1968年は私達が高校を卒業した年で、また多くの方が大学、予備校に進まれた年でした。その年にいろいろなことがありました。
いろいろな事情があって、50周年の来年で
三里塚闘争、べ平連を中心としたベトナム反戦闘争、そして日大・東大闘争を中心とした学園闘争等当時の社会運動を扱っているようです。
私も関係している日大全共闘は、段ボール箱数十箱に及ぶ膨大な資料(ビラ、ステッカー、ポスター、冊子等)、写真、出版物、記録映画、ヘルメット等を歴博に提供(寄贈)しました。
仲間が次々と鬼籍に入っていく状況から、自らの闘いの歴史を後世に残すという決断をしました。
9月に発行される「日大闘争の記録Vol.8忘れざる日々」にも歴博の企画展の紹介記事及び講演会の歴博講師の論文が載ります。
当時いろいろな運動に参加された方や興味の
また、参考ですが、ベトナムのホーチミン市戦争証跡博物館で8月20日より「日本のベトナム反戦闘争とその時代」展が開催されます。ベトナムでは日本の反戦運動は共産党とべ平連の運動しか知られていないようですが、今回、学生の反戦運動もあったという紹介の一環で、その展示に日大全共闘文理学部闘争委員会のヘルメットも展示されるそうです。日大の場合は学部ごとにヘルメットに色分けがあり、文理学部は通称「銀へル」と呼ばれた銀色のヘルメットでした。
歴史民俗博物館での標記展覧会の紹介記事(2017年11月7日の朝日新聞夕刊)
11/5に、企画展「1968年」のギャラリートーク(GT)の支援を兼ね、午前中は見学、午後はGTに参加しました。
日大全共闘関係者はこのGT(毎週日曜日開催)に協力しています。昨日のこのGTには50名ほどの参加者が待っており、その数には驚きました。我々と同年代の方が多いのですが、10数名ほど若い方もいらっしゃいました。
10月21日のフォーラムにも参加しました。内容は学生運動以外のベトナム反戦・べ平連、水俣病、三里塚、横浜新貨物線反対運動、神戸の市民運動、そして展示にはありませんが沖縄の闘争などが取り上げられました。定員200名の予約がすぐに埋まりましたが、やはり同年代の参加者が中心でした。
この企画展が50周年の来年ではなく、今年中に開かれた理由ですが、担当する教授の任期が主な理由とされていますが、実際には現在の日本の政治状況も大きく関係しているようです。歴博は言うまでもなく「国立」で文部省管轄です。
日大全共闘も反動性を強める日本政府の行政機関である文部省管轄の博物館に資料を寄贈することに躊躇する議論もありましたが、自ら膨大な資料の整理に限界を感じて後世に資料を残すという選択を優先し、第三者である歴博に寄贈することを決めました。
歴博の研究者も現在の政治状況を憂慮して来年では企画展示ができない(=文部官僚の忖度で潰される)可能性もあると判断したようです。
当初、歴博はべ平連と東大闘争(東大全共闘)だけを取り上げるつもりだったようです。世間では68年の大学闘争=全共闘運動と言えば東大が代表されますし、歴博の研究者もなぜ「日大?」という感覚だったようです。
実際には「全共闘」は日大が68年5月27日結成、東大は68年7月5日結成、東大の山本義隆氏も「東大全共闘は自立した個人の集団などと美化されることもあるが、本当の意味で全共闘をつくったのは日本大。学生大衆の正義感と潜在能力を最大限発揮した」と語っているように、日大全共闘抜きに「全共闘」は語れません。
歴博でも実際には石器時代の研究者ばかりで近代/現代の専門家がいないという状況であえて担当を決め対応をしてくれたようです。その担当教授も膨大な資料を読み解いて段々理解してくれました。
東大のバリケード(=象徴)と日大のバリケード(=右翼体育会襲撃防御)の意味の違いも理解していただいているようです。
この企画展を知って各大学の闘争経験者から資料の寄贈の話が歴博に来ているようですが、あまりの多さに歴博では断っているそうです。企画展でも日大・東大以外の大学の闘争も若干紹介はしています。
高校時代に三里塚の闘争に参加したという同期の方が何人かいたようで、意外と思われる方もいらっしゃいました。
私も頭が日大闘争だけに集中していましたが、当時、いろいろな市民、個人を中心にした闘いがあり、また継続もしているのだということを改めて認識させられました。
企画展の展示は12月10日までです。11月11日には担当教授の「全共闘とは何だったのか」という講演があります。私も聴講する予定です。日大全共闘関係者から講演後、希望者に「日大闘争」(日大全共闘映画班制作)のDVD配布も予定されています。