狭い庭には母が植えた「西王母」「卜伴(ぼくはん)」「白卜伴」「白玉」「春曙紅(しゅんしょっこう)」「胡蝶侘助」「有楽」「白侘助」「紺侘助」「覆輪秋の山」などの椿があった。
私は、母が生きている時には園芸などにまったく興味がなかった。母はよく「自分が死んだら、庭の木をどうするのかね」と言っていた。が、不思議なことに亡くなって2年目に、急に椿の美しさに目覚め、この狭い庭を手入れするようになった。
胡蝶侘助(一重、侘助咲き、極小輪) | 有楽(一重、筒咲き、小輪)太郎冠者ともいう |
美しいものはいつの時代でも愛好される。椿も江戸時代には各地で盛んに栽培されており、江戸では二代将軍秀忠が愛好し、江戸城御花畠に各種椿が植えられていたと伝えられている。この伝統を継いでいる江戸や、茶道が盛んな地域である京都、名古屋、金沢、松江、熊本などで栽培・品種改良がすすめられていた。「百椿集」という綺麗に彩色された本も出版されていて、そこには現代にも存在する品種だけでなく、何と青い椿が描かれているそうだ。江戸時代には青い椿があったのであろうか。ロマンをかき立てられる。
1860年に来日したイギリス人園芸家リチャード・フォーチュンは、「私は世界中のどこへ行っても、こんなに大規模に、売り物の植物を栽培しているのを見たことがない」と江戸=東京の感想を記しているそうである。確かに朝顔、万年青、菊、花菖蒲、牡丹、ツツジなど、品種の数は凄いと思う。
椿=カメリア・ジャポニカ
Camellia japonica は、植物学のカール・リンネが日本に来た宣教師のゲオルグ・ジョセフ・カメルスの業績と人徳をたたえて東洋の代表的な椿に、このような学名を付けたと聞いた。日本が原産国である。美しいものはいつの時代でも愛好されるのと同様に、どこの地域でも愛好される。日本が開国して、日本の文物が海外に出た時に、各種の椿も一緒に外国に紹介され、19世紀には一大ブームになったと言われている。そしてデュマ・フィスは「椿姫」を書き、ベルディが
1853年にそれを歌劇に仕立てている。明治以前の鎖国の時代にも、椿はシーボルトや、交易商人によって、持ち出されていた。ポルトガルには樹齢300年の古木が存在している。またドイツ・ドレスデンのピルニッツ宮殿には、たった1本の江戸椿のために巨大な移動式温室が設けられて大事にされている。
これらのことは2003年の江戸開都400年記念に「未来都市江戸 時空の花園」という
TV番組で紹介されたから、ご覧になった方も多いであろう。現在、日本では約3000種類を超える品種が栽培され、欧米でも新品種が次々と造られている。椿は新しい品種が造りやすい植物であるが、花の形で分類すると、一重咲き、八重咲き、千重咲き等など約10種類の花形がある。下左の「乙女椿」は千重咲きである。下右の「卜伴」のように唐子咲きは雄しべや葯が花弁に変形したものである。また「荒獅子」のように獅子咲きというものもある。
乙女椿(八重、千重咲き、中輪) | 卜伴(一重、唐子咲き、中輪) |
荒獅子(八重、獅子咲き、中〜大輪) |
椿は一重咲きが多いが、その中でも、咲き方の形状によって、猪口咲き、抱え咲き、ラッパ咲き、筒咲き、平開咲き、盃咲きなどがある。
椿の花色は、白色から桃色系を経て紅色、黒紅色、紫色まで各様に存在している。また、白地に出る絞りと、紅地に出る斑入りなども存在する。近年は中国雲南省から黄色椿が輸入されて、品種交配によって黄色の椿が出現している。
下左は「黒侘助」で暗赤色である。下右は「蝦夷錦」で白地や淡桃地に紅色縦絞りが入る華やかなものである。
黒侘助(一重、抱え〜ラッパ咲き、中輪) | 蝦夷錦(八重、蓮華咲き、中輪) |
花の大きさも大輪から極小輪まで15p〜3p程度まで存在する。
我が家に「玉之浦」という品種がある。赤のヤブツバキの花弁の外側に白く縁取りされるきれいな椿である。この写真は残念ながら白の縁が少ない。
玉之浦(一重、ラッパ咲き、中輪) |
この椿は昭和21年に五島列島の玉之浦町の山中で、炭焼き業者が偶然に見つけたものである。昭和48年2月、長崎市で開催された全国ツバキ展で発表されたのを機に全国的に有名になった。
原木は傾斜地に自生し、樹高6
m、根回り1mと報告されたが、その美しさから、園芸業者、愛好家などが、挿し木、接ぎ木にするために、どんどん切り取り、ついには枯死してしまったという悲しい物語を持っている。茶道の盛んな地域で品種改良がされていると前述したが、次の「西王母」は金沢の名椿で、名からわかるように桃に似ている。秋口から咲くので炉開きにも重用されている。
西王母(金沢、一重、筒咲き、中輪 |
また肥後椿という細川藩の武士が愛好し、育ててきた品種群がある。肥後細川藩は藩祖の細川幽斎、忠興親子の影響か、文化レベルが高く、六代藩主の細川重賢の保護もあり、肥後六花(シャクヤク、菊、椿、朝顔、花菖蒲、サザンカ)と言われる独自の花が存在する。
その一つが肥後椿なのである。これは雄しべの葯が見所である。愛好家は黄色の豪華な葯(梅芯と呼ぶ)を鑑賞する。また根をうまく使った盆栽仕立ての鉢など、素晴らしいものがある。往時は武士が花連という閉ざされたサークルを結成して、門外不出で栽培してきたものである。
日月星(一重梅芯、平開咲き、大輪) |
上の写真の「日月星」のような斑入りの品種は枝替わりが出やすい。枝替わりとは、同じ木であるにもかかわらず、
枝によっては斑入りではなく赤い花が咲いたりすることである。これが面白い。我が家では「覆輪秋の山」「光源氏」「蝦夷錦」それから「玉之浦」に出たことがある。
下左は「光源氏」であり、下右は枝替わりした赤花で「紅牡丹」とも言われている。これが同じ木に咲いているわけである。光源氏(八重、牡丹咲き、大輪) | 紅牡丹(八重、牡丹咲き、大輪) |
枝替わりだけでなく、年によって花が違うこともあるのも楽しい。「絞り初嵐」は白い一重の椿に、赤いペンキを吹きかけたような点々が入るが、去年までは薄いものだったのが今年は、左の写真のようにかなり明確になっている。「玉之浦」も、年によって、白い縁取りが明確に広く出る時とそうでない時がある。
絞り初嵐(一重、ラッパ咲き、中輪) |
日本人には一重の椿を好む人が多いが、外国は豪華な椿が好まれる。もちろん日本にも豪華な椿は存在する。「薩摩」は鹿児島の島津家の磯庭園に原木がある椿である。純白の千重咲きで、左の写真のような大輪の花を咲かせる。真紅の品種もあり、こちらは「薩摩紅」と言われている。
薩摩(八重、千重咲き、大輪) |
次の「菱唐糸」「羽衣」も花の形が面白いであろう。
菱唐糸(八重、唐子咲き、中輪) | 羽衣(八重、中輪) |
椿の花の良さを知るには一輪ずつ見ることだと思う。桜や梅は樹全体で花を見てもいいのだが、椿は葉の下に隠れている花など、一つずつ愛でていきたい。お茶人が「白玉」の蕾を愛でたように蕾も美しい。
白玉(一重、椀咲き〜平開咲き、中輪) |
椿の良さは花だけではない。葉も魅力的である。艶のある濃緑の葉からツヤバキとなったのが椿の語源という説もあるようだ。江戸時代は、花だけでなく椿の葉に凝る人も出た。今も品種として残る「金魚葉椿」である。本当に葉っぱが金魚の形になっている。各種の斑入りの葉も珍重された。
椿の木には横に張っていくタイプもあるが、5bくらいには成長するようだ。各地に大きな古木がある。木は堅く、炭にすると火持ちがいいと聞いた。庭が広ければ高くするのもいいが、我が家のような狭い庭では背を低く切りつめて花を楽しんでいる。
それから、椿がいいのは、椿があることによって鳥が来ることである。我が家は市川市本八幡の市街にあるが、椿の蜜を吸いに、ヒヨドリ、メジロが毎年やってくる。特にヒヨドリは「覆輪秋の山」の蜜が好きなようで、この花をめがけてやってくる。以前に、この貧弱な「覆輪秋の山」にヒヨドリが巣をかけて卵を産んだことがあった。大風で卵は落下してしまったが。
覆輪秋の山(一重、ラッパ咲き、中輪) |
椿は元々が日本原産であるように、育てやすい。極陰樹ということで日陰でも育つ。挿し木も簡単で、増やすことも容易である。実は椿油を取ることでも有名だが、実から育てると先祖帰りをしてヤブツバキになることが多い。なおヤブツバキと言うとどこにでもあるようで低く見る人もいるが、どうしてどうしてその魅力は馬鹿にはできない。
銀閣寺の入口のヤブツバキの大生け垣や、京都の念仏寺や、法然院で見た竹やぶの中で咲いているヤブツバキの風情など本当にいいと思う。
念仏寺 | 法然院 |
椿の季節になると、妻と時々、ご近所椿巡りをすることがある。自分が関心を持ってから、ご近所のお庭を眺めると、良い椿が咲いていることに気がつく。楽しませていただいている。
椿について、「首が落ちる」から縁起が悪いと嫌う人もいる。母が好きだったから、お墓に植えようとしたら、石材業者が椿は「縁起が悪い」と私にアドバイスをした。こっちは気にしていないが、お寺さんに迷惑をかけるといけないと思い、一応は確認したら、お寺さんの方はもちろん気にしていない。
椿の数多い品種の中には、サザンカのように花弁が散るタイプ(有名なのは京都地蔵院の五色八重散椿)や、首が落ちないで枯れるものも存在している。椿愛好家は後者のような花を「樹上枯死」タイプと言って、枯死して黄褐色に変色した花弁が木についていることを嫌う。
さざんか(富士の峯) |
京都の寺にはいい椿が多いが、椿の花が苔の絨毯の上に無数に落ちている景色や、その落ちた椿をつくばいにいけてある景色など、さすがと思える。皆様もこのような風景を撮った写真を見たことがあるはずだ。花弁がきれいな内に落花しなければ、このような風情は見られない。