谷崎源氏刊行時の読者の声

−「源氏物語千年紀」にちなんで−

伊藤 三平

2008年11月1日は紫式部日記に源氏物語の記述があった日から、ちょうど1000年とのことで「源氏物語千年紀」として様々な催しがもたれている。
お恥ずかしいことに私は源氏物語を読んでいないが、拙宅に母が読んだ谷崎源氏の本が残っている。谷崎潤一郎が源氏物語を自分なりに訳して刊行したのは昭和14年1月。以降13回にわたって毎回2巻ごと配本され、全26巻(源氏物語和歌講義2巻と源氏物語系譜等1巻)、最終巻は昭和16年7月発行である。
写真のような非常に美しい本であり、装幀、紙の質まで非常に吟味して出版されている。



これに、毎回の配本ごとに「源氏物語研究」という付録がついていた。母はこの付録をまとめ「源氏物語ゆかり」として、自分で製本していた。

署名に昭和18年4月6日という日付を記している。母は大正8年生まれであり、同年代の男子は太平洋戦争で多く戦死している年代である。刊行が始まった昭和14年が20歳にあたる。配本ごとだから13号まであるが、1号と12号を欠いていた。今回、付録の欠号を調査すべく中央公論社に電話したが、資料としても残していない。そこで国会図書館に出向く。原本に綴じているのではないかとのアドバイスで借り出したがついていない。図書館員の協力も得て探したら、付録は「源氏物語研究」として別途製本して保管されていた。
この付録「源氏物語研究」の最後に「ゆかり抄」というコーナーがあり、編集後記と読者からの投書が掲載されている。(号によっては他の紙面に割いて、「ゆかり抄」が割愛されているので全13号分はない)
読者の投書が興味深い。谷崎源氏の本文も読まず、何んだと馬鹿にされるだろうが、一部を抜粋して、ご紹介したい。なお全ての投書は甲田君の雑誌『医心伝心』に掲載するつもりである。

読者の投書は、谷崎源氏に対する賛美が多いが、当時の日本人の教養や、本に対する意識、生活ぶりがうかがえる。戦場からの読者の便りもある。なお旧漢字や旧かなづかいは伊藤なりの現代表現に直している。

<谷崎源氏の内容に対して>

★わざわざ投書するほどの読者であれば、当然と思えるが、手放しで礼賛する読者が多い。なお国文学者の中には、谷崎訳に対して一言述べた人がいたことが投書から伺える。古文愛好の学生の間でも議論があったことが理解できる。一昔前は、新聞紙上での論戦などもあったが、最近はこのようなことが少ないと感じる。熱い時代ではなくなっており、醒めた時代になっているようだ。

<当時の読者層>

★いちばんはじめの投書に「わが国の教養層の健全さ」とありますが、上記の投書に見るごとく、読者層は幅広い。店員、軍人、植字工、技術者、サラリーマン、主婦、建築専攻の大学生、古文愛好の中学生(現在の高校生)、医学博士などである。現在より程度は上と思えてくるところが悲しい。

<装幀について>
★本の装幀そのものも高く評価されている。昔は本を大事にしていたこともあり、装幀が美しい本をよく見かける。高名な芸術家が手がけていることも多い。文化の程度は昔に比べて落ちているのではなかろうか。なお、このような読者の声に押されて、全巻を入れる桐の箱も後に売り出されている。栞(しおり)である「源氏物語研究」も、上記のような読者の声に後押しされて当時の風俗なども取り上げている。

「同期の人から」ページに戻る