『マニキュア』

八木明子 作

(同名の歌集より、事務局 抜粋)

八木さんが角川書店から標記の歌集を上梓された。このようなルージュの表紙の美しい本だ。

彼女の歌の師である田中子之吉氏が、この本の帯に書かれている推薦文を引用する。
「八木さんの歌は、対象の動きに反応が素早い。更に正確である。これは珍しい特質と言ってよい。そしてこれほどに深層の女心にさまざまな角度から迫った作品も少ないのではなかろうか。今後のより多彩ぶりを期待する。」

そして、本の帯には次の歌が引用されている。

諍いの夜が明ければクリスマス人を招きてわれら仮面家族

ゆくりなき時の悪戯か表参道の階段上がれば日の照る中に君

鞍馬より貴船へ抜ける木の根道母とそろいの鈴が鳴るなり

似合っているワイシャツの胸汚したく真紅の唇湿らせており

ドア越しに息子の歌うラブソング聞きつつわれはピアスを替える

なかなかゾクッとくるいい歌でしょう。
彼女の歌における色使いについては、やや定型的な感を感じるのだが、音感は素晴らしい。「鞍馬から貴船へ抜ける木の根道」など、K音を連ねて、K音のイメージの木々が覆い茂り、木漏れ日が差す、厳しい道を暗示する。そして、母と同様に人生の厳しい道を歩む感を読む人に感じさせる。この素晴らしい音感を生かすともっと凄いのが生まれるのではないだろうか。

八木さんご自身は、あとがきで、現代の相聞歌を創りたいと書かれている。彼女の相聞歌も素晴らしいのだが、私は八木さんが自分の中の「女」を見つめている歌を紹介したい。
それが特徴的に顕れているのが「鏡」「爪」にまつわる歌。特に「鏡」を通して「女」を凝視する例えば次のような歌にはひたすら感心。

ひっそりとシルクのキャミソール身に着けて鏡の中の見知らぬ女

頬紅の差す分量を加減して今日遭う君を心配させん

化粧する鏡の中のわが顔はひとを裏切り嘘もつきます

玄関の姿見の前にポーズとり靴を三足履き替えにけり

薄暗き寝室にある一面鏡誰も知らないわれを映せり

わが変化素早く見抜く友なれば鏡の前でメイク確かむ

こんなにも身近にいながら振り向かぬ君かと鏡の女が嘆く

目の下の弛み気になり指先でそっと持ち上げて鏡に確かむ

晴れ上がり鏡を覗けば頬のシミ目立つ気がする美白液塗る

紅筆を持つ手を止めて仔細に見る鏡の中の病後の顔を

熱帯夜眠れぬままに起き出して暗き鏡の前にたたずむ

理無き中傷を撥ね除かんか今朝は眉尻上げて描きけり

約束の時間気にして鏡の前やっぱり黒真珠のペンダントに変え


八木明子は”鏡の歌人”なのだ。

こう感じた後、急に画家の自画像を思い出した。先年、東京都現代美術館で日本の近代絵画の流れを通観する展覧会があった。その第1室に、東京美術学校(東京芸大)の卒業制作として描かれた高名な卒業生の自画像が数十枚展示され、壮観であった。
岸田劉生、村山槐多など自画像を多く描いた画家も多い。これら作品は当然に”売り絵”的ではなく、心打つものが多い。

そうだ八木明子は”歌で自画像を描く歌人”なのだ。

アマゾンドットコム(プレビューに、この本を推薦する文章も投稿したが採用されているか)

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