16歳

−私は、誰かにもらってもらいます−

A君

 ちょっと見まわしてみても、僕たち男子にはおこらない種類の悩みだった。
 正直いって、歯がゆいような驚きを知った。「ヘーエそうなのか。分からんもんだ。女の子ってのは、繊細にゆがんでいる妙なイキモノなんだなァ」って。

 異性の、理解しにくい感覚と初めてぶつかったせいで、かなり戸惑った。なぜこんなことで思い煩ってるのか解せない、と反問する生理的な声が、その書き込みを読んだとき、最初に浮かび上がった。いや、後々まで長いこと僕の中に残った。
 その朝、僕が読んだ学級日誌のページには、こう書いてあった。
 「自分の気持ちが次第に前とは違ってきています。なぜか、わけはよく分かりません。気づいたのはだいぶ以前でした。下校時に、女子高の生徒と擦れ違うときなど、とても自分が醜くなったようで、恥ずかしい気がするのです。冷たい、少女らしくない心になっています。それに比べると、彼女たちはとても若い女性らしく輝き、晴れやかで屈託がなく、張りのある笑い声を上げながら、お互いに腕を組み、楽しそうに歩いてきます。
 すると私は、思わず恥じて顔を逸らしたり、下を向いたり、呼吸も詰まってしまいながら、彼女たちと擦れ違うのです。凝り固まった岩角になった気がする場合もあります。どうやったら、あんな風に活発で、自然な少女らしい仕草や、心の弾力に満ちた女性そのものの溌剌とした姿に、なれるのでしょう。私には、その答えが見つからないのです。
 決して明るくなれない、と思う自分を、ついつい恨めしく眺めてしまうのです。
 私は、心が普通の女の子らしく弾む状態にありません。皆の前では偽っていますが、今の私は黄昏みたいに暗く、じめじめして変なのです。どうすればいいのでしょう」
 とあって、個人が抱えている、不確かな悩みの訴えだった。

 僕は多少呆れもした。何てバカな上に、真っ正直な娘なのだ。誰の目に触れるか知れない学級日誌に、独り何かが過剰らしい状態を、そのまま書いてしまうなんて。

 これは、高校二年になった年、初夏の頃のある日、早朝の教室でのこと。
 日誌を書いたのは、同じクラスの落ち着いた感じのする女生徒だ。こういう奇妙な悩みを抱えている娘だとは全く気づかなかった。彼女とは席が隣なのである。

 この高校は、たしかに一クラスにいる女子の数が少ない。約460名が入学した僕らの学年でも、女生徒の総数は二割に充たず70名ほどしかいない。が、少年の僕は、彼女たちそれぞれが別個の女性らしさを備えている存在だ、と思っていた。

 隣の女生徒が記したその朝の日誌は、クセのない、読みやすい、やや固い字体だったが、日々の決まりごとの記載や、クラス担任への報告事項の他に、実は最下段の余白欄に、彼女の個人的な悩みが書いてあった。

 クラスの日誌は、毎日別々の生徒が持ち回りで書く。翌朝のホームルームの前に担任へ提出する決まりだ。でも、クラス担任のキュウリ(僕が付けた仇名)が読んだって、正体が無いような若い女の、不確かな悩みごとに、何か手を貸してくれる筈がない。担任は首を一度ひねって、眉根を寄せ、ペタンと検印を押すだけに決まってる。

 可哀想に。
 変に呼吸の切迫した文だが、個人の悩みを日誌に書いたりしたのは、浅はかだよ。大人しくて、万事に落ち着いた様子の、日頃の彼女らしくもない。

 しかし、読み終わると同時に僕は、まだ他に誰も来ていない教室で、まるで他人の秘密を盗み見てしまったみたいに、そわそわと気後れがした。直ぐに日誌を、元あった場所に滑りこませた。戻した所は、僕の隣の彼女の机の中である。
 細ヒモで綴じた、黒い革表紙付きの日誌が、その端を、前入れ式の机の口にのぞかせていたのが、思わず僕が読んでしまった原因だ。いや、本当はもっと大元の要因がある。他のクラスメートが書いた日誌であったなら、もし僕の机の真上に載せてどうぞ見てくださいと昨日のページが開いてあったって、僕は読みゃしないだろう。
 僕はただ、隣の彼女の書いた文字が見たかった。それも独りきりで見たかったのだ。

 二学年への進級で、クラス替えがあった三カ月前の朝、たまたま皆より遅れて新しいクラスに入って来て、見渡したら、彼女の右隣だけが一つポッカリ空いていた。そこへ歩いて行って座るまで、その数秒間にまわりの全てが消え、彼女の姿だけが目に飛び込み、不意に胸がズキンと痛むや、それきり僕は一目惚れの症状となった。恋というのは、今まで全く経験していなくても、不意の突発性と激しい心痛で判るものだ。

 ちなみに、高校二年で初恋というのは、当時でも相当な奥手であったらしい。それからは毎日、彼女の隣で気も漫ろでいた。が、この日誌を読んでしまっては即この日から、別の視点が僕の内に生まれて、一層細かく彼女の様子を見届けようとしだした。つまり、僕の一人決めだが、彼女の、密かで冷徹な観察者になろうとしたのである。

 それで、まず驚いたのは、その日のうちに担任のキュウリが素知らぬ顔で日誌を、ちょうど彼女の書いたページがある日付けの分まで抜き取り、そっくり新たな用紙に入れ替えたことだ。50人のクラスメートは誰もその交換に気づかなかった。いや、男子はともかくとして、女子の何人かは、先生の措置に気づいたか知れない。女子の目が稲妻より速く走るのを、もし知らなかったら、幼稚園からやり直したほうが良い。

 彼女の悩みが、人目に触れることは絶対好ましくないと僕は強く願ったから、ふだん恐い感じのするキュウリの取った即断に、感謝もした。へえ、あの先生、学級日誌の備考欄までちゃんと目を通しているのだな、と改めて思ったものだ。

 中肉中背のキュウリ先生は、山歩きを若年から好んだ人で、山男らしく肉の削げたしゃくれ気味の細面である。歳を取った今は、凹んだ頬にクチャクチャな細い皺がある。それで高二の目からすれば、ずいぶん歳を食っているように見えたが、当時は多分四十半ばぐらい、つまり僕たちの父親とほぼ同世代の生まれだったろう。
 確かではないが、キュウリ先生には、だいぶ以前に悪天候の冬山で、パートナーを一人失ったとかいう噂があった。もしかすると、それは僕の聞き間違いで、冬山で滑落死したのは、この高校に以前あった山岳部の、一部員が起こした単独行の事故であって、キュウリ先生の山好きとは無関係だったのか知れない。もしパートナーや生徒を死なせたら、責任を感じて、教職には留まっていないだろうような気質を備えていた先生だ。

 やがて、僕らが三年間を了えた卒業の日、式典で「仰げば尊し」を歌っている間、教師の中で唯一人だけ涙をポロポロ零しながら立っていたのがキュウリ先生だ。こわもての人なのに、手放しで流す涙の筋が見えたのが、誠に不思議な気がした。
 その折だ、僕が初めて聞いて知ったのは。あの先生にも年頃の娘さんがいて、僕らより二、三年先にこの高校を卒業したというのだ。つまり十六、七の娘が抱くような種類の悩みについて、キュウリ先生は、肉親のモデルで既に学習してあったことになる。

 僕が、以前からそうと知っていれば、日誌を読んだキュウリが彼女のために取った幾つかの、ちょっとした目立たぬ行為を、当時もっと好意的に理解できていただろう。卒業式の日に事情を納得するまで、彼を誤解していた。そうとは知らなかったから、僕はある場合、先生を憎んだことさえある。片思いの少年の、嫉妬じみた針のような目で、キュウリのお節介(じつは思いやり)を見咎めていた。その誤解を、幾つも例を挙げたって仕方がないから、後で一つだけ書こうと思っている。

 で、話を元へもどすと、日誌中に悩みを発見してから、一目惚れの盲目がやや開いたらしい僕は、新たに熱心に彼女の観察に取り組んだ。僕なりの解釈は進んでいった。当時の彼女について知ったことを、以下に挙げてみる。彼女を観察して、得たりとした点は、もしかて、男子の惚れた目は、女性というものを皆こんな風に見るのかも知れない、と気づいたからだ。しかし、全くの見当違いでないといいのだが。

 一つ。「性格のあらまし」…ふだんは主に、おっとり型で、母親みたいにもの静か。大勢の中では遠慮して、列の後ろの方に、引っ込んでいたがる傾向が強い。
 一方、他人を思いやれる繊細さを漂わすと同時に、強風にも折れない青草のように撓う一面を現わすことがある。どんな場合にそう見えたかを、一言でいい表わすのはちょっと難しい。彼女が意識してやっていた訳ではないからだ。微かに現われる風情として見付けただけだ。でも、後々に述べる誤解例の中では示してみる。
 頭の回転はかなり早い。それも極力抑えられていて目立たず、勝ち気な娘によくあり勝ちな、男子とのおきゃんな言い争いを好まない。引っ込み思案が、性に合うのか。
 色は、どちらかというと地味な配色を選ぶ。学用品で見ると、たとえば筆箱や下敷きなどに紺系を使っている。同様に、身の回り品は暖色系を無意識に避けている。目立つのを抑えたがる傾向がある。他の女子が小物類に、意識的に赤や黄に近い色系を揃えているのと差がある。しかし、表面的にそう違って見えるだけで、両者の本質は同じか。
 日常、やや人と距離を置き、きちんと敬語を交えて固い言い廻しをする喋り方だ。クラスの同性とも打ち解け切って話せないらしい様子は、慎みと遠慮が混在している。当人はそれを意識せず、気取っている訳でなく、育った家庭環境が左右するものだろう。
 外観は、キズやチリの載っていない白花を思わせる。さりげなく髪でかくし気味にした耳の下側の、少しエラ骨の張ったあごは意志の強さを感じさせるが、聡明な大人の女性によく見うけられるものだ。母親から受け継いだ形質だろう。男親が、こんなに美しく喉へつながる、女性らしいあごの線を持っているはずがない。
 体育の時間、ブルマー(体操着)になると、少女が若い娘に変わる一瞬のようで、ハッと目を引かれる。しかし彼女の様子には、オカッパ頭の童女がはにかみながら嬉しげに遊んでいるのと似た、大人っぽくない挙措動作が何処かしらにある。成長で急に伸びた手足を持て余す風な、ぎくしゃくした生直さが、まだ充分に残っている少女だ。

 二つ。「身を飾る品」…お気に入りらしい帽子がある。簡素な白いピケ帽を被って通学してくる。丸い自然な髪型に、決して男には真似のできない可憐な印象で帽子が載る。観察を始めたのがちょうど初夏だ。濃い日影が、ピケ帽からその顔へ落ちて、しゃきしゃき歩いてゆく姿は、一心で少女っぽい。通学途中、脇見をせず、歩くのに集中的である。学級日誌の一件さえ無ければ、何の悩みもない極めて健康な一少女に見えた。
 丘の上の正門へ至る、勾配のきつい、長い坂の、滑り止めが付いたセメント道では、彼女は必ず端っこを選んで歩く。教科書や辞書で膨らんだ黒い学生鞄が重たげだ。
 僕が立ち漕ぎの自転車で、黙って彼女を追い抜くとき、横顔が一瞬みえる。翳ったその白い頬は微妙に汗ばんでいた。ピケ帽の下の汗を拭き拭き行くそんな時、折り返したソックスが短く、白いシューズ履きの姿に清潔感があり、とても良い。一人でせっせと歩いて行く女子生徒って、女性の一生の中で、一番清楚な季節なのかしれない。
 坂のわきの土手から、道端へ溢れ出ている、うぶげ付きのツル草が、彼女の腕にときおり触れられて揺らぐ。半袖の腕が思い出したようにツル草に触れながら行く。
 帽子から垂らした細長い紐が、制服のブラウスの襟辺りにある。その紐が風に揺らぐ様が美しい。つくづく僕がそう思ったのは、自転車で追い越す一瞬にだ。たった一本の細い紐でも、惚れた女の子の首筋に纏わりつくと、揺らめく装飾になりうる。

 三つ。「クラスの女子との差」…自分は大人しく寛容であらねばならない、その他の行動をとってはならない、と決め込んでいるのではないか。他の女子が折々大胆に発揮する個性の発露と比べ、これは喉に刺さった魚の小骨みたいに、気になる特徴だ。
 例えば、小柄でシャープな気性のIさんや、ミセスみたいに落ち着いた雰囲気のJさんは、それぞれやり方は違うが、まわりの男子を自然にリードしようとする。弟扱いしてお説教を垂れてみたり、苦手な物理の定義を性急に聞き直したり、あるいは消しゴムを半分せびられたりして喜んでいる場面がある。そういう女子がいる時、教室は、そこだけが特にパッと明るむ。それこそが女性に備わる華やぎで、得難い存在感だ。
 クラスの中に散らばっている女子八人が示す、男子とはまるで違うトーンの声音や、柔らかみを含んだしぐさや、思いがけぬ動きをする表情や、何気なく向け変えた時の目線ですらも、殺伐としがちな教室に、忘れてはならぬ若さを一瞬蘇らせてくれる。
 確かに男子より、複雑な生理を与えられている女子のほうが、より一層、命の綾の起伏に富む輝きを備える。特に、思春期のこの年頃には、と限定してもいいが。
 生きる心熱は、内部から、自ずと女子のほうが高い。だからか時々少女達は日頃の慎みを忘れる瞬間がある。身内の血熱が命じるまま、口やかましい姉貴風に変身したり、急に単純素朴な田園少女風に赤面したりする。あるいは、勇気ある義憤から、クラスの男子生徒の思いやり無さを向こうに廻し、戦いたがる女傑にもなる。相手を、コトバ以外で一殺しようと思えば、唇の端に皮肉なシワを立てて一笑し、葬り去ることができる。後腐れの面倒など考えず、男子を相手に、ずばりと生な手段を取れるのは、女子だ。
 が、惚れた目に、内気な彼女だけは特別で、その辺が弱いような気がした。

 さて、じきにキュウリ先生が、或ることをこのクラスに提案した。僕にはその提案が、例の日誌の一件から、先生が何かを思い付いた結果ではないか、と思われた。
 あれから一度ぐらいは、ひそかに彼女をよんで面接したのかも知れない。その可能性もありえるはずだ、と、僕は気をつけて担任を観察していたが、分からなかった。
 その日、キュウリ先生はこう言い出した。放課後前のホームルームの時間だ。
 「ふだん皆には、心の中で色々思い惑ったり、考えたりしていることがあるね。『俺は、別にないよ』っていう風に、今えらく突っ張った顔をした君の場合も、そうだぞ」
 とキュウリ先生は、前列の男子の一人へ、突然、笑みを向けて、少年をハッとさせ、一瞬の緊張とその直後に起きた解放感が、まわりへ伝って、教室じゅうを笑わせた。
 「何も考えていない高二なんて、無いんだ。一生で一番感じやすい年頃だよ」
 先生は皆を見回して一つ頷いた。「といっても、それぞれの関心事が、お互いに似ている場合もある。同じ一つのテーマを考えたとして、皆はまだ若人だから、限られた経験範囲内で、同じような結論に至るかも知れない。けれど、その途中の思考方法は、一人一人違うはずだ。それが大事で個性の発揮というものなんだ。これから先、何十年と生きて行く間に、今よりも、もっと必要になる大事なことなんだ。どうだい、いいかな?」

 そう重々しく問うておきながら、キュウリは渋く微笑し、凹んだ頬に波立つシワ面でクラスの生徒をもう一度見渡した。笑むと、中々の慈味ぶかさが溢れる、こわもて顔だ。その性格は、クラス中の誰よりも刻まれた彫りが深く、よほど強固である。
 さて先生からの提案は、一日の授業終了後、ホームルームの時間を使い各人が教檀の前へきて、ひとつ自分の思いや関心を、皆へ向かって伝えてみないか、というのだ。
 「どうだろう? 同じクラスの仲間になって三カ月以上たった。お互いに少しずつ慣れて、気心も知れてきた。クラス全員の名前もすっかり頭に入ったはずだね。どうだい、ここらで改めて自己紹介を兼ねて、ちょっと気楽にお喋りしてみる気はないかな?」
 生徒の目の中に起きた反応を、キュウリは注意深く捉え、見逃さなかった。
 「なーに、肩に力を入れなくていいんだ。特にテーマは決めなくてもいいさ。なんでもいい。例えば自分の好きな趣味に関する、ウンチクの披露でもいい。クラスをびっくりさせるような専門的知識を持っている人が、恐らくいるだろう。いや、きっといる筈。
 お互いに、まだ知り合えていない部分が一杯あるんだな、と解りあえると思う。
 どうだい? せっかく同じクラスで一緒に一年間を過ごすのだから、知り合うチャンスは多いほど良い。遠い将来、きっと皆は、今の年頃が無性に懐かしくなる時が来る。その時に、なんにも思い出が浮かばぬより、何かの切っ掛けがあったほうが良い。
 教師の、おまえからやれというのなら、言い出しっぺの僕からでもいい。但し僕のは、ほら、前にも皆へ話したことがあるが、学生時代の貧乏たらしい登山の苦労話になっちゃうからな。僕ぐらいの歳になると、悲しいかな、頭が固くなってしまう」

 二、三度聞かされたことがある登山の話は、聞くに耐えない悲惨の極みだ。あえてキュウリ先生に、先導役をしてもらいたい気分は、誰にも起きなかった。
 生徒は皆、取引きをする時の商売人みたいに各自考え深げな表情になり、机の上へ目を落とした。この提案に、イエスかノーか、密かに値踏みをつけているのだ。
 それは、「手強いキュウリ先生が言い出したのだから、生徒にとって、高くつくようであっても、ノーとは断れない」と、半ば気押されている雰囲気であった。
 また、この学校に入ってからは、中学生時代とちがい、人前で自身の思いを大っぴらに喋った経験は、確かに多くの生徒が無い。これまでの高校生活を振り返ってみると、学校の行事を除き、日常の中では、皆で何かを分担しあったという経験も薄い。目には見えないが、厳然として教室にある成績評価の競争相手としか思っていないのだ。
 そこに今、皆が気づいたのかも知れない。思えば、それぞれの中学校時代は、男女同数の教室で、言いたいことをもっと自由に喋り合い、ふざけ合ってもいた。
 だが近頃は、男子が休み時間に取っ組み合ってふざけることも、ほとんど無い。

 「ハーイ先生?」わざと手を斜めに挙げ、指名される前に立ち上がった生徒がいた。
 特徴的な鈎鼻の持ち主で、剽軽かつ気の強いS君だ。背は高くないが、クラス最後部の自席から、真面目をさけて、おちゃらけ気味にこう訊いた。
 「先生、俺はやってもいいです。けど、自己紹介ではなくて、自己PRか、コマーシャルになっちゃってもいいですか。だって、俺達でせっかくやるんだもん」

 S君の質問は、改まりたくはない生徒の意識を端的に現わしていた。彼は皆の代弁をしたみたいなものだ。これで教室内の空気がほぐれ、皆の顔が上がった。
 破顔一笑した先生は、「自己紹介よりも、現代風に自己PRですか、ウム。自己紹介は古いかな?」と得心したらしい。「今はテレビ時代だ。それもいいでしょう。得意な分野の売り込みですね。前に来て、踊るなり歌うなり、大いに結構!」
 するとS君が立ったまま、彼を隣でからかった友達の肩をド突くのが見えた。
 生徒の子供っぽい笑い声を聞きながら、キュウリ先生はこう言い足した。
 「じゃ、賛成で良いね。さっそく明日からやってみようか。さっきも言ったようにテーマは決めず、毎日、気楽に一人ずつ前へ出てやるのがいいでしょう。持ち時間の目安は、五分ぐらいにしておこうかね。短いようでも五分長い。それでいいかな?」
 大方の生徒の顔や視線は、今は、はっきりキュウリ先生へ向いていた。
 「先生、ハーイ?」またニヤニヤして斜めに手をあげたのはS君。
 S君は、お父さんの転勤により小学生時代に東京から千葉へ越してきたそうで、「オレ、もとは、もっと足がすらっとして可愛いらしい都会っ子だったんだ。ダサイ千葉の空気が、オレの足を短足ガニ股にしたんだぜ」と自分で言うタフで冗談好きの生徒だ。背丈は止まったままで望み通り伸びないが、一年生の時よりも髭の青みが増している。
 「先生、発表を聞くばかりじゃなくてさ、あ、いけねえ。なくてさ、なんて先生に言っちゃった。聞くばかりじゃなくてですね、喋ったことについて、後で質問ありもオーケーにしときませんか?」
 S君は、逆質問することに非常に興味がありそうな目付きである。
 「うーん…それは、みんなから出される質問の内容によりけりだな」
 キュウリ先生は既にS君の茶化し癖を知っていて、皆を安心させるように言った。
 「本人が答えにくいものには答えなくていい、という原則にしておこうかね」
 で、スピーチの順番は、その週に座っていた席の左端からと決まった。当時のクラスでは、縦の座席の一列ごとに毎週一つずつ右へずれ、全員が引っ越していた。

 翌日から、放課後前のホームルームに、一日一人という自己紹介が始まった。
 実際にやってみると、全般に、思っていたより楽しい時間帯となったのは確かだ。
 キュウリ先生も生徒も、嬉し気に笑みながらお喋りを聞く。最初の日に前へ出た小柄な女子のIさんが、こだわり無く色々語ったのがそもそもの手柄だ。あれで皆はすっかり気が楽になった。その後、なかには自意識過剰で、数語しか喋らぬ男子もいた。
 ぼそりと一言いったきり、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、上気した不貞腐れ顔を顰めているのだ。五分間、曝し者を覚悟してるみたいで、可笑しかった。
 また、考え過ぎて最初につかえてしまい、顔を真っ赤にして絶句し立ち往生した少年もいる。そんな場合は、女子が気軽に何か質問してやり、当人が、自身に怒ったみたいに短く、ぼそぼそ答える。その短い答え方ですら、今までその少年について知っていた皆の印象の範囲を越えた。つまりそれだけの情報量が、教室の前方に立った者の全身から放射されるのだ。生徒達にとって、これは予想外の良い経験だったと思う。
 キュウリ先生は、前日にあった自己紹介に付いて、クラスメートの誰かが感想や意見を学級日誌に記入すると、翌朝のホームルームの時、必ず嬉しげな顔だ。
 「こういう見方をしてくれた人がいる。良いなあ!」と、日誌を読んでくれた。
 たぶん、担任一人だけで見ておしまいにするのが、惜しかったのだろう。
 感想には長いの短いの色々あったが、キュウリ先生が、感心して味わうしみじみした大人の口調で紹介すると、生徒の発する信号には、今更新鮮に驚いている様が窺えた。

 日誌の感想には、例えばこんなのがあった。
 「U君とは中学時代から同窓生です。当時はもっと喋る、剽軽な男の子だった。授業中に私と目が合うとニッコリ笑ってくれた。中学三年の同じクラスに、生まれつきの病気で突然発作を起こして倒れる女生徒がいた。痙攣で舌を噛みそうになるのを、U君が、咄嗟に自分の指を口へ突っ込んで防いであげたことがある。彼女は私の親友でした。ずいぶん遅くなったけれど、U君、あの時、人を救う勇気を与えてくれてありがとう」

 また、こんなのもあった。これも女生徒だ。
 「N君は父親の職業を恥じているようなことをチラッと言った。私の家は鋳物屋です。作業場は物凄く熱くて、暗くて、湿度が高い上に煙だらけで、父は一日中汗まみれ。夕方には顔が真っ黒。愚痴も言わず働いくれている。姉も私も、父を恥じたことが無い」

 次のも女子生徒の感想だ。
 「T君がクラブを一年生の時に創設したという件は、初めて聞きました。意外です。今新たに始まるクラブってあるんですね。好きなら始めるべきですよね。何でも人任せにしてしまう癖のある私は、T君の積極さに、背中を押されたような気がしました」

 いよいよ彼女が前に立つ日がきた。偶然だが、僕の座る列と彼女のいる列とは、規則的な席替えにより教室の一番遠い位置どうしにあった。それで良かったと思っている。離れていたから大っぴらに、彼女の立ち上がる様を眺めることが出来た。実は、彼女が恥ずかしがってびびるのではないか、と心配していた。

 が、当人はぐずぐずしていなかった。両手で机の表を一押ししたかと思うと、早足で歩き出た。もう教壇の前からくるりと振り向き、クラス全員を目に入れ、逞しくない、娘らしい肩を四角ばらせた。見るからに強ばり、上半身がかすかに傾いでいる。
 緊張気味なその姿勢を、教壇と最前列の生徒との間に支え、一文字に結んだ唇を開きかけた。娘らしい薄い下あごの線が、髪から現われている。そして顔色は、白い大理石を彫り出したように乳色の艶が透けて、好ましく、黒い目の張りは、少女期と成人女性とのどちらとも付かぬ中間の、不安な思いを含んだような表情だ。
 思わず、男子なら誰でも目を奪われる、と言ってもいいような風情だ。いや、惚れているからそう見えるのか。僕はこの時、クラスの男子生徒の集中度を、横目で探り見た。彼女には、他の男子をも引きつける特殊な引力があることに気づいた。なぜなら、今や男子の目は何処にも逸れず、ピタッと一点に、つまり彼女の放射する雰囲気へ集中していた。僕同様に期待し、彼女の声がどんな内心の揺れを伝てくるか、と見守っていた。

 これは、目の曇った僕の見込み違いだろうか。でも、そう思えたのだ。
 言ってみればそれは、男の子が発するうちで一番強い眼差しである。何も遠慮しなくていい場合に限り、男子が、興味ある対象へ向ける真摯な視線である。僕はそう感じた。幾つもの視線が集まり、彼女をよく見るために、自然と呼気を停め、上体を動かさず、息の続く限り、じいっと見入っていた。呼吸するのを忘れたみたいに。

 40人以上いる男子生徒が、ほぼ同じようなタイミングで呼気を停めた、音のないその気配を僕は総身で感じ取った。もしや他に、彼女へ思いを寄せる者がいる、と今気づいたのだが、嫉妬など味わう暇はなかった。彼女について、ひそかな観察事項に、いまや新たな解釈を、太字でもって付け足さねばならなかった。

 四つ。「魅力」…衆目を集めるに足る女生徒である。彼女へ向かった視線は浮ついたものではなく、男子生徒の、届かない憧憬のような私信を含んでいる。驚いた。なぜこれまでは、僕以外に彼女を好いている男子の存在に気づかなかったのか? それは、僕だけが彼女の特別さを見付けたと思っていたせいだ。が、とんでもない誤りだ。

 一人一人の男子生徒が、これまで思慕の気持ちを隠していたものらしい。それが一時に露見してしまい、隠すのを忘れさせたほど、彼女には、緊張してじっと佇むだけで、男子の目と気持ちを揺さぶる何かしらが、備わっているのだ。
 これだけの男子生徒が、一括りに束ねられたように、同じ対象に真摯な視線を注いでいるという状態は、考えてみると面白い。他の女生徒の持つ魅力に対して、失礼にはならないと思うが、きっと、この年頃の少年が無意識に求める異性のパターンを、たまたま彼女が多く具えているからに違いない。その当人の意志とは無関係にだ。

 が、もし仮に彼女が、クラス内のこの事実をいま知ったとして、彼女の内面は、「若い女性らしくない」例の悩みを忘れてはしゃいだり、幸せな気持ちになれるだろうか。それは、恐らく違うだろうな、と僕は自分へ問いへ答えた。男子の目を魅きつけうる、と、そんなことを知っても、彼女はかえって少年の心を理解せず、悩むだけだろう。
 何せ、同性のより女らしい象徴に対して、たじたじとする少女なのだから。

 その日、彼女の話した自己紹介は、おおよそこうだ。
 「私はバスで三十分ほどの距離を一人で通学しています。バスの中では話せる相手がいません。私の家がある町の中学から、この高校へ入った生徒はとても少ないんです。その中で女子は、私と、もう一人の子だけです。ぼんやり者の私がやっと気づい時に状況はそうでした。だから、どうしても通学では一人になります。
 正直にいうと、自分では何の考えもなく、担任の先生に勧められるままここを受験しました。ここは高台で、静かだし、環境のいい学校だと思いますが、でも、中学時代の同級生がもっと沢山通っている、家から近い高校を選べば良かった、とバスに揺られながら後悔したことが何度もあります。でも、もう引き返せないです。一年ちょっと経ったので、通学の寂しさには、何とか慣れてきました」

 喋りながら、細い首と肩とが左右にかすかに揺れた。声も震えぎみであったが、よく教室の後ろまで通る心地良い澄み方だ。そして、目で何とか笑もうとしている。

 「おとといでしたか、自己紹介の中でLさんが、ここに来ている中学時代の女生徒名を二人挙げ、今でも親友でいる、と言いました。日曜には市内で一緒にショッピングをしたり、映画を見る機会があるというのを話しました。この前は女の子だてらに思い切って、『俺達に明日はない』を観たとかで、ラストシーンの、あまりの結末に三人でワンワン泣いてしまったと言われた時は、つくづく羨ましいと思いました。あの上映は京成ローザでしたね。絵看板を何度も見て、ぜひ私もあの映画を観たかったからです。
 でも、とうとう『俺達に明日はない』を観る機会がありませんでした。
 ワタシは親と一緒にしか映画館に入ったことがありません。私の町には常設の上映館がないので、父か母と一緒に千葉市まで出てきます。全部の映画館の場所を知りませんが、歩いてみると、ずいぶん沢山有ります。五軒は数えました。どなたか今、この市内に何軒の映画館があるか、ご存知ですか?」

 もちろん皆には答えられない。小学校から映画狂の僕は知っている。十一軒だ。

 「最後に見たのは去年の秋でした。エヴァ・ガードナーの出た『北京の55日』や、カトリーヌ・ドヌーブの『シェルブールの雨傘』を上映していた頃です。父がこれがいいと言って選んでくれたのは『北京の55日』。エヴァ・ガードナーが素敵でした。
 Lさん、今度もし良かったら、女の子だてらに観るような映画へ行くとき、私のこともぜひ誘ってください。父親と一緒じゃ観た気がしない時があります」と言った。

 前のほうの席で、小柄なLさんが笑み、彼女へうなずくのが見えた。
 キュウリ先生の狙い目、もしこれが、自己紹介をさせている狙い目ならば、なかなか筋が当たっているじゃないか、と僕は思った。
 彼女は、同年齢の多くの同性とペチャクチャお喋りしたり、騒いだり、下校時に皆と一緒に町のショーウインドウを覗き、女の子らしく目的が有りそうにぶらぶら歩き回ったほうが良いか知れない。そうすれば、いつのまにか周囲へ同化してしまうだろう。
 本当は、今のままの彼女が、そのまま何もかも僕は好きなのだが。

 「ハーイ質問」教室後方で立ち上がり、そわそわと恥ずかしげに手を挙げたのは、鈎鼻のS君だった。尖った小鼻をぴくぴく広げ、目尻で無理やりに笑おうとしている。
 「ネエ、一つだけ聞いてもいーい?」ふざけてじゃれかかる時のような口ぶりだ。
 で、密かに僕はむっとした。彼女に対して、失礼じゃないか、と。
 「映画が好きなことは分かった。意外だったな。けど将来の希望は、何なの?」

 S君の声が、喉にからまり気味だ。本気で彼女に尋ねたかったのが、分かる。このタフな少年も惚れているのかな。だったら、まぁいいか、と僕は思った。

 それに、これまで前に出てきた女子は、必ず自己の将来希望については、男子生徒よりびっくりするほど地道な調子で、遠慮気味に語り入れたものなのだ。40人の男子はむしろ、女子の語る肩肘を張らない進路選択の考え方に、大人だナと感心したものだ。
 三十年前の当時を振り返ってみると、並の男子より頭の切れた、あの娘たちは、現実社会に厳然としてある女性の職業選択の狭さをすでに事実として認め、半ば諦めていた。もしかしたら個人として、本音では、語っていなかったのかも知れない。
 クラスの男女生徒が検討していた将来像はいろいろあった。教職、医師、薬剤師、病院経営、省庁の役人、天文学者、宗教家、商社マン、先端産業のエンジニア、企業家、実業家、外国留学、障害者福祉など、多くはいわば日の当たる社会の縮図だ。ベンチャー企業とか、コンピューター関連とかいう先進国の職業は、まだ当時の日本では認知されていなかった。世間の情報範囲で、子供達の夢も、その幅が決まるのだろう。

 だが、この日、彼女がS君の質問へ返した答えは意外なものだった。
 彼女はこう言った。「将来についてですか、それは…」
 おしまいのほうは、やや眉をひそめながら、声が小さくなった。同時に彼女の上体が、肩から徐々に横へ傾いで、弓形に撓ったような様子に見えた。
 鳥が飛び立とうとする直前、風切り羽根をさっと開けようとして一瞬ためた構えと、似ている、と思った。その反動で、身をまっすぐに起こすと、前から考えてあることだった、というように話し始めた。彼女の目は、もう迷っていなかった。
 はっきりとした声で、「私は、誰かにもらってもらいます……将来、私を気に入ってもらえたら、その人に、私をもらってもらいます」
 と、むしろ明るすぎる響きで言った。これは、誰も予期していない発言だった。
 良い加減に言った声ではない。何か他のものではなく、結婚するのだ。だから目を注いでいた男子は皆アッと驚いたことと思う。僕だってあまりのことに魂消た。

 「お嫁さんになる」というのはもっと小さい頃に女児が口にする。あれは無意識に自分を祭る為だろうが、若い女が明らかに言い放ったのを、初めて聞いた。
 屈折からではないにせよ、これは照れでも、彼女の本心でもないだろう。オイ、キミはさ、何かの反動から自分自身を低く見なして、もしくは粗末にして、人前で軽んじて見せようとしているだけじゃないのか、と僕は思った。ところが本人は今、縛り付けていた見えない何かを解いて、身体ごと、気分を楽にしようとする直前の構えに見えた。

 「私は小さい頃から、特に何かが人より出来るほうではありません。いまもグズで、不器用で、平凡で、努力するのが下手で、そのうえ皆さんみたいに問題を突き詰めてゆける考えもないのです。一つ以上の答えがあるのは困ります」

 彼女は、一度唾を飲み込むとそのまま喋り続けた。
 「男子は、私なんかには真似の出来ない発想でもって楽々と答えています。中には聞かれた内容に答えるだけではなく、とぼけているのか、ついでに面白い批評を咄嗟に加えて、先生を煙に巻いてしまう人までいます。ああなれたら、本当にいいですね。
 女子は私以外は、男子よりも我慢強く、とても女らしく、こつこつ地味に勉強をやっていると思います。女子は勉強の時だけではありません。女子がお喋りする様子など、活き活きして、それを見ていて私は、とても羨ましくなります。それをここで細かくいうと、私自身とは反対の様子を喋ることになるので、略しますが…」
 と、そこで口ごもり、あしもとへ目を伏せた。ちょっと唇を噛んだ。

 きっとこれは、学級日誌に書いた、あの悩みの件を言っているのだ。そして、女子高の生徒に対してだけ、負けていると思っているんじゃないのだ。このクラスにいる他の女生徒にも、彼女は負い目を感じている。そうなっている訳は判らぬが、要は、何か彼女にしか見えない境界線を、ひとりでに彷徨っている心がある、と改めて思った。

 不思議だったのは、女子生徒とキュウリ先生だ。僕が見直してみたら、両者とも、彼女の発言を、普通の顔をして聞いている。そのまま受け入れるみたいにだ。

 彼女は、急にそこで自己紹介を切り上げた。最後にもう一度はっきり、
 「どなたか将来、どうぞ私をもらってください!」と願うように言った。
 それは照れた笑みを含んだらしい声だった。そして、ぺこりと深いお辞儀をした。

 丁度五分が過ぎていた。これは、結婚で自身を女にしてしまおうとする解決願望なのだろうか。僕は混乱し、彼女の感情が全く解らなくなった。これまで観察し、判ったつもりでいた性向より、何をするか解らない一面がある、大胆な少女がいま現われ出た感じ。彼女がついに、悩みの尻尾を逆手に取ったような迫力もあった。

 一方、男子からは、「将来もらってください」という今の大胆な申し出に対し、本当はここでハイッと手をあげたいのだが、その行動にならぬまま、ホオッと無言の吐息が洩れ出た。この五分間停めていた息を、一遍に吐いた感じである。
 こういうとき、目の素早い女子は、この状態をどう判断したのだろう?
 男子生徒の視線や、今のだらしない吐息からそれと気づき、男子の関心を独り占めにした奴めと、彼女を目の仇に思ったか。しかし、女子生徒の様子は、僕には何と説明しようもなく静かで、そうは思えない雰囲気だ。女子が意地悪な目付きをしたら、すぐ僕にも分かるのだが、そうじゃない。彼女は、女子の中の密かな気持ちを代弁したのか。

 ごく短く、クラス中が沈黙したさなか、続いて、ただ一人の声が、
 「はーい、はい。オレがもらうもんネ」と、一呼吸置いたが、すかさずといった感じで、S君の声がひびいた。
 それで振り向いた男子何人かの目に、最後列で、中背のS君がさっきから席を立ったままでいるのが見えた。突っ立ったS君の背中は、気合いで、前傾気味なほど。

 その歯は食いしばられ、歯並びが上唇からこぼれ出ている。細まってしなった弓状の両目と共に、まるで歯を剥き出して笑う顔に見えた。クラスを可笑しがらせようとして、またS君が道化ている、と皆は受け止めたか。さざなみ的な低い笑いが、男子の間に伝わった。僕は、そうじゃない、照れ笑いだ、とS君の状態に気づいた。

 いや照れ笑いを通り越して、強ばったS君の表情の底に思い遣りがある。こんな風に、咄嗟に彼女へ応えられるものならば、僕はS君に、彼女を想う気持ちの一番手を譲ってもいい、と思った程だ。慰めるためとはいえ、僕にはとても皆の前であんな大胆に、「オレがもらう」と言い切る度胸はない。

 S君が彼女の悩みを救うにふさわしい、覇気の持ち主なのでは、と思えた。
 実は、彼女を観察している間に、いつしか、何とかして彼女を救ってあげたいという不思議な気持ちが僕に生まれていた。時々は、彼女を救う(一体なにから?)場面にいる自分の姿さえ、うっとり空想したものだ。半人前の少年が不遜だっただろうか。

 この時、キュウリ先生が壁ぎわの椅子から立ち、咳払いをした。自己紹介を終えた生徒をいつも一言ねぎらうのだ。見ると、唇を結んだ先生の表情がいつもより固い。
 彼女を席へ戻してから、教壇へ上がる前に、キュウリ先生は振り向いて言った。
 「世の中で、してはいけないことがある。それをしては絶対いかんし、もし他人がそれをしておったら、君らは肝に銘じ、同じ穴に落ちぬよう自分を諫めることだ」
 これを聞いたS君の唇が一文字に引き結ばれ、見る見る頬ぺたが膨らんだ。
 僕は思った。キュウリ先生の見誤りだ。何と残酷なことをズバリという先生だろう。
 これではS君へ警告したのと同じだ。クラスの皆にもそれが分かっただろう。
 「いいかな? 誰かが真面目に語ったことを、直ぐそばから、中途半端に反応してはいけない。相手の身になって考えることを、皆は覚えておくといいね。自己紹介はあしたも、これからもつづく。僕が言っている自己紹介というのは、こうやって教室の前に出てきて喋る五分間だけの事じゃないんだ。何時でも何処でも、心を高く、自分を見失うな」
 と言って、キュウリ先生はもう、S君のいる辺りへ、シワの浮く、素晴らしい笑みを向けた。すると、タフなS君は、照れた苦笑いで頭を掻いている。彼で良かった。

 でも、僕はこう叫びたかった。
 「キュウリ先生! それも一つの見方で正しいのでしょうが、今のケースだけは少し違います。S君こそ、咄嗟の場合でも、心有る対応が採れる少年です」と。
 しかし、僕にはS君ほどに咄嗟の度胸が湧かないのに加え、劣等生は授業中以外も黙っているに限るという自分可愛さから、胸の中で、こう呟いただけだ。

 (先生には、彼女が最後に浮かべた微笑が、見えませんでしたか?
 あの顔には、心にあったモヤモヤを全部ではないが、吐き出せた安らぎが透けていました。確かです。
それに、S君の素早い応答についても観察者の目に言わせれば、彼女はごく一瞬だったけど、かすかにニコッとしました。どんなつもりの笑みかまで、細かく読めなかったけれど、彼女はS君の反応に心を痛めてなんかいません。
おっとりしていながら、強風の中で撓む青い新鮮な草のように、しなやかさと、強さのある娘です。
今解りました)

 僕は右端の列から、彼女のいる遠い一番左端の列を、目立たぬよう眺めやった。
 やはり特別の娘だなァ。僕は頬杖を突き、目が離せなくなった。でも残念。彼女は、僕の観察などわずかも気づいていない。片思いだもんな。まっ、いいか。

 当時ずいぶん大人びたつもりでいたが、実はクラスの皆が若く、人生がまだ何も始まっていず、時の経つのが遅く、やっと十六歳で、やっと秋口になった頃の思い出だ。


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