後も投稿があれば掲載していきます。
いつかは高山植物集を作りましょう。

土曜日に仕事で上州や野州への電車に乗ると、ハイキングに出向かれる中高年の方をよく見かける。愛好者が増えているのだろう。

高橋純一君「杉浦八十二君追悼ーヤソジ、激走−」04/6/14掲載

高橋君が、杉浦八十二君の3回忌に向けて発行された追悼集に掲載した追悼文です。

高橋君の昔の出来事に対する類い希なる記憶力によって、昭和40年の千葉市中学駅伝大会における八十二君の活躍が書かれています。同期では彼のほかに、上原施門君、高橋純一君、川名和夫君が駅伝走者。

八十二君、人生においては、もう少し、ゆっくり走っても良かったのに。

りゅうさん「旅の余話」04/5/31掲載←04/10/12、05/7/6、06/2/16、06/9/20追加

りゅうさんが「落書き帳」に書き込みしてくれた「旅の余話」です。これからも、適宜まとめていきます。「旅の小話」と併せてお楽しみください。

共感すること、知らなかったこと、こういう見方もあったのかと思うこと、など楽しいシリーズです。

インド旅行記などはまとまった読み物です。

甲田正二郎君「犬々記」 04/3/6掲載→05/8/8追加

甲田君はご家族も含めて動物好きである。確かに獣医の資格も持っている。彼の家に行くと、いつのまにか知らないワンちゃんが増えている。捨てられている犬を拾ってきて育てるのはできることではない。今は7匹であり、フランス風の名前も多く、苦労する。そして亀とウサギとかもいる。「鶴はどうすんだい?」と思わず聞いてしまった。

今回、掲載した以外にも犬のことを記した原稿はあるのですが、フロッピーが見つかっていない。見つかり次第順次掲載していきます。

「犬は友だち」をアップ。彼個人の人生と、時々の犬との交流を書いた文章でホロッとします。
人類という種族と犬という種族の太古からの交流が偲ばれるような文章です。

また今後も執筆するであろう原稿もシリーズで掲載していきます。

A君「17歳の家出志願ー父への鎮魂歌ー」 04/2/6掲載

父への反抗による家出志願。その結末はどうなったであろうか。

最後まで読まれた人は、この一文が結果として彼の父への鎮魂歌になっていることに気付くだろう。お父上への何よりの供養である。

伊藤三平「椿」 04/2/6掲載

甲田君の2004年「医心伝心」に掲載したものに、若干手を入れたものである。
伊藤が今、その魅力にはまっている椿の紹介である。

皆様の家やご近所にも椿は咲いているはずだ。それにわずかでも眼を止めていただけたら幸いである。(写真は全て我が家の椿で、80万画素のデジタルムービーで撮ったものであり、入れ替えも考えている)

朱雀君「私家版 京阪奈点描」 04/1/13掲載(04/4/7、04/10/12、05/11/7、06/5/19追記)

「落書き帳」に投稿してくれたものをまとめたものです。社会学の教授らしく、住んでいる奈良の町を、様々な視点から捉えています。堀田ワールドは時空を超えるのだ。

観光案内かと思えば、奈良を愛する市井の住民の話、奈良そごうの話、奈良の国会図書館の話、街道の話、スパイのゾルゲの話から矢部先生の話まで、これが社会だ、世の中だ。

神保(渡辺)公子さん「稲ハデと積み藁」03/10/16掲載→03/12/24追記

稲ハデとは、刈り取った稲束を干しておくものを言う。瑞穂の国は稲穂の国でもある。
地方ごとに稲ハデの方式と積み藁の形式が違うようだ。松江の稲ハダと積み藁を紹介しながら、地方ごとの稲作文化に目をむけさせてくれる面白い文章です。出張の車中から見る各地の田んぼが楽しみになりますよ。

稲ハデと積み藁の文章に、出雲の名菓「ししす」が加わりました。加えて「津田かぶ干し」が追記されました。これはきれいな赤かぶで面白いです。

嶋田正文「千葉の稲ハデ(「小田」、「小田架け」)03/12/24掲載

千葉の海上郡飯岡あたりでは、小田、小田架けと言っていたようです。
伊藤が調べると新潟ではハンノキなどを利用して「はざき」、「はさぎ」、「たもぎ」、「たものき」と呼んでいたようです。

伊藤三平「江戸の稲ハデと積み藁」03/11/11掲載

広重の『名所江戸百景』の118枚から江戸の積み藁、稲ハデが描かれているのを探してみました。

八木(杉井)明子さん「淡墨ー書道作品集ー02/10/2掲載→03/12/18追加

八木さんは、千葉高書道でおなじみの種谷扇舟先生の白扇書道会で種谷萬城先生に教えを受けられている。平成13年書道芸術院展で院賞、平成14年書道芸術院展で特選を受賞され、審査会員候補になられている。

毎日書道展に入選された作品を、01年、02年に引き続き、03年のも掲載いたします。

村田秀志君「ムラタだけど」03/11/17掲載→12/4投票終了

彼は自分の顔が自分のこれまでの人生だと微笑んでいる。20年後には老境に入った顔も掲載する予定です。
リンカーンが述べているように男は自分の顔には責任を持たねばならない。

彼は手術をして、これから療養も必要になる。彼を励ます意味で彼の顔(高校2年と現在)を見ての感想を投票してもらった。(11/17〜12/4)

長尾伸一君「エトランゼ(異邦人たち)」04/9/25追加

長尾君の旅行記をまとめてみました。彼の旅行記には、異国の文物ももちろん登場しますが、仕事先でかかわった外国人との交流が興味深い。
その交流の過程を読んでいると、その外国人のこれまでの人生、性格に興味を感じてきます。そこで「エトランゼ(異邦人たち)」というタイトルでまとめてみました。

今回は「出会いベネチア、シカゴ再会、別離」です。彼の実体験であろうか、それともフィクションであろうか。

古屋信明君「江田島と硫黄島のこと」03/6/14掲載PDF文書)

古屋君から、今年の3月頃、江田島に行ったとのメールがあった。そう言えば去年、硫黄島に行ったんじゃないのということで、海軍兵学校があった江田島と太平洋戦争の激戦地の硫黄島で何か書いてとお願いした。

誤解を生みやすい、書きにくいテーマであるにも関わらず、まとめてくれたことに感謝しています。

現場で考えるのが大切なのは何でも同じ。「橋の古屋」は「島」で何を考えたか。まずはお読みください。

(注)硫黄島探訪のサイト

このサイトには、硫黄島の自然、戦いの経緯、現在の状況などが非常に詳しく、掲載されている。
戦死者の中ではロサンジェルスオリンピックの馬術競技優勝者バロン西こと西竹一中佐が有名だが、水泳の男子100m自由形で銀メダルを獲得した河石達吾選手のことも紹介している。
あの有名な太平洋戦争における米軍勝利の象徴的に使われている「擂鉢山に星条旗を立てる海兵隊員の写真」のことも、詳しく説明されている。

古川保夫君「バリ島移住記」03/6/9掲載

50歳でバリ島に移住した古川君から、バリ島へ移住した動機、今の仕事の内容などを神力君経由で送ってもらいました。

彼が書いている日本の現状などは、我々がわかっていても眼をそむけてきたこと。早く現実に眼を向ける必要もあると思います。その結果の選択肢として、彼のような考えが生まれてくるのも自然なのかもしれません。

藤島哲司君「最新中国北京事情」03/6/2掲載

藤島君は某メーカーの中国におけるIT会社の総責任者として4月に赴任しました。そこでまず巻き込まれたのがSARS。しばらくはこの話題。ここにも書かれていますが、確かに北京と上海の違いなど不思議ですね。

赴任中、時々、最新の中国事情を投稿してもらいます。楽しみにしてください。

森下和子さん「簡単に、これまでを」03/5/26掲載

感銘を受けた近況報告でした。「是非に」とお願いして掲載させてもらいました。

ご自分の半生を簡単に振り返っておられますが、重みのある半生です。
ご本人は「行き当たりばったりの人生」と述べられているが、奮闘して切り開いてきた一筋の道でしょう。

文体もいいです。上質な詩のようです。”成熟”した大人の文章を味わってください。

喜田茂君「北朝鮮レポート」03/5/16掲載

北朝鮮との貿易実務を経験したことがある喜田君が貴重なレポートを寄稿してくれました。

「裏のアパート」、「ガラス」、「民家の屋根瓦」、「子供の身体の大きさ」、「トーチカ」等の実見談などは、通常の北朝鮮報道では知ることができないことです。非常に興味深いレポートです。

A君「16歳−私は、誰かにもらってもらいます−」03/4/18掲載

A君の高校時代の思い出シリーズである。小説としてお読みいただきたい。
画商で美術評論を書いていた洲之内徹が、ある画家の書いた若い女性のデッサンを評して、若い女性というものは、このような表情をとるもんだというようなことを書いていたのを思い出しました。
彼が文で造り出したヒロインも、いかにも16歳の女性、しかも千葉高の女生徒という感じがして、いいです。
文章も、だんだんと洗練されてきた。いいですよ。これは。

奥山悦男君「あの時を忘れないー1995年冬 神戸ー03/1/7掲載

阪神淡路大震災のことを奥山君が自分の体験談として書いてくれた。取材ならすぐに書けるだろうが、自分のこととなると、振り返るのにも、ある程度の年月が必要だったということである。

大きな出来事を淡々と書いているが、巨大な自然、小さな人間の営み、その小さな営みを大きくするボランティアの力がよく理解できる。貴重な記録でもある。
阪神淡路大震災のことは風化させるわけにはいかない。大地震はいずれ、東京にも発生するのである。

甲田君の『医心伝心』(平成15年)に掲載されたものが元になっている。

小出貢二君「落下紅葉ー写真集ー」02/12/16掲載

小出君は写真も趣味の一つである。京都ミニ同期会での彼の写真を気に入った私が、強くお願いして掲載してもらった。
うまく説明できないが、彼の写真は「紅葉の美しさ」の記録から一歩踏み込んで、「紅葉の、ある状況における美しさ」を絵として切り取ろうとの思いが見られて、私は好きです。短時間の限られた時間帯での撮影で、これだけ撮れるのは大したものです。

インターネット上では重くなるのを避ける為に、解像度を落としますし、各自のパソコンで色調も様々ですので、作品としての写真を掲載するのは難しいのですが、お楽しみください。

私は今回、地面に落ちた紅葉の美しさを発見して感動しましたが、私が気がつくようなことを、先人は当然観ており、新古今集にも「したもみじ」という言葉で次のような歌があります。絶世の美女小野小町も落ちた紅葉をみて「憂き言(こと)の葉の つもるころかな」と歌っている。

「したもみじ かつ散る山の 夕しぐれ ぬれてやひとり 鹿の鳴くらむ」(藤原家隆朝臣)

A君「仮装行列」02/10/16掲載

A君が体育祭の仮装行列の思い出を書いてくれた。確かに、こういうことがありましたよ。ただ、事実としてあっただけに、一読目は、どうしてもモデル探しに意識が行くが、二読、三読すると、そんなことはどうでもよくなる。皆様も、モデル探しの意識を払拭して、小説としてお読みいただきたい。

青年期特有の父との葛藤、ほのかな性への目覚め、子犬たちがじゃれあいながら育つような友との関係などがよく書けていると思う。

りゅうさん「旅の小話」02/9/5掲載(02/11/25,03/5/21、03/9/1完結)

同期会の「落書き帳」に度々書き込みしてくれる「りゅう」さんのシリーズで、一応100回完結である。ご苦労さまでした。

この人は、熱心に、かつ、いい加減に(旅慣れて、余裕をもってという意味)旅を楽しんでいる。いずれにしても旅行が好きな人なのだ。そして、この小話の随所に見られる見識、感想には、皆様も共感されることも多いと思う。

伊藤三平「市川市八幡の梨物語ー梨祖 川上善六ー」02/6/19掲載

私の今の住まいがある市川市八幡の地域に感謝を籠めて、この地の偉人を紹介したい。「まえがき」にも書いたが、この原稿の初出は甲田君の「医心伝心」である。

熊野明夫君「チバコーの海 館山の夏」 01/8/17掲載

熊野君をはじめとする千葉高悪童連(ゴメン)が、千葉高を卒業してから大学時代にかけて夏を過ごした館山貸し別荘時代の思い出です。登場する同期の村田君、高橋君、石井君は今では中小企業経営者だ。昔から身体を張ってたんだ。

学生運動で明け暮れた学生時代を送った人もいれば、このような青春を送った人もいました。「そう言えば無茶もしたなぁ〜」と、我々の青春を思い出させてくれます。(01/8/20高橋君のコメント追加)

卒業当時の剣道部の諸君のエピソードが書かれている「チバコーの海 館山の夏 前章」 を追加。(01/9/3)

堀田泉君「追悼 山下道隆」 01/1/4掲載

「落書き帳」のやりとりでご承知のように2000年12月28日に山下道隆君が逝去されました。

堀田君による追悼文です。

伊藤三平「1万ヒット目の訪問者を探せ−サイバー社会のプライバシー−」 00/10/10掲載

同期会ホームページの1万ヒット企画を実施した時に、サーバーのアクセス記録を調べた顛末をまとめてみた。サイバー社会の危険性も観念的ではなく、具体的に記したほうが理解しやすいのではなかろうかと考えた次第である。

自分で取りまとめて見て、電話との違いは、インターネット社会はサーバーという身近な場所で分散処理するところに、危険が潜んでいることに気が付いたことを記しておきたい。
危険を認識した上で、サイバー社会を楽しみましょう。

古屋信明君「観音崎の新しい職場(防大)からの手紙」 00/8/22掲載

古屋君は本年より防衛大学校の教授に転身された。
私も「橋の専門家が防衛大学で何を教えているの?」という疑問を持った人間であるが、そのような疑問に対し、手紙形式で防衛大学のことを紹介してくれている。

わかっているような気持ちになるが、実は知らないことが世の中には多い。防衛大学もそうだったなあと思っています。

A君「千葉高講堂〜文化祭のアンサンブルの思い出〜」 00/5/11掲載

A君が再び驚異的な記憶力と描写力で、高校1年当時の音楽部演奏会の様子を、音まで聞こえるように臨場感を持って、生き生きと再現してくれました。
むしろ当時3年、2年生であった昭和41年、42年卒業生の皆様の中に、同じ演奏会を強く記憶に留めておられる方もいらっしゃるのではなかろうか。

A君の記憶にこれだけ印象に残っている演奏会は、失敗があったからではなく、難曲に挑戦した姿勢があったからだと思います。当時の千葉高は音楽的にも素晴らしい先輩がいたことがよくわかります。(音楽もダメな伊藤は、全く記憶にありません)

伊原昭男君「50歳、思い切って取ったリフレッシュ休暇」 00/2/29掲載
伊原君は会社の「リフレッシュ休暇」制度を利用して、昔の赴任地ジュネーブに奥様と一緒に出かけられた。駐在時代や子供のホームスティでお世話になった先へ、夫婦揃ってのお礼に伺いながら、ベニス、ブルゴーニュ、ロワーヌに楽しい旅をされてきた思い出を書かれている。

ロワーヌの古城の歴史について、詳しく、かつ簡潔な紹介とか、本場のワインやチーズの話題は、好きな人にとっては、とても興味深いのではなかろうか。

奥様同伴ででかけた為に、留守宅の子供達が協力したことなどを読むと、夫婦揃っての旅行に踏み切れない家の参考になると思う。ちなみに奥様は千葉高の44年卒業生である。

佐久間憲子さん「”芸術家と市民”ー菊地久治先生の思い出ー」 00/2/1掲載
A君の原稿を読んで佐久間さんが寄稿してくれました。長文なのでここに掲載しました。
皆様が「落書き帳」に書かれたものも含めて「菊地久治先生の思い出」として、まとまったページを作成いたします。

佐久間さんは、ご両親のお世話をするために、去年退職されました。
この文章の中にも、記名して菊地先生にもの申したことが書かれてますが、彼女は潔いところがあり、私は去年のハッピーリタイアメントを聞いて生き方を考えさせられたことを記しておきます。

A君「”サヨナラだよ”ー菊地久治先生の思い出ー」 00/1/18掲載
まだインターネットをやっていないA君が、たまたまホームページを見てくれて寄稿してくれました。
菊地久治先生に学んだ者にとっては非常に印象に残る文章です。俗物の伊藤は、A君の文章を読んではじめて、先生に「高校生らしくない」と叱られて『一房の葡萄』の本を渡された意味がわかった気がします。

後半は短編小説みたいです。

菊地先生に教わった時の印象が、我々の間でここまで残っているのを見ると、人間は自分の個性を出して生き抜くことが大切だなと改めて思います。生きて行く上での軋轢は大きくなりますが。

川名和夫君「31年経って「全共闘」について思うこと」 99/11/8掲載
日大全共闘とともに大学生活をを送った川名君が、31年を経て、当時のことを書いてくれました。
抑えた筆致で書かれているが、当時の状況や、他の全共闘と日大全共闘との違いなど、はじめて知ることも多い。

ともかく我々は全共闘世代である。入学した大学は、大学紛争の最中であり、一浪した者には東大、教育大の入試はなかった。
全共闘、革マル、中核、民青もあれば、右翼の日学同などもあった。もちろんノンポリもいた。
それぞれの立場で想い出すことも多いと思います。

西田高君「南ドイツ ランツフートでの生活(ドイツからの近況報告 3)」 99/10/22掲載
ドイツにいる西田高君から新しい近況報告を送っていただきました。
ドイツでの運転事情、商店と物価状況、ゴルフ場利用状況などが具体的に書かれております。観光ではなく、現地で生活している人でないと書けない内容です。
仕事で赴任されているのだから大変でしょうが、南ドイツのランツハートは住みやすそうな町であることがよく理解できます。行きたくなります。
ヒデバロ君「ヒデバロ号Uのツール・ド・北海道1999(えりも岬〜宗谷岬)」 99/8/18掲載
匿名希望のこの同期生(文中に写真があるのでわかる人もいるのでは?)は、今夏(99年)に自転車で北海道を約700q縦断した。その旅行記である。
A4で28ページの大部な著作ですので、日付ごとに分けました。
彼を応援してくれる人々との触れあいと、サイクリングの技術的なこと、サイクリスト(今はチャリダーというらしい)の心理などが興味深い。
高校時代から体力派であったが、改めて彼の肉体面及び精神面の若さに感嘆しています。
今、自転車はトレンドである。これを読んで「自分も」と考える同期が出てくれれば、彼は喜ぶであろう。
佐藤仁子さん「進路」 99/3/11掲載
佐藤仁子さんは衆議院で速記者を勤められ、現在は速記監督と言う立場である。
あの高校生当時に自分の将来の進路についてこれほど真剣に考えていた人がいたことに対して、進路決定の先送りするために大学に進んだ私などは恥じ入るばかりである。
昭和40年代前半における女性の社会進出の記録にもなっています。働いている女性は佐藤さんに限らず大変だと思うが、夜遅くまでの国会審議に出席しながらの子育てなど、ここでは軽く流しておられるが、いかばかりであったであろうか。皆様のお嬢さんにも一読を薦めたい。

テープでは野次と怒号しか聞こえないが、速記者の耳には議長の声が聴けるとおっしゃる。確かに耳は不思議なもので聞きたい対象の音を増幅して伝えてくれる。日本語も「聞く」と「聴く」を分けている。耳触りの良い言葉になれはじめた年頃である。色々と考えさせられます。

★佐藤さんには、国会が混乱したときの速記者の対応、立場等に対する伊藤の質問(「落書き帳」99/8/12参照)に答えていただいたファイルもいただいておりますので、ご希望があれば事務局にどうぞ。

伊藤三平「日本における旅行業の嚆矢」 99/2/16掲載
甲田君の「医心伝心」の今年号に伊藤が掲載したものである。日本における旅行業者の嚆矢と思われる伊勢講などにおける「先達、御師」のシステムを紹介している。
なお伊藤は年を取ったら中高生に歴史を教えたいと思っている。もっとも、この話をしたら、ある人から「歴史は思想教育だから、君じゃ危ないよ」と言われた。この人は歴史の一面をわかっている人だ。もっとも教員免許がないから夢は叶わないようである。
古屋信明君「マディソン郡の橋」やカバードブリッジの話」 99/2/4掲載
古屋君が事務局の「マディソン郡の橋のことでも書いてよ」の軽いお願いに対して橋専門家らしく重厚な答えで叶えてくれました。
あとがきの「橋は人や物を対岸に渡すために建設されるから、喜びや悲しみも橋を渡る。」の一節はいい言葉です。
甲田(藤島)正二郎君「いたずら電話」 99/1/27掲載
甲田君は葛飾区で開業医として忙しい日々をおくっている。
彼は6〜7年前より、毎年暮れに「医心傳心」という雑誌を自費出版し、患者さんや関係者に配布して、楽しんでもらっている。
軽妙なエッセイを毎号発表しており、今回の原稿は今年号に掲載した一つである。
なお彼はカメラオタクであり、その方面でも関係誌に投稿・掲載されている。また草の根国際交流家という側面もあり、国はモンゴル、ブラジル、中国、アメリカなど、年齢は高校生から大人まで、性別は男女を問わずであり、不思議なエネルギーを発揮している。
「医心傳心」の投稿者は地域の人の他は医療関係者が多いが、伊藤もその一人である。オタクの伊藤があきれた軍服オタクなど様々な分野のオタク族が集まっている。
近藤ゆり子さん「徳山ダムの建設中止を」 99/1/14掲載04/2/26改定
近藤(長谷川)ゆり子さんの消息が判明した経緯は別途記しているが、そこにも触れられているように現在は岐阜県で「徳山ダムの建設中止を求める会」の事務局責任者として活躍されている。
その活動への理解を求める文章を投稿していただいた。私はこのダムの建設意義についてまだ不勉強だが、一般論で言うと官公庁は一度決めると見直すことに硬直的な姿勢があるようだ。民間では朝令暮改の経営者が評価されている時代である。
なおいわゆる「政治的な主張」に関して、近藤さんと事務局のやりとりも掲載している。
親しい間ではない限り「政治・宗教は話題にしない」という雰囲気が、結果として昨今のひどい政治状況やオウム事件などを生んでいるのかもしれないと思いはじめています。
西田高君「ドイツからの近況報告」 99/1/8掲載
テニス部の西田高君は現在、ドイツで仕事をしている。西田君と中学、高校、大学が同じという上原施門君が彼とのメールのやりとりをする中で、彼の近況報告をこの場に掲載することを思いつき、西田君の了解もえて掲載しております。
今回は<その1><その2>を掲載しましたが、定期的に送信してもらうと世界の生の姿が実感できると思いました。
他国へ駐在している同期の人にも投稿をお願いします。
尾形春夫君「真狩村ってどんなところ?」 98/12/28掲載
尾形君は現在、北海道は真狩高校で教鞭をとられている。会社の者に真狩村が細川たかしの故郷であると聞いたので尾形君に真狩村の紹介記事をお願いしたところ、美しい蝦夷富士の羊蹄山の写真も含めた村の様子に加えて、高校の生徒だけでなく、地域住民全体を対象とした生涯学習の実践の様子を書いてきていただいた。
少子化の一方、高齢化が進む現在、都会においても、このように教育施設を使った生涯学習が試みられても良いのではないかと考えさせられる内容である。
堀田泉君「窓からネッカーが見える」 98/12/22掲載
堀田君がドイツの大学で研究生活をおくっている時に、ご子息を現地の小学校に通わせた経験をもとに、ドイツ独自の文化(マイスターで有名な教育制度、ドイツ人の短い勤務時間など)を体験的に記述されている。堀田君は大学で社会学を教えているが、「社会学とは?」の答えになるような具体的でわかりやすい論文である。
A4で17ページに及ぶ大作であり、一度ファイルに落とされて、腰を据えて読まれることをお勧めする。
山越裕君「千葉高創立120周年」 98/12/8掲載
山越君は千葉高時代はサッカー部であり、現在Jリーグの専務理事の木之本さんの次の部長であった。
平成9年度の千葉高PTA会長をつとめられたばかりであり、千葉高120周年行事など、千葉高の「歴史」と「現在」を伝えていただいた。
神保公子さん「松江」 98/12/3掲載
神保さんは現在は渡辺さんである。佐藤さん同様に旧姓でのご希望です。島根県松江市にお住まいであり、25周年の時の近況報告に「松江を案内します」とあったので、松江紹介の執筆をお願いしたところ、松江の空気、松江での生活のリズムまで伝わる文章を寄せていただいた。
「いいところだなあ」と実感できます。なお「千葉高時代の思い出」もご覧下さい。
古屋信明君「橋と半生」 98/11/21掲載 明石海峡大橋写真追加
古屋君は我らが代の生徒会長である。「世界最大橋に挑む」「橋をとおして見たアメリカとイギリス」の著書がある。後者を拝読したが、アングロサクソンの橋造りの先人の苦労が古屋君の橋への愛着がにじみ出た文章によって興味深く記されており、普段考えてもいない「橋」に新たに目を向けさせる著書である。「マディソン郡の橋のことでも書いてよ」と気楽に頼んだら、このような興味深い文章を寄せてくれました。阪神淡路大地震を織り込み済みで設計したとのくだりは技術者の誇りを感じます。
奥山悦男君「ボランティア活動と私」 98/11/21掲載
奥山君は近況報告にもあるように各種のボランティア活動を実践されている。我々も定年後の生き甲斐を考えるような年齢になっており「自分などはボランティアに偽善的な感覚を持つこともある。体験談を書いて欲しい」と、やや挑発的にお願いした。ボランティアに気負いもなく好きでやっている奥山君の日常が書かれている文章です。ともかく活力溢れる奥山君である。