韓国の高校生が学んだ浮世絵

― 第5回日韓歴史教育交流シンポジウムでの公開授業 ―

平野 昇

 歴史教育者協議会と全国歴史教師の会(韓国)の共催による第五回日韓歴史教育交流シンポジウムは、二〇〇六年八月十日にソウルの中央高校で行われた。

 今回のシンポジウムでは、両者が五年間かけて作成した『向かいあう日本と韓国・朝鮮の歴史 前近代編』(上下二巻、青木書店)の出版を記念する意味で、同書に書かれている内容を教材にした公開授業を韓国の高校生を対象に行った。同書は、企画が始まった当初は両国の中学・高校の歴史の授業で使うための副読本というものだったが、検討を経て中学・高校生から市民を対象とする歴史書として出版された。

 本書には、相互理解を深めるために、同時代の両国の文化を対照的に取り上げたテーマがある。その一例が「仮面劇(タルチュム)と民画が語る時代の風景」と「歌舞伎と浮世絵が語る時代の風景」である。その原稿を書いた崔鉉三(チェヒョンサム)氏(ソウル・中央高校)と私が公開授業を行うことになった。

出版を記念した公開授業

 公開授業は、会場校の中央高校の生徒を対象に三時間行われた。生徒は、夏休みにもかかわらず崔鉉三氏の呼びかけに応じて集まって来た一、二年生二〇名だった。急ごしらえの編成だったが、グループ内での討議や全体での討議の場面では活発に意見がかわされた。なお、この授業を参観したのは、韓国の教師・報道関係者二〇名ほどと、日本からの参加者二五名だった。授業はすべて韓国語で行われたが、以前から歴教協日韓交流委員会の通訳を担当している黄慈惠(ファンジャヘ)さんが同時通訳をしてくれたので、参観の日本人も日本語で授業を聞きながら見ることができた。

 まず一時間目は、崔鉉三氏が「朝鮮時代の民画は、どんな人たちになぜ人気があったのか」という授業を行った。氏は三枚の虎を描いた民画と宮廷画家金弘道(キムホンド)の「松下猛虎図」を提示して、題材が同じでも描き方が違うことに着目させた。そして、金弘道の虎の絵は両班(ヤンバン…支配階級)たちが買ったもので、民画は庶民が買って家に飾ったものであると、二種類の絵の違いをつかませた。最後に、民画には虎とともにカササギが描かれていることから、生徒にカササギと虎の民話を思い出させた。両班にとって虎は新年を迎えるにあたって災いを追い払う神聖な動物だが、庶民にとって虎は自分たちを苦しめる両班や役人を象徴していたのではないかとまとめた。

事務局注 韓国の民画のサイト

 二時間目には、私が「江戸時代の庶民文化−浮世絵−」という授業を行った。三時間目は、二人で民画と浮世絵を比べて両国の庶民文化について考える共同授業を行った。それぞれの授業のようすは口絵ページを参照されたい。以下、二時間目の授業のようすを中心に述べる。

筆者の授業風景。韓国の日刊紙「ハンギョレ新聞」に掲載されたもの。
口絵ページの代わりとしてご覧ください。(事務局注)

四枚の浮世絵

 授業の基本的な構想は、絵画資料(浮世絵)を中心資料として感想や意見を述べ合うなかで、江戸時代の庶民が楽しんでいた浮世絵について理解を深めるというものだった。ただ、当初から困難がいくつか予想された。まず、生徒たちとは会ったこともなく、その学校の授業を見たこともないという条件での授業で、しかも授業を一時間で完結させなければならなかった。また、生徒たちは江戸時代と当時の社会や文化の状況についてほとんど知らないと思われた。そして、私の韓国語の能力もあった。私の説明や指示、発問などは通じるとしても、生徒の発言を聞き取り、ノートに書いた意見を机間巡視で読み取って、討論を組織していくことができるかどうかが最大の不安だった。

 予想された困難さは授業に現れていた。回収した授業ノートを読み返してみると、発表された意見の他にも取り上げるべき意見がいくつか書かれていた。また、録画された授業を見返してみると、生徒のつぶやきや微妙な反応を聞き取っていなかったこともはっきりした。

 日常の授業とは違った条件の下で行った授業ではあるが、授業の過程をふり返り、本実践について検討してみたい。
 自己紹介の後、本時の学習内容は江戸時代の文化だと話し、江戸時代は前時に学んだ朝鮮時代後期にあたることなどを説明した。次に、日本文化と聞いたら何が頭に浮かぶかとたずねた。キモノ、アニメーション、温泉、ケーワン、スシなどの意見が出た。「よく知っているね。寿司は、まさに江戸時代に生まれた食文化です」と話して導入を終える。

 次に、四枚の浮世絵(風景画、力士絵、役者絵、美人画)を黒板に貼り、これが江戸時代の絵だと紹介し、一枚ずつ、何を描いたものか話し合いを進めた。風景画、力士絵、美人画は何を描いたものか、すぐに意見が出たが、本時の中心資料である役者絵(資料)については、予想どおり「サムライ」という発言だけだった。そこで、この絵については後で勉強しようと述べ、「この四枚の絵のうち、一枚だけが本物の浮世絵で残りはカラーコピーです。どれが本物か当ててみよう」と指示した。黒板の前に出てきて手にとって眺めたり裏返して見たりした生徒たちは、本物は役者絵(授業の二週間ほど前に神田神保町の古書店で一万二千円で買ったもの!)だと気づいた。

資料 三代歌川豊国「曽我五郎時宗」

  「今日はこの絵を詳しく分析してみよう」と述べ、カラーコピーした役者絵を各グループに配った。「この絵を見て、変だなあ、なぜだろうと思ったことを書いてみよう」と指示した。各人が授業ノートに書いたあと(四、五人で一つの)グループの代表に発表させた。すると、髪型がおかしい、目がつり上がっている、赤い化粧をしている、手に持っている物は何か、二人は争っているようだ、などの意見が次々に出た。そこで「この二人は、どういう人だろう」と問いかけ、男性なのに化粧をしているといえば演劇の俳優だという答えを得た。すると「カブキ」という声があがったので、歌舞伎の説明をすることにした。歌舞伎は江戸時代に始まった演劇で江戸時代を通して人気があった演劇だと説明し、江戸の人たちはこの絵を見ると今月の上演作品が何で出演者は誰だかわかったと、役者絵についても説明を加えた。

 次に、どんな技法で描いたのだろうとたずねたが、多くの生徒は絵の具で描いたものと疑わないようだった。すると、一人の生徒が「版画かな」つぶやいた。小学校でゴム版画や木版画をつくった体験を聞き出し、木版画であるこの絵のつくり方を説明した。まず、風景画(葛飾北斎の「赤富士」)の摺り順を説明した図を示した。そして、自作の木版を取り出した。実際に彫ってある一枚目の木版には富士山の輪郭線を藍色で、二枚目の木版には山肌の朱色をつけ、同じ紙に摺るところを実演した。実は、この木版は出発前夜に私が大急ぎで彫ったものだったが、予想していた以上に好評で、生徒たちからも感嘆の声が上がった。

浮世絵を買ったのはどんな人?

 次に、本時の主発問の「この絵を買ったのはどんな人たちだろう。なぜ、どんな目的で買ったのだろう」と質問し、自分の考えをノートに記入させた。本来なら机間巡視しながら生徒の書いたものを見て指名順を考えるべきだが、生徒の細かい手書きのハングルを読み取ることは不可能とあきらめた。そこで、何人かの生徒のノートを見ながら、「これはどういう意味」とたずねて意見の傾向をつかもうとした。

 ここで、ノートを書く前に説明しておく予定だったが忘れていた、当時の浮世絵と蕎麦の価格比較の表を提示して、話し合いをした。この資料は、江戸時代にはかけ蕎麦一杯とほぼ同じ値段で浮世絵一枚が買えたという事実を示すためのものだった。この資料については、授業後の評価会で、韓国人の生徒にはよくわからなかったという指摘があった。

 発表は挙手した生徒を端から指名していく形で行った。家の中に飾るため(これは、民画がそういう用途に使われていたことから類推したと思われる)、歌舞伎公演の広告のようなもの、今で言うとチラシのようなものだという意見が出た。「(茶店の美女を)見にいかなくちゃ!」という意見には笑いが起きた。

 まだまだ追求は足りないが、すでに時間も十分近く超過していたので授業を終えることにした。当時の浮世絵の果していた役割を現在の大衆文化と同じようなものとして考えさせるという授業のねらいに、少しは迫れたと判断したからでもある。「日本も韓国も、同じ時期に庶民が絵を買ってながめたり家に飾ったりして楽しんでいたのだね。次の授業では、そういう両国の庶民の絵画を比べてみよう」と言って授業を終えた。

 三時間目の共同授業の内容については割愛するが、授業の中で生徒から出た私への質問を紹介する。一つ目は、「浮世絵は、安くて庶民が買えた版画だけなのですか。金持ち向けに、一枚だけ描いた浮世絵はないのですか」というもので、次は、「(朝鮮時代には民画を描く庶民画家と宮廷画家がいたように)日本には金持ちを対象にして高い絵を描いた専門画家はいなかったのですか」だった。これについては肉筆画や狩野派の存在を説明した(ただし、対象が日本の高校生ではないので、この用語は使わなかった)。この質問は、韓国の民画と日本の浮世絵にはこのような共通性もあるのではないかという意味のものだと理解した。今日の授業でこういう質問が出たことは、この授業が韓国の生徒の歴史認識を深めるうえで価値のあるものだったことを示していると考える。
  また、今回の続きの授業ができたなら、この疑問に対してすぐに説明するのではなく、追求課題に設定することもできただろう。

日韓が共存できる歴史を

 浮世絵や江戸時代についての基本的な知識を持っていない生徒を対象にした授業だったため、浮世絵とはどんなものかをつかませる時間がかなり必要だった。そのため、本時の主な追求課題である浮世絵を享受したのはどんな人たちだったのかという点についての討論が十分できなかった。このことは授業後の評価会でも指摘された。ただ、教師が一定の結論を言葉でまとめて説明するよりは、生徒たちが初めて自分の目で見たときの印象や感想をそのまま大切にしたいという思いは今でもある。

 最後に、生徒の感想文をいくつか紹介し、今回の授業のまとめとしたい。
 「近くにありながら二つの国の文化の違いをよく知らなかったが、二つの国の同じ時期の同じものが提示され、互いの文化の共通点と違いを比べてみると、両国の違いと共通点までわかり、よかった」(ジョン・ミョナ)、「わが国にだけ民画のようなものがあるのではなく、近くの日本にも浮世絵のようなものがあることを知った。目新しい経験だった」(チュ・ヒョン)などの感想が最も多かった。また、日本と韓国の文化の共通性を具体的に認識したことから、ある生徒は、「このような授業がなかったら日本に対する反感だけが高じただろうが、この授業のおかげで反感はだいぶ消えた。韓日の対立が映画『韓半島』や独島問題で深刻になっている今、交流ができるよい機会だった」(パク・チェボム)と書いている。

 また、絵画資料を中心にした授業の進め方については、「資料を比べていたので集中することもできたし、授業への参加意欲も高まり、興味深く能動的に理解できたと思う。授業が討論(式)でおもしろかった」(キム・エヒョン)、「定型的な枠にはまっていなかったのでいろいろ考えられ、勉強になった。こんな授業が広がって韓日の歴史が共存する未来社会が実現すればいい」(イ・ジョンヨン)と書いた生徒もいる。

 このように、日本の浮世絵を学んだことで自国の民画についての理解がいっそう深まったという感想を述べる生徒が多かった。また、同時期の両国の庶民が自分たちで文化をつくりだし楽しんだという共通性を認識したという生徒も多かった。
 生徒たちが相手の国の人たちの歴史と生活、文化を具体的に知ることの意味は大きいことを、授業を通して再確認した思いがする。また、日韓両国の中学・高校でそのような授業を行うときに、本書は教材として活用できるものになっているという確信を持った。


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