簡単に、これまでを

森下 和子

卒業してから、一度だけ同窓会に出席したことがあります。

その時、自分の居場所は無いなと感じて、千葉高に別れを告げた気分でした。
 
ホームページを覗いてみて、ますますその感が深まりました。
 
皆さん立派過ぎて、違う世界の人たちに思えます。
 
大体、私が千葉高に行った動機が恥ずかしい限りです。
 
私は小学校の時は「ブタ」と呼ばれていました。
 
苛められていた訳ではありません。
 
中学に入り、ハンサムな担任の先生にあこがれました。
 
女の子たちは皆、先生に手を持ってもらいグルグルと回されて喜んでいました。
 
「次は私の番だ」と、どきどきしていたら、先生は私を見て、次の人にいきました。
 
デブだからしょうがないなと、悲しくなりました。
 
そこで、やせる努力はせずに、何とか先生の気を引くことは出来ないものかと考えました。
 
私の成績は、クラスで中くらいでしたが、頭のいい子達が先生を囲んで、千葉高の話をしていました。
 
「私も、千葉高に行けるかな?」と言ったら、皆に無視されました。
 
その時、「学校で一番になって、千葉高に行こう」と決心しました。
 
そして、学校で一番になり、めでたく千葉高に入学しました。
 
入学さえすればよくて、後のことは何も考えていませんでした。
 
運動神経はよくなかったけれど、バスケットボールに夢中になって、楽しい高校生活でした。
 
3年生になって、気がついてみたら、皆目的を持って、大学を目指しておりました。
 
クラスの回覧ノートに、「何のために大学に行くの?」と書いてみたけれど、何の返事もありませんでした。
 
私の親は「女に学問はいらん」と言うような人でしたし、兄弟親戚にも大学に行くような人はいませんでした。
 
でもとりあえず、皆が行くなら、私も有名な大学に行こうと思い、遅ればせながら勉強しました。
 
見事に落ちました。
 
私の人生は、一生行き当たりばったりです。
 
稼ぎのいい、優しい旦那にめぐり合い、一生安楽に暮らせるなと思っていたら、派閥争いに巻き込まれ、
 
会社は辞めちゃうし、辞めた仲間たちで建設会社を起こしたら、バブルの崩壊でつぶれちゃうし、
 
保証人になっていたから、家はとられちゃうし。
 
パートに出てみたら、体格がいいから力仕事に回されて、腰を痛めちゃうし。
 
パート先がつぶれたりして、色々な仕事をしたけれど、皆新鮮な経験で面白かった。
 
行き当たりばったりの人生だけど、死ぬときは「面白かったな」と、言えそうな気がします。
 
今は、夫と二人で会社をおこし、コンクリート構造物の美装や公共トイレを扱う代理店をしています。
 
夫が、若いときからの慢性肝炎のほかに、糖尿病も持っていて、健康のために始めた山歩きに、二人ではまっています。
 
仙台は、山だらけだし、温泉だらけだし、最高です。
 
二人の可愛い孫にもめぐまれたし、この先のことを考えると不安だらけだけれど、

不安の無い人生なんてのも、面白くないだろうし、「なんとかなるさ」と、能天気に生きてます。

 
長々とごめんなさい。
 
最近の私の写真を送ります。ずっとデブです。 

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