なつかしく思い出しました。
千葉では、「小田」とか「小田架け」とか呼ばれていたと思います。でも、千葉の一地方のみ(海上郡飯岡の辺り)で、他ではどうでしたでしょうか?
横幅は、子供だったので大きく見えていたはずですが、物干し竿の1.5倍くらいです。
竹と組み合わせて、直径5cm、長さ4〜5mくらいの、多分小田がけ用に育てられた樹木が使われていました。そべすべした木肌で、しなっても折れない。
(伊藤注:新潟ではハンノキ、トネリコが使われていたようで、これらは「田面の木」とも呼ばれていたそうです。そして新潟では「はざき」、「はさぎ」、「たもぎ」、「たものき」と呼ばれていて、新潟の新津市が観光スポットになっているそうです。http://webclub.kcom.ne.jp/ma/yamasho/ken-betu/niigata/u-nigata.htm)
3段組ぐらいで、刈り入れの時は一家が総出で、稲束を逆さに架けたものです。
黄青く肥えたイナゴが、それこそ、ピョンピョン跳んだりして、稲はたわわでした。刈った後の田では、ドジョウを捕まえるのが男の子の楽しみ。芹摘みも。
小田は子供たちの遊び場でした。干した稲の間をくぐりぬけ、その匂いを嗅ぎながら、昇り降りしていました。