「ボランティア活動と私」

奥山 悦男

ボランティアしているという意識はあまりありませんが、普段行っている地域活動を中心に述べさせて頂きます。
私にとって、ボランティアの原点は、阪神淡路大震災とロシア船ナホトカ号の重油流出事件でした。
平成7年1月の大震災当時、私の職場は神戸市兵庫区にあり、吹田市の家から毎日自転車で往復7〜8時間掛けて通勤していました。悲惨な光景を横目で見ながら、職場の建て直しに追われ、被災者に何も出来なかったという負い目がありました。
平成9年1月にロシアタンカーの船首が福井の海岸に流れ着き、重油で汚染された時は、故郷の福井県の裏庭が土足で踏み荒らされた感じで、じっとしておられず、休日毎に、越前・若狭・丹後の海岸へ行き、重油回収をしていました。手作業で行うことの空しさを覚えつつも、多くの仲間を見ていると、人の優しさ・暖かさを感じ、日本はまだ未来への希望があると感じたのです。

それ以前から、平成4年に、私が住んでいる吹田市主催の半年間の社会体育リーダー研修を受け、メジャーなスポーツの審判が出来るようになり、いろんな軽スポーツ・ニュースポーツを学んだ後、地元の体育振興会で活動しています。スポーツを通して街の活性化を計るということで、スポーツ行事の企画・準備・当日の運営・審判などをしています。自治会対抗のソフトバレーボール大会や、個人参加のグラウンドゴルフ・ペタンク大会等。10月10日の自治会対抗運動会がメイン行事で、半年前から種目を考え、1ケ月前からいろいろ準備をし、1週間前からはてんてこまいです。平成10年から社会体育リーダー協議会のブロック長になり、行政と地域の橋渡し役をしています。

平成9年に、大阪自然環境保全協会主催の1年間の研修を受け、講義や実習でいろんな自然形態を学んだ後、自然観察指導員の資格を得、以前から会員になっていた地元の自然観察会での活動を平成10年から再開しています。当面の目標は、吹田市内に残された緑の孤島・紫金山公園という荒れた雑木林を里山に戻すことです。紫金山公園を普通の都市公園に作り替えるという市の計画に対し、自然観察会が反対し昔の里山に戻したいという代案を出したところ認められ、何と自然観察会がその仕事を委託されました。市民ボランティアを募り、平成10年秋からスタッフとして下草刈り・間伐・ツツジの植栽を始めています。
以前から森林に興味を持っていましたが、平成9年に大阪に日本森林ボラティア協会が出来たのを機会に、平成10年に会員となり、半年間森林施業・安全などの研修を受け、今では休日になると、車にノコギリ・カマ・ナタを積み、、府内の山中に入り、下草刈り・枝打ち・間伐をやってます。時々、和歌山県の山中へ行き、炭焼きの手伝いをしてます。森林仲間の中に、NHKの女性アナウンサーがいます。山の中で作業をしていたら、彼女から突然インタビューされ、先日「ラジオ夕刊」という番組で私の思いが関西にだけ放送されました。

歳を取ることは、耳が遠くなる、目が見えにくくなる、足腰が弱くなることです。身障者に近づいていく訳です。ならば、今のうちから、いろいろ勉強・体験をして、高齢化に向けて準備をし、合わせて、身障の人達とコミュニケーションが出来たらと思い、平成8年に1年間、手話講習・盲人の手引き講習・車椅子体験を受けました。手話が面白く、どこかの手話サークルに入ろうかと思いましたが、他の事に忙しく、時間が無く、残念ながらやっていません。駅や街角で、目の不自由な方が杖を引きながら戸惑っている様子を見ると、自然に手引き出来るようになりました。

遠い街の出来事であれば、新聞・テレビを見て、大変だな、可哀想だなぐらいしか思いませんが、身近な事・実感したことだと、何かしたいという気持ちが出てきます。私の行動のベースは“やらねばならない”のではなく、“やりたいからやる”であり、この自然体が長続きの秘訣でしょうか。ですから社会奉仕しているという気持ちは全く無く、自己満足の世界です。

日曜日の平均的な過ごし方は、朝7時からの体育振興会主催の早朝ウォーキングに行き、参加者にストレッチ体操の指導をし、近くの千里ニュータウン外周緑地を1時間程歩き、8時から小学校校庭でグラウンドゴルフの準備・審判・後始末を行い、9時に車に山仕事用の道具を積み、近所の紫金山公園か、遠くは千早赤阪村の金剛山麓の民有林へ行ってます。休日はこんな状態で、平日は仕事の関係で帰宅は夜11時過ぎで、夫婦共稼ぎなので家事分担として朝に掃除・洗濯をやり、超多忙なのですが、好きだからやれるのであり、疲れを感じないのでしょう。こういうことは、両親を含めた家族の健康と理解があって初めて出来ることであり、誰かが病気で倒れたら私の活動は不可能になります。夫婦は共稼ぎ、子供たちはアルバイト・クラブ活動に追われ、一見バラバラな家族ですが、女房の理解と皆が健康に過ごしていることに感謝してます。

定年後のことをそろそろ真面目に考えるようになりました。私の実家は福井県の山奥にあり、わずかばかりの田畑と山林があります。この狭い敷地での農業・林業経営は不可能ですが、定年後は田舎へ戻り、地域の高齢者を対象にゲートボール以外のいろんな軽スポーツを紹介し、山を整備し、間伐材で炭を焼いたりログハウスを作り、都会の子供たちを招き、自然に触れた時の感動を伝え、過疎地の活性化を計れないかなと思うようになりました。そのために今いろんな活動をしながら、ノーハウを学び、仲間作りを少しづつやっているという感じです。

学生時代はオーケストラ・ワンゲル・マージャンに専念し、会社に入ってからは転勤・出向・引っ越しの都度、茶道・ゴルフ・謡曲・馬術・合唱・アーチェリーなど新天地で手当たり次第いろんなことに首を突っ込み、最近はオーストラリア中学生のホームステイ・近所の児童センターの運営委員や、自分が住んでいるマンションの補修委員を4年間やったり、いろんな活動に勤しんできましたが、やっと自分の道が見えてきた感じです。ボランティアというよりは、趣味の延長の延長みたいですが、無償で地域活動しているということで、広い意味でのボランティアになるのでしょうか。先日、娘が通っている高校の文化祭へ行きました。そこでのアンケート用紙に「3つの自立」を知っていますかという設問がありました。その時はわからなかったのですが、後で聞いたら、経済的自立・精神的自立・生活での自立を指すとのこと。ボランティアの基本スタンスそのものだなと感じました。

高校卒業後、最北の大学へ進学し、関西の企業に就職し、関西の女性と所帯を持ち、親も関西に住んで居るので、千葉や千葉高と縁遠くなってしまいましたが、千葉を遠く離れた地で必死に生きている同期生の存在を知って頂けたら幸いです。そんな私に原稿を載せる機会を下さった同期会事務局にこの場をお借りしてお礼を述べさせて頂きます。

千葉高同期の皆さん!10数年後に福井の私の田舎の家に泊まりに来ませんか。裏山の頂上でご来光を仰ぎ、昼間は農作業・山仕事を体験し、越前海岸で温泉に浸かりながら日本海に沈む夕日を眺め、夜は越前そばを食べ、杯を交わしながら第2の人生の夢を語り合いませんか。10年後に田舎の住所・アクセスを改めてご案内します。
ある映画を見ていたら「今は青春真っ盛り。17才は一度だけ」という台詞がありました。「今は人生真っ盛り。48才(49才)は一度だけ」を今年のモットーにし、「今が人生で一番光っている。幾つになっても、今が一番楽しい、一番充実している、最高の時なのだ」を人生のモットーにして死ぬまで青春したいと思っています。

参考:日本森林ボランティア協会ホームページ


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