江戸の稲ハデと積み藁

伊藤 三平

神保さんの文章に新しい視点を刺激されて、広重の浮世絵から、幕末の江戸の稲ハデと積み藁を探してみた。
広重の『名所江戸百景』は、江戸と江戸近郊の名所を118枚描いている晩年の大作である。ゴッホがこの中の「大はし安宅の夕立」と「亀戸梅屋敷」を写していることでも名高いシリーズである。私はこの中の40枚くらいは本当にすばらしい絵と思い、感動している。

この中から稲ハデと積み藁が描かれている図を探してみた。次の4枚が該当した。(浮世絵画像は浦上美術館所蔵のものを加工したものである。また拡大図は『広重名所江戸百景』(ヘンリー・スミス著)を撮影した)

1.日暮里諏訪の台

西日暮里の諏訪明神社がある高台の花見の風景である。筑波山が見える。田植え前だから、まだ田に積み藁がある。釣り鐘型とロケット型である。

原画 同 該当箇所(黄枠) 積み藁(拡大)

2.小梅堤

隅田川東岸小梅村の冬の日の風景である。私はこの絵は好きだ。のどかな風景だ。遠くの田にタケノコのような摘み藁が見えている。上の日暮里諏訪の台と同様に手前のがやや裾広がり、後ろのが裾狭まりである。

原画 同 該当箇所(赤枠) 積み藁(拡大)

3.箕輪金杉三河しま

江戸時代には、東日暮里の三河島には丹頂鶴が来ていた。将軍家御用として、この場所は保護されており、餌まき人が雇われていた。
画面の右に、わずかに見えているのは摘み藁か稲ハデか、あるいは藁でできた鶴餌用の小屋かもしれないが、摘み藁と考えたい。これも冬の風景である。

原画 同 該当箇所(黄枠) 積み藁と思う(拡大)

4. 王子装束榎木大晦日の狐火

これは『名所江戸百景』の目録では最後118枚目を飾る名作である。王子にある装束稲荷神社にある榎木に、大晦日になると関八州から狐が集まるという伝説を図示したものである。江戸時代に、こんな幻想的な絵を描いていたんだから凄い。満天の星の中、狐火を吐き出しながら狐が延々と続いてやってくる。この画面では満天の星は見えるかな?そして画面左に続く狐の列は見えるかな?
狐たちが集まっている脇に摘み藁がある。そして、その右横の画面の端に稲ハデのようなものが見える。夜の図だから見えにくいが確認してほしい。

王子装束榎木大晦日の狐火 同 該当箇所(黄枠) 積み藁 稲ハデか?

まとめ

幕末の江戸の摘み藁は、松江のススシとも、フランスのモネが描くものとも違って、釣り鐘型か、タケノコ型あるいはロケットの頭部型である。

稲ハデは、それらしいのが1枚しかない状況だから、確信は持てないが、凝ったものではないようだ。

広重はもっとたくさんの風景画を描いているから、他の作品に描いているかもしれない。あとは『広重のカメラ眼』の作者である嶋田君にまかせたい。
なお風景画を描いているのは広重ばかりではない。北斎、国芳、英泉などの有名浮世絵師も描いている。これら作者の作品における探求もおもしろいかもしれない。

モネは印象派の画家だから、当時の印象派画家たちと同様に浮世絵に関心を寄せていたに違いない。
モネが摘み藁を描いたのは、日本の浮世絵の茅葺き屋根や、上記のような風景から影響を受けているのかもしれない。藁の持つ質感は、描いてみたいという挑戦意欲をそそるのではなかろうか。


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