住所判明に伴うこぼれ話
●大竹隆君、時田清君 (99/10/22掲載)
大竹君は同じ会社の林田重吉君から、時田君も同じ会社の小川薫雄君から教えていただきました。
それぞれ大企業で、活躍されています。時田君は現在、アメリカ在住です。

●山本和夫君 (99/2/4掲載)
竹内純生君からのメールです。
「お互いの下の子供同士が同級生であることがひょんな事から判明し昨晩tel で小生と1年C組で一緒だったご本人と確認できました。」

竹内君が同じ丸紅に勤めている清水教博君との出会いを同期会で聞きましたが、これも奇遇です。首都高速で竹内君の車に清水君がぶつけたことで、お互い同期で同じ会社に勤めていることがわかったそうです。ウソみたいな話です。

●小川康恭君 (98/11/24掲載)
会社の健康診断で体力年齢29歳の結果が出た奥山悦男君が、安心して問診をさぼっていたら、会社の健康相談室から問診を受けるように連絡が入る。
行くと普段と違う産業医がいた。彼は奥山君のカルテを見ながら「奥山さんは千葉高の出身ですか」「やっぱりそうか」「俺だよ、同期の小川だ」
奥山君が驚いて事情を聞くと、友人の産業医が都合で行けないために、2日間だけ川崎から関西にまで来たのだそうです。
●近藤(長谷川)ゆり子さん(98/11/24掲載)
朝日新聞の夕刊(10月7日)を何げなく見ていた川村(佐藤)仁子さんが、「名古屋平曲の演奏家である近藤正尚さんが逝去」という記事の中に、「妻ゆり子さん(49)」とあるのに目をとめる。
「亡くなった近藤氏は岐阜県の富山ダムの反対運動の関係者で、ゆり子さんは東大の後輩」と書いてある。

 東大、49歳、ゆり子さん。これは2年A組で一緒だった長谷川ゆり子さんではないかと川村さんは思い、同期の女性5人で集まった時に話す。現在の彼女の状況はわからないが、もし彼女ならば次回同期会のお誘いぐらいはしたいということで一致して、親しかった何人かに問い合わせるが、わからない。

そこで、5人のメンバーの一員である毎日新聞の佐久間憲子さんが、記事が掲載されていた宿敵の朝日新聞に問い合わせをする。
なかなか返事が来なかったそうであるが、11月の中旬にこの記事を書いた記者から手紙が来て、長谷川ゆり子さんであることが確かめられた。
記者が確認を入れてくれたために時間がかかったようである。
近藤ゆり子さんにはメンバーの1人が近々手紙を書いて送ることになっている。

●地引雄一君(98/11/24掲載)
小出貢二君の病院に地引君のご家族が診察にこられたことで判明。