真狩村ってどんなところ?

―「生涯学習の村」の中での高校教育 ―

北海道真狩高等学校教諭 尾形春夫

はじめに

 同窓生の皆さんこんにちは。千葉高校を卒業してはや30年。北海道の大学に進み、この地で就職して家族も持ち、すっかり道産子になってしまい、千葉の同窓生からはすっかり忘れられた存在になっていることと思います。

 若い時は、北の大地にあこがれ「ボーイズ ビー アンビシャス」の精神に共鳴し、現代における開拓者の気概で頑張ってきたつもりですが、今年のように雪が多く、連日の除雪作業に閉口する時は、南の国がやはりいいなあーとため息をもらす心境になります。年のせいでしょうか?

 この度、昭和43年卒業生同期会のホームページ掲載用原稿依頼が私の所にもやってきました。同窓会の案内や名簿の送付等、本業のかたわらこまめにやってくれている幹事さんへの感謝もこめて、私ができる範囲のことは応えたいと思います。

 私は農業高校の教員として、これまで北海道の4校で仕事をしてきましたので、今回与えられた「細川たかしの故郷、北海道真狩村とはどんなところ?」というテーマに対し、教育的な視点で一文を寄せたいと思います。

 

1 真狩村の紹介

  *真狩高校から見た早春の羊蹄山(1898m)

歌手細川たかしの故郷として有名な真狩村は、札幌市から南西に車で1時間半(冬道では2時間)蝦夷富士と呼ばれる秀峰羊蹄山(1898m)南麓に広がる風向明媚で自然豊かな純農村地帯です。すぐ隣の町村がスキー場のあるニセコ町や留寿都村で、いずれも夏は高原で涼しく、冬は日本海から吹き寄せる季節風により北海道でも有数の多雪地帯です。この多量の雪のおかげで、羊蹄山の周囲は豊かな水に恵まれ、水と空気と緑は首都圏では味わえない素晴らしいものです。

 現在、真狩村の人口は約2600人、最高時のほぼ半数となり、高齢化が進んでいます。村の基幹産業は農業で、かつては馬鈴薯、アスパラガス、甜菜(砂糖の原料)と言った畑作物が中心であったが、最近では大根、人参、食用ユリ、花ユリと言った園芸作物が主力となってきました。とりわけ食用ユリ根は日本一の産地で、関西方面に出荷されています。

 村の過疎化・高齢化の進行に対し、村では農業の振興だけでなく、秀峰羊蹄山をシンボルとした美しい田園風景などの恵まれた自然景観と、良質な農産物を産出する肥沃な大地に恵まれた条件を生かし、観光産業の振興で都市と農村との交流人口の増大をはかり、田園都市の創造を目指した地域活性化の施策を進めています。すでに、真狩温泉を掘り当て、そこに隣接して世界のユリ園とか、一流シェフを招き地場農産物でフランス料理が食べられるレストランもオープンさせました。また、フラワーセンタも建設して、都市住民の呼び込みに積極的な働きかけをしています。

 

2 「生涯学習の村」としての真狩

 

 平均寿命がのび人生80年時代と言われる中で、生涯を通して心豊かに生きるために「生涯学習」という事が強調される時代になりましたが、真狩村では、「生涯学習」という言葉があまり普及していなかった、今から17年前の昭和56年に「生涯学習の村宣言」を行っています。これは北海道では最初の、そして全国的に見ても第3番目という先駆的な取り組みでした。

 地域の発展方向であるシンボルテーマ「緑の大地とうるおいの郷・真狩」の創造をめざし、「村づくりは人づくり」という基本理念の下で宣言された内容は以下の通りです。

生涯学習の村宣言

 

わたしたちは、しあわせな人生を築くために「いつでも」「どこでも」「だれでも」学び続ける願いと、住み良い地域づくりを通して、「緑の大地とうるおいの郷」の実現を生涯学習に求め、

1より豊かに生きるために自ら学習につとめます。

2よりよい学習環境づくりにつとめます。

3よりよい地域社会の創造につとめます。

 

 ここに全村民とともに真狩村を「生涯学習の村」とすることを宣言します。

           (昭和56年9月25日)

 生涯学習は、地域に住む一人ひとりが明るく健康的に生きがいをもって暮らす上で欠くことのできないものです。真狩村では、子供からお年寄りまで一人ひとりの学習意欲に応えられるように、「生涯学習センター」としての機能を果たす公民館と隣接する真狩高等学校をひとつの廊下でつないで学社連携(学校教育と社会教育の連携)で生涯学習を進めてきました。

 また、各行政地区ごとに「生涯教育振興会」の組織を作り、住民の生涯学習推進の母体になっています。さらに教育委員会には、スポーツ、文化、趣味などの資格や指導力を持ったリーダーを登録した人材バンク「余暇指導者銀行」、生涯学習に対する何でも相談の窓口として「かつらの窓口」を設け、生涯学習支援の体制をとっています。

 

3 生涯学習も推進する真狩高校

 

 現在私が勤務している真狩高等学校は、昭和23年に開校し、今年(平成10年)50周年を迎える定時制課程一間口、全校生徒120名の小規模な農業高校です。

 かつては季節定時制の農業高校として、地元の農業後継者を育成し、修業年数も4年でした。その後時代は変わり、真狩村の人口減や、農業や社会を取りまく環境の変化の中で、時代の進展に合わせて、平成4年、学科名を農芸科学科と変え、農業後継者の育成だけでなく、農業教育を通して、幅広くたくましい産業人の育成を目指したカリキュラムにし、入学生徒も地元ばかりではなく、全校生徒の約半分は、札幌市周辺出身の子供達を受け入れています。修業年数も定時制課程ではありますが、全日制課程と同じ登校形態で、3ケ年で卒業に必要な単位を修得させ、ほとんどの生徒は3ケ年で卒業しています。4学年に残った生徒達は、国内先進農家での実習や、農業先進地視察を行ったり、さらに、アメリカでの農業実習を行うなど、有意義な一年を送っています。

開校以来真狩高校は地域と共に歩んできましたが、昭和56年の「生涯学習の村宣言」以降は、より一層地域文化の拠点的役割、生涯学習推進のセンター的な役割を果たしてきました。すでに紹介しましたが、公民館と高等学校が廊下でつながっているので、社会教育と学校教育が施設利用の面で互いに乗り入れる展開がされています。例えば高校の体育館やグランドは、村民体育館や村民グランドでもあり、生徒達が下校した後は、村民のスポーツクラブの人達が利用しています。さらに、高校のパソコン室は、村民のパソコン講座で開放しています。逆に、高校の入学式や卒業式は公民館の大ホールを利用したり、高校の家庭科目での調理実習は、公民館の調理室を使います。また、高等学校の持つ人的教育力を、「高等学校開放講座」の形で広く一般村民に提供し、地域住民の学習の機会を創り出しています。

       *園芸教室で菊栽培を説明する筆者

 

4 地域の教育力を生かした高校教育

 

 一方高等学校における教育も、学校内の教科学習のみにとどまらず、地域社会と幅広く連携し、様々な体験を通して、地域社会の教育力を生かした教育の展開を図っています。本校で行っている地域連携活動をあげてみます。

(1)地域ボランティア活動

・村内歓迎花壇の造成

・道路清掃やごみ拾い

・独居老人宅の窓拭き

・除雪・独居老人宅への弁当作りと配布

(2)保育園児、小学生、中学生、高齢者との連携学習

・保育園児とのプランターへの花の植込み、交流

・高校の施設を利用した小学生、中学生との体験学習(パソコン、食品加工、調理実習など)

・高齢者との触れ合い学習(農場での実習、パソコン講座、クラブ活動の時間に一緒にパークゴルフや将棋をする。)

(3)職場体験実習

・2年生の農家委託実習(泊り込みで一週間農業実習を行う)

・3年生の商店等での実習(生徒の進路に合わせて5日間商店や企業で体験実習)

(4)名人講座や視察研修

・その道の達人から貴重な話を聞いたり、しめなわ作りなどの実技指導を受ける。

・村内の先進的施設や取組みなどの視察研修

(5)地域文化の担い手

・伝統芸能「浦安の舞」の継承

・村祭りにおける神輿や奴(やっこ)の担い手 

 

 以上のような活動の中で、生徒達は地域の様々な世代や職種の人達との交流を深め、貴重な体験の中で感動し、学校教育の中だけでは得られない多くの事を学び、生きる力を培っています。さらに、私達教員もまた、開放講座では一般の社会人を対象とした授業をするわけで、自分自身の教師としての力量を問われる良い刺激にもなります。又、生徒達の様々な地域連携活動を通して、地域の人達の色々な声を聞き、学校教育のあり方を考える良い機会にもなっています。

 真狩高等学校の生徒数は、在校生120名にとどまらず、真狩村民2600人が生徒であるとも言われています。

 

おわりに

 

 観光案内にもならず、興味のない人にとっては退屈な内容だっただろうと思います。ただ、神戸での小学生殺人事件とか、ナイフ殺傷事件とか、学級崩壊とか、子供達をめぐる殺伐としたニュースが流れる中で、次代を担う子供達を心豊かで、たくましい人間として育てていくにはどうしたらいいか、この課題は、教育関係者だけの課題ではないだろうと思います。そんな中、北の地の小さな村で、この小論でのべたささやかな実践が行われている事を知ることも、あながち意味のない事ではないと考えます。

 家庭と学校、そして地域社会が密接に連携し、有機的に結合する中で、子供達の健やかな成長が実現できるのではないでしょうか。

 


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