同報メールでつぶやいたことに対して

原発処理水の濃度について高橋(平野)名答にヒントを得た疑問に対して


<経緯>
高橋(平野)健君の逝去の報に対して、板見君が緑中時代の彼の思い出を寄せてくれた。「故人の思い出」に記してあるが、先生の「50℃の湯と100℃の湯を混ぜたら何度になるか?」の質問に、皆が「75℃」と答える中で、平野君が「50℃と100℃の間」と正答を出した逸話を踏まえて、原発処理水の濃度を問題にならないくらい薄めたという発表の中で、あの膨大なタンク類の処理水の量も加味したらどうなのかと疑問をつぶやいた。

<古山明夫君から>

伊藤三平さんからトリチウム放出について、問題提起がありました。私は、「第一種放射線取扱主任者」の国家資格を持っています。放射性同位元素の性質について、専門的な話をさせてもらいます。 原発から放出される汚染水の放射能が、公表通りトリチウムのみであるとすれば、危険はありません。

理由は次の通りです。
トリチウムから放出されるのはβ線と呼ばれる電子線です。電子線の透過力は大きくありません。β線には強弱があるのですが、トリチウムのβ線は弱いです。空気中で多く見積もっても数センチメートルしか飛びません。水中ではさらにその千分の1程度になります。そのため、人体外部からの被爆は、無視できます。
外部被曝がなくても、生物的に濃縮される放射性同位元素は、たとえ低濃度であっても危険です。しかし、トリチウムは水素と同じ性質なので、生物がトリチウムだけを選択して体内に取り込むということはありません。魚介類に集まるということはありません。そのため食物を通じた体内被爆も無視できます。

政府が「安全だ」と力説することは、眉に唾をつけて聞く心構えがあってよいと思います。しかし、トリチウムについて言えば、政府の言っていることには十分な科学的根拠があります。

<長井文明君から>

わたしは何ら問題なしと思っています。普通の原発が普通に放出するレベルの話だという説・測定結果を信用すれば。政治的(この上なくいやらしい言葉)意図から騒ぎ立てる中国など問題外。 だから放出に賛成と言っているのではない。この問題に関しては、政府も東電も全く信用していない。騒ぎになるのは当然と受け止めています。

トーキョー五輪招致のさいのアベの「アンダー コントロール、ノー ブロブレン」という無知厚顔の発言。都合がいい時は「寄り添って」、いざとなると「人類がコロナに打ち勝った証」などと言ってフクシマはどこかに吹き飛んでしまい、今また「寄り添って」風評と戦い、はいいとして、さてこの先見通しがあるか? ずいぶん前に 「30年で廃炉」などと言ったが、それもあいまいなままである。見通しが立たないなら立たないとはっきり言うのがせめてもの誠意というものであろうと思うのだが。深刻な問題には全く触れず目先の問題ばかり、それも都合のいい時だけ味方を装って結論を押し付けようというやり方で信頼されるはずがない。

原発政策全体となると悲惨さは目をおおうばかりになる。廃棄物(こちらはトリチウムどころではない。近寄ったら数分で死に至るという信じられない危険物 )の最終処理の目処など全くないのに、老朽設備の運転延長から新型の開発まで闇雲の暴走である。処理施設の見通しは全く無いままに最終処分場だけはいくつかの候補地が手を挙げている。いずれも財政的に破綻寸前の自治体という。「手を挙げさえすれば金になるから」というのは、どう見ても異常としか言えない。もちろん、手を挙げる方より挙げさせる方の問題が圧倒的に大きいと思っている。

そもそも原発は技術として無理、社会的に無理と考えている。廃棄物だけ考えても、半減期2万年などとんでもない。しかも2万年経ったら安全なのではなく、線量が半分になるにすぎない。 10倍の20万年を経てようやく千分の一になる。

ともかく、「この(=放出)問題について、賛成か反対か」と問われても答えようがない。たいして問題でもないものが大問題になってしまうような愚行を繰り返し、いまだに続けている結果なのだから。

★私はこの問題に関して、御二人の話を信頼いたします。ただ、御二人とも、「政府の言うこと=正しい」には疑問を持っておられます。千葉高生らしく好きな態度です。長井君の文章には、原子力発電において最終処分が未解決なままであることに、問題提起されている。原子炉の問題は古屋信明君の「ある歴史のすれ違い:::原子爆弾の開発」にも触れられている。

 時田君投稿の咲き誇る曼珠沙華について


<経緯>
時田清君が「埼玉県日高市の巾着田の曼珠沙華」を投稿してくれた。その紹介の過程で、山口百恵の「曼珠沙華」では「マンジューシャカ」と歌っていることに、作詞家阿木燿子さんはどんな意図で、このように歌わせているのか?とつぶやきました。

<板見潤一君から>

「曼珠沙華」は元は印度の花でしょうから、サンスクリットの मञ्जूषक (mañjūaka)です。

誰の作詞か知りませんが初めてYouTube聴いてみて「マンジューシャカ」は正しい読みです。मञ्जू(マンジュー)とはbeautiful,「文殊菩薩(Mañjuśrī)」のマンジュです。
パーリ語で「マンジューサカ」漢訳されて「曼珠沙華」(天上の花)となったのでせう。

若き頃の違和感を持ち続けるのは大事です。同期の怠け者に若き頃使用した梵英辞典を引っ張り出させ確認させたわけですから


<長井文明君から>

好きな野花の一つです。90余の異名地方名方言がある由。
かつて「最も安全な毒草」であることを確認したことがありました。花茎を折ってちょっと舐めたのです。僅かな汁が舌に触れただけで胃の底からこみ上げるような強烈な吐き気!あとはうがいも飴も歯磨きも効果なし。30分ほど不快感に苦しめられました。これは葉をちぎっても同じ。全身に毒(学名に因んでリコリンというらしい)をもつことを確かめました。

安全な毒草というのは、こんな代物を誤食誤飲などありえないと判断したから。山で早春のトリカブト・ハシリドコロ等本当に旨そうに見えます。実際旨いらしい。だから実際毎年誤食事故が発生しています。わたしはこんな危ない物には手を出しませんが。里では同じヒガンバナ科のスイセンの誤食事故もよく聞きます。ノビルと間違ったと言うけれど、本来間違えようがないもののはずなのに。スイセンは試食したことはありません。事故が起こるというのは、やはり旨いのかな?

ヒガンバナに戻って。近所にもあちこちにあります。今年は注意して見ていたら、地上に顔を出して6日目に開花。1日の伸びは最高15㌢近く。1時間に5㍉以上というのは、じっと見ていたら、伸びる動きがわかるのではないか?

今年はやや異常だなと思うことがいくつか。一斉に開花がこの花の特徴と思っていたけれど、早いのが萎れてもまだ蕾のままのものがある。今年は花茎が長めと言われていて、確かにそういうのが多いけど、花茎を殆ど立ち上げないで地上すれすれに開花しているのもある。

★梵英辞典を所有している国語の先生、毒と言われているものを食して確かめる理科の先生、さすが千葉高生であります。