古川 保夫
はじめに−ご挨拶も兼ねて−
こんにちは、古川保夫です。同期の親しい友人とは時々お会いすることはあったのですが、インドネシアのバリ島のサヌールに移ってきてしまってからはなかなかその機会もなく、どなたかが登録して下さったらしい私のメールアドレスへお届けいただくメルマガを楽しみに懐かしく拝見しておりました。
ちょうど50才で日本を脱出してしまい、暢気にバリで暮らしているわけで、現役で働かれているの皆さんのご苦労を考えますと、私のような立場のものは静かにしておったほうが良いのかな、とご連絡もしませんで申し訳ありませんでした。
現地では、結構楽しんでやっております。来る同期会に出席することは出来ませんが、いずれ機会がありましたら爺さん、婆さんの域に近づいている同期の皆さんともお会いしてみたいものだと思います(笑)。
久しぶりのクスマサリビーチ。土曜日のお昼時で『ママプトゥ・レストラン』はほぼ満席です。旅行者と地元のインドネシア人との割合は半々くらいでしょうか。
浜辺に置かれたデッキチェアーで直射日光をいっぱい浴びてゴロゴロしているのは白人客だけ。ローカルの人達は日陰で談笑したり昼寝したりです。肌を焼きたいという気持ちが分からないわけではありませんが、それにしても余り急激に強い日差しを長時間浴びるのはお肌のためには良くないし、それは中年を過ぎた白人リゾーターのご婦人方を見ますと一目瞭然だと思うのです(^_^;(彼のサイトYASUOのバリ島サヌール観光&生活情報における絵日記から事務局が抜粋。写真・文章は古川君。以下の引用も同様)
1.移住を考えたきっかけ
皆様もご認識のように、団塊の世代の我々としては、この世の中の情勢下では、将来のビジョンもなかなか描けません。千葉高OBと言えども同様のことと思います。
貴兄(事務局注:神力君)がいみじくも書かれているとおり、こちらにいても日本から伝わってくるニュースには殆ど云って良いほど明るいものが無く、我々の世代の展望としては、厳しく考えざるをえないのではないかと思います。
現在のこのような事態は、私がバリヘの移住を決めた2000年当時にも既に予想でき、あるいは現実感としても受け止められるものでした。これは皆様も同様だと思います。国家財政は赤字国債の継続した発行により支えられているだけ。
景気後退により税収は前年比マイナスになっていく。この延長に、我々に大きなかかわりを持ってくる年金の受け取り開始の先送りが決まり、その額も削減せざるを得ない、というところまで行くであろうことは、当時、経済のことに全く無知な私のようなものでも常識的に予想のつくことではなかったかと思うのです。
いかにして、このような先の見えない状況から、これからの自分の生き方を明るい方向へ持って行けるかと考えた末のひとつの選択肢としてバリヘの移住が浮かんできたわけです。
私個人としては、若い頃から、いつかは日本以外のどこかの国で生活を体験したいとの憧れがありましたので、ちょうどこういう時期に出来ないものかとかなり乱暴に、後先も考えず実行してしまったのが実際の処ではなかったかと思います。なにか現地でビジネスを計画していたというわけでもなく、とりあえずは生活をし、言葉を習得し周囲のインドネシア人とのコミニュケーションが出来るようになるまでやってみようということだったんですね。
バリをそういう第二のスタート地点として選んだのは次の理由によります。
- 以前、仕事の関係でインドネシアとは多少の関係があったこと。
- 気候が温暖で物価が安く、治安状況も他のアジア諸国と比べると良好であること。
- さらに現地で生活するのに必要なインドネシア語というのが他の国の言語と比較しますと明らかに簡単で、単語の数さえ或る程度覚えてしまえば構文などをたいして気にせずに話せてしまう、既に50才になっていた私には願ってもない便利な言葉であったこと。
サヌールから東海岸沿いに約1時間半、ブルーラグーンと呼ばれている入り江に小さなビーチがあります。シュノーケリングで色とりどりのサンゴ群やその上を泳ぎ回る夥しい種類の美しい熱帯魚たちを見ることが出来ます。普段はあまり多くの観光客はいませんが、この日は20人近くの外国人達(その殆どが女性ですが…)が泳いだり、ビーチで日光浴を楽しんだりしていました 2.バリで行っていること
さて私がいったい毎日何をしているかと言いますと、じつはたいしてすることがありません。
サヌールという現在私の棲んでいる地域の紹介HPを運営していますのでそれを通じて知り合った方々とのメールのやり取りや、バリへの移住希望者に向けてのアシスタントサービス(衣食住の相談など)やら、希望者に対しては不動産の斡旋・仲介サービスなどの仕事を細々とやっております。
サヌール プリサントリアン・ホテル昨日に続いてサヌールの海の見える画像です。プリサントリアンホテルの
新しいメインダイニングはビーチに面してオープンエアーになっています。
潮風を感じながらのビュッフェスタイルの朝食はとても美味ですし、芝生でおこなわれるバリダンスを見ながら食べるディナーも贅沢な楽しみです。クタにあるホテルオーナーのご子息とギャニアール出身の女性の結婚式にお呼ばれで寄せていただきました。 会場のホテルには4〜5百人ほどの関係のある方々が参会されていて大層な盛会でした。一応のセレモニーが終わり新郎新婦がお客様の間を挨拶に回っているところを撮らせていただきました。長時間にわたる式で、二人とも大変だったでしょうがカメラに向かってにこやかに笑ってくださいました。どうぞ末永くお幸せに(^-^)
バリヒンドゥーの新年にあたる「ハリラヤ・ニュピ」をあと三日後に控えてバリの町々には魔除けの張りぼて「オゴオゴ」の姿がようやく見られるようになってきました。我がサヌールブランジョン地区の今年の「オゴオゴ」のテーマは「正義の味方猿王のハヌマンと魔物の戦い」とのこと。
足かけ一ヶ月ほどの製作日数で完成し、ニュピ前夜の町内練り歩きに備えて待機中と言うところです(^_^)
バリ人のお祭り好きはつとに知られるところですが、年一回の新年祭であるニュピはガルンガン/クニンガンと並び最大のイベントですから、その準備に費やされるエネルギーは大変なものです。どの町内にも美術芸術の才能に秀でた人達が居てバリ中で数百体といわれる竹と紙で作られたオゴオゴをあっというまに作ってしまうのには感心してしまいます。「あのエネルギーを仕事の方に少し向けてくれれば…」と口の悪い外国人ビジネスマンがこぼすのも毎年の恒例になってます(笑)
そういったサービスを業務とする株式会社を設立しており移住に関する一切の手続きなども行っています。
そうは言いましても、確たる事業計画やリサーチなどもしておらず、とりあえずこれから急激に増えて来るであろう同年代のリタイヤー層の海外移住志向に何らかの形でのチャンスがあるのではないかと思って、バリ島移住コンサルタント的な業務を設立定款として外国資本の会社を立ち上げたというのが実際のところです。
現在までに数組の移住希望者に対しての不動産斡旋やら賃貸家屋の紹介、および長期滞在ヴィザの手配などをしております。
ご存じのように外国人のバリでの不動産取引についてはさまざまな制限があり、また現地人を仲介者として契約した物件につきトラブルが頻発していることもありまして、あくまでもインドネシア人を間に入れないスタンスの取引を心がけています。詳しいことは割愛させて貰いますがHPから私の処へコンタクトして下さる方々の数から考えてみますと私の始めたビジネスはそれなりの需要があるのではないかと思っています。
とは言いましてもこれがビジネスとしてどうよ?ということになると私自身も見通しがつかないのが現状なんですけど(^_^;。
3.バリ島の現状去年10月におこったバリでの爆弾事件の後、観光業としてはさまざまな阻害要因が重なっております。現在ではSARSの影響から特に日本からの観光客が激減しております。
それでもバリ島は、神からの恵が多い島で、水も豊かなこともありどんなときでも食うことには困らないとバリ人は言っております。
確かに郊外に出ますと、いつでも青々とした田圃が見えますし、すぐ隣では黄色に実った稲穂が重たげに頭を垂れている光景を見かけます。三期作、三毛作は当たり前ということですから米や野菜は確かに不足することはないのでしょう。
もともと、農業を営む人々が圧倒的に多かったはずであり、実家に帰ればとりあえず食べるには事欠かないと言うのが、バリ人達がこういう困難な状況でも泰然としていられる原因なのではないかと思っている次第です。
バリは色々なことがあっても本質的には余り変わっていません。相変わらず自然は豊かだし、人々の表情も落ち着いています。終わりに
皆さんは、ちょうど社会的には厳しい立場に置かれているのではないかと推察いたしますが、たまには息を抜きにバリヘいらしてください。私が御世話させて貰います(^_^)
では皆様お元気で!