徳山ダム建設中止を

近藤 ゆり子

「掲示板」へ「徳山ダム建設中止を求める会」の活動紹介を

掲示板は住所変更等だけですか? 私の「発見?物語」が話題になるなら、「お知らせ」も載せてもらえるかな、と、書いています。

市民運動の事務局責任者の立場としては、図々しくとも、広報・宣伝になることは何でもやることにしていますので。

「徳山ダム建設中止を求める会のホームページ」にアクセスして下さい。

(最近の活動はhttp://tokuyama-dam.cside.com/でどうぞ

 40年前に計画が始まり、23年前に事業化された、日本一の巨大ダム・徳山ダム。まだ本体工事に手はついていません。長良川河口堰の水余りは、多分、全国的にも有名でしょう。徳山ダムは、長良川河口堰の失敗に、更に上塗りするものでしかありません。あらゆる面から公益性は失われています。私たちは、現在2つの裁判を提訴する準備中です。広くご支援をお願いいたします。

★この投稿に関して、事務局として「人によっては政治的な主張を掲載するのはどうかという意見も出るかと思いますが、どこかに掲載させてもらいます。
今、思いついたのは、この活動のことをもう少し詳しく記述していただいて「同期の人から」のページに全文を掲載させていただくのはどうかということです。お願いいたします。」と返事を出しました。その回答が以下の文節です。

「徳山ダム建設中止を求める会」活動紹介

「徳山ダムの建設中止を求める」ことが「政治的な主張」と言われて改めて考えさせられました。確かに人がこの社会で生きている以上、一人一人の存在のありよう自体が政治的な側面を持つものであるという意味では、まさにその通りで、全く異議はありません。どのような運動も、さらに言えば、何ら社会的に活動しないということも、きわめて政治的であることを自覚すべきだと、促されているように思いました。むしろ私たちの運動が本質的に「政治的である」ことをもっと強調すべきなのではないか、とも感じました。ただ「亡夫・正尚が知事選に出たから、政治的」(政治=選挙=集票活動)というふうな捉え方をされたのでしたら(伊藤さんの文面がそうだ、と言っているのではありません。そういう捉え方をする人にあまりにも頻繁に出くわすので)、全く心外です。

 徳山ダムについて、一言で紹介するのは大変難しいものがあります。ホームページにも掲載してあるはずですが(ホームページ管理を他人に任せっぱなしできちんと確認していない)、強制収用への道を開く「事業認定処分」への異議申し立てを載せます。文書の性質から言って、固い文面になりますが。
なお、12月14日付け朝日新聞夕刊の「マガジントリップ」で「技術と人間」が紹介されていました。そこにも1行ありました連載「徳山ダム問題を考える」をどこかで読んで頂くとさらに有り難く存じます。

事業認定処分に対する異議申し立て(1998年12月25日)

<異議申立の趣旨>

 徳山ダム建設事業は、土地収用法第1条に規定する「公共の利益となる事業」ではなく、「国土の適正適正且つ合理的な利用に寄与すること」に背くものであるので、土地収用法を適用すべき事業ではない。また土地収用法第20条三及び四に該当せず、事業認定の要件を満たさない。従って、建設省が土地収用法に基づく事業認定を行ったのは、明白な誤りであり、この処分を直ちに取り消すべきである。

<異議申立の理由>

(1)徳山ダム建設事業は、土地収用法第1条に該当する事業ではなく、第20条に規定する要件を満たさない。

 第1に、徳山ダムによる「水資源開発」の必要性は存在せず、住民・国民の重い負担になるだけである。徳山ダムの事業主体は水資源開発公団であり、長良川河口堰や岩屋ダムと同じく木曽川水系水資源開発基本計画に位置づけられている。愛知県・三重県では(以前から指摘されている通り)長良川河口堰の水を使う需要がないので、一般会計からの(つまり税金からの)違法な償還を行っている。岐阜県では岩屋ダム完成以来、毎秒5トンの水の使い道が見いだせないまま、20年にわたって、やはり一般会計から違法な建設費償還を行っている。さらに徳山ダムの売れる見込みのない工業用水についても20余年にわたって一般会計から支払っている。水余りの明白なこの地域で、税金を投入して、これ以上の「水資源開発」を行うのは、公共の利益に反する。

第2に、揖斐川最上流部の巨大ダムでは揖斐川の水は治まらない。建設省による揖斐川の現治水計画は、徳山ダムを前提として徳山ダムの効用を大きく見せるために計画されたものであって、流域住民の安全を中心に考えられていない。安全性からもコストの面からも徳山ダム建設を前提にすることをやめて、新たな治水計画の検討がなされるべきである。

 第3に、湛水面積13平方キロ、貯水量6億6000万トンという巨大ダムがもたらす大規模な自然改変の問題がある。絶滅に瀕しているイヌワシ・クマタカ等の大型猛禽類を頂点とする生態系に大きな打撃を与えることは間違いない。環境アセスメントすら行わないまま、不可逆的で大規模な自然改変を行うというのは、未来の世代に対する許し難い暴挙である。

(2)1971年に、徳山村村民・事業者・岐阜県の3者で結ばれた「確認書」には「みだりに強制収用は行わない」とあり、その確認書の解釈を述べた徳山村村民からの「差入書」には「いかなる段階においても、住民の犠牲となるような強制収用は行わない」とある。この文言及び確認書が作成され、差入書が差し入れられた経緯を見れば、土地収用法適用=強制収用は、道義的にも法的にも許されるものではないことは明らかである。
 これについて、建設省は「住民の生活再建が図られた」ので、みだりではない、「住民の犠牲となるような強制収用」ではない、すなわち「住民の犠牲を伴わない強制収用」であるから「差入書」の趣旨にも背かないと称している。これは詭弁以外の何ものでもない。第一に「住民の生活再建が図られた」というのは、建設省と起業者の一方的な言い分に過ぎない。例えば今でも徳山の地に暮らすお年寄りにとって、徳山を離れた「生活再建」など本質的にはありえない。旧徳山村の住民の中で、生活再建への補償や援助が十分であったと満足している人が何人いるというのだろうか。96年の公聴会で公述した旧徳山村住民はすべて、この点において起業者と建設省への怒り、不満を訴えていた。

第二に、住民の意志に背くからこそ「強制」収用なのであり、自らの意志に反することを強制されることが、苦痛でもなく「犠牲」でもないということがありえようか。「住民の犠牲を伴わない強制収用」なるものが存在するかのように描き出すことは、当事者により多くの苦痛を与える以外の何ものでもない。

 建設省は、確認書・差入書の本来の文言を尊重し、事業認定処分を取り消すべきである。


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