65歳

篠原 剛

この6月で現役を退いてから丸5年。あの時はフェードアウトしなければいけないと会社からは言われていましたが、最後の最後まで目一杯働いてしまいました。しかも今後は毎日が休暇だからと、その年は一日も有給休暇を取らずに。

その反動もあってどっと疲れは出ましたが、退職後1年間は毎日が楽しくて楽しくて遊び呆けていました。近所には小学校から一緒の志和君も住んでいて遊んでくれました。ゴルフのレッスンを取り、二人で練習場で気合いの入った練習(うまくはなりませんでしたが)、テニス、水泳、サウナ、図書館、音楽会、旅行・・・。

でもそのうちに我が林住期(五木寛之曰く、人生前半の50年は、世のため人のために働いた。後半こそ人間が真に人間らしく、みずからの生き甲斐を求めて生きる季節なのではないか)こんなことでいいのか、充実させないと、とまじめに考えるようになりました。

その一つの答えが国際交流。現在日本に在住する外国人数は207万人。千葉県には11万人で市川市は人口47万人に対して1.1万人で2%ですが、ここ行徳島?は特に多くて10%を占めていると言われています。彼らがこの日本で地域に溶け込み、少しでも快適な生活をできるような手伝いができれば、地域が活気づき、ひいては日本の安定、経済発展にも貢献できるのではないかと勝手に思い込んでいます。

調べてみると各市町村どこにでも必ず国際交流協会と言うのがあります。構成員は子育てを終えた主婦と退職した男性。ですから女性の平均年令は50才台。男性は70才台です。もちろん主導権は元気な女性にあります。市内に居住する外国人をサポートする交流部会と姉妹都市との交流を図る都市交流部会に分かれます。私はその両方に所属し、英語での手伝いが主です。

バスツアーで市川近郊を研修ツアーし、地域を理解してもらい、料理、ダンス、催事を通して日本の文化を紹介し、逆に牛肉、豚肉は禁忌は言うに及ばず、米国流「おいで」の指招きは、中国では犬、猫だけ、お祝いに傘や切花を贈ってはいけない、など彼らの文化も一緒に学び、何かあったら相談できるような関係を築こうと思っています。

また日本は役所業務が多いです。米国などに在住した人が、住民になったことを町に届け出たり、クルマを買うのに印鑑証明を取ったり、ビザの更新をするために課税証明書を取りに市役所に行ったことがあるでしょうか。多くの人は外国で市役所がどこにあるのかも知らなかったかもしれません。我々は市役所でこのような事務手続きの通訳、ビザ更新の援助などもします。

また慣れない冷や汗モノの訪問団が来たときの通訳。と言っても私の場合、中学生の英語レベルで、半分伝わればいいかなと思っています。しかしこの年令です。3センテンスくらい聞くと最初のセンテンスはもう忘れています。字を書く余裕があればいいのですが。

組織としては広報委員でもあります。隔月の8ページの会報を交流協会員に発行します。また各月の協会のホームページを更新し、日々のわれわれの活動と、外国人登録システムが変更になったり、確定申告時期を知らせたり、トラブルの多いゴミだし、騒音の注意点など、外国人が少しでも住みやすくなるような情報を提供しようと思っています。

広報の総勢は12人。何しろ予算がないのです、少しでもあれば外国人支援のために回そうと思い、全てが「自前」作戦です。幸い国際交流だけあってメンバーは多彩で、PCに、編集に、旅行案内に、写真撮影に各分野に強い人たちが集まっています。元JTB、東芝、キヤノン、新聞記者、それに現役のPCインストラクター。

会報の作成はWordを使います。私は会社時代にWordやExcelは議事録を書くとか、年間予算を作ると言うときに使いはしましたが、部下が作ったオリジナルに、ああだ、こうだと文句をつけて、直す程度。今度は自分でイチからWordを駆使して、会報を作らなければなりませんでした。
そっけない文章だけでなく、花柄を入れたり、タイトルに飾り枠をつけたり、ロゴや写真を貼り付けたり、装飾字体を使ったり。大体Wordに「山」と入れるといろいろな山の絵が出てくるクリップアートなるものがあるなんてまったく知りませんでした。今や頻繁に活用をしていますがとても便利です。
それらの技術を使い、素案ができたらなるべく集まって編集しなくてもいいように、探してきたのがクラウド化されたシェアーホルダ「dropbox」。メンバー全員が家のPCからこのホルダーにある素案をチェックして、仕上げます。最後は、事務所にあるモノクロの印刷機で3枚/秒くらいのスピードでがんがんと騒音をまき散らしながら印刷します。それを12人の委員で封筒に入れ、約500部発送して完了です。実際広報にかかった費用は紙代、封筒代、切手代だけです。インク代もあるかもしれませんが。

もう一つの広報の仕事はホームページ。これが難物でした。ホームページのホの字も知らなかったのに、協会のHPは見にくいと言ったのが発端で「ではお前が作りなおせ」と。ボランティアは思った人がそれをする、これが鉄則と言うことを言われ、HPをいわゆるスクラッチから作ることになりました。今までのHPは、現市川市長(前市川市国際交流協会副会長)の大久保さんが作ったということで、いじるのは恐れ多いのですが、言いだしっぺですのでしょうがない、やりました。html言語は難しいので、ホームページビルダーと言うソフトに頼り4ヶ月。出来ました。どうにか。

でも今でも忘れません。昨年の9月の会報(10日発行)に「交流協会のHPが一新されました」と印刷してしまいました。でも実は5日になってもまだHPがwebにアップできていなくて、どうしようどうしようと困っていました。プロバイダーに相談してもラチあかず万事休す。会報は何しろ10日に発行します。ここで三平ちゃんのところの小島さんを思い出しました。慌てて電話したら、すぐ翌日11日に朝一番で見てくれました。なんと1時間足らずで問題解決。うまくwebに載ったのです。その時の嬉しかったこと、嬉しかったこと。

まあ、こんなドタバタで先週65歳の誕生日を迎えました。と同時に早世した義兄の13回忌もありました。享年65歳でした。つくづく考える今日このごろです。

1年I組、2年A組、3年I組 26番 篠原 剛

追伸:「iia21」をクリックして、市川市国際交流協会のHPにアクセスしてください。そして特に英語のチェックをお願いします。


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