1.体育祭の朝、仮装行列の朝
僕らが入学した年の秋口のことだ。つまり昭和40年の10月だったと思うが、葛城丘の上に残暑がかすかに残っている頃に行なわれた体育祭の、当日の朝である。
時計塔付きのアンチックな二階建て校舎が取り囲む中庭の、裏の東側に拡がるグラウンドには、一周が250メートル程の白いトラックラインが長円形に描かれていた。
白線は石灰で、まだ引きたてだから、多少の風で石灰粉が白粉みたいに散り出ていた。これだけすっきりと白線が引けるのはサッカー部顧問の、声が甲高い先生だけだった。
今朝になってやっと雨跡の乾き上がった赤茶っぽい砂地の上に、用の終えた紙の石灰袋が一袋ふわふわと、蒸す南風にあおられていた。前日に日本海側へと逸れた台風から、千切れて飛んでくる速い雲の流れは、まだ南西の上空から次々と連らなる気配だ。
しかし今朝は青空が拡がりそうだった。一週間前そして前々日と、二度も、生徒が一斉に総出してグラウンド面から目につく小石やガラス片などの危険物を拾い集めた。面白いほど拾えて、ブリキのバケツに四十杯分ほども集まったか。体育際の前に生徒が毎年やっている作業だとのこと。それでも拾い尽くせないのは、生徒が卒業しては毎年入ってくるごとく、校庭の土も、雨とか風で流出して減り、新たに補給されていた為だろう。
今朝のグラウンドは、すでに集まっている運営委員たちの手で本部テントの設営や、トラック周りに安全索を張りめぐらす作業が始まっていた。
動き回りながらも分担表に目をやり、作業進捗にきっかけを与えている生徒が一人いて目立つ。あれはうちのクラスのF君だろう。放送設備が持ち出されて、電源コードが一番近くの理科教室から何本か地面を這い、露天のスピーカーが単調な音声でマイクテストを繰り返しだした。
「…テスト、テスト…ええー、イッツァ・ファイン・トゥデイ…テスト、テスト」
急にキーンと混じったノイズで跳ね上がったりするテスト音の響きが、かすかに周囲から谺で返る。谺は、グラウンドの真上に青い穴が覗き出た大空や、流れ去る雲へ吸われて行った。学校の裏手である運動場の周辺一帯は当時、畑作地が多く、余り込み入った集落は無かった。隣接する葛城中の校舎が唯一高い建物であったような記憶がある。
今朝は、徒歩や自転車で通学する生徒が、北向きの正門に現われ始めたのはいつもの朝より早めだ。県庁脇から千葉寺方面へ抜ける狭い旧道を来て、石井クリーニング店の手前で左折し、亥鼻保育園を左に見、次に右へと急勾配のカーブ坂を登る生徒の多くは、運動着を詰めたナップサックだけを軽そうに学生服の肩に掛けていた。だが、生徒の中には、隠し蓋をした紙袋の膨らみを大事そうに提げてくる少年もいた。僕と同じクラスのB君もその一人だった。中身はちゃんと目的があって、仮装行列の衣装なのである。
さて、体育際の準備を各クラス別に見ると、生徒の誰が何の種目に出るのかは疾っくに割り振ってあった。
手刷りの競技プログラムに名前も載っている。が、本気でトラックを走ってみようとするような覇気のある生徒は、運動部以外には希だった。
程々にやっておけば用の足りそうな種目を、多くても一人が二つ位ずつ選んで申し込んであるのだけなのだ。たとえばピンポン玉を運ぶスプーン競争だとか、チームでやる風船尻割りゲーム等だ。
午前中に一つ、午後に一つという程度の暇な出番は、中学校の運動会の動員主義に比べたらまるで楽なもの。1300人もいる、小生意気で、鏡しか気にしていない年頃の高校生が、日向で汗の出る競技なんかに関心を持つはずがない。
そんな競技の件より何より、今朝僕たち一年生が、いや、クラスによってはその一部の者が登校に心急いだのは、お義理でパン食い競争のスタートラインにダラダラ並んだり、サイダー飲み競争でむせたりするのを、嬉しがる為じゃなかった。午後、一年生には生まれて初めて経験することになる、生徒による仮装行列大会があるのだ。この種目だけは中学時代には無かった。しかも、自分たちで好きに紛装を凝らし、衆目の集まるグラウンド一周へと出陣する予定だ。僕もそぞろに心が騒いだ。
自分以外のものになる、すなわち仮装するという行為は、「下らねーな!」と最初は内心バカにしても、そのうち魅入られたように段々と下準備に入れ込むものである。その心持ちに至る、僕らの小班が経験した少々の出来事を次に述べようと思ってる。
2.先生と父、父と先生
ちょっと遡るけど、この話は、四月の入学したての日から始めた方がいいと思う。
入学式後、僕が配属された組は、クラス担任が、生徒を悲しそうな目で教室に迎えた。五十余人の十五歳を相手するには、彼は外見の印象はいささかくたびれていた。教壇に長らく居すぎて毎日、毎月、毎年、同じ授業を繰り返した為か、もしくは元々の性格のせいなのか。とにかく、今から少年達に何かを期待する、生徒と一緒になにかをするというような気配が、殆ど顔に現われていない先生だった。
僕のせまい経験から言うと、中学時代、例えば教師によっては、自分の受け持ったクラスが運動会とか試験の平均点で他を抜く良い成績を上げると、教員室や他のクラスで誇る人だっていた。子供達の努力を愛惜する為だ。そういう教師は自身でも将来に何らかの目標を抱いており、日頃から向上心を研いでいるから、つい周囲へも発奮の動機づけをしたがるものだ。そんな担任のクラスに当たった生徒の中には、いつの間にか先生の姿勢に感化されて励む子もいる。後年へ繋がる親しい師弟愛の生まれ出るチャンスだろう。
僕たちが今度当たったクラス担任は、違う。たとえば、水気のある畑を生徒とすると、そこに偶然落ちた種はやがて勝手に芽を出すが、この担任は発芽を見付けたときのお百姓のような顔をし、時々ニッと笑むだけである。彼は生徒に積極的に働きかけないが、発芽したものは大事に見守るというタイプなのだ。
県下一進学率が高いので有名な高校に勤めているにしては、生徒の指導に睨みを利かさないような先生だ。気弱なその姿勢が自ずとどんな場面にも現われ出たはずで、老若のいる職員室でも、一目置かれず、生徒指導の主流には成りえぬ人だったようだ。彼は、教え子との距離をふくめ、外界とどう関わろうとしている人間だったのであろうか。
よくホームルームの時間などで、生徒に聞かす何げない話題へ口を開く前ですら、彼は何度も、ひっそりと溜め息を洩らしていて、聞く者の気を痛ましくさせた程だ。その時の担任の目が、実に寂しげで悲しそうだった。下目蓋に、疲れたような隈が浮き出た様も、その印象を強くした
生徒一人一人の上に長く留めようとはしない視線が謙虚に見える。そして正直者らしく笑む彼の表情だけをもって、年の離れた彼を敬い、素朴で欲のない良い人だと認める旨を発言する生徒も多い。
だが、僕は、泣き笑いのように暗く曇り勝ちな彼の目の、焦点の定まりの無い視線の先に彼が見ていたのは、必ずしも目前の生徒ではなかったと思っている。たぶん彼自身の持つ畏れを眺めていた。それがどんな原因によるものか、十五歳の少年の目では分からなかったが、親しめそうでいて実はそうではない何か、例えば一瞬にして翻る心の影。それは父と同一線上に見ていたからかもしれない。
当時、家で僕は、四十五歳になる父親が取る行動に、ときに透け出て見える女々しい心の弱さがいやに目に付き、内心で父親を恥じていた。僕の目が、父の弱い一面を捉えだしたのは中学三年の頃からだ。背丈でとっくに追い越してしまった父を、僕は横目で見、欠点ばかりが目立つ男として、冷ややかに見下すようになった。
父は元々気が軟弱だったのだろうか。我が家の古い写真帳に残っている、中国大陸の奥深く万里の長城をも越えて八路軍との戦闘に数年も関わった男の後年だとは、とても思えないのだ。セピア色となった河南省時代の写真の、煉瓦営舎の庭に歩兵姿でいる、ゲートル履きの二十代の父。八路軍との間で、多数の戦友を失う白兵戦をも数度経験し生き残った父。が、もはや父の中で若さは滅んでしまい、女々しさだけが残っていた。
もし、世の中で一番恥ずべき、子供の手本にならぬ卑怯な男親を探すとしたら、自分の父であると僕は当時思い込みかけていた。自分がなぜ、こんな弱い男の息子として生まれてきたのか、そう思うと、父との血の繋がりが情けなかった。
父はまず酒にだらしがなかった。なぜという訳は知らないが、何かから好んで酔いへ逃避していたと言ってもいい。しかも酔ってから、ボクのお袋を打つことがあった。なのに素面の間は、一家の主人なのに、お袋に小言をいわれるのが嫌さに、朝から隠れ酒すらやるのだ。母が一升瓶を隠してしまうと、僕に酒を出してきてくれと頼む。ボクは父の哀願を断れない。父は朝の一杯が、次には昼の盗み酒につながる。さらには三時休みにも冷やを湯呑でグウッと飲み干し、やがて夕方頃はロレツが怪しいほどになっていた。
父は人を使って商売をしている立場だから、面と向かっては使用人は、まだ誰もオヤジに文句を言わない。もし父が勤め人だったらば、許されないことだ。
そして、類は同癖の友を呼ぶ。夕方になると、只の振舞酒にありつく為に訪ねて来ると分かっている誰彼に、父はいそいそとお袋へ言いつけてコップ酒を出させる。客にかこつけて自分もまた飲みたいからだ。やってくる友達も友達だが、その大元をボクの父が作っていた。息子として、だらしない父が、情けないったら無かった。
だのに父は、一歩でも家の外へ出ると、仲間内の付合いですら安心して酔うことが出来ず、宴会途中で早々と退席し、家へ戻ってきてしまう小心者だ。そして家で酔っ払うと気が大きくなり、必ずお袋を腐す。何でだろうとボクが思うくらいに、グダグダとお袋の短所を並べたてる酒癖だ。が、父は自身の非や、気の小ささを決して認めない。僕は、父の狭量な性格が、僕の中にも血筋で潜んでいるかと思うとやりきれなかった。
父のそういう一々の欠点と見えたものが許せなくなり、「アンタは男らしくない!」と非難し、お袋に加勢したこともある。ただし父へ向かって手を上げた逆上は一度もない。僕が父へ反抗し、そう叫んだとき、お袋が何とも複雑な表情をしたからだ。
だがいま年月が経って、当時の父の年齢の四十五、六を越えてみたら、当時のあんなことは何でもない常識なのだと分かった。オヤジは単に、我々食べ盛りの四人の子供と、その前では頭の上がらぬしっかり者の女房と、それに考えも無い呑気な使用人やその家族たちが、今後も安心して暮せるように、不安定な町工場を経営し続ける緊張ですっかり疲れてしまい、家の中では、時々酒へすがりに逃げていただけなのだ。
いま思えば父は、朝から年中酔っていた訳じゃない。そんな男に銀行が金を貸すはずがない。そりゃ、たまには、酒の上で行き過ぎの醜態があった。気の強いお袋の頭をビール壜で殴ったことだってある。額から血の出たお袋は寝ついてしまいながら、オヤジに意趣返しをするつもりで医者にかからなかった。それにはオヤジが恐れ入って、暫く飲酒を控えていた程だ。でも、それは家族だけが裏で知っていた姿だろう。
不思議だが、あんなに気の弱いオヤジが、けっこう世間の人からは一目置かれていた。少年のボクに、「あんたのお父さんは恐い」と言った人がある。商売の先行きが鋭く読める人だ、とか、手広く新たな仕事がやれる人だ、とかいう評判があって、僕には全く意外だった。父は、たまたま或る商売に手を着けると、それが当たっただけだ。決して息子の自慢になる、切れる男ではなかった。家族と世間の目は人物の見方が違うのだ。
でも今は、あれで普通の男だったかなと父を思い出す。世の中へ出て家庭を持ち、いくらかでも責任を果たそうとずっと気張っていたら、外見はいっぱしの男かも知れないが、疲れるに決まっている。家庭は骨休めの場だ。何か一つは息抜きも必要だ。例えばそれが少々の酒乱であっても、連れ会いが許す程度ならば、いいのじゃないか。
だが当時のボクの目に、父と同年齢のこのクラス担任は、大法螺を吹く酔っ払いのボクの父親と同じく、無様で、まるでダメな中年男に見えたのだった。
3.仲間−仔犬たちの群像−
入学後の所属クラスが決まった一番最初の日に、この担任は、クラス運営に必要な幾つかの係とか委員分担を、生徒と初顔合わせの場で任命した。いや、任命というよりはむしろ申し訳なさそうにお願いした、としておくほうが正しいだろう。
担任はどうやら、この二月末の入学試験の際に取った点数の高い生徒順に、覚え書きを印したクラス名簿から、今初めて気付いた名前みたいに、つっかえながら読んだ。彼が言うには、とりあえず委員の任期は第一学期だけということである。一学期中にクラス内の成績順が激変してしまう事があるのを、長い教職経験で知っていたのだろう。
十番目ぐらいに名を呼ばれた僕は、この担任が分けたところの清掃担当委員とかいうものになった。下らない仕事だったから内容は書かないが、同じく清掃委員にBという少年が呼ばれた。僕はその日のうちにB君と知り合いになった。
B君は、ひょろりとした背丈に載った小さめな頭が、春の畑の葱坊主の先のような感じの坊ちゃん刈り。顔立ちの見かけが末っ子じみていて、まるで、やんちゃな中学一年生みたいだった。実際、彼は同級生のクセを面白がって盗んだり、悩みを見抜いてお笑いのネタに拡大したりするので、いわば子供っぽさの抜けていない少年とじきに分かった。そんな悪戯をB君は休み時間にギャーギャー陽気にやってのけたのである。
でも底意地の悪さがなくって、憎めない少年だった。ところが僕にも、B君のように愛嬌よく剽軽にはやれないが、もっと辛辣に人を観察し、笑い飛ばしてみたがる悪い傾向が永らく密んでいたのだ。誰からその影響を受けたものか、あるいは元々が僕の中にあったものか、分からない。気付いたら高校一年の当初から諧謔が自分の中で抑え切れなくなっていたようだ。身の奥で、活発に生理変動の進む十五歳では、何の変化が起きても珍しい発露ではない。B君も僕も自他の批判力に目覚める時期にあったのだと思う。
で、清掃委員二人は一学期の間に、お互いのひねくれ根性を、口悪く腐し合いながらも気安く名を呼び捨てにし合う、冗談のきつい級友になっていった。
ところで、他に数人、口の悪いのジョークの遣り取りに、合いの手で付き合うか、あるいは無理矢理に付き合わされてしまうのを喜びとする、クラス仲間ができた。
その後者の中の一人が、病弱なC君だ。彼は十本の指の爪先が、異様に丸く膨れて、爪の下の肉や、唇がチアノーゼに近い黒紫色をしており、ごく大人しい少年だった。正確にいえば心臓病、若い十五歳の今ですらやっと生きていられる命の感じ。僕らの冗談に笑わされただけでも、C君の浅いらしい呼吸は、急に早まったかと思うと喉の奥が、ゼイゼイヒューヒューと木枯らし的に鳴り、尖った鳩胸が苦しげに細まるのだった。何をしても彼に付いて回るその欠陥が、いつもC君の動作を極めて慎重にしていた。
きっとこの少年はあまり長生き出来ないだろうな、いや成人するまであと五年も持たないのでは、とC君を知る誰もが、内心の震えるような確実な予感で思ったものだ。
でも、周りは彼に対して、そんな予感など口に出さずに付き合い、ジョークに笑わされた少年C君がこちらへ返してくる、冷たげな紫色の下唇をやや突き出す、しんみりした笑みを横目で盗み見ていた。彼のは、薄い命らしい実に寂しげな微笑なのだった。
「C君、身体のどこが悪いんだ。手かい、胸かい、頭以外は全部かい?」冗談にでも、そんな無礼を彼に問う、ジョーク好きの心冷たい奴はいなかった。
C君は、学校から普通の体操時間も参加を免除され、脇のほうで見学していた。
自分たちが生きているのに、やがて彼がいなくなってしまうだろうという予感が、C君との間にかすかな隙間を作らせながら、それでも僕らはC君を笑わせるのに骨折ったりした。少年時代の一時期の、ああいった淡い親交を何と呼んだらいいのだろう?
大学受験に備えるだけが教室の全てであったのではない。教室の中は、仔犬どうしが駆け合い、噛み合い、組んづほぐれつして互いの力量を確かめ、互いを認め合いつつ笑って育つ場に似ている。仔犬は、ひとりでは楽しそうに駆けられないものだ。
クラスに入ってから確か……五カ月半後にB君が、体育祭の仮装行列のアイディア出しに入れ込んで、周囲の僕らをC君までも含め、その行事に引き込むことになる。
4.カソウギョウレツ
10月の体育祭のだいぶ前、ホームルームの時に、僕らのクラス担任は顔にほとんど熱意なしに、競技への参加記入表を配った。一名がせめて二種目ぐらいは出てくださいよ、と例の、下目蓋に隈のある暗い悲しそうな目を見開いて言った。先生は、競技に出る、出ないは各人の自由選択に任せますがね、とも放任的に付け足した。
彼の言うところを聞けば、各学年とも数クラスずつで一つの合同班を作り、鉢巻を色分けした班の間での得点争いが一応はある、らしい。だが体育祭の件は、子供に飽きてしまったこの担任にはどうでもいい問題だ。でも、彼は簡単に説明はした。
「それに、クラス別に仮装行列もあるのですがね」と深い溜め息を吐きながら最後にこう言った。「ええと、このクラスでは、仮装の…ナニをどうしますか?」
このナニとは仮装行列参加のことだろうとクラスは理解した。担任は言葉が思い出せないときは、彼の口癖である「ナニ」で全て代行するのだ。出ますかどうしますか、等とよそごと風である問い方も、彼の悲しい癖だ、とこの頃には分かっていた。
この時点ではクラスの誰もが、ナニをするかしないか興味は無いように黙っていた。
いきなりカソウギョウレツと言われたってピンと来ないのだ。五十対以上の若い目玉が向いていると、担任は今までよりも困って、招きタヌキような分別顔をした。
「あれですな、じゃあナニを、エーと、仮装行列をナニする件も皆さんの意思にお任せしましょうということで……ハハハ。何せ前々からの準備が大変ですよ、ナニは。行列に出るんだったら皆さん事前に苦労します。まちがいなしだ」
そこで生徒から目を逸らした。溜め息を吐き、独りで突然思い出話を始めるクセがあった。「何年前だったか、そう七年ぐらいだった、いや十年たつかなァ?…」
自分の授業に今でも教材として使っている、古ぼけた掛け図作りで大変苦労したことを言い出したら、そっちに夢中で、それきりもう仮装行列の話には戻らなかった。
僕らのクラスには、仮装行列の件を無視するか、ほっぽっておく雰囲気が生じた。
だがやがて昼休みや放課後に、よそのクラスで大掛かりな仮装行列の道具作りが始まったぞ、との情報が入りだす。B君の誘いで僕も様子を見に行ってみた。当時、一年生はAからI組まで九クラスあった。「大名籠」「月の砂漠」「中華街の獅子舞い」「巨人軍選手の張りぼて」「股旅道中」などの大物が作られていた。進学校である葛城丘に入った一年生は当時、仮装行列のテーマ選定に、あまり時代の先取り感覚が無かったといえるようだ。B君と僕とは、その件でたっぷりと冗談を言い合った。
でも、三十年前を振り返ってみると、今よりずっとのどかな時代だった。
この前年の十月には、高校入試本番を四カ月後に控えて勉強の最中、東京オリンピックの開催があった。最終日、エチオピアのアベベ・ビキラ選手が42・195qをトップで走ってゴールインした後、国立競技場の芝生の上でのびのびと屈伸運動をする姿を、受験生を含め、ほとんどの日本人が驚嘆しテレビジョンで見ただろう。それから、二位で競技場内に戻ってきながらも、追撃するイギリスのアラン・ヒートリーに寸前で抜かれた円谷幸吉選手が、ゴール直後に、係員の差し出した毛布に抱き取られ、崩折れ尽きた姿を、誰もが記憶しただろう。十四歳がリアルに持った記憶としては素晴らしい。
この頃、世間で流行っていたものは、コトバでは「しごき」。歌謡曲では美空ひばりの唄『柔』の「勝つと思うな思えば負けよ…」というフレーズ。鳴り物道具ではテケテケテケのエレキ・ギター。洋画では忘れもしないカトリーヌ・ドヌーブ主演の《シェルブールの雨傘》である。若者ならどれか一つ、軽薄に飛び付いてもいい感じ。
そういうものが仮装のテーマに取り込まれていなかった。だが、よその批評は言えないのである。我々のクラスのみ、仮装行列準備の動きがない。それはなぜか。5.決まらない演目
我々のクラスには一人、F君という、将来非常に立派なリーダーになれそうな資質を備えた少年がいた。これまで、クラスで何か手の付けにくいことが起こると、F君が、皆からずいぶん反発も買ったが、出しゃばり過ぎるぐらいに率先して、てきぱきとクラス内に指図してくれたものだ。彼は利己心が薄かった。弱気な僕など、内心ではF君を尊敬し、彼がクラスの生徒へ仮装行列やろうじゃないか、と説き始める姿を楽しみに当てにしていたものだ。誰もが、彼に説得役を押し付けておくのを良しとする気持ちがあった。
けれど、今回は残念なことに、クラスを動かす彼の指図が無い。F君は中学時代からの熱心で優秀な陸上選手だ。一年生ながら、この高校でもすでにトラック競技の中心選手である。だが、今回はそれ以上に、体育祭全体の準備進行の世話をするような立場にもなって、F君はそちらに精力を割かれていた。最上級の三年生が受験準備に入ってしまい、学校行事の推進役には、彼のような率先的人材が必要だったのだろう。
で、よそのクラスが仮装の下準備に盛り上がっている件に関して、リーダーのF君を欠き、まとまらぬ当クラス内に、空白ムードが充ちていたのである。担任の指導力は、先に挙げたような有り様なので、もちろん当てにはならない。一学期の間に上位成績から下がらなかった頭脳優秀な生徒も、クラス五十余人の放つバラバラな雰囲気を、仮装行列の一点へ集中的に誘導する、などというリーダー的実務は不得意だ。
そうこうしている間に、よそでは仮装行列の予行演習までし始めた。放課後に熱気の籠もった声が廊下伝いに押し寄せてくる。。それで、さすがに膝元の白けが気になったF君が、休み時間の合間をぬって、クラスの連中の誰彼に働きかけを始めたが、反対論があって進まない。高校のクラブ活動にすら批判的な少年が、結構いたのだ。
「仮装行列なんてバカらしいよ、やりたい奴だけで、やればいいだろ」
こういう子は意地の悪いほど冷静だ。「いまのオレたちには意味の無い行事だろ。あんなものに余分な精力を注ぎ込む時間なんか無いんだ。構文を一つでも余計に覚えたほうが勝ちに決まっている。後で泣かない勝負をするのは俺たち自身だぜ。自分で決める人生なんだから、強制のもの以外は、自分の好きにさせてもらうよ」
幾人かが、F君へそう言い切るのを僕は耳にした。そういう少年は頭脳冷徹であって、決してF君の熱意にも同調しない。約二年後に来る大学入試の関門突破が第一であり、その後の人生に良い条件もたらすだろう現実は、その子らの反論通りなのだ。
ひとは誰も助けてはくれない、という競争意識の中にあった。その子の顔がいやに頑なだったから、まるきりの本心を言ったのではなかっただろう。が、目的意識はしっかりしている割に、途中で道草のない、その上昇志向が悲しかった。三十年後の今日、同期会の幹事から送られてきた同期生名簿で勤め先を見ると、どうやらその意志を成就できたらしい、懐かしい名が載っている。結局、彼等は正しかったのだろうか。
だが体育祭はどんどん近付いてくる。ある日、放課後の教室で喧嘩があった。
陸上部のユニフォーム姿に着替えたF君を、B君が何やらからかっているうち、急に二人の顔付きが険悪に変わって、どちらからともなく取っ組み合いになったのだ。二人が床板に転がると、F君の、走っても落ちないゴムバンド付き眼鏡が、短髪の頭から外れて飛んだ。が、上背でも筋力でも勝るF君がすぐに馬乗りになり、B君の細っこい肩を床へ押さえつけた。優劣はこれ以上やらなくても明らかだった。
元々二人に、相手と殴り合う気はない。僕が止めに入ったとき、床に組み敷かれた勝ち気なB君は、下から悔しがって目に涙を溜めていた。二人が揉み合った原因は、仮装行列の件である。B君はこの時すでに、当クラスの全体を当てにせず、有志少数だけの仮装行列を決意していたらしい。そのつもりでいたのが、つい、F君の不在を惜しみながらF君へ当てこすったきつい冗談が、急な揉み合いの引き金になったのだ。
「俺だって君を手伝ってやりたいけどな、B…本当にそうなんだぜ」
F君は床で付いたゴミをユニフォームの膝から払い落としながら辛抱強く言った。
彼は細めた目に眼鏡をかけ直し、体育祭の準備と競技練習に出て行く前に、B君へ向け直した顔がジレンマで苦しそうだった。将来、この子は教師に良いと僕は思った。
F君は、「俺は今、それが出来ないから断ってるんだ。な、君とAの二人だけでもいいからさ、自分達だけでクラス代表の仮装行列をやってみてくれ。な、B頼むよ、本当はもうその気になってるんだろ。Aだって、それを助けようとする気はあるんだろ?」
「ああ、俺達でやる」B君が応じた。Aとは僕のことである。
こうなってくると、F君の言葉が耳について、僕は逃げられない。ここで逃げたら僕の父と同じ弱虫になってしまう。自分の為にも一丁やるしかなかった。6.「大学浪人」
でも何の仮装をしようか。いざ自分達でやるとなると、気が浮ついてしまう。
で、何か考えてあるかと尋ねてみたらB君のぞっとしないアイデアはすばりこうだ。
「大学浪人だ」とはね。冗談だろ? でも、B君の選択はこの通りだった。
彼は出場人物も考えてあった。「学校教師一名、両親二名、大学受験の息子一名、そのガールフレンド一名の計五人。それだけですむ」という。つまり、自分や身の周りの姿をそのまま出すのだそうである。単純でちっとも仮装行列らしくない、が?
それがシンプルで良いのだ、と、やがて将来大企業の営業部長になろうとは本人も僕もまだ知らないB君が言い張るので、じゃとにかくそうしてみるか、どうせグラウンドを半周するだけなんだからと乗ってみることにした。配役の強引な採用は、休み時間にバカを言い合っている、いつもの冗談仲間からであった。
父親役はクラスで一、二番に背高のっぽでハンサムなD君。母親役は豆タンク型で胸囲がものすごく厚いE君。その息子役はいかにも受験に落ちそうなガリ勉型の鈍才に見えるからという皆の一致した意見で、この僕。ガールフレンド役はついに引き受け手がなかったので、アイデアの言い出しっぺのB君。そして教師役は、当人が先ず嬉しそうに頷いたので、体調が心配だったが、チアノーゼのC君へ役が振られた。
B君のシナリオでは事前の練習は要らない。大学受験の息子をロープで結わえ、教師と両親とが追い立ててゆき、ガールフレンドが近寄ろうとするのを、周りが派手に邪魔だてするというもの。単純なだけに演技力でカバーするしかない、とB君は言った。
B君らしい冗談だろうと思って笑っていたら、僕の思惑と違ってきた。
体育祭当日まで、もう日数が無かったし、参加するだけなんだから、紙に絵を描いて衣装を作れば簡単で丁度いいや、と僕が思っているうち、何だか周りの配役四人の心境が変化したのだ。「身も心も、役柄に沿って是非それらしく染まりたい」などという、おぞましい役者根性の感じが、仲間内に強まってきた。学生役の僕は当校の制服姿のままの地でいけるが、他の役どころはそうもいかない、ことになった。B君の鋭い批判と入れ込みに引き摺られて、他の俳優までが張り切ったのである。
負けず嫌いのB君は、一枚上手であるとその人格を認めていたF君に、自分たちだけでも何か出来ることを証明してみせたい欲求があったのだろう。F君には良い意味で、人の挑む心を刺激する才能があった。天性の教師に生まれついていたのかも知れない。本人は気付いていただろうか。だが僕も、受験以外は無駄な精力を使わないよ、と、のたまった成績優秀なクラスメートの何人かを見返してやりたい気がし出していた。
また、母親役のE君が新たに得てきた情報によれば、男子の人数が八割強である当校の体育祭は、他校の女子に人気があるとのこと。それは初耳だ。男女共学じゃない女子高に入った中学の同期生や、後輩の女子中学生も何かに憧れて見物に来るのだそうだ。そのさいに最も目に付くのが、この仮装姿だという。どうりで我がクラスの女子が、鞭で追い払われるガールフレンド役を誰も引き受けなかったはずだ。そういえば僕の中学二年の妹も友達と四、五人で、クラブの先輩を見に来るとか言っていた。そういう面前に、あまり知恵のないグロテスクな姿を曝す訳にもいかないぞ、と更に熱が入りだす。7.母親役−ニッポンの母−
例えば、胸囲だけが100cmもある、短躯で柔道家タイプのE君をいかに母親役らしく見せるかだ。教育ママ風にするには、緑色の羽根飾り帽子でも被せてツーピースかなんかを着せればいいのだろう。が、絶対に女性の体型じゃない彼が、入りそうな既成サイズの服など無いに決まっている。聞きずらかったが、E君にお母さんの体型を尋ねてみた。当人の答えによると、E君のお母さんはすんなりした美人だそうだ。まさか両親は無理に女装させるために息子を高校へ入れたのではなかろう。知ったら嘆くはず。
それに、スカートが駄目なのはE君の足を見たら納得できる。もの凄い毛脛だ。もののついでに厚い胸を見せてもらったら、こんなんじゃ可哀想だと思う程に鎖骨下まで熊並みの毛むくじゃらの真っ黒け。彼の天性の発育が悪いわけじゃない。毛を剃ってしまうのは可哀想だし、といって他の配役に替えたとしても向きそうにない。
一計を案じ、純日本型のおっかさんにする。すっぽりと大きな白い割烹着を着させ、手拭いでツノ隠し風のアネさん被りにし、ホウキかハタキを持たせればいい。僕らが小学生の頃までは、しょっちゅう見慣れていた母親の主婦姿である。夕方その姿のままで買い物籠を提げ、出歩いたものなので、当時の商店は主婦の割烹着だらけだった。
驚いたことに、試しにE君を姉さんかぶり風にしてみただけで、手拭いの陰の丸っこいE君の団子鼻が、急に日本の優しい母さん代表みたいに見えてきたことだ。それを褒めたらば、E君は、家でお母さんから本式の姉さん被りを教わってきた。
あれもコツがある。手拭いをうなじの後ろでちょいちょいと留める折、両腕を開いた仕草に女の形が現われるのだ。E君は、腕が色っぽいとか仲間に煽てられて、手を口に当てて恥じらいながら、しっかりその女性的な仕草を研究し出した。8.父親役−背伸びした紳士−
彼だけではなく、他の役者も、役の見かけに研究熱心なのだった。
背高のっぽのD君は、最初この学校指定の無地の冬服コート姿で父親役をやるつもりだったのが、なんだかスタイルが子供っぽいなという仲間の批判に、では、と彼のお父さんが若い頃に着ていた、茶色地に細い縞の走る背広上下を借りてくることになった。もちろんD君背広に腕を通したのは初めてだ。襟幅が今の時代のよりも大きいらしいが、足もとがつんつるてんにならなかったそうだから、彼の高い背丈は父親ゆずりなのだろう。ネクタイは、むかし終戦後じきに流行ったらしい細身の赤だ。何とか式とかいう結びコブの小さく見えるタイの結わえ方も、母親に教わって覚えてきた。
ついでに家で、その頃の帽子を見付けたらしい。黒いメッシュの帯飾り付きで、てっぺんに凹み癖のついた、ダークグレーのフェルト地のソフト帽も持ってくるそうだ。戦後の映画の中で佐田啓二とか上原謙なんかの二枚目が必ず被っていた類だ、きっと。D君はすでに自宅では、鏡の前でソフトを少し目深にかぶって歩き回る練習をしてみたそうだ。ソフトをかぶると、すごく気分が乗ると言っている。「俺の存在を証明するみたいでピッタリくる」とか言って、D君は目に見えないソフト帽のつばと中折れ部を両手でおさえ、やや前にかしげる様が板に付いてきた。
実はD君には、他にも目的がある。隣のクラスにいる頬がトマト色の健康そうなある女生徒に、ずっと前から話しかける切っ掛けを作りたくて、それには一目バッチリ決まった姿を見せたいのだ。背広とソフトでグンと彼の男前の株が上がること請け合いだった。奥さん役のE君のでぶっちょの割烹着とでは、とてもいい取り合わせになるだろう。
思い出した、うちの親父は昔もっと痩せていた時分、灰色のソフト帽をかぶり、ベルト付きの外套を着て金策に歩き回っていた。お袋もいまよりはずっと痩せていて美人だった頃、僕を産んだ直後ぐらいに、パーマネント・ウェーブのスタイルにチャイナ服を着て、涼しげに夏の庭先に立っているスナップ写真がある。それを見ると、歴史上かつてない大戦争に負けた国民とは、とても思えぬ若々しさがある。同い年生まれの両親は、僕が生まれた昭和二十四年の頃は三十そこそこだったのだ。十五年経つと随分変わるものだ。もっとも、おしめを当ててた僕が、十五で一丁前に親を批判している。9.教師役−ブルー・ブラック・インク−
さて、教師役のC君用には、クラス担任へ頼みに行き、担任から生物の先生に古着の白衣と分厚い専門書とを借りてもらった。これは、珍しくC君のたっての希望だった。C君の持っている、教師と科学者との合体したイメージの実現にぜひ必要なのだ。
白衣姿に満足したらしいC君は、胸ポケットに万年筆を五本も差した。ぜんぶ自前の上等な万年筆だ。そういえば教室では、当時売り出し中のボールペンはあまり好まれなかった。あれは、先端の小さな鋼球の硬さと、時に粘つく油っぽいインクの書き味とを野暮だと生徒が感じた為だろう。高校生らしさを自覚するには、細く14Kと刻印されたスリット入りの、華奢で弾力性ある金ペンの先でスラスラ書くのが、不可欠だった。
僕の合格祝いにと伯母が、キャップの留め金の形に鳥の羽根が意匠化された、アメリカのシェーファー社製をシャープペンシルとセットで贈ってくれた覚えもある。
生徒が教室で、お互いに万年筆のメーカーを見せ合ったりしたのは一種のステータス願望でもあったのだろう。C君の五本には、有名なドイツ製やスイス製があって、少年への贈答品としては超破格の品であった。五本もあった万年筆は、病弱な彼の高校進学を、何人かの人々が非常に喜んだことを暗示しているようだった。
それらの万年筆は高校の三年間を無事もったようだ。僕はC君とは二、三学年は別のクラスだった。あるいはすでに書けなくなったペンもあったのかも知れないが、卒業記念アルバムの中にいる0君の学生服姿は、虫眼鏡で拡大すると左胸に三本か四本の万年筆の留め金が写っている。C君だけである、そんなに多くのペンを差しているのは。
そうだ、それで一つ思い出した。彼の手のぷっくりふくらんだ指先がチアノーゼ色だったのは、インク交換にスポイト方式や操作桿の前後吸引方式を採っている万年筆のせいでもあった。どちらの吸入方式でも、いったん吸引したインクが、タンクに満杯かどうかを再確認する意味で、ちょっと押し直してみる必要があった。そのときに気を付けないと、ペン先にふくれ出る気泡と一緒にインクの膜が割れてはじけ、インクのブルー・ブラック色が染みて指先を汚すのだ。当時すでに、ワンタッチで交換できる便利なカートリッジ式の使い捨て品があったが、しかし生徒は、インク交換にやや手こずるタイプを余計に好んだものだ。もっと器用なことが好きで凝った生徒の中には、時に黒い筒袖カバーを肘に嵌めて、事務用のアルミの浸けペンでノートを取っている子もいた。
僕も一度だけ、物好きに羽根ペンを買い、ボンナイフでもって羽根の軸の端面を削りながら書いたことがある。ああいった、実用にはちょっと不便で、キザなものが、十五歳の気をそそり、新しい千葉駅のステーションビルに売っていたのだっけ。
また授業中、生徒の机の中か机上には、たいてい台形型のインク瓶があったはず。メーカーによって色合いと匂いとが異なり、生徒それぞれがお気に入りのインク色があった。うっかり人のインク瓶を借り、別のメーカーのインクを万年筆に入れてしまうと、化学変化を起こし、なぜかペン先のスリットでインクが固まることがあって、水道水で長々と洗い流していたものだ。そんな折にも、生徒の指先はインク色に染まった。
またC君の髪は後ろが鳥の尾式に突っ立っているので、白衣姿だと、研究室から実験の失敗に頭を掻きむしりながら今飛び出てきたように見えた。黒ぶち眼鏡の奥は、白目の部分が濁り気味で、もともと血走っているから、不遜で怪しい実験を企てたマッド・サイエンティストにも見えた。それが分厚い本を抱え、作り物の長ーい鞭をふるって受験生を叱咤する役だ。地のままでもC君の怪異なふんいきに似合うのである。あとで、当日の出番直前のことだ。再びB君のアイディアで、受験生役がダテ眼鏡を掛けるだけでは物足りないからと、僕の顔を急きょ青ざめさせることになり、僕は仲間からブルー・ブラックのインクを薄めずに、筆でもって顔中へ塗り付けられた。僕はきつく目を瞑り、ヒヤッと来るそのお仕置を受けた。で、僕がぱっちり目を開けたら、あとの四人がギョッとしたように僕を見下ろしていた。中でも、紫色の唇をしたC君の尖った歯が、見る見る苦しげに剥き出しになり、反った唇がわなわな震え出していた。出っ張り気味になった目玉が、常よりもっと両脇に離れてしまった。一瞬僕は、彼に発作でも起きたか、それとも彼の病苦をからかうことになってしまったか、と心痛んだ程だ。
ところがC君は、あまり可笑しくて声が出ず、クククククッと息も絶え絶えになりながら笑っていたのだ。あんなにも喉をヒュウヒュウゼイゼイ鳴らして身を折り曲げながら悶えこむ彼を見たことが無い。その時、僕は、唇までがブルー・ブラックに塗られ、インクの乾きつつある顔が方々へ突っ張らかって、口を半開きにしていた。あとで鏡を覗いて見たらC君そっくりの兄弟みたいだった。C君は何が可笑しかったのだろうか。
さて、残る一人はガールフレンド役に当たったB君の件だが、その扮装の実物を僕らが目の前にしたのは、体育祭当日になる。
10.ガールフレンド役−衣裳・仕草・化粧−
クラスの皆は今、体育祭で賑わしいグラウンドの熱い秋の陽射しの下に出ていた。遠い台風からの綿雲が昼前にすべて吹っ切れてしまい、青空が濃くて、千葉港から上がってくる海風の余波に湾流の潮のにおう残暑が、葛城の丘に戻っていた。もし廊下の窓から西を見たら、陽が海側にまで回っており、逆光ぎみの港がかすかに光っているはず。教室に僕たち五人以外は居なかった。男子の着替えのために机は全部片寄せてあった。
けさ家から持ち込まれたB君の紙袋から出てきたのは、男子高校生の目には強烈すぎる衣服の組合わせだった。するりとブリーフ一丁の肌脱ぎになったB君の細い身が、パッドを仕込んだブラジャーと、ひらひらする派手な胸フリルの付いた白い夏物ブラウス(だと思う)と、目の覚める真っ赤なタイト・スカートをつけた。もちろん全部、女物だ。
B君は三人きょうだいの末っ子で、すぐ上に姉さんがいた。いや、その上も姉さんだそうだ。そのどちらかの持ち物を借りてきていた。細いB君はスカートの胴にあるホックを嵌め、スリット部のジッパーを合わすと、その部分が脇腹に来るようにスカートを手で押さえ、よいしょと言いながらゴソゴソずらした。スカートの腰部分は、彼の突がり気味の骨盤によってピッチリ張られている。サイズはどんぴしゃりに近かった。
女性の服の着方を知らない、周りの少年四人は気押されて、じっと見ていた。
つづいてB君が、くるりとこちらへ背中を向けて停まっても、四人には何のことか判らなかった。つまり、男持のと違い、B君が頭からかぶったブラウスは前留め式ではなく、背中の中央の上の方部分に、やはり開口部があるのだった。見ると、そこに真珠色をした玉形のボタンが二つと、小さな銀色のホックが一つあった。
B君が肩越しに指でさし、コレコレ、と言ったのでやっと彼の要求が判った。
もし自分ひとりで着ようとすると納得できるが、背中にあるボタンやホックを嵌めるには、一遍頭からかぶったブラウスをもう一度脱ぎかけるような格好にまで手で持ち上げないと、背中ごしに自分の手が届かない。しばし、あられもない姿態になるのである。だから女性は人目の無い所で着替えるんだ、と僕らは言い合って納得した。既にB君は自宅でやってみて、見えないボタンとホックを後ろ手で掛けるのに大苦戦したそうだ。
姉さんかぶりのE君が、太く短い指で嵌めにかかってやると、B君はじっとしていず、イヤーンという風に身をよじった。しぐさは既に女性っぽかった。
「おい、動くなよ」と、ブラウスの背中を突っつくE君へ、B君は、「だって、くすぐってえんだもん」と、船橋辺りの口調で悲鳴に似た声をあげた。女ものの柔らかな生地が背中の肌をこする、ふわふわの感触が、こそばゆくて堪らないのだそうだ。
そのブラウスはとても薄くて、軽そうで、つやのある繊維をこまかく織り、絹のような光沢に仕上げてあった。羽毛が微かに触れるか、嬲るような気がするのではないか。滑らかな生地表面を見ているだけで、覚感的に僕も背中がこそばゆくなった。男は一生こういうヤワなものを着ないで過ごせる。女に生まれないで良かったと思った。
ブラウスのサイズは、ぺちゃんこになったブラジャーを付けても、ややB君の胸囲に余り気味だったが、ひょろりとした彼には丈方向が短かった。で、スカートとの間にヘソまわりの腹が出てしまった。彼はそれを知ってスカートをたくしあげた。それで腹は隠れたが、スカートの膝から上がたっぷり現われ出た。毛むくじゃらのE君と違い、体毛のまだ薄いB君の足は白くて、すんなりしていた。
まわりから見ると、真っ赤なスカートから、まぶし気に、あらわな腿なのだ。
このほうが動きやすくて良いや、とB君が言って、長い素足で教室の板張りの床をドスドス踏んで歩き回ってみせた。
動きはまるきり少年のしぐさだが、真っ赤な女ものからのぞく白い太腿の、その奇妙で倒錯的な色っぽさに見とれ、他の四人ともポカンと口が開いた。こんなに強烈に目を奪うとは、驚きだ。見てはいけないもののように、目を引き剥がさねばならなかった。
ふだんB君は、身のこなしが中性っぽいわけじゃなし、かと言って、無骨で滑稽な男くささがあるのでもなし、ただ無邪気な末っ子らしさを漂わせている。なぜ急に、こんなに怪しい性的な特徴が見えてしまったのだろう。赤いスカートのせいだろうか?
そうして、紙袋を引き寄せ、ちょこんと机の端に腰かけたB君は、ずり上がったスカートが裾端の筒巾のせいで、両足が自然と今までより圧迫され、同時に剥き出し気味にもなり、腿はぴっちり合わさった。するとひょろりとしているはずの彼の腿が、女なみに膨らんでみえた。いやはや、そこにこぼれ出た白さは、女性ほど皮下脂肪でぱんぱんという盛り上がり方ではなく、なんと言ったらいいのか、見た目が似ているけど違う。
女性の太腿は脂肪がプルルンと震えている感じなのだが、こっちのは筋肉質で静的なのだった。
慣れない姿勢の腿がきゅうくつなのだろう、B君はすぐに片方を立て膝にしなおした。すると今度は、なんだか、弁天小僧菊之介みたいになった。歌舞伎の白浪五人男のひとりで、浜松屋の店さきで悪業の正体をあらわし、緋ぢりめんの裾からこぼれ出る足を、見よがしに組み、「知らざァ言ってきかせやしょう…元はといえば江の島で…」と名タンカをきる場面である。もし白塗りしてあればB君も役者に見えただろう。
彼は新たに姉さんの、ヴェルベット製で緑色のベレー帽を額際へと斜めにかぶった。すると坊ちゃん刈りの髪のへりが半ばベレーにかくれ、短髪がお似合いの、若い女の子がひとり、出現した。こんな様子の娘が現実にいそうな気がしたほどだ。で、B君に背筋を伸ばしてアゴを引くようにしてもらい、四人の前を歩いてみさせたら、スカートの制限で男歩きにならず、なかなか可愛い美人じゃないか。処女みたい? にあどけないな。明日からこの姿のままで通学して来いよ、と皆でほめそやした。
本物の女の子ならば、こんな見かけのガール・フレンドがいてもいいな、守ってあげたくなる、と思わせるほど細い腰まわりが華奢なのだ。本物の女生徒は、痩せているようでも意外にお臀だけは幅がどっしりしている。ヒョウタン形の女性型に対し、B君の後ろ姿が、Iの字形であるのは、男女間の骨盤のひらき度合いの差なのだろう。
のっぽのD君が教壇のチョーク入れから白墨と赤墨をとってきて、B君の鼻筋ぞいとか額や頬骨上に白をこすって載せ、また両頬に、赤を小さめに円く擦り込むと、目の前で思いがけない顔に出来あがっていった。ためしに眉毛を白墨で小さめに塗りつぶすと、別人になる。我慢してろよなと言われ、今度は仕上がるまでB君がじっとしていた。
B君の鼻の下には産毛しかない。じっとしている顔が、なんだか女の子になったみたいに素直だ。ほかの四人のアゴは、週に一二回はすでに剃刀が必要だった。
のぞき込む我々を見返す彼の目が、心なしか左右にまぶし気に揺れて、ドキドキと何かを期待するような輝きが現われていた。これと似たものといえば、そうだな、例えば、町内のお祭りのときにハッピを着せられた小さな女の子が、低い鼻にひとすじ白粉を塗られて、家から通りへと送り出されるさいのワクワク感に似ている。
いやはや、今や、元はB君だった女の子の二重まぶたが、物言いそうにパチパチ瞬き、見守る僕らへ星でも飛ばしたそうにウインクしていた、真面目な顔付きで。
11.予行演習−演じるとは−
こうして役者の準備は全て整った。あとは膝が震えながらの出番待ちである。
教室内で一度だけ行列の予行演習をやってみた。学生服のボクの胴を物干し用ロープでくくり、余らせたその端を持った母親役E君が、荷馬を駆りたてるみたいにロープを揺すぶる。
父親D君は、息子が彼に救いを求めに来ても邪険に突き放し、母親に同意する身ぶりをするのみ。
教師0君はなるべく酷たらしく受験生へムチを振るいに寄ること。
そしてガールフレンドB君は受験生にすがりつくたび、他の誰かによって引き剥がされるが、抵抗してはならない、というだけの設定だ。これで、仮装行列になるのか?
最初はそのようなつもりであった。が、役になり切ってみると、この年頃の少年に特有の活発な気紛れ心を抑えてまで生真面目を装うつもりは次第に無くなっていた。演技が始まったら、あとは全て即興。だれが何をしてもいいルールに変更してある。
日頃やれない事を仮装行列にかこつけてやっちまう魂胆なのだ。力持ちのE君は先ずロープを引き寄せ、ふだん彼を怒らすまでシツコクからかう悪癖のある僕を、懲らしめる為にホウキで叩くつもりだ。本番ではモップを使うかなァ、それにもっと乗ったら尻まくりワザを出すからな、とも言った。別にこれは僕のズボンをずり下げる訳でなく、彼が勝手に自身のケツを露出させるのだ。所属する体育系クラブの、ある先輩に対する仕返しだそうだが詳細は不明。E君のぽちゃぽちゃした餅肌に遠因があるらしい。
D君は息子のボクを突き退けるような演技から、隣のクラスの或る男子に近付いて一つ二つ蹴ってやるつもりでいた。D君の密かに好いた娘へ、日頃その生徒が馴れ馴れしく話しかけたりするんで罰するのだそうだ。ま、当然ではある。D君は息子の僕に、隣のクラスの行列へ逃げるような振りで接近してくれよな、と何度も言ってしつこい。
C君だけは、ボクやB君にいよいよ鞭を当てることを思うだけで興奮しチアノーゼの唇に手を当てグフグフと薄気味悪く笑ってばかり。口の端からあぶくが出ちゃってた。いつもは皮膚がぼそぼでツヤを欠くC君の寒々しい耳が、徐々に薄赤らんできた。
B君の、「用意ッ! アクションはじめッ!」で予行演技に入ってみたら、B君のガールフレンドぶりが主演女優賞なみに他を圧倒した。熱演、怪演だった。
恋に必死な娘が取る行為とはどんなものか、期せずして四人のウブな男子生徒に、末恐ろしさを感得させた。女の子と揉めたら飛んでもない目に遭うぞ、と、門前の小僧なんとやらでB君は、二人いる姉さんの日常行動から学んでいたのだと思う。
こうである。いきなり恋しい様子になり切ったB君は両手を広げ、会えぬ悲しみを全身に見せながら受験生へ近付こうとした。が、馬鹿力の母親が前に立ちはだかり、その肩をド突いた。机や椅子が今朝から着替えの為に教室前方へ片寄せてあって良かった。
どつき飛ばされたB君は勢いよくズッテーンという感じの響きと共に、机のかたまり上へ仰向けにのけぞり倒れた。これではB君目を回したかなとボクは思ったが、ベレー帽を被り直したB君はすぐ起き上がり、また直前のごとく両手を娘らしく広げ、不死身の形相でこちらへ寄って来た。それだけでもボクは魂消た。しかも、赤白チョークで描かれた顔が、B君とはかけ離れた別人格に見えた程で、恋する娘がすてばちになった時の恐さは、多分こんな感じか。母親役のジャイアントE君だってボクと同じ思いがしたろう。こんどは母親は、ガールフレンドの邪魔だてするのをはばかった。
で、母親のそばをすりぬけた娘は、喜びを現わすのに両手を胸に合わす、ちょいと芝居臭い仕草をしながら、受験生と腕を組んだ。ボクの両手にはページを開けた赤い英和辞書があった。その片腕にB君からぎゅうっとしがみ付くようにされて、そっちの重みにボクは身が傾いでしまいながら、バランスを取り戻すのに腕を振りほどき、相手の肩に手を回した。と、速成出来のこのガールフレンドは、それが至上の喜びでもあるかのように、ひしとこちらへ身を寄せてくるのだった。映画の見過ぎかも知れない。
まったく面食らったなB君の演技には。女の子よりも女の子っぽいのだ。
まるで、この昭和四十年に封切って大当たりをとった日活の青春映画、『愛と死を見つめて』の吉永小百合や、ムードアクション映画『赤いハンカチ』の浅丘ルリ子だのが演じるシーンを描いた上映館の絵看板みたいだ。B君は様になっていたのである。
その上、偶然だが、ボクがB君の肩へ回した手に、ブラウスが伝えた未知の触感の生々しさに、どきっとした。シャリッと滑りそうに生地が滑らかであり、かつ冷ややかな程の織り目である感じ。同時にこの手へ吸い付いて来たがっていそうな程に濃やかな密度と、重さすらない軽げなはかなさ。これが、命のない唯の布の感触なのだろうか。ノー。めったに破けぬほど厚ぼったい学生服とはまるで違う。手を突き離してしまおうかとあわてたほど、一瞬ボクは、少女に触れたようで頭が混乱した。
これまで女性の肌に触れたことなど一度もなかった。だから冷静にいえば、異性の肌の実感を知らぬことになる。が、いま掌に受けたての触感は女性のものだ。知らないけど解るのだ。女物の布地を通したら、布のすぐ下のB君の肩の、突がり気味な鎖骨のこわばりすらが異性のものに思えた。柔らかな娘の肉体を感じた。布地によるこの錯覚に気が惑ったのは、ボクだけじゃない。後で聞いたら、E君も最初に手でB君の肩をどつき飛ばした瞬間、ブラウスの触感にはっきり女を感じたという。女性をいたぶってしまったか、と、E君は思わず居すくんだそうだ。それで、二度目は邪魔立てしなかったのだ。
割烹着の母親が気を取り直し、ロープをぐいと引くまで、ごく短い間、僕の片手は迷い気味に、B君のブラウスの肩をそおっと抱くようにしていた。とても強くは押さえられないのだ。ひしと寄り添って来るのは、いつも軽口で騒いでいるB君なのに、B君じゃない感じ。今は仮装であって、女の子じゃないと分かっているのに、自分を慕ってくれる女の子の肩をカワユク抱いてしまう感じ。役になり切ってしまったせいだろうか?
僕はもしや内心、これは女の子なのだ、と思いたがっているのかな? いや、と、それを打ち消そうとする心の中じゃ平衡感覚が痺れ、逆に妙にふるえる倒錯感が胸をくすぐった。ほかの人に知られるべき震えじゃない。又、より所も無いこんな不安な感じが、僕の手から伝うのは初めて。で、つい僕は、女物のブラウスへ触れるか触れぬかぐらいにしてB君の肩から手を浮かし気味にしてしまっていた。
だから、E君のロープの一引きで、ぐいとボクはB君から引き剥がされ、そのまま後ろへ振り回され、まだ触れていたい怪しい感触を手から奪われた。僕が一瞬ほっとしたのも事実。そのまま教室後方の壁にドーンと背中で突き当たった。ぶつかった拍子に僕は息が詰まり、まわりが白黒映画のシーンじみて色を失い、視野が小さく狭まって暗転しかかった。でも、クラクラッとする目を何とか開けたら、もうB君が恋人を守るつもりの必死な目付きと身振りでそばへ寄って来ようとしている。そのとき、教室の中に比べ、窓の外が秋陽で極めて明るいのに気付いたのを、僕は覚えている。こんな所でなぜこんな練習をしてるんだ、と阿呆らしくなったのも覚えている。
「よお、ちょっと張り切りすぎてんじゃないのか。BもEも! 本番まで持たないぜ。ふざけんのを、やめろよな」
そうボクが言おうとしたよりも前のタイミングだった。父親のD君が脇から踏み込み、温順な彼にしては素早すぎるとみえた動作で、前足をまっすぐ前へ差しのべた。そこにB君の身が前のめりに引っかかり、その結果は、D君の長い足を軸として、回転レシーブの突っ込みみたいにB君が頭から飛びこんだ。タイト・スカート穿きのせいか、きれいに両足が揃ったままB君の身が一回転した。
思えば、忘れ難い。つい前年の十月二十八日、東京オリンピックの最終日。女子バレーボールの決勝は日本対強豪のソ連戦で、ニチボー貝塚の東洋の魔女たちが、くるりくるりとコートの床へ魔術のごとく転げては、恐そうなソ連婦人の打ち込む難球を拾い続けたのである。そして一瞬も休まず起き上がり、日本の女子ひとりひとりがゴム入りのやぼったいブルマーの裾に挟んであった雑布を出しては、そのつど床にこぼれ落ちた自分の汗を必死に拭き取っていた。あの姿は涙無しには見ていられなかった。ところがB君は、あれと同じに頭も打ちつけずに起き上がった。驚き以外にない。女の何という執念。
さて、当時の我がクラスの中では、D君は一番心優しい少年の一人ではなかっただろうか。その彼が、意地の悪いような咄嗟の足掛けをしたので、ボクは後で、背高のっぽの彼にあれは何故かときつく尋ねてみた。彼の答えははかばしくなかった。何もかも一瞬の反射だったと言うのだ。では何に対する反射なのかと問い直しても、彼は具体例をもって答え得ない。ただ何となく興奮していたからなァと言うのみだ。じゃあD君よ、何に対して興奮していたのか、と再び問うてみても、彼はその瞬間の思いをほとんど忘れてしまっていた。やっと一言、Bの様子がさ変に生々しかったし、あれには俺も調子狂ったな、Bを虐めてみたかったのかな、あん時は、と頭を掻きかき言うのみだった。
だから、別に筋のとおる理屈づけをする気もボクにないが、あのときのB君の演技は、単純にいって高校一年の僕らにはかなりのショックだったんだと思う。
子供っぽい少年らしさと多少の青年らしさとが同居している十五歳の心身に覚醒をもたらしたもの、それをB君が偶然に表現したんだとしか思い当たらない。だからB君はおそらく一生に一度、本人がそれと意識していない主演女優賞ものだったのだ。
教師役のC君がムチを構え近寄ってきたときもそうだ。あのガールフレンドは、受験生を自分の身で自身の後ろへ守りながら教師にムチ打たれようとした。ただし、C君を喜ばせるため、ムチに身がもげてしまいそうな格好をし、哀訴のジェスチャーもし、そうしながら教師へ寄り添うことすらした。娘心がB君にそうさせたのか、唯あきれた。
12.校庭半周の本番
さて、体育祭が過ぎて二日目、既に授業は通常の時間割りに戻っている。体育祭など無かったみたいな顔をしてクラスの皆は黒板を向いていた。僕はそうではなかった。
実はあの後、教室での予行演習以上のことは何も起こらなかった。それどころか、少なくともボク自身にとっては悪化した。なにせボクは仮装道具に凝った各クラスの放つ熱い気迫と一緒にグラウンドの入場位置に並んだ途端、まわりの雰囲気にすっかり飲まれてしまい、頭に血が登ってしまったのだ。他の四人もそうだったのか知れない。
なにせ、よそは大掛かりだ。女子までが裾を絡げた祭り半天姿で神輿を坦ぎ上げ、大団扇と鳴り物入りでチャンチキ、ステテン、ステテンと観衆を煽りながら出てゆくクラスあり。また、巨大な張りぼて人形を倒しては一気に起こし、歓声でもってワッショイワッショイ引き回すクラスあり。あるいは全員がアラビア風の衣装をまとい、それぞれが壺を頭に乗せ、或いはラクダを連れ、王様のお供行列をするクラスあり。一つの仮装行列にざっと三、四十人を投入した出場組がざらなのだ。担任が混じったクラスさえあった。
そんな風な中へ、パラパラとわずか五人しかいない僕らが出て、いくら気張ってみても規模からいえばその貧弱さを見詰めてくれる見物の目が、まるきり感じられなかった。僕ら五人の仮装行列は、教室で唯一回の予行演技、あれで終わっていたのだと思う。
誰もこちらを注視してくれないのだという失望感。それも、僕ら五人が行列中にいないもののように視線が素通りし、他の仮装集団を眺め興じている実感。舞台に立った側から人々の顔を見、無視されていると分かる事のつらさ。そうと分かっていながらも、ついつい横目で周りを盗み見てしまう体験の、みじめさ。あの時は、でも少なくとも僕の妹たちが来ていれば何処かで見てくれているんだろうな、と心当てに思ったことだ。
それでも、まあ気は昂ぶり、精一杯の行進はした。唇を真っ青にしながらC君も最後まで歩き通すことが出来たし、あっという間の感じで、校庭半周の行列を終えた。13.化粧落とし・役落とし
仮装を解きに五人で教室へ戻ってきたとき、僕は徒労感を味わっていたが口には出さなかった。他の四人と同じく、まだ興奮しているかのようにはしゃぐ喋り方をしていた。教室には誰か別の生徒がいたのだろうか。周りをよく覚えていない。
仲間の感じはもっと楽天的だった。それだけ、役に入れ込んでいたせいだろう。
「なんか、あっけなかったよな!」とタオルで首の汗を拭きながらB君。
「でもさ、手抜きした割には、一番オレたちのが目立ったはずだぜ、なッ?」
B君は女物を脱いで細身の少年に戻った。
「ああ。俺まだ膝が震えてら」と、D君は父親のズボンからバンドを抜いた。
「記念に残しときたい姿だな」とE君。
「親父のカメラ持ってくるんだった」
誰もそこまでは気が回らなかった。誰かが撮ってくれただろうか。
「でも、面白かった。いつ迄も忘れないような経験だったと思う…良かった」と小さな声で、恥ずかし気に言ったのはC君だ。確かにそうだな、と五人は互いの顔を見て頷きあった。仲間褒めし合っていると、本当にそんな気がしてくる。「なあA」とE君がボクに言った。「おまえ、ずっと下を向いてたからきっと気が付かなかっただろう? 残念だったな。松の木の傍に中学生ぐらいの可愛い子が四人いてさ、俺にニコニコして手を振ってくれてた。俺もちょっと手を振り返しちゃった」
「それは、教室に戻ってくるとき、女の子達がグラウンドの隅の松のところで、俺達に手を振ってくれてたあれだろ?」とD君が満足げに口をはさんだ。「俺も手を振ったぞ。Cも一緒にさ、な?」
「クフ、クフ」C君はチアノーゼの唇を突き出して笑った。「可愛らしかった」
へーえ、C君までもこの一瞬を、幸せそうにそうおっしゃいますか。良かったじゃないか。それは仮装行列に参加した成果で、出た意義ありだ。ボクは少し元気が出た。
ボクは顔面に違和感のある青インクを、理科室との校舎の間の足洗い場へ流しに行き、水で何回も何回も擦るように濯いだ。が、洗い場の壁に嵌めてある水銀膜の飛びかけた古い鏡を覗いても、中々思うようには青いシミの斑が消えなかった。面倒くさくなって、教室へ戻ることにした。僕を見入る痩せた顔立ちの少年は目の縁がインクで薄青く、父の若い頃の兵隊写真と似ていたのを、よーく覚えている、三十年以上経った今でも。