「松江」

神保 公子

松江に来たときお腹にいた二人目の子が今年成人した。物心ついてから結婚するまで過ごした千葉生活よりも、松江生活のほうが長くなる日もそう遠くない。ときどき帰省しているし、実家は高校時代からほとんど移動していないけれど、千葉の町が随分変わってしまったから、今千葉高まで行こうと思っても多分迷子になるだろう。

夫は江戸っ子だし、核家族だから、内側から松江文化にどっぷり浸かってしまったわけではないが、3人の子は全員出雲弁まるだしで育ったし、私自身、段々イントネーションが怪しくなりつつある。帰省した時でさえ、ふと出雲弁が口をついて出て苦笑することがあるようになった。

千葉県人ではなく、松江でも相変わらずのヨソ者の私の故郷は一体何処なのだろうと、このごろふと思うのだが、ヨソ者であるにもかかわらず、いや多分ヨソ者だからこそ、私は松江が大好きなのだろう。

 

私が松江を好きな理由(わけ)

 

その1; 江戸時代の町並みがそのまま活きていること。

松江は、江戸時代の城下地図と現代の地図をほぼそのままぴったりと重ね合わせることができる町である。
松江は、江戸時代の初めに松江城築城とともに計画的に建設された城下町だが、戦災や大災害にもあわなかったため、地名にわずかに名残をとどめるなどというかたちではなく、基本的な町並みそのものがほとんど変わらずにまるごと後世に伝えられた。
そのため道幅が狭く、袋小路も多く、いくつかの交差点は敵の攻撃の勢いをそぐために鉤型路になっていて車の通行には誠に勝手が悪い。が、そこは運転手の腕のみせどころ、大きなバスがすれすれの所で器用に方向転換して、文句も言わずに走っている。
町全体が文化財と言っても過言ではないと思うが、誰も特にそれを意識することなく、すっぽりそのまま受け入れて、淡々と今の暮らしが成り立っているのだ。
江戸時代の古地図に導かれながら歩ける町など、今の日本にどのくらい残されているだろうか。

その2; 暮らしの中に抹茶文化がさりげなく息づいていること。

「お茶、如何?」と言う言葉から、どの様な情景を思い浮かべるだろうか。 コーヒー? 緑茶? はたまた飲茶?
ここ松江では、お宅にお邪魔すると、さりげなく気軽に“おうす”(抹茶)が出される。点て出しだが、美味しい一服である。むずかしい作法はいらない。足がしびれる思いもしなくてよい。別に誰もが茶人だというわけではなく、日常の暮らしの中に当たり前のこととして抹茶茶碗と茶筅が存在しているのである。松江藩七代目藩主松平治郷が茶人不昧として名を馳せた流れを受けているのだろう。
誰もが気軽に参加できる茶会が催される機会も多い。大きなものでは毎年秋の松江城大茶会。松江城二の丸に各流派がテントをはって茶席を用意する。いつものあの松がテントの中にとりこまれてすましている。石垣をバックに席が設けられていたりする。ジーパン姿でふらりと立ち寄るもよし、滅多に袖を通すことのない和服姿で訪れるもよし。秋の一日を城山周辺の散策とあわせてゆっくりと堪能できる。
毎月1回ひっそりと続けられている自由参加の茶会もある。大きな宣伝をしないので、松江の中でも知る人ぞ知るの世界だが、男性有志が流派を越えて、手作りの茶室で、点心、濃茶、薄茶を用意してくださる。私はお茶のことは何もわからないのだけれど、もしかしてこれぞわびさびの世界なのでは、と思わせられる。少なくとも、花嫁修業の場では、絶対に、無い。

その3; 身近に美しい自然が溢れていること。

松江に来て一番うれしかったことは、窓を開ければ山が見えることだった。今も、朝7時過ぎ、のんびり起き出して雨戸を繰ると、山の端が赤く染まって太陽が昇るのを居ながらにして眺めることができる。
千葉時代、山に行こうと思うと電車に乗ってまず東京に出なければならなかったが、今は、30,40分歩けば山にとりつくことが出来(標高は低いが)、半日で帰ってこられる。これを書いている11月28日現在は紅葉がとても美しい。もうすぐ雪化粧するだろう。3000m級の山が遠くなり、森林限界を超える山が大山しか無いのはいささか寂しいが、年齢を考えればこのくらいの山歩きが丁度良いのかも知れない。
海も近い。車で15分走ると、日本海に出る。水がきれいで底まで見える。海水浴は勿論、磯遊びや釣りを十二分に楽しむことが出来る。それも気軽に。
春は土筆やわらびのお浸しにふきのとうやたらの芽のてんぷら、春蘭のお吸物を食卓に並べ、夏は夕涼みがてら蛍見物に、秋は軒先に柿を吊るし、つるを集めてはリースや篭を編み、冬は宍道湖にぷかぷか浮かぶ渡り鳥の群を見にいく。いつまでもこの環境を失いたくないと強く思う。

松江のここがちょっぴり不満

その1; 「その他大勢」になれないこと。

松江市の人口は14万人強。千葉市の何分の1だろうか。県庁所在地としては山口市、鳥取市と最下位を争っている。(ところで皆さんは松江市が何県の県庁所在地かご存知ですよね。私が松江の住人だと知って、鳥取砂丘の話をしたり、四国の話題に終始した人ー松山と混同ーに何人出会ったことか。かく言う私もこちらに来る前鳥取と島根の区別が明確だったかどうかちょっと自信が・・・)
少ない人口のためか、出かけると必ず知った顔に会う。誰にも会わずに帰ってきたつもりでも、後日、「いつ、何処にいたわね」などと言われてしまう。油断も隙もない。近所づきあいの暖かさが生きているのは嬉しいし、人混みが嫌いな私には程良い人口密度だと思うが、時には雑踏の中の孤独を懐かしく思うこともある。友達の友達は友達で・・・という調子で、初対面の人ともどこかつながりがあるというのも、親しみを覚えるとともに怖さを感じてしまう。「その他大勢」の気易さがないのは、ちょっぴり肩が凝る世界でもある。

その2; 大きな展覧会が山陽側を素通りしてしまうこと。

東京→大阪(または京都)→(せいぜい広島)→ 九州
新幹線が通ってないっていうのはこういうことなんだろうな。
大体、受け入れられる大きな会場すらないのだから致し方ないのだけれど、ホンモノに会う機会が減ったことは寂しいことこのうえない。

その3; 冬に蒲団が干せないこと。

当地の冬は積雪はほとんどない。でも、晴れない。
日向のかおりのするふくふくの蒲団にくるまって眠るのは至上の喜びだが、冬季はそんな日が非常に少ない。でも、適度な湿度は肌や喉にはありがたい。冬、千葉に行くと、私は乾燥した空気にすぐにやられてしまうようになった。
山陰の冬は寒いだろうとよくきかれるが、突き刺すような関東の冬より、「おんぼら」した山陰の寒さのほうが体には優しい気がする。

1998.11.28.記

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特に遊覧船から見た観光案内も面白いです。


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