自分で造ったパリの茶室
伊藤隆英
近況のお知らせとして変人の自慢話をひとつお聞き下さい。
私はパリ郊外に(オペラから電車で30分)300坪弱の敷地に建つ1900年の初めに作られた石造りの家を持っていますが母屋に平行して納屋のような倉庫として使っている建物があリます。 その中の一角を利用してに茶室+押入れ+廊下+水屋+縁台を作り上げました。
庭の片隅に建てようか ずいぶん迷ったのですがめったに使わないこと、雨風にさらされると痛みが激しいし、自分が作るのだから後世に残したいし....など考えてあえて建物の中に作りました。
茶室内−床、炉 | 水屋 | 茶室から外の廊下 | 外の廊下 |
反対に肝心な木材屋さんがない。出来る限り柾目の材木など、木材建築の日本と違い、レンガ造り石造りのこちらではなかなか思うように木材が手に入りません。何しろ材木屋さんが無いのですから。
木の世界と石の世界の違いでしょうか。椅子とか家具用の木を扱っているお店はありますが オ−ク材や松材ばかりで、木目のきれいな杉材が無いのです。
郊外の森に行き、床柱に使えそうな形と太さの生の木を切り倒し、車に積んでうちへ運び、皮を剥き、3年陰干して、みがいて艶出しして準備。
水屋の水道配管・排水工事・電気の配線。
コテを使って壁塗り。
梁・柱に使う正方形の太い角材の特注(一般には切り口が長方形のものしか手に入らない)。切り口が平方形になっていなくてはならないところが、なんと、やや菱形をしていました。計ってみますと角が90度ではなく、88度だったり、93度だったり。
特注なのに、少し菱形になっている角材を、−−−かんなをかけて何とか直角に直し...。
鉋くずが腰のあたりまで溜り、その中を泳ぐようにして移動する.....などなど、希望の材木の入手が非常に困難でした。
どうしても手に入らないものは自作です。5丁の鑿(のみ)や3挺の鉋を研ぐのも一人前になりました。 それが出来ていないと仕事がきれいに仕上がりません。仕上げ砥はもちろん日本からの取り寄せ。
究極は障子でした。 平べったい細い角材を丁寧に正確に組み合わせて作り上げました。
ふすまもそうです。 アイロンをかけて張るふすま紙があるので素人でも何とかそれらしく作ることが出来ます。下張りのうえに重ねてアイロンかけこれは楽勝でした、さすが日本 簡便なものがあるわいと変なところで感心していました。
簡単そうに見えて壁塗りが一番むずかしいと思いました。もちろんこちらでは手にはいらないものですので壁塗りの粉を日本から送ってもらいそれを使いました。
釘は一切使わないつもりでしたので全て組み木で作っていきました。
土台と床はヴォルトでしっかりと締め付けましたがそのほかのところ、釘は使っていません。
しめて5年ちょっとかかって出来あがりました。 われながらよくやったわい と感心しています。
そこで飲んだ最初のお茶のおいしさは、久しぶりに正座をして足がしびれまくっていましたがその苦痛さをも忘れるようなおいしさでした。
土台に柱を立て梁を上から組み込んで…木槌でたたいてはめこんで…。
柱を両手で持って、思い切ってゆすってもしっかりとはめ込まれてびくともしない、直角定規を当てて狂いのないことを確認し、もっと強くゆすってみるが全然がたがない。
ニヤっと笑って心の底からやったぞ−。そのときの成功感もかなりの感激を持って味わいましたが このお茶をいただいたときの感慨、人生の中では文句なしに一番でした。
この畳敷きの四畳半の空間に入って、床の間を見て正座をするとなんと落ち着くことでしょうか フムフム言いながら誰かのように刀を眺めているのと同じ心境??
外国にいながら自作の床の間のあるお茶室に座って.......贅沢の極みです。立派な日本間にいらっしゃる皆様方にとって何のことはないと思いますがこちらでは........素人作りの似非日本間とはいえなかなかですぞ
訪ねて、見た人はすべて例外なく、感嘆!!、このときばかりは私の鼻の穴が広がります。自信作です。
パリの日本文化会館にはお茶室がありますが2万人以上滞在している日本人の中でもそれを持っている人は私以外いないはずです。小さいころに 図工の授業の時作らされた本棚とか椅子以外何もやったことがない、ちょっと器用なだけのど素人がひとりでこつこつ作ったのですから......
自慢話はこの辺で締めくくらせていただき、さあお茶を一服。