事故、安全とは何か

『JR福知山線脱線事故の死亡被害者の遺族の立場から』
ー事故直後からJR西日本との折衝を経験してー

第4回失敗学会大阪夏の大会ー講演原稿ー

(2007年7月14日於大阪府商工会館)

榊原信行

 

1.自己紹介 5分   13:30〜13:35 

まず最初に、自己紹介をさせて頂きます。名前は匿名でお許し下さい。私自身に関しましては、名前を名乗っても、どうということは無いのですが、家族との約束で、マスコミ等、表だった場には一切出ない、と 決めましたので、お許し願います。理由は後ほど申し上げます。 

私は関東で生まれ、高校まで地元で、大学は慶応の経済学部を卒業しました。卒業と同時に、当時本社が大阪、今は東京にも本社があります会社に、就職いたしました。千葉、埼玉で営業をし、名古屋で営業所長となり、東京で企画課長、つくばで開発の企画管理室長を勤めました。つくばは研究所でしたので、何百人の人員の安全対策も勉強いたしました。それは、その当時、阪神大震災があり、震災時に所員をどう安全に避難させるか、出張中の所員にどう連絡を取るか、などの対策についてのものでした。その後、東京勤務を経て、平成12年1月に、現在所属しております関係会社に移りました。この関係会社は、本社が大阪にあり、そこで大阪支店長になりました。

家内が関西の出身で、実家もありますので、これを機会に家族全員で関西に移住しました。今までに何回も転勤致しましたが、私は家族というものは一緒にいるべきだと思い、全て家族と共に移動しました。家族は家内と子供が4人いて、長女、長男、次女、三女の構成です。関西に移り住んで5年目の平成17年4月、同志社大学に入学したばかりの次女が、JR福知山線脱線事故に遭い亡くなりました。

先に申し上げましたが、事故後、家内と長女、長男と話し合い、2つの理由でマスコミへは一切出ない、という我家の方針を決めました。
1つ目の理由は、三女がまだ中学生で、家族がマスコミに出ることにより、学校等で友人、近所から、良かれ悪かれ何かしら言われるだろう、それはただでさえ傷ついているのにさらに負担をかけることになる、それは避けるべきだ、と判断いたしました。
2つめは、現在のマスコミの報道の仕方では、真実が本当には伝わらない、と思ったからです。

以上の理由でマスコミの取材には一切応じていません。今回この場で話しをすることになりましたのは、私の友人
がこの学会に所属していたからです。私はそれとは知らず、私の体験を彼に話しました。そうしましたらその話しを学会で話してもらえないか、という依頼がありました。私は先ほど申し上げた理由で、断ろうとも思いましたが、私の話が世の中の改善の為に少しでも役にたつなら、匿名、マスコミは排除という条件て゛、引き受けることにいたしました。私は鉄道の専門家ではありません。体験したことを、その時の私の感情も若干加えて、ただ、たんたんと、述べさせていただきます。
前置きが長くなりましたが、本題にはいります。


2.事故直後のJR西日本の対応  15分 13:35〜13:50

平成17年4月25日月曜日、私はいつものように阪急電車に乗り、梅田にある会社に9時前に着きました。
10時頃家内から電話があり、今テレビで電車の事故の報道があり、娘がその電車に乗っている可能性がある、との連絡が入りました。当日、家内が車で娘をJRの最寄の駅まで送っていきましたので時間を類推するとそうだろうというのです。私はすぐ現場に行く、家内は既に出勤している息子に連絡を取り、運びこまれているだろう病院を調べ片っ端から訪問し調べ上げる、という役割分担を決めました。長女はすでに結婚して東京におりました。

会社を出てすぐタクシーをつかまえ、事故の現場にやってくれと言いますと、運転手は事故のことを知っていて、付近までは行けるだろうが近くは交通規制、あるいは渋滞して行けないのではないか、近くまで行き、抜け道を知っている地元のタクシーに乗り換えるのがいい、と言ってくれその通りにしました。11時頃現場に着きました。

現場はテーフ゜が張られ、関係者以外は入れないようになっていました。マスコミ関係者が沢山いましたが、彼らもテープの中には入れませんでした。テープの中は警察の人と救助活動をしている人たちでした。そこにはJR西日本の現地対策本部のテントもなければ、私のような人への応対部署などありません。私は自分の娘が乗っているのだ、と言って強引に中に入って行き、一番偉そうな人、帽子の線が太そうな、多そうな人を探し、状況を尋ねました。6〜7箇所の病院の名を教えてもらいました。

その時でも毛布にくるまれた遺体が、担架で運び出され、救急車に入れられていました。私はその時何をすべきか、考えました。家内と息子は自家用車でしらみつぶしに病院を回っている。娘が無事なら、何時間、何日かかっても病院をつきとめればいい、病院調査はゆっくりでいい。私は運び込まれた遺体に、うちの娘が該当してなければいいんだ。遺体の収容所に行ってしまおう、と考えました。警察の人に、遺体の運ばれる場所が尼崎の体育館だと聞き、そこにタクシーで行きました。

12時30分に体育館に着くと、既にマスコミは何人かいました。無視をして中に入ると、マスコミは中には入ってきませんでした。受付があり、娘の身体的特徴を書け、といわれました。その受付は誰だったのか覚えていませんが、警察だったと思われます。地下に広い控え室があり、そこで待機してくれ、と言われました。時間は相当かかるから覚悟してくれ、とも言われました。今、思うと彼等は、こんなことは慣れているから遺体の確認等で時間が相当かかる、と言ったんだなと思います。

娘の身体的特徴について、あとで家内が娘の着ている服装、耳に緑色のピアスと追加いたしました。結果的にその日の夜11時30分に娘に会えました。事前に特徴を申告していたにも関わらず、我々がある遺体の特徴を聞き、内の娘と確認したのです。
わざわざ身体的特徴を書かせたのに、その情報が活用されていない。聞かなければ教えてくれない。活用されていたらもっと早く対面できていたのではないか、と考えますと憤りを感じます。

私が体育館についた時は、私以外に1組の母親とその娘さんの2人だけでした。私は家で待機している家内の妹と、携帯電話で、テレビに病院にかつぎこまれた名前が続々と出ていた為、娘の名前があったら連絡くれ、と話をしていました。何回もやりとりする内に電池が切れ、公衆電話が1台あり、小銭をくずしたりしていました。

事務室があり、覗くとモニターに広い体育館に毛布にくるまれた遺体が沢山並べられているのが映っていました。事務の方にいくつあるのか聞くと、35だと教えてもらいました。一つ一つ医者が死因を解明したり、血をぬぐったりで、時間がかかると理解しました。しばらくして、JR西日本の職員が大勢やってきました。私は、地下は携帯の電波が圏外の為通じず、1階に行ったり公衆電話を使ったりしていましたので、JR西日本の職員に充電器を貸してくれ、と頼みました。決定したのは警察かJR西日本かわかりませんが、いずれにせよマスコミから遠ざける為に、一階でなく、地下を控え室にし、携帯の電波が届かないなど配慮できず、つまり家族のことを優先して考えるというのではありません。又、病院では家族の為に電話を自由に使えるよう、何本も用意していたらしいですが、JR西日本は電話の用意はありません。

13時に家内と息子が病院を全て調べたが該当なし、と体育館にやってきました。
病院入院者の名前が次々に発表されるのですが、どれが最新版かわかりませんでした。
体育館での主催者は誰なのか、警察なのかJR西日本なのか私はわかりませんでした。結局は両方でした。
情報の開示につき、警察の制限がかかる為言えない、という説明がJR西日本よりありました。
夕方、やっと第一回目の身元判明者の発表がありました。着ていた洋服の中の財布等で名前が判明した方です。手荷物などの所持品は、手元から離れ、バラバラになり、本人確認には使えない状態でした。

地下の大部屋に模造紙で、名前、男女、推定年齢、身体的特徴が書かれた表を、張り出すのです。見たくもない発表です。数えたら19名ありましたが、そこには娘の名はありませんでした。その時には家族は百人ほどいたでしょうか。名前を見て泣き崩れる、悲惨な風景です。警察は判明した家族と遺体とご対面させるべく、別室の、広いモニターで見た遺体の並んだ体育館に、連れて行くわけです。遺体置き場に入る前で、遺族はJR西日本の職員につめより、社長を出せ、お前では話にならない、等、蹴飛ばしたりでした。

その後1時間ほどして、今度は机の上に、10枚ほどのポラロイド写真、身体的特徴が記入されたものを並べ、さあ見ろと。皆、見たくはありませんが、見ざるを得ず、鈴なりになって見るのです。今思えば、男女別とか、年齢別とかグループ分けにしてもらえれば、混雑も少し緩和されたのではないかと思います。

JR西日本の職員に、模造紙での発表と写真の発表以外に、あと何体残っているのか、と尋ねましたら、もうこれで全てだ、と言う。私は最低遺体は35人あり、発表されたのが19人とポラロイドの10人計29人だから、あと6人以上身元不明者はあると思っていましたから、「何馬鹿なこと言っているんだ、こんな時に君は命を懸けて言い切れるのか」と言ったら、「命をかけます」と言った。わからないなら、わかりません、という勇気が必要です。
バッチをつけた若い国会議員がいましたので、「何故あなたはここにいるのか」と尋ねましたら、「何でもお役に立とうと思っています」と言う。

報道によると、列車は7両で5、600人ほど乗っていた。1両目の乗客が事故に会っている。この時はTVでは1両目が地下に埋まっていたことはわからず、2両目を先頭の1両目と報道していました。この体育館に来ている家族の数から考えても、まだまだ列車にうまっているのではないか。その時テレビで救出作業が映っていました。いったいどれくらいの人が埋まっているのか知りたいと言いました。

結果的に亡くなったのは106人でしたが、その時体育館では遺体の数は35人から増えて40〜50人という状況で、即ち残り50、60人がまだ車内にいたのだと思うのです。30〜40分して情報を集めたのでしょう。持ってきた答えは10数人ですと。その程度の情報しか集められない。確かに混乱していたあの状況では無理かもしれませんが、少し考えてみれば小学校の生徒でもわかる算数の足し算、引き算が出来ない。数が合わなくても、変だと思わない。これが国会議員なのです。しかしこの国会議員を選んだのは私を含め、日本国民なのです。日本はこれで大丈夫なのかと危惧を感じます。

3.マスコミの対応  5分   13:50〜13:55

お通夜には、500人ほどの人が来てくれました。翌日の告別式の日にも、400人ほど来てくれました。
告別式の朝、新聞を数社分購入しました。朝日新聞は我家のお通夜に150人出席、と出ていました。500人のところを150人と。すぐ朝日新聞社に電話を入れ、「150人でなく、500人だ。遺族として名誉の為に言う。訂正しろ」と言いましたが、出るわけがありません。
葬儀の時に、JRの担当者に我家は一切マスコミに出ないからその様にしてくれ、と言ってましたので、マスコミは会場には入って来ませんでした。しかし、遠くからTVは映しニュースにも出ていました。自宅には沢山、取材をしにやってきます。インターホン越しに、断ると帰っていきます。線香を上げたいので、と言いますから、「取材目的できてるのだろう、葬儀を我家がキリスト教式でやったのだから線香はいらないし、それくらい事前に調べてから来るのが礼儀だろう」と言って追い返しました。又花を買ってしまったからお供えしたい、という人もいました。勝手に買ったのだから、勝手に持って帰って下さいと言いました。
NHKの若い女性がやってきて、アンケートに答えて欲しい、とアンケート用紙を持ってきました。中身を見て、返信用封筒も入っていることから、中身次第で出しますよ、と言いました。取材の脈ありと思ったのか、取りに来るという。取りに来なくていい、取りに来る、押し問答。もういいからアンケート皆持って帰れ、と言いました。

要するに、きっかけをつかんで、上がりこみ、取材をしたい、というのがみえみえでした。
よく手紙が来ます。是非取材をさせてくれ、と。全部無視してますが、全て手紙は取ってあります。今は取材が受けられなくても、受けられる状況になったらお願いしますと。2年経ちますが、同じ人がずっと我家を見守って手紙を出し続ける人は、当時に比べると、ほんのわずかになりました。

私は出身が関東です。事故の報道を、私の出身の小学校の担任の恩師が見て、私が関西に移住していたことを知っていて、もしや私の娘ではないか、と思われたそうです。そこで、先生は、教え子で私と同級生だった女性でNHKに勤務し、社内結婚して家庭に収まった女性に連絡をして、こ主人がNHKだから調べて欲しい、と頼まれました。しかし、個人情報保護法をたてにとって、教えてもらえなかったそうです。マスコミなんてこの程度です。
確かに個人情報保護法は、大切な個人を守る法律ではありますが、時と場合、目的を考えれば、この場合は教えてくれてももよかったのではないか、と思います。マスコミは記事に関する時は、表現の自由といい、この場合は個人情報保護法という、マスコミ自身の判断に疑問を持ちます。

4.垣内社長の我家謝罪訪問のこと  10分 13:55〜14:05

事故後10日して、当時社長の垣内氏と秘書室長の方と我家担当の2人、彼らは設備の課長ともう一人計4人で我家に来ました。来る前に、私は自分が興奮すると思い、私の言いたいことを整理しておきました。
大学時代の仲間にも相談致しました。
その内容は以下14項目のことを申し上げました。

  1. JR西日本の幹部の誠意が伝わってこない。自分の子供が死んだ、殺されたという気持ちになって 誠意を示せ。
  2. 安全に対する考え方がおかしい。経営方針、経営理念の前文に安全という言葉が一つも出てこない。事故0という方針をはっきり掲げるべき。(事務局注:確かに出ていません)  
    当時の経営基本方針(平成17年3月決算短信より
    当時の経営理念 同じく経営理念(はーと&アクション)

    他に2.お客様本位のサービス

    3.会社の発展は自らの幸せ

    4.規律正しい、明るい職場づくり

    5.自己研鑽とチャレンジ精神

    6.同業他社をしのぐ強い体質づくり

    がある。

  3. 幹部が正しい判断ができない組織になっているのではないか。下からの意見がちゃんと上がってきてないのではないか。
  4. 被害者に対する対応は利益を全部吐き出すくらいまでやらないと納得できない。安全対策も含め徹底的に赤字になろうともやること。
  5. 事故対策は今までの考え方、取り組みを一旦白紙にして考え直せ。
  6. 社長を含めた役員は実際に電車の運転をしたことがあるのか。現場の実態を把握し、経営をしているのか。
  7. ノブレスオブリッジ(高貴なる義務)という言葉を知っているか。地位の高い者は何かあれば果たすべき義務を率先して果たせ。
  8. JR西日本の体質は自己保身的であり、かつ危機管理ができていない。当日事故現場に対策本部はなく、情報もない。生きていることを信じたいのに遺体安置所に行かざるを得なかった。そこでも何人搬出され、何人死亡が確認されたかはっきりしない。遺体に対面するまでの時間は地獄だった。
    家内、長女、長男
  9. 人間はミスを犯すものであり、それをカバーすることを考えないといけない。 大丈夫だろうではなくて、危ないかもしれない、と考えて対策せよ。
  10. 机上の空論ではなく、現場の実態に即した安全対策をしないといけない。
  11. 私たちは鉄道は安全な交通手段だと思い、利用していた。それなのに今回の事故がおきた。安全だということが素人にもわかるようにしないといけない。JR西日本の言っていることはごまかしを感じる。原理原則は簡単なのではないか。それをきちんと説明できれば、安全ということではないのか。
  12. 死んでしまった者は還らない。死んだものに対して何ができるか考えないといけない。JR西は本当に変り、その結果をみせてもらわないといけない。
  13. 鉄道会社はお客様の命と経営の効率が両面あるが、命を優先するのが当然である。命がかかっていることなら多くのお客様も我慢してくれるはず。スピードの追求だってもう止める、という判断だってあるのではないか。
  14. 自分達だけで閉じこもらずに、外部の意見を聞くべき。専門集団だけでやっていると社会から遊離してしまう。
以上14項目ですが、この内容はJR西日本の管理職を対象にした研修で、我家の担当者が講話をしています。平成17年に5,200名の社員が聴講、平成18年からは全ての研修において実施しているそうです。

5.4.25ネットワークについて   5分 14:05〜14:10

4.25ネットワークを立ち上げた藤崎さんについてですが、彼女はこの事故で娘さんを亡くされました。
この事故の前から、信楽鉄道の事故について、JR西日本側を責める側の立場の方々の書類の印刷の仕事をしていました。もともとJR西日本に対し思うところがあったのでしょう。この事故の直後すぐに、立ち上がり、遺族が団結してJRに立ち向かおう、と呼びかける行動を起こしました。遺族の住所を、藤崎さんの関係者で手分けして調べ、立ち向かうべく内容の書類を送ってきました。

我家は立ち向かうどころでなく、打ちひしがれていました。私は匿名で、藤崎さんに電話をしました。「あなたの行為、書類を送り付けるというのはプライバシー侵害ではないのか。それにアクションが早すぎる。しばらく放って置いて欲しい」と。プライバシーの権利は一人にしておいてもらう権利です。
又、「個人情報保護法のもと、勝手に住所を調べ書類を送りつけるのは問題ではないのか。弁護士と相談したのか」と聞きますと相談した、というから、弁護士も弁護士だと思いました。

さらに、藤崎さんに関してですが、JR西日本は何度か説明会を開いていますがこんなことがありました。
もちろんJR西日本主催の各種説明会は全てマスコミはシャットアウトです。
遺族側の数人がビデオを持ち込みました。藤崎さんも持ち込みました。彼らは「遺族側は一切映さない。JR側だけ証拠として映したい。マスコミには提供しない」ということでしたので皆了承しました。
ところが説明や議論が活発に行われた2〜3時間たった頃に、藤崎さんが「申し訳ないけどこの映像をNHKに出します」と言う。しかしあとでわかったことですが、NHKでなく他の局だったようです。皆一斉に批難し、結局藤崎さんのビデオは取り上げられてしまいました。あの取り上げられたビデオは今、誰がもっているのでしょうか。そんなことがありましたので、4.25ネットワークに入ることはやめました。

でも、今はいろいろな人が参加し、分科会など作り活発にやり、その状況を手紙で送ってきますので私は参加はしていませんが、ニュースソースとしては重宝してます。
106人中おそらく4.25ネットワークに参加しているのは40〜50人くらいです。ですから報道を見ていると4.25ネットワークが遺族の全ての考えの様ですが、半分の方の意見はわからず、表には出ないのです。

6.JR西日本のその後の安全対策と事故調査委員会の報告について 15分 14:10〜14:25

JR西日本が主催した安全性向上計画についての報告会が、平成18年7月にあり、私は4点、改善を要求いたしました。(事務局注:先に「安全性向上計画」が出て、彼が4点指摘したが、これらは変更無しで、ただ下段の企業理念と安全憲章の位置づけが明確になっている。「鉄道安全報告書」のものをスキャナーでとって掲載)  

安全性向上計画(平成18年7月)、鉄道安全報告書(平成19年6月)
  1. 企業理念に「二度と死亡事故はおこさない」という文言が無いので、明言せよといいました。平成19年つまり今年の6月の鉄道安全報告書のはじめにやっと社長の挨拶の言葉にそれが述べられました。しかし企業理念の文言はそのままです。 
  2. 死亡事故ゼロをコミットし、もしまた起こしたらどう責任を取るのか明確にしろ、と要求しております。これも回答はまだ無く、そのままです。
  3. 安全憲章に「事故が発生した場合には、併発事故の阻止とお客様の救護がすべてに優先する」とあるが、すべてに優先するのはどちらか一つではないか。事故が発生した場合は、なにをさしおいてもお客様の命を救うべきではないか。併発事故の防止等はしくみとして、人の手を使わずに、自動的に止まるシステムにしておいて、人はまず救護に当れるように行動させるしくみを、誰でもわかる単純なルールを、作り上げるべきだと思います。パニックになったら一つのことしかできないと思います。どんな時でも余裕のある人はほっといてもいろいろな手を打つから、こういう人はほっておいていいと思います。そうではない人は、再発防止と救護が同列だったら、目の前で人が死のうとしてようが、会社に戻り、再発防止の会議に出席するし、事実そうだったんじゃないでしょうか。
  4. 安全憲章に、「基本動作の実行」とありますがこんな抽象的なことでいいのでしょうか。もっと具体的に最優先させるべき動作、たとえば制限速度の遵守、そう書くべきだと思います。この安全憲章もそのままです。もっとも、山崎社長は最近の新聞を見ますと、「事故を受けて策定した安全性向上計画を年内をめどに発展的に解消し、新計画を作る」といっています。ま、少しずつ私達の意見を取り入れ、少しずつ変ってきていると思います。
次に事故調査委員会の報告についての件です。報告会は、中間報告が平成19年1月、最終報告会が先週の7月7日に、それぞれ国土交通省近畿運輸局が主催して、開催されました。内容については、後ほど申します。2回とも聴衆は250人くらいで、壇上には国土交通省の人が4人ほどと、事故調査官が3、4人でした。中間報告の時は一番若そうな青年が、3時間、たった一人で説明し、質疑も全てその人がこなしました。
他の人は一切、発言しません。国土交通省の役人はあのようなのですね。会が終わって私は質問があったので聞きに行ったら、年配の人がそんなこともわからないのか、という感じで不愉快でした。

先日の最終報告会では、メンバーはがらっと変りましたが、構成は一緒でした。今回は主管調査官の方が3時間、それから質疑でした。午後1時30分から始まり、270人の出席者が終了時、午後9時ちょっと前でしたか、20人ほどになってしまいました。説明後、いろいろな質疑が出たのですが、まず最初の質問者が「こんなにボリュームのある内容を理解するのも大変だし、質疑も大勢の方がしたいのだと思いますので再度、質疑の日を設けて欲しい」、と要望を出しました。それに対して、「今回が最終報告会なので別途会合は設けません」と言い切ったのです。途中、何度も聴衆側は要望しましたが、聞き入れてくれませんでした。
そういう状況だったので、それなら徹底的にやろう、という雰囲気になって、9時頃まで質疑することになったのです。しかし皆さんおのおの事情があったのでしょう、午後1時30分開始で、まさか夜の9時までかかるとは思っていませんでしょうからパラパラとお帰りになります。私は覚悟を決めて、徹夜でもいいやと思っていました。ところが近畿運輸局の部長がとうとう音を上げ、再度開催することを検討します、と言ったのでやっと終了しました。

それでは内容について述べさせていただきます。
新聞あるいは事故調査委員会のホームページ等で報告の詳細が出てますので、お読みいただきたい
のですが、その報告内容は
@調査の経過、A認定した事実、B事実を認定した理由、C原因、D建議、E所見、F参考事項、
となっています。
その報告書に対して、遺族、負傷者側からでた意見は、まとめると3点になろうかと思います。

  1. 所見の内容を一段階レベルを上げ、建議にすべき。
  2. 原因のところでJR西日本、国土交通省の過失とはっきり明記せよ。
  3. 事故調は「ATSが当時の状況では、設置されているべきであったとはいえない」と言っています。報告書上ではP等、PとはATS-P形を言いますが「P等の整備に関する解析」の項のところで、「同社、JR西日本ですが、同社がその危険性を曲線速照機能、ATSのことだと思います、その機能の整備を急ぐことが必要な緊急性のあるものと認識することは必ずしも容易ではなかったものと考えられる」と言っています。私は、そうは思いません。西日本の安全に対する認識が甘いから、当時ATSが設置されていなかったのであって、従って当時の状況でも、安全に対する認識がきちんとしていれば、設置されているべきだったと言える、と思います。
すなわち、JR西日本の安全に対する認識が甘いのが原因だとおもうのです。
事故調に対してJR西日本の丸尾副社長が公述している中で、カーブでのスピード違反は想定外、と言っているのは実にナンセンスだと思います。カーブでスピートを出す対策は、想定外だったから、対策なし、という言い分は全くおかしいと思います。事故調査委員会の結論、カーフ゛でのスピード対策の遅れはやむを得なかった、とは全くおかしく、こんなのでは再発防止、改善のレベルアップにつながらないと思います。

又、丸尾副社長は安全を重視してきた、と言っていますが、先ほども申し上げた様に、企業方針には入っていません。さらには、丸尾副社長は日勤教育に関しても、現状を肯定し、この事故を謙虚に反省し、あらゆる事柄を真摯に基本から見直してみよう、という姿勢が全く感じられません。

そして、このようなJR西日本に対して、国土交通省が、鉄道の持つ公共性という面から、安全面に対して的確な指導をして来なかった、という過ちを認め、国として、国民生活の安全を守る立場からの研究、鉄道会社等、交通機関への安全性への厳しい対策、を講じて欲しいと思います。

7.最後に  5分              14:25〜14:30

事故の時、乗っている人たちは皆この電車はへんだな、と思っていたと思います。ちょっと勇気を持ってへんですね、おかしいですねと言って、運転手や所掌に、「おい、へんだぞ」と言うべきだったと思います。

車掌の手記で知ったのですが、あの時、車掌に伊丹駅でのオーバーランのおわびの放送をしろ、といった方がおられたようです。勇気のある方だと思います。車掌は列車の一番後ろにいましたのでその方が先頭列車に乗っていて、運転手に物申していれば、状況が変ったのではと思うと残念です。

ちょっとした勇気が、失敗を防ぐ為に、必要です。私が今日この会に出席するのも、出席するという決断を下す勇気がいります。もちろん断ることもできたわけです。しかし、「better than nothing」という言葉がありますが何もしないよりは、何かしたほうがよい、という思いで話させていただきました。

何か皆さんの心に残り、ああそういえばある父親があんなこと言ってたっけ、でいいと思い、出席しました。
この事故は単純です。スピードの出しすぎ、簡単に脱線するレール、ペナペナの車両、そしてそれを管理できない会社ということです。失敗学ですので、失敗だらけのJR西日本は誠に題材としてはいいのではないでしょうか。

皆様にお願いがあります。この学会で是非、この鉄道事故調査報告書を解読して、そこから導き出される事故の原因とされている内容が、妥当かどうか判断していただきたいと思います。
JR西日本が、今回の失敗の責任を、どう遺族が納得のいく形でとるのか、さあ私を納得させてみろ、という心境です。この事故で知り合ったある遺族の家庭は崩壊しています。
さっさと補償金の交渉をすませ、二度とJR西日本と関わりたくない、という遺族も知っています。
私は、死んだ娘に対して恥ずかしくない行動とはどうあるべきなのか、とことん悩み、自分が納得の行く行動を取ろうと思っています。ご静聴有難うございました。


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