白内障の手術

伊藤 三平

生来、目性が悪く、2007年に白内障の手術をした。同期で、私が知っている範囲では村田(秀)君と梅澤君が手術をしている。白内障は誰にでも加齢に伴って発症する(もちろん早い、遅いの差はある)ものであり、何かのご参考になると思い、甲田君の雑誌「医心伝心」に掲載した原稿を大幅に加筆・削除して掲載する。

1.飛蚊症(ひぶんしょう)で眼科へ

2004年の初夏頃、急に飛蚊症になる。蚊というより、木の根のような黒い固まりが左目の中を動く。眼科に行くと、先生曰く「気になりますか?でも治らないです。それより、だいぶ白内障が進んでいますね、特に右目は進んでいます」と。

確かに、朝の起き抜けに、眼が霞むようなこともあった。視力も以前に比べると落ちている。ただ私は視力が悪いから、また近眼が進んだのかと思う程度であった。

(いらざる助言1)
飛蚊症は治らない。現在では慣れて、気にならないが、これも老化の一つなのでしょうか。
(いらざる助言2)
白内障よりは緑内障の方が怖く、これについては我々の歳になれば、年に1回は眼科で検査してもらった方が良いそうです。

そこで白内障の治療用の目薬で様子を見ましょうということになる。もっともこの目薬は改善効果は無く、ただ白内障の進行を抑える効果しかないらしい。
ともかく白内障の進行を防ぐ目薬を付けていたが、その時に生じたことを二つ記しておきたい。

一つは生まれてはじめて、まぶたの上に脂肪の固まりのような散粒子が、左目と右目に出て、切ってもらったこと。

二つめは左目の上部や、左眉毛の中や、そこから斜め下に吹き出物のようなモノが出たこと。近くの皮膚科ではわからないとのことで市川の東京歯科大付属病院の皮膚科を紹介される。細菌性のイボとの診断で冷凍窒素で焼いての治療となる。

上記二点について、素人考えであるが、目薬を付けるとき目の回りの皮膚についていた細菌が入ったのではなかろうかと考えている。

(いらざる助言3)
目薬は、目の回りを清潔にして差さないといけない(白内障の後、目薬の指し方として、このように指導される)。

2.三井記念病院での手術予約へ

2年過ぎた2006年の終わり頃、「そろそろ手術をしますか。手術をすれば視力も回復します。」と言われる。仕事もあるが、いずれは手術をしなくてはいけないのならば早くやるのも一考に値すると考え、先生にお願いして、紹介状を書いていただく。

紹介状は三井記念病院の赤星先生宛になっていた。この時は赤星先生が白内障手術の屈指の名医であることなど知らない。

2007年の2月、紹介状を持って三井記念病院に行って驚いた。行くなり「赤星先生に直接、診ていただくとだいぶ時間がかかります」と受付に言われる。もちろんこのことは私以外の患者さんも同様だ。そして事前の診察は他の先生で診ていただいても、そのデータはきちんと赤星先生に伝わりますと言われる。そこで他の先生にお願いすることにして待つことにしたが、待合室は100人以上いる感じ。隣の人に聞くと「私もはじめての時は朝から来て待って、終わったのが夕方5時」。これを聞いて会社に「今日は夕方まで帰れないかもしれない」と連絡する。夕方どころではなかった。診察のあと、確認したこともあったが、病院を出たのが夜の7時半過ぎ。

色々の検査をしている過程で、手術を入院してやるか、日帰りでやるかをこの場で決めて欲しいと言われる。日帰りだと6ヶ月先の8月にはできるが、入院となると、もっと後になり、今は大抵の人は日帰り手術を選びますと言われる。ここまで言われると「日帰り手術でお願いします」となる。なお一度、選択すると後で変更できないとも言われる。近所の先生にも、手術の日取りは半年以上先になりますよと言われていたから覚悟はしていたが、凄いものだ。

また、この時、入れるレンズの度数も確認される。本を読んだり、パソコンをやるから、30pくらいがよく見えるようにして欲しいと要望をする。

手術の注意事項を書いたパンフレットを読むと、手術後1週間は頭や顔を洗ってはいけないとか、重いものを持ってはいけないなどの注意事項。手術時は夏の盛りでもあるし、これだったら入院の方が良かったかと思ったが、もう変更はできない。

3.手術

8月20日に右目、翌21日に左目と日帰り手術だが、手術が近くなると、果たして手術後すぐに家まで帰れるのかが不安になる。また翌日も手術したばかりの目で電車で行けるのかが不安になる。付き添い人は必須と言われているが、私は強度の近眼なのだ。タクシーで行き帰りをするならば、近くのホテルでも予約した方がいいのかと思い、病院に問い合わせる。「歩いて、電車で帰られる方もいますし、中にはホテルを取る方もいます」と、決断しにくい答えが返ってくる。

手術当日にホテルに泊まるのも別の意味で不安もある。そこでホテルの手配はせずに当日を迎える。前週に手術日の来院時間の連絡があり、妻と出向く。

指定された時間の10時45分に行き、血圧等を計り、まず顔を洗う。その後、瞳孔を開く目薬2種類をもらい、15分おきに付けて待つ。待合室には当日、手術をする人が入れ替わり立ち替わり40〜50人(付き添いも含めて)待っている。手術の様子を写したビデオを何度も流しているので、手術の時の様子がよくわかる。これは良いシステムだ。

1時過ぎに、順番となり、麻酔の目薬をさして、手術室に向かう。手術室の前で手術着を羽織り、キャップをかぶる。冷房のせいか、緊張のせいか、少し寒く感じる。手術室には2台の手術用のベッドがあり、1台で手術をしている最中に、もう一台の方で、手術の準備として目を洗浄したり、再度、麻酔をしたり、目を閉じないような器具を取り付けたりして待機することになる。待機と言っても手術はすぐ終わり、流れるように次から次へと手術が進む。ここではじめて手術着・マスクの赤星先生にお目にかかる。「○○先生からご紹介された伊藤さんですね。私が赤星です」とやさしく挨拶される。

甲田君から、手術は痛くないようだが、メスが目に近づいてくるのが見えるのが怖いようだと脅かされていたが、手術の時、強い光のライトを見るように指示される。そうすると逆光になるのか、メスなどは見えない。だからまったく怖くもない。もちろん痛くもない。ちょっと圧迫されるようなところを感じるくらいのものだ。

手術に関する資料を読むと、眼球を切って、濁った水晶体を超音波で砕き、吸い取り、そこにアクリルレンズを挿入するとあるが、本当に手際がよく、3分程度で終わる感じだ。あとで前の調剤薬局で話をしたら、赤星先生のように手際よく、早く手術をすれば、それだけ目に負担が少なく、術後の回復も早いと教わる。腕の良い職人仕事をする人は、誰も手際がいいのと同じだ。下手はゆっくり、丁寧にやっても下手だが、上手い人は手早いのだ。

終わったら、すぐにガーゼも取られ、「戻ってください」となり、看護師さんに連れられて、保護眼鏡をつけて、術着を着替え、待合室に戻る。この時点から目も見える。

10分後くらいに、術後の目薬、内服薬の説明を受けて、併せて生活上の注意等を看護師さんから聞き、精算をして帰宅となる。

別に歩いて帰れないこともないが、暑いし、不安だし、タクシーで妻と自宅に帰る。夏の午後の時間帯であり、空いていて秋葉原から本八幡まで5800円くらいで済む。

(いらざる助言4)
白内障の手術は日帰りでも問題がない。

当日は、テレビにゴーストが出たりして、少し憂鬱となり、早く寝る。術後一週間は寝る時に保護眼鏡というゴーグルみたいなものを付けなくてはいけないから、眠りは浅くなる。

翌日は、心配していたゴーストも消えていた。都営新宿線は本八幡始発だから岩本町まで座っていけるし、大丈夫そうだからタクシーを使わず電車で妻と出向いて、左目の手術を行う。左目の方が簡単だった気がするし、術後のゴーストなどもなかった。痛み止めの薬ももらっていたが、結局、服用する必要はなかった。

(いらざる助言5)
白内障の手術は、痛くもないし、怖くもない。ただ術後1週間に保護眼鏡をかけて寝たり、頭が洗えないのが苦痛。

後に、赤星先生が「神の手」とTVで紹介される番組を見ていたら、1日40人、年間6000人の手術をされることを知る。(この時のTVはやらせが入っており、術後、目を覆っていたガーゼを、TVの前で初めてとり、患者さんは「わぁー、よく見える」と演出。実際は、手術が終わればガーゼはすぐ取り除かれる)

翌日、術後診察ではじめて素顔の赤星先生にお目にかかる。視力は裸眼で0.2〜0.4程度に回復して、経過も良いとのことであった。ありがとうございました。

(いらざる助言6)
医師の世界は名医でも、ヤブでも料金は同じ。こういう手術は職人芸だから、名医と呼ばれる医師の方がいいに決まっている。下手は丁寧にやっても、時間をかけても下手なのだ。これはビジネス一般に通ずる。ただ、近所の眼鏡屋に聞いたが、このように有名な先生への紹介状を書くのに、暗にお礼を要求する不届きな医師もいると聞いた。自発的にお礼をするのならともかくとして。

4.術後

術後、しばらくは感染を防ぐための抗生物質や抗菌剤を飲む。この為、おなかがひどい下痢となる。ただ痛みはない。「痛みがないようなら、この薬を続けてください」と言われ、所定の日数続ける。その後、薬の作用が薄れるにつけて、不思議なことがおこる。

大便の量が以前に比べて、格段に増加したのである。見事な健康的な便の色と、恐ろしいほどの量である。医師の甲田君にも言ったのだが、腸の中の悪い菌を殺すために、時々、抗菌剤を飲ましてもらうのも良いのではないかと考えている。

(いらざる助言7)
この現象は、内科医療関係者に真剣に考えてほしい。もっとも、こういう治療法はあるのかもしれませんが。また、自分の本来の便の量を知り、現在の腸の健康状況を把握しておくのも大事ではなかろうかと感じました。

術後1週間は前述したように「頭、顔を洗えない(首から下の入浴は問題なし)」、「保護眼鏡をかけて寝る」「重いものは持ってはダメ」の生活。水を使わないシャンプーとかで2日目、3日目と過ごすが、我慢が出来ず、妻の行っている美容院に行き、仰向けで頭を洗ってもらう。生まれてはじめて仰向けで洗ってもらったので、首に力が入ってしまい、疲れ、妻に笑われる。

(いらざる助言8)
女性なら普段から仰向けで頭を洗ってもらっているから問題がないのでしょうが、私は本当に首が疲れた。リラックスして洗ってもらってください。

重いものはダメと言われるが、暑い中、庭の植物がかわいそうになり、水をやろうとしたら、ホースの口が調子悪い。そこでバケツで水をやりだしたら、「この木にも、この草にも」となって都合バケツの10杯以上も運んでしまった。

(いらざる助言9)
何もなかったから良かったが、こんなことをしてはいけない。医師の言うとおりに過ごすべき。

5.仮の眼鏡

前述したように、以前は0.1以下のド近眼だったのが、裸眼でも0.2〜0.3の視力となり、ぼんやりするが暮らせないことがない状態まで回復する。本を読む分も差し支えない。たいしたものだ。ただ従来の度の強い眼鏡が使えないので、0.2〜0.3の視力の世界でしばらく暮らさなくてはならない。仮の眼鏡を作り、視力が安定するのが3ヶ月くらいかかるとのことだ。

白内障の手術が済んだら、近くにある懇意の眼鏡屋さんで作ろうと考えていたが、いずれにしても検眼してもらう必要があり、三井記念病院で検眼してもらう。仮の眼鏡を作るための検眼だが、非常に丁寧に検眼してくれる。そして遠近両用のレンズの場合は、こうなりますと、そのレンズも合わせてくれて体験できる。遠近両用は慣れが必要なようだが、仮の眼鏡の段階では煩わしくなって断り、近視用の遠くに焦点を当てたものとする。

そのような相談をしている流れで、三井記念病院にお出入りの眼鏡店で仮の眼鏡を作ることとなる。いくつかのフレームを出してくれる。やはり高いものの方がデザイン的にいい。若者がよく掛けている小さな楕円のフレームも合わせる。ファンキーな感じで面白いが、こう見えても社長だから、穏やかな品のいいものにする。フレームで48000円。それからレンズは、向こうの薦めるものを選んだら、10万円を超える。

今までは非常に度の強い眼鏡だから、レンズは薄くなるように良いものを選んでいたから、10万円を超える眼鏡にも驚きはしないが、前日、娘から「5000円で作れるよ」とかの話を聞いていたから、少し自己嫌悪になる。「3ヶ月間は合わなくなればレンズは無料で交換します」と言われ、納得する。

ただ、私も少しはしたたかなところがあるから、「少し安くしなさいよ」と1万円ほど値引いてもらう。

また、「眼鏡代も税金の医療費控除の対象になるんでしょうね」とも確認する。税務署によって違いがあるが、術後すぐの眼鏡代は控除になる地域が多いとのこと。(こういうのも裁量行政の悪いところだ。フレーム代は全額は対象にしなくてもいいですが、どの税務署でも共通に医療費控除を認めるべきです)

2週間後からは、紹介してくれた眼科医で3ヶ月間ほど術後の経過を診てもらうことになっている。行くと、「仮の眼鏡、どうしましたか?」と尋ねられる。これこれしかじかと説明すると、「言っておけば良かったですね。あそこで作ると高いですよ。仮の眼鏡を老眼で作る人には100円ショップの老眼鏡を薦めているんですよ。壊れやすいですが、1ヶ月に1個でも3ヶ月で300円ですよ」「先生、本当に事前に言ってくれたら良かったのに」と。

(いらざる助言10)
三井記念病院の眼鏡屋さんは、値段はともかくとして、眼鏡そのもののはキチンと作ってくれる眼鏡屋さんで私は不満はないが、この話、ご参考にしてください。近くの眼科医が言うように、後々の修理、調整のことを考えると、眼鏡はご近所の眼鏡屋さんの方が良いと思います。また老眼だけの人ならば、仮の眼鏡の段階ならば100円ショップの眼鏡屋さんでいいのかもしれません。

6.その後

術後3ヶ月間は、近所の眼科医でアフターケアがあり、後半は2週間に1回程度になるが、通院が必要である。

ベガモックスという点眼薬の副作用とのことだが、眼瞼(目頭)が少しただれが出ている。先生はこれら目薬を使っている最中は、まだただれを直す薬は使いたくないとのことだ。

仮の眼鏡の方だが、3ヶ月後に視力を測ってもらったが、私の場合はほとんど変わりはなかった。

術後、知人から手術のことや、経過を聞かれる。母上が赤星先生に手術してもらった人の話も聞いた。この方は先生の高名を慕ってお願いに行き、入院で手術されたそうだ。ちょうどその時期、赤星先生が腰を悪くされ、一時は先生による手術ができないとなり、がっかりされたそうだが、無事、先生の腰も治り、念願通り手術していただいたそうだ。外科手術をやる医師は肉体労働だし、眼、手先に神経を使うし、大変だと思う。(吉村昭の短編「眼」はアイバンクのための眼球を死者から提供してもらう医師の話だが、日常から手術の為の手を重視して、重い鞄などは自分で持たず、指先の爪の伸び具合にも常に気をつかう医師の姿が描かれている。手術とは手の術なのだ)

画廊の店員さんは、ご自分も白内障が進んでいるようで、手術の様子を詳しく聞かれる。「痛くないか」、「怖くないか」、「見えるようになるか」が質問の核心である。痛くないし、怖くないし、見えるようになるが答えである。

側で聞いていた店主は「自分は目薬をさすのも怖い。目薬をさす時は目を開けないで、どういうわけか口を開けてしまう。そして直接、目にささないで脇から流し込むようにする」と言う。こういう人にとっては恐ろしい話なのだろう。

7.後日談1−簡易保険−

非常に腹立たしくも馬鹿馬鹿しい電話を郵便局(民営化して名称が変わっているが旧名で記述する)から受けた。9月中旬に会社で、私も含めて社員全員が簡易生命保険に加入した。満期が来たから継続しただけである。

その時は手続きが終了して、お金も払いこんだが、11月にかかってきた電話で、私の問診表(自己申告記入のみ)がもとで加入が出来なくなる可能性があるとのこと。問診表において、白内障の手術のことを記した以外に断られる理由もなく、当該郵便局員も困っている様子。「白内障の手術で生命保険が入れないわけはないだろう、郵便局はおかしいんじゃないか」と怒ったが、糖尿病からの白内障と疑ったのかもしれない。「ここにいる社員よりも、オレの方が健康だ。見てもわかるだろう」と集金に来ている郵便局員に言ったが、間にいる郵便局員は恐縮するばかり。「調べにくればどうだ。問診表に自己申告記入だったら、かえって郵便局がだまされるだろう。何なら診断書をもらってこようか」と言ってもダメ。官僚的な郵便局は、簡易保険を悪用されているのではなかろうか。

(いらざる助言11)
こんな簡易保険制度を運営している会社。年金と同じで将来的には行き詰まると思います。民営化で上場されるようになっても株は買わないこと。

8.後日談2−眼科医と眼鏡屋−

アフターフォローの眼科医が「伊藤さん、遠近両用レンズの方が便利ですよ」と言う。自分自身も、近くを見る時は眼鏡を外しているのに煩わしくなっており、「先生、お願いします」と、処方箋を書いてもらう。

(いらざる助言12)
確かに、遠近両用レンズの眼鏡の方が便利だ。今は三井記念病院で作った近眼用はほとんど使っていません。妻は高いのにもったいないと言うが、元々眼鏡を掛けていた人間は予備の眼鏡の必要性を認識しており、それはそれで良いと思っています。近眼から老眼に進んだ人は遠近両用にすべきです。

そしたら眼鏡の処方箋に「○○眼鏡」との宛先。近所で作る時は懇意の眼鏡屋で作ると決めていたから、看護婦さんに「これ、宛名が書いてありますが、別の眼鏡屋さんでもいいのでしょ?」と聞く。看護婦さんは「○○眼鏡さんはよく作ってくれるから、できればそこに行ってください」と。

目薬をもらいに行った調剤薬局の人にも確認すると、「処方箋があればどこでも大丈夫です」と。

懇意の眼鏡屋に、この処方箋を持参すると意外なことを聞かされる。「伊藤さんだから言いますが、○○眼鏡さんから、先生にバックマージンが行くようになっているんですよ。実は私のところも昔、あの先生から処方箋をもらい、先生に15%のマージンを払っていたのですが、○○眼鏡はそれ以上を提案したのでしょうね。だから先生からの処方箋は最近は来なくなりました」と。

日本の医療行政は、こういうのを放置しているのでしょうか。税務署はどうしているのでしょうか。

もっとも、この懇意の眼鏡屋さんから「近くの××先生は一切こういうことをしない先生です。私の方がもちかけたら、ひどく怒られました。腕も良いし、いい先生ですよ」という情報も教えてもらう。

(いらざる助言13)
眼科医と眼鏡屋の不当な癒着を許すべきではない。しっかりしろ厚生労働省。お世話になった眼科医だが、今は××先生のところに行っている。

9.後日談3−税金控除−

2007年の税務申告で、これら医院の治療費領収書とともに、三井記念病院の眼鏡代も、また日経ビジネスに手術時の交通費も税金控除の対象になると書いてあったから、日帰り手術をした時のタクシー代も堂々とつけて医療費控除の申請をいたしました。

10万円を越える分についての控除ですからささやかなものですが、税金の還付を受けられました。

(いらざる助言14)
手術が決まった時から、今年は医療費が10万円を超えると判断して、医療費関係の領収書はキチンと整理しておきました。梅澤君は医療保険がおりたそうですが、そうでない場合は、このくらいの意識を持つ方が国民として健全ではないかと考えます。なお、三井記念病院の眼鏡屋さんが言っていたような市町村によって、術後の眼鏡代の取扱いが異なるような裁量行政の余地は改めるのが当然と思う。

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