ミニ同期会-色々の企画 |
●2D、3H、テニス部の有志「友だち友だちは ともだちだ」の会(22/10/26) |
(清水君より)
さて、未だコロナ禍ではありますが、10月21日に、2D,3H,テニス部の有志会を合同で開催しました。
悪い知らせは届いていませんので、皆無事だったと思います(笑)
その時の様子を、姉帯君が書いてくれ、写真は篠原君が担当してくれましたので、送付します。
<写真>
下段左から 西山(藤原)、加瀬、西田、細矢
中段左から 西田(小出)、斎藤(安)、山本(和)、川瀬、高橋(滋)
上段左から 福井、二宮、山口、吉清、依田、川上、中臺、篠原、清水
上方左枠 中嶋(横顔で残念)、上方右枠 姉帯
ミニ同期会のご報告(文責:姉帯君)
「友だちの友だちは ともだちだ」の会
10月21日金曜日 船橋の名店 「蕎や本田」 にて上記の会が催されました。
2年D組、3年H組、テニス部それぞれの有志総勢20名が、遠くは勝浦から吉清君、龍ヶ崎から斉藤君が参加されました。
17時開始の前に 気の早い 勇み立った昔の奔馬数名が既に集まって気炎を上げているという状況。
乾杯は2年D組、3年H組、かつテニス部と3チームを兼ねる西田 (小出)さんの音頭により始められました。
なかには50数年振りの再会という仲間たちもいます。
30年も40年も昔の会であったならば、いそいそと名刺交換などという社会儀式に持ち込む輩も多かったのですが、昔の若者青年美女の皆さまも古希を超え、おそらくは、皆さま様々な事柄を抱えていらっしゃるであろうけれどあまり表に出さず、この一瞬このひととき の再会を喜びあう会となりました。
集合写真では、なかなか分かりにくいものですが篠原君の撮ってくれたスナップショットのなかに映っている仲間たちの表情の何と清々しく、晴れ晴れとした 笑顔の素晴らしさ 旧友とまみえる事の何という喜ばしいことであるかとつくづく感じ入りました。
参加された皆さま、諸般の事情許さず見送られた皆さま 次回 まみゆる日までどうぞ お元気で いらっしゃって下さい。
●木曽駒ヶ岳登山(18/9/18)→登山は7/23~24 |
昨年の北八ヶ岳に続き、2回目の本年は7月23~24日、中央アルプスの木曽駒ケ岳に登ってきました。
メンバーは、荒川(3B)、西田恵美子(3H)夫妻、金澤、笹畑、檜貝、川村(以上3A)と友人の岡野さんの8名です。
1日目、バスタ新宿8:20発の高速バスで駒ヶ根下車、連絡バスとロープウエーを乗り継ぎ、午後3時ごろ標高2612mの千畳敷に到着。 今宵の宿・千畳敷ホテルに荷を置き、高度順応と足慣らしを兼ねて、千畳敷カール遊歩道を1時間ほど散策しました。
ロープウエーのおかげで、お年寄りや子供でも歩かずにここまで来れます。雄大な景色の中に可憐な山の花々が咲き乱れ、天上の楽園と形容したい風景が広がっていました。花の名前は西田さんが教えてくれました。
イワツメクサ | ミヤマリンドウ |
ミヤマクロユリ |
2日目の朝、朝食をお弁当に替えてもらって、6:30登山開始。 リーダーは恵美子さん、登山届も提出済み。
千畳敷登山口にて 笹畑さん撮影 |
稜線の乗越浄土までコースタイム1時間の登り。見上げる稜線は壁のように立ちはだかって見えるが、ジグザクに続く石の道はよく整備されていて、思いのほか歩がはかどる。ストックに助けられながら、ゆっくりゆっくり、やがて稜線にたどり着く。 南には今にも崩れそうな岩の宝剣岳、北は中岳から駒ケ岳へと道は続く。眺めの良い岩に座り、朝食休憩。(朝食後、1名が体調によりリタイア) 駒ヶ岳山頂までコースタイム1時間。さすがは標高3000m級、息が浅くなる。吐く息を意識して、足首を捻らぬよう慎重に、一歩一歩山頂へ進む。
駒ケ岳山頂にて 左奥の山は噴火した御嶽山 |
木曽駒ケ岳山頂2956m。抜けるような青空、筋掃く白い雲、360度のパノラマ。中央・南アルプスの山々、そして50年前登った八ヶ岳の峰々全て。今まで生きてきた中で一番の、と言っていい山々の眺めを堪能しました。 下山後は、駒ヶ根・早太郎温泉で汗を流し、新宿行きのバスに乗車、全員無事に帰宅しました。 この山行は、来年も続きそうです。 (川村 記)
●北八ヶ岳・七夕・半世紀後・登山(17/7/18) |
7月7日~8日、同期生7人で北八ヶ岳に行ってきました。
メンバーは、荒川(3B)、西田(恵)(3H)、金澤、笹畑、武富、檜貝、川村(以上3A)です。
このうち5人は、千葉高3年の夏休みに八ヶ岳縦走登山を行っており、50年後の八ヶ岳再訪となりました。
金澤、笹畑、川村、檜貝、西田、武富、荒川 (高見石小屋前) |
高見石からの御来光、手前の水面は白駒池 |
今回のルート 茅野(バス)=麦草峠ー白駒池ー高見石小屋(泊)ー中山ーにゅうー白駒池=茅野
梅雨の季節ですが、歩き始めに弱い雨が短時間降っただけ、後は好天に恵まれ、風もなく、我等の心がけのよさが認められたのかも。白駒池周辺の美しい苔群や、コイワカガミ、ゴゼンタチバナ、ミヤマオダマキ等、可憐な山の花々は、期待以上でした。
コイワカガミ | カギカモジゴケ |
高見石小屋のその夜の宿泊者は我々だけ。夕食後、外に出て七夕の夜の満月を眺め、夜明けには高見石に登って御来光を拝みました。眼下の樹林に囲まれた白駒池の美しさ、吉永小百合さんもここまでは登らなかったそうですが。
2日目は、中山(2496メートル)、にゅう(2352メートル)の2つのピークを巡って眺望を楽しみ、樹林帯のゴロゴロした岩とぬかるみの多い山道はチームワークで乗り切って、全員無事に予定のバスに乗車できました。
私達は毎年11月に軽いハイキングを行ってきましたが、今回の成功で次なるステップへと発展しそうです。(川村記)
●菅井牧場訪問(17/7/6) |
7月4日に安倍、榊原、林(文)の諸氏と菅井(會澤)さんの牧場に出向きました。競走馬の訓練場ですので、榊原君の乗馬姿を見ることはできませんでしたが、菅井さんご夫婦と我々4人と、もうすぐ中央競馬にデビュー予定の菅井さんご所有の葦毛の馬の馬房の前で撮った写真をアップしておきます。
左から安部君、菅井さん、林君、お馬、伊藤、菅井(會澤)さん、榊原君 |
9時半に、 蘇我駅前の安倍君のお店に集合して、安倍君の車で向かう。水素で走るトヨタの車とのことで榊原君が感激していた。
10時半前に菅井さんの牧場に着く。この時期は暑いから、トレーニングは終わっており、馬場には馬はいない。馬場は幅20メートルくらいで全長約1400メートル。200メートルごとにハロン標識の旗があり、この間のタイムを調教師が計測して、馬の仕上がり具合を確認してレース出走を判断するとのことだ。(馬場の様子は3年前にうかがった時の写真(このページの下)を参照)
馬のトレーニングを請け負う会社が数社入り、各調教師から預かっている馬を仕上げていくわけだ。菅井さんのところは、その為の施設を貸しているという位置づけとなる。(昔は自分のところで繁殖もされていた)
調教中の落馬は珍しくなく、人が落馬して骨折しても同情はされないが、馬が故障しないようにと神経を使うとのこと。数千万円~億円超の馬がいるから当然なのだ。
だから馬場の保全にも細心の注意が必要で、大変な労力をかけておられる。落ち葉があってもダメで、落ち葉はブロアーで飛ばす。畑の土が飛んでくるのも防ぐ必要があり、また冬場は凍らないように馬場に不凍液を撒くそうです。
この日も馬場内に整備機械の部品を落とした可能性があり、それを探すという気の遠くなるような作業を菅井さんのご子息が行っていた。
馬場はこの他に一周600メートルくらいのもあるし、馬場以外のスペースの草刈りなどの管理も必要。草刈りなどは当然機械で行うが、野ウサギ、キジなどの巣もいくつもある。だけどかまっていられないのが現実だ。
この後、菅井さんのこれまた広大なご自宅の庭(ここだけでも3町歩?)の一角のテラスのような場所で、お茶をいただき、富里スイカをいただき、色んな話をしました。
下の写真のように西洋モミジ、イチョウの大木の下にバーベキューもできるようなレンガも積んである。秋の黄葉、紅葉がさぞ見事なことだろう。振り向くと桜の木があり、花見の時期もさぞかしと羨んだら、下の写真を送っていただいた。他にケヤキもあり、敷地が広いから各樹木が他に邪魔されることなく、ありのままの樹形で健やかに育っている。
異次元のような空間に風が吹き渡り、不思議な感覚でした。
ここでお茶。左公孫樹、右西洋紅葉 | 左写真からカメラを120度振る。桜の時期だ。 |
菅井さんのご子息はテラスの近くから、桜の奥の林に向かって、アプローチ練習をしていると言う。上の写真を見てもわかるように、伊藤などドライバーで打っても奥の林には打ち込めない。
その後、菅井さんもご一緒に佐原に出て、うなぎの「長谷川」で食事を楽しみました。1年B組の榊原君と伊藤が菅井さんの車に同乗。3人で話す思い出は、2人の思い出話に触発されて記憶が甦ることもあり、興味深い時間が流れる。
去年、神保さん、仁科さん、武田さんが来訪されて、2E女子会を開催されたそうです。
雪の栄村訪問記(16/3/2) |
●菅井牧場訪問(14/6/9) |
6月5日、安倍君と一緒に、菅井(會澤)さん御夫妻の菅井牧場(香取市)に出向きました。菅井さんとは千葉高に入学したばかりの1年B組山沢学級における出席番号の1番と2番だ。
前日の4時頃に安倍君に電話したら明日はゴルフをキャンセルして空いているとのこと、急遽、出向くことに決め、菅井さんにお電話する。その後、明日は大雨との予報も聞いたが、決めた後だ。結果は雨にも遭わなかった。
広い牧場です。牧場だけで伊藤家の敷地の3500倍です。自宅敷地は別途3町歩とのことです。ここはいわゆる観光牧場ではなく、また、今は生産も行っておらず、競走馬のトレーニング場として利用されています。以下に、菅井さんに伺った内容の内、公表できる範囲をとりまとめています。
600㍍の馬場を背景に | 菅井さんご夫妻 |
1400㍍周回コース横の馬見台 | 馬見台から1400㍍の馬場 |
本野先生をしのぶ会の結果報告(08/11/10→12/17) |
08年12月13日に下記の17名が参加してホテルプラザ菜の花で先生を偲びました。
阿部、石井(忠)、伊藤(三)、今村(御園)、岩井、植草(隆)、梅澤、木口、熊野、宍倉、高橋(良)、、古屋、古山、槇、山田(恭)、吉川、横山(海宝)(アイウエオ順)
立派な髭の人物は熊野君関係の宗派の偉い人に 見えますが、槇君です。 |
卒業後25年の平成6年同期会 の集合写真から弊社の阿部君 お嬢さんが技を駆使した遺影 |
各人の思い出は、別途まとめて、先生の奥様に送ります。A4のワード文書3頁半になりました。これに加えて同期諸氏からHPにアップしていただいた思い出も一緒にまとめます。
先生は、教師と生徒という立場はありますが、できるだけ生徒の方におりて来られて、我々の話を聞いてアドバイスをされ、またご自身の生き方を我々にぶつけてこられたから、先生の熱をいつまでも覚えているし、先生の真摯さに打たれたのではないかというのが大半の参加者の声でした。
進路相談の折の先生のコメントを思い出として挙げられた同期が多かったが、これらを聞いていると、先生のお考えがわかる気がする。
私自身、つじつまが合わない思い出として残っていた鎌倉の家庭教師のお話は、宍倉君によると「高校を出て、どういうわけか大学に行かず、2年ほど鎌倉で書生をやっていた。その時、そこの主人に「勉強せい」と言われ、それから一念発起して教育大に2番で入ったという話である」ということがわかった。今、思うと”どういうわけか大学に行かず”というところに、何か先生の教え方につながる深い理由があったのかとも思う。
また他の人が話される思い出に、当方の脳が刺激され、急に昔の記憶が引き出されたり、脈絡が出てくるのが面白かった。私が奥様から先生がクラッシックが好きだったとの話を聞き、それを披露すると、海宝さんはモーツアルトでしょと言われる。奥様はベートーベンとおっしゃっていたと伝えたが、梅澤君が、この会のあとで、断片的な記憶だが、あるとき先生はこんな風に言われたように覚えていると、教えてくれたのは、①本来モーツアルトの方が私にはなじむ、②でも若いころはベートーベンをよく聞いた、③ロマンローランのベートーベンの生涯の影響や映画「ベートーベンの生涯」において、桜のような花びらが舞う中、何々?の曲が流れる中を歩くベートーベンの姿が強く印象に残っていると。海宝さんの思い出も一つの事実なのだ。
このことからも、先生は音楽や、読書など、我々以上に教養を詰め込んでいたことがわかる。(今の大学生-私の子供たちですが-は我々より更に教養というものへの意識が低い)
吉川君も佐貫での思い出として、「キャンプファイヤーを囲んだときのこと。理想の女性について、ひと言ずつ意見を言え、と本野先生。それでみんなの発言となった。各人は自分の母親とか女優やタレントとかをあげる人が多かった。その時の本野先生のひと言。
「おいおい、君たちは小説ってものを読まないのか? 小説の中に登場する、例えば、ナターシャとか、アンナ・カレーニナだろうが・・・。(このとき先生はどういう登場人物をあげたのかはっきりとした記憶はないが、おそらくそういう女性だった)」。
●安倍、村田両君によるW杯観戦報告会の結果報告(2006/7/3) |
既報の通りに7月1日(土)にM’s Barで2週間にわたって、日本の予選3試合を中心にドイツW杯観戦してきた安倍、村田(秀)両名のW杯観戦報告会を開催しました。結果報告をご覧ください。
彼らとは別に、テキサス赴任中の西田君が奥様と出向いたW杯観戦記もお読みください。
●山本秀夫君によるM’s Bar & Dinnigの料理を味わう会の報告(05/5/8) |
標記の会に以下の29人が参加され、椅子が足りない状況になりました。(敬称略)
石井(忠)、伊藤(三)、恵藤、織本、勝田、鴨山、金澤、川村、衣笠、熊野(明)、小出(敏)、佐久間(憲)、清水(啓)、杉浦、高橋(純)、武内(国松)、佃、成田、西田(恵)、村田(秀)、林田、林(文)、馬場、八木、矢野、吉田(俊)、和田(ひ)の27人と後から安倍、山越。
前菜、次いでマカロニ(正式にはリガーテと言うのでしょうか?)にウニであえたもの、魚料理は鯛で、石井君の説明によると養殖物だが品評会で賞をよくとる産地のもの、それから柔らかい薄めのステーキにハーブを添えたもの、それにデザートでした。
ステーキも柔らかく、美味しく、食べやすいものでしたが、鯛は絶品でした。フランス料理はソースですが、今回のは下ごしらえの味プラス鯛の旨みであっさりしていて堪能しました。養殖の方が生産者は旨いものを作るから天然よりいいのがあります。コシヒカリなどの銘柄米は言わば品種改良した養殖ものでしょう?
村田(秀)君が、ここのペア食事券、林田君が西本智美コンサートのペア入場券を提供してくれ、アミダ抽選で、前者は吉田(俊)君、後者は熊野君に当たりました。
山本君が挨拶し、その中で彼がコックになりたいと希望を述べた時、岩岡先生が料理の世界は、多くの料理人の中から成功するのは僅かだからというようなことをおっしゃって反対された逸話なども紹介してくれました。岩岡先生にも山本君の料理を食べてもらいたいものです。
なお5月5日には尾崎君の墓参をしたテニス部の川瀬君、清水(教)君、篠原君、西田(高)君、福井君がそれぞれの奥様と、尾崎君の奥様、息子君、お嬢様も含めて、ここで食事をしたそうです。尾崎君も喜んでくれていると思います。
皆様も、利用してください。駐車場も3台分、確保してあるそうです。この場でも林田君が6月にご家族の誕生日祝いの食事を予約していました。
●村田秀志君の快気祝い兼M’s Bar開店祝いの結果報告(04/4/18掲載) |
42年卒でJリーグ創設者の木之本さんもご参加で、総勢20名でお祝いいたしました。
同期の男は、村田(秀)、安部、石井(忠)、伊藤(三)、鴨山、小出(貢)、小出(敏)、高橋(純)、長谷川(哲)、林(文)、女性は今村(御園)、川村(佐藤)、佐久間(憲)、清水(岩藤)、杉浦(加藤)、武内(国松)、堀松、和田(長妻)です。林(雅)君からは胡蝶蘭が御祝いできてました。
「女性が多いぞ」「嬉しいね。女性は飲まないし3000円でいいよ。その代わりお前ら男は1万円だ」「1万円じゃ誰もこんぞ」「しょうがない。それなら5000円と3000円だ」ということで、お店にはあまり貢献できませんでした。(女性が飲まないという彼の認識は誤っている。飲まないのは安部、伊藤の男だ)
彼が入口のカウンターに座り、来てくれた人に握手をして迎え入れました。村田君とは何度か握手したことがあると言う仁子さんは
あでやかな着物で来場し、「ご出勤」と冷やかされていましたが華を添えてくれました。村田君は今度の病気で、はじめて死を身近に感じたそうですが、それで人生観が変わるかと思ったが結局は変わらず、毎日ウィスキー1本がウィスキー半分になっただけだと言っていました。(言葉と本心は別かもしれませんが)
「医者の言うところの「酒はダメ」「タバコはダメ」は守らない。そんな人生は楽しくない。」と宣言していました。(もっとも斉藤真理子さんのご主人である主治医には心より感謝していました)
彼が”つまらない”という生活が常態の伊藤としては言うべき言葉もないのですが、ガンは医者だって確信がある忠告ができないのだから、彼の言うことも一理ある。アリとキリギリスのイソップ物語も最近は変わってきているようだから。(注)
参加者の一人ずつから、心温まる御祝いのスピーチがありました。御祝いの言葉に含まれていた自愛を促す忠告を少しは聞いてくれるでしょうか。まったく無頼なんだから。でも本当に元気な顔になりました。大丈夫だと思います。
なお、「M’s Bar」の料理は旨いです。スパゲッティのペペロンチーノだと思いますが絶品です。予想外の旨さで、佐久間さん、国松さんなどは四季の会は、今後、ここでやりたいし、毎月1度、ここで集まってもいいと盛り上がっておりました。
立地特性と予想される客単価から、このような美味しいものを提供していると厳しいと思いますが、頑張ってほしいと思います。長谷川君は千葉大のお嬢さん用にボトルを入れておりました。ご子息が千葉大の方や教官の方、お奨めです。(注)冬がきました。一生懸命に働いたアリは過労死で死んでしまいました。夏、秋の間、歌って、遊んで暮らしていたキリギリスは、その歌が売れて楽しい、充実した冬を過ごしましたとさ。
江戸前の寿司を食べる会(寒ビラメ&はまぐり)の報告(04/3/6掲載) |
高橋君の義父が危篤状態とのことで、彼は急遽成田日赤病院へ。
今回はウニが抜群で、生涯最高の旨さ。高橋君は「俺はここでウニは出してもらったことがない、よほど旨いウニが入ったんだろう」と言っていた。ウニは、ある程度の量をまとめて口に入れるものなのかもしれない。寒ビラメ、聞いたら青森産だと水温が上がらないから、一年中大丈夫とのこと。はまぐり、トリ貝などいつもの蛇の目の貝だ。エビは35から38グラムくらいが一番美味しく、値段も高く、それをテリをだすために酢とかミリンで、それとわからないように下ごしらえしておくとのこと。あのコハダも何で下こしらえしているんだろう。ここのイカは本当にいい味だ。包丁で切れ目を入れている技も旨くしている一つだと思う。鮨の話をいつもしててもはじまらない。
堀松さんはお母さんにおみやげを作ってもらって早めに帰宅したいとのことで、佐久間さんと少し早く来て、はじめていた。
蛇の目の親父さんが「高橋さんから女の子2人が先に行くから」と聞いてましたと。「女の子」に2人ははしゃぐ。続けて親父さん「皆さんが”○○ちゃん”と呼び合うのにやっと慣れました」と。
宴たけなわの時間に早めに帰宅した堀松さんから蛇の目に電話。母上が美味しくて喜ばれ、お礼の電話。いい親孝行。
佐久間さんは千葉市の財政逼迫を受けて、時給が10円下がったとのこと。「あなたが、そんな話をしても、暗くならないのよねぇ」と堀松さんに返されて苦笑。
中之森君は九州に赴任した時に、メガネ橋に興味を持ったとか、その研究の成果を話してくれたが、この話がおもしろい。全国に500あり、内、九州に400。その内熊本に200。オランダ系と中国系があって…… 石工の橋本勘五郎は70歳を過ぎてから…… 以下、延々と続く。皆様必聞。佐久間さんに「今度、きちんとまとめて書いて」と要求されていた。(「くまもと石の橋めぐり」のページ)
杉浦さんの息子さんはブラジル大使館勤務が決まり、ブラジルからのお嫁さんも日本語が上手になったそうです。だから私はブラジル語を覚えないと。栄村に住民票を移し、働いている内に、少しでも村に貢献する為に住民税を払うとのこと。田中知事の先駆者がここにいた。
武内(国松)さんは相撲が好きだったとのことで盛り上がる。このお店には相撲とりがよくくる。中之森君も祖母に連れられて千葉で鏡里を見て軍配を買ってもらって以来のファンとのことで、佐久間さん共々「弾丸房錦」「松戸出身松登」などの話題で盛り上がる。
国松さんのお嬢さんの音楽の話で、音楽が趣味の長谷川哲ちゃんとバッハ、池袋芸術劇場などの話。長谷川君のお嬢さんは南極越冬隊に参加すべく勉強中。今に越冬隊員として名が載りますぞ。
織本さんはいつものように遅れてきて、いつものように冷酒の瓶を3本あける。最近はウコンに凝って、お酒は量を減らして毎日500ミリリットル程度のワインや冷酒など抑えているとのこと。今回、気がついて、高橋君にも連絡したのだが、織本さんは鮨もよく食べる。我々が13、彼女は16、ちなみに相撲取りは30個程度とのこと。経営者はこうでなくてはいけない。私の知り合いの経営者も言っていた。「昼にもりそばしか喰わない男はどうも信頼できない」と。もっとも、この人は大モリだったけれど。
飲んで、喰って、寝て、仕事をバリバリやりましょう。
●蕎麦を味わう会の結果報告 (03/12/1掲載) |
11月29日(土)に登戸の「功徳庵更科」で開催しました。
11人が参加。「そば会席」ということで、高橋君の顔もあって、ここの親父さんが張り切ってくれました。吟味した素材で美味しかったですが、私は蕎麦を暖かいのと冷たいの、それにそばがきをたらふく食べるだけでいいんですが。それじゃ間が持たないのかな。
両隣に座った櫻木君や小倉君は蕎麦通らしい食べ方で、その彼等も”うまい蕎麦だ”と言っていた。
ここの「そばがき」はいい。今回はそばつゆを軽く付けてくれていたが、色んな食べ方ができるだろう。海苔で喰ってもいいし、きなこもいいかもしれない。何かの中に入れてもいいと思う。そうだ、ぜんざいにも入っていた。
海苔といえば千葉の「はばのり」の話題が出ていた。私の妻は鴨川で、それを食する習慣はないようだが、櫻木君が山武郡から内房にかけての習慣かなぁと話題を総括していた。
高橋君から聞いたんだと思うが、「蕎麦は”痩せた土地”と言うが、やはり肥えた土地でできる蕎麦の方がうまいらしいよ」とのこと。そうかもしれない。米に魚沼産のコシヒカリがあるように、蕎麦にも銘柄があるのでしょうか。
ここのつゆは辛くていい。原料にかつを節がサバ節を使っているのだろうが、味が昇華して、元の魚の味は感じない。つゆは蕎麦の引き立て役に徹している感じがして好きだ。今度はわさびやおろしより、とんがらしを用意してもらおうかな。
私が千葉駅の万葉軒の駅そばが懐かしくて喰いに行ったら、昔に感じた旨さはなかった。それを聞いた妻が昔は、おなかを減らして、美味しいものを食べていなかったからじゃないと簡単に片づけていたが、小倉君の隣に座った日下君から「万葉軒の駅そばは、昔より味が落ちた」とアシストをもらった。
杉浦家はこの店が稲毛にあった頃から家族で来ていたようだ。今度ブラジル人のお嫁さんを連れてこようと恵子さんが言っていた。
石井(忠)君に堀松さんと武内(国松)さんと一緒に車で送ってもらった。何十年ぶりに男女2対2でのドライブだった。
千葉組は佐久間(憲)さんと清水(岩藤)さんも一緒に、どこかに飲みに行ったのでしょうか?私は知らない。
関西に移住した榊原君は、登戸で育ったから、今度実家に行った時にでかけてみると電話してきた。彼は蕎麦が好きだそうだが、蕎麦だけは関西は駄目だと言っていた。確かに、高島屋の京都物産展に、京都の老舗「本家 尾張屋」が出店していて食べたが、粘り気があり過ぎて、さっと取れない蕎麦でいやになった。つゆはまずくはないが、鰹節の味が強く、甘くもないが、辛くもないと言った感じで、私も江戸風がいい。
なお、当日に出た話題で驚いたのは、櫻木君が登戸の幼稚園の総代で答辞を読んだそうだが、その内容に関して高橋(純)君と櫻木君が「桜の花が咲く頃、僕たちは1年生になります」だとか、嫌そうじゃないとかで言い争っていたことだ。
こんなに記憶力のいい奴らと同じ学校にいたんだ。勉強では苦労したはずだ。
ミニ同期会「旅の話でもしましょうか」の結果報告(2003/9/22掲載) |
20日夜は雨でしたが、予定どおりミニ同期会を開くことができました。
出席は、「旅の小話」100回のリュウさん、「ツール・ド・北海道」(99年HPに発表)のヒデバロさんはじめ、松江からWさん、女子高出身で我が同期会HPの愛読者Tさんの参加を含めて、計11名でした。
まず、軽めのスプマンテで乾杯の後、会話は、「リュウさんって?」「私です」「エエッ」と、上々の滑り出し。
3種類のオードブルの間に、リュウさんから、「旅の小話」を書き始めたいきさつ、ちょっとした秘密などエピソードが紹介されました。
「100回を」とけしかけた三平さんから、美麗製本された「旅の小話 百話」一冊がリュウさんに贈られました。とても粋なプレゼントでした。
リュウさんからは、出席者全員に、100回全部をコピーしたファイルが配られました。
これをファイルする作業、持ってくるだけでも大変だったでしょう。実は読んでいない出席者(複数))にも、思いがけない記念となりました。
ヒデバロさんは、99年の後も毎年北海道に渡り、4回かけてついに北海道の縦の線は端から端まで完走されたそうです。
延長3,700キロ(でしたか?) サラリーマンをしながらのことですから、スゴイ人ですね。
今後は、北海道の横断を試みるつもりだそうです。
「自転車を漕ぎながらどんなことを考えているの」という質問がありました。
「何でこんなことを始めちゃったのだろう」とかは考えず、思いつくまま知っている限りの歌を頭の中で歌ったりしているそうです。
「人生という一日の中で、今は三時半ごろかなと思う」「出発地へ帰っていく旅と、帰ることのできない時間という旅がある」など、さりげなく深い発言がありました。
料理が2種類のパスタからメインディッシュへと進み、ワインも、その後2種類あけられました。
進行役としては皆さんから旅にまつわる話を少しずつ聞かせていただく目論見でしたが、話題は、松江の話、栄村のはなし、その他どんどん流れていきましたので、流れにまかせ、私も食事と皆さんの会話を楽しみ、デザートへと進みました。
実はこれを話したかったと話題を用意されていた方がいるかもしれません。次の機会にぜひ聞かせてください。
お仕事の関係で御都合つかず来られなかった方、また次の機会を楽しみに。
なお、「旅の小話」連載は今後も続き、リュウさんの「正体」は明かさないことになりましたので、悪しからず御了承ください。
ありがとうございました。
江戸前の寿司を食べる会2003早春 の結果報告(2003/2/19掲載) |
ピン(1)、リャン(2)、ゲタ(3)、ダリ(4)、メ(5)、?(6)、セナ(7)、バンド(8)、キワ(9)が寿司屋の符丁とのこと。
ゲタは下駄の鼻緒の穴の数から来ているらしいが、あとはわかりますか?
こんなことを覚えても何にもならないが控えてきた。
薄い昆布で覆ってくれた壱岐の〆鯖はうまかった。京都のいづうの鯖寿司を思い出した。しばらく食べていないなぁ。
私は光物(ヒカリモノ)が好きだ。今回のヒカリモノは鯖の他には小鰭(コハダ)と鰺。妻の実家の安房鴨川で食べる鰺と違って、寿司ネタらしいたくましい鰺だ。
ネギが乗っていた。アジは産地を聞かなかった。
いつものことだが、蛇の目は貝だ。なんて大きなはまぐりなんだろう。どうしてこんなに柔らかいのであろう。これははまぐりをボイルして、冷えた状態で付け汁と併せて味付けをしているそうだ。 一緒に煮ると固くなってしまうとのこと。「ひな祭りが近いからはまぐりをだしてくれるのね」とある女性。季節にからめて味わう感性は大切。
ミル貝もおおきくておいしい。炙ると甘みがでるとのこと。貝柱の軍艦も、とろけるようだ。不思議だな。
マグロはそのままのトロと、炙ったトロ、それにズケと3種類。ここのズケもうまいなぁ。なんで漬けてあるのだろう。炙られたトロさん、この味は何なの。極上のステーキをレアで食べているみたい。一口で食べちゃうから、美味も一瞬。それがいい。
今回は食い過ぎ。おいしいものは腹8分目で切り上げるべきですね。
食い過ぎの理由は、穴子、太巻き、メネギだ。皆のリクエストで穴子を頼む。例によってタレと塩で、それぞれ握ってくれる。夏より淡泊な感じである。
高橋君の奥様も大好物という太巻きも味わいがある。ちなみに太巻きは一挙に口に入れて食べてほしいとのこと。45年卒の女性に「若いんだから」と太巻きを2つも食べさせてしまった。大丈夫だろうか。
木村君が太巻きという関西系で終わるのはいかがなものか、ここはメネギだとリコメンドする。さっぱりして、いい後口だ。生まれてはじめて食べる。
蛇の目では醤油が不要。みんな何らかの下味がついている。
●第43回東京葛城会総会&懇親会の報告(02/10/30掲載) |
これはミニ同期会ではなく、東京葛城会という大同窓会なのですが、今年の第43回総会は、我々年度が幹事年度ということで、大勢の参加がありましたので、この欄に転記いたします。
2002年10月24日に開催されました。今年は我々の年度が幹事年度ということで、高橋(純)君が幹事として、開会の辞を述べ、織本さんが司会進行をし、その他、受付と、チャリティのネクタイ(織本さんのお母上の手作り品)の販売などにたずさわりました。
同期の出席者は、阿部(静)、荒川、石井(忠)、梅澤、加藤(晴)、衣笠、木村(章)、熊野、佐久間(清)、佐久間(憲)、佐久間(裕)、清水(啓)、高橋(純)、織本、中之森、長谷川(哲)、三浅、八木、横山、和田の20名でした。
二次会から西田(高)、川村の2名が参加し、有志は三次会まで行ったようです。
チャリティのネクタイ(1本千円)の販売も、売り子の人の優秀さも相俟ってたくさん売れたそうです。一部を東京葛城会に寄付いたしました。楽しかったようで、高橋君からは夜中の2時に、次のようなメールが来ていました。(抜粋)
「日頃あまり付き合いのない?みんなが集まり、酒をくみかわし、日常を忘れて言いたい放題、これも楽しいことです。
今回は盛況で懐かしい方々の顔がみられてホッとしました。
在学中互いに知らない存在でもこういう機会があれば、なんとなくヨォといえるのもまたグーですよね。
詳しい報告は誰かがしてくれるものと信じ、酩酊している私はこれでもう寝ます。」
●佐久間さんのオペラアリア独唱会 (02/9/25掲載) |
佐久間さんより。
9月23日「la Fontanaイタリア歌曲オペラの夕べコンサート」、小過はあったものの大過なく無事に終了いたしました。
思いどおりの出来とはいきませんが、歌い終わった時の笑顔がよかったとほめていただきました。
「悲しい歌を楽しく歌ってもよいのではないのでしょうか」と仁子さんからアドバイスしてもらって、うまくは歌えないけれど私らしくはできたように思います。
皆さん、大勢の方においでいただいて恥ずかしい気持ちも強いのですが、花束や差し入れの品もちょうだいし、たくさんの応援に感謝の言葉もありません。
2次会での楽しい時間も含めて、とても幸せな一日でした。どうもありがとうございました。」
Jinkoさんより
あたたかい気持ちに満たされています。
佐久間憲子さんが出演した「イタリア歌曲・オペラアリアの夕べ La fontana
コンサート」は、成功のうちに幕を閉じました。
特筆すべきは、開演前に七、八割の席が埋まっていたことです。
出演者の方々のお人柄の賜物ですね。
「さあどうぞ歌って」と、応援の気持ちのこもった拍手がありました。
華やかなドレスに身を包んでステージに立つ、そのお一人お一人のここまでの道の
りを思います。
緊張と晴れがましさ、それがやがて歌に解き放たれていく。
誰かの声を一心に聴くというのは、なかなかいいものです。
四人の方が歌った後、休憩をはさんで、憲子さんの出番は第二部のトップ、清楚な ピンクのワンピースで登場しました。 胸に手をやり、Lascia ch'io pianga と歌い出す。 ああ素敵だ、深みのあるこの声。 いつもの繊細な声に、もう一回り強さが加わったようです。聴いているこちらが誇 らしいような気持ちになりました。
二つ目の難曲「ああ花よ、こんなに早く」になると、手を広げ、歌を楽しんでいる ようでした。こちらは言葉がわからないから、悲しい歌かどうかまで判断する余裕 はなかったけれど、だれよりも一番ウタッテいました。 そして、終わった後の笑顔。 一同、よかったよかったと大拍手です。
プログラムの最後に鎗田静絵先生の歌唱があり、オペラの醍醐味も堪能させていた だきました。 今回、遠くの同期生からも「仕事で行かれないけれど、よろしく」という電話や、 会場への祝電などいただいています。ありがとうございました。 また2回、3回と続いていくと思いますので、期待しましょう。
もちろん二次会も楽しかった、弾けました。 憲子さんが一番よかった!というのが一致した感想です。 歓談の後、私も久しぶりに歌わせていただきました(一曲のみ)。 そして、最後はお約束の「想い出の夏」を放歌高吟して締めくくりました。
越生(奥山)君より
昨日(9/22)夕方、北千里公園で虫の観察会を行ないました。
マツムシ、アオマツムシ、エンマコオロギ、カネタタキその他いろんな虫の声が混ざり合い、何とも言えないハーモニーを聞くことができました。
心がすがすがしくなります。
金星があざやかに見えました。30数年振りの大接近で、今は都会の明かりに負けない位の明るさです。
観察会後、パブ「モア」へ電話しました。
実は大阪で少しばかり心配でどきどきしていました。
佐久間さんのいつもの明るい元気な声が出てきました。
ほっとしました。彼女の声を聞くとこちらも元気が湧いてきます。
秋の虫の声と、佐久間さんの声で、心が洗われた気分になれた一日でした。
江戸前の寿司を食べる会2002 (2002/8/7掲載) |
「江戸前の寿司を食べる会2002」を2002.8.6に開催。
「あなごとシャコは東京湾=江戸前が一番。江戸前のあなごは炙っても堅くならない」とのこと。炙ったあなごをタレと塩の2種類で寿司にしてくれる。炙ってあるためか表面はしっかりしているが、噛むと柔らかく、ジューシーな旨味が口全体に広がる。塩の方は海苔も巻いてある。本当に絶品。
炙ったトロも旨かった。”炙る”という文化も伝えたい日本の伝統だ。
また「江戸前」と呼ばれる東京湾は、昔は海産物の宝庫だったことが理解できる。
織本さんは明日は朝から京都で仕事とのことだが、「あなごに冷酒」の味が忘れられずに駆けつける。8時半過ぎには折りをつくってもらって、飲みかけの冷酒の瓶も一緒にタクシーで東京駅へ。
国会の会期終了で一息ついた川村さんも来られ、「これまで私が食べてきたあなごは何だったのか」と感嘆。
あとはハマグリ。下ごしらえしてあるハマグリの身に、塩とレモンを少し加え、それにスダチの表面をおろしたものをわずかに振りかけてくれる。高橋君や佐久間さんが昔、千葉の浜で蛤を隠れて採った思い出話も花を添える。そうそう、この2人は片や社交ダンス、片やオペラを習いはじめているとのこと。
今回は杉浦恵子さんも来られて、八十二君を偲ぶ会にもなる。息子さんに励まされてのトレーニングの話、一人で車を運転して栄村まで行ったこと、栄村の民家改築問題、早く改築にケリをつけてスノーモービルを練習という杉浦さんのお話に皆が微笑む。
和田さんも、ハンガリーのワインの販売のお手伝いをしはじめているとのことで、ロゼを持参され、お寿司にも合うでしょうと、鳥羽の鯖に舌鼓。
伊藤や長谷川(哲)君は女性陣たちの端で黙々と味わう。織本さんに「今は女性の方が元気があるわよ」と。そう言われても……
【川村仁子さんより】
本当においしかったですよ。 お店の御主人の包丁さばきを見ているのも面白かった。 さばく、握るというより、魚に優しく話しかけながら折り紙を折るような手先の 使い方。
それに、集まった面々が優しい人ばかりでよい雰囲気なの。 杉浦恵子さんも先週から職場に復帰して、元気です。 息子さんたちが時には優しく、時には厳しくケアしてくれるそうで、うらやま しい。 (ヤソジ聴いてる?)
千葉高70周年記念ビデオ『葛の葉かげ』の上映会(2002/4/24) |
「雨の日曜日、千葉高ビデオ上映会に参加。
メンバーは6人、4時過ぎから上映開始。
昭和23年撮影なのに、戦争の影や暗さはない。
昭和2年卒のダンディーなX氏とともに、旧千葉駅からスタートし、メインスト
リートを歩き、都川を眺める。
小春日和に一緒に散歩しているような気分のうちに、やがて校門の坂を上がる。
校門には私たちのいたころと同じ校名板がかかっている。(現在はない)
校庭の脇の音楽室・美術室がちゃんとそこにあり、中庭、時計台、だれもそこに 入った記憶がない校長室、ひんやりと翳る廊下、教室、そして校庭へ。
もちろん懐かしい。懐かしいだけでなく、いいなあ、この空気、この雰囲気。 この校舎がもうないというのが切ない。
16ミリカメラで撮影したという。機材はどこから調達したのだろうか。
ビルの屋上や校舎の屋根から俯瞰で撮ったり、だれが撮影したのだろうか。
時間の経過がスムーズで、しっかりしたプランの下に撮影されている。
戦争の影がないのは、撮影の制約もあっただろうが、意図して暗さを排除したの ではなかろうか。 第一回生徒会選挙やクラブ活動を紹介する、その衒いもきどりもない明るさが 清々しい。 本当に映画になっている。
3度も続けて見るくらい、なかなかいいものだった。
ついでに、この日もう一つ、私にとってうれしいことがあった。 事務所で見せてもらった千葉高同窓会名簿で、昭和27年卒、笠瓔子(りゅう・ ようこ)という名を見つけたこと。忘れられない中学2年の時の担任の先生だ。 笠先生についてはまた次の機会に。
江戸前の寿司を食べる会2001 (2001/7/24掲載) |
「江戸前の寿司を食べる会2001」を2001.7.18にやりました。
急な呼びかけだったので、ご都合がつかない人が多く、参加者は高橋(純)、 八木、織本、和田、伊藤の5人でした。 イカ、げそ(イカの足ですが、下足の意味だそうです)の弾力と甘みが何とも 言えません。イカは塩味でにぎりにもしてくれました。 このお店は貝です。刺身で鳥貝、みる貝が出され、にぎりとして出た蒸しアワビ は絶品でした。はまぐりもにぎりになるんですねぇ。 寿司は信頼できる店で、「今日のうまいのを出してよ」とおまかせにして、「次 は何が出てくるかかな」とワクワクしているのがいい。 だって向こうの方がプロですものね。
●地球交響曲ガイヤシンフォニー第三番鑑賞会&ミニ同期会 (2001/3/22更新) |
2001年3月11日に「映画「地球交響曲ガイアシンフォニー第三番」上映会&ミニ同期会」が開催されました。
熊野君からの案内文の抜粋
「「地球交響曲ガイアシンフォニー第三番」は、映画監督龍村仁氏の制作によるド キュメンタリー映画です。「一番」「二番」そして今回の「三番」があり、現在 「四番」が制作中です。内容はそれぞれ独立していますのでどれを見ても良いし、 どこから見ても良いものです。
この映画の主題は、地球を一つの生命体と見、我々人類はその中の知的部分「心」 あるいは「想像力」を担っている存在であるとするガイア理論に基づくものです。
テーマは「地球ガイアの声が、きこえますか。」です。監督は、「危機が叫ばれる この地球の未来も又我々人類の「心」の在り方に依って決まってくるのではない か。」「生命はそれ自体の中に人知をはるかに越えた叡智=自己治癒力を秘めてお り、危機に瀕した時、調和が乱れた時、それを正しい道に修正し、生き続けるため の新たな方法を自発的に生み出す力を持っています。そしてその自己治癒力が発現 するか否かの鍵が「心」の在り方にかかっているのです。」と発言しています。この「三番」では、この共通テーマの下に、カムチャツカで熊に襲われて亡くなっ たアラスカ在住の写真家星野道夫氏とその家族、友人、宇宙物理学者フリーマン・ ダイソン氏、ハワイの外洋カヌー航海者ナイノア・トンプソン氏らが、地球、宇 宙、文化文明、そして人間の生と死を語っています。
難しい事は別として、見れば分かりますが非常に心が洗われる映画ですし、映像も 美しく、音楽もまさに妙なるものです。病みつきになり、他の「一番」「二番」も 見てみたくなること請け合います。
宗教映画ではないかと疑われる人もいるかも知れません。決して宗教ではありませ ん。宗教家と言われる私が断言します。ただ非常に宗教に近い位置にある考え方で あることは確かです。今、21世紀を迎え、我々も五〇歳を越え、家族親族あるいは友人との別れも控 え、我々自身も転機を迎えている今日、御一緒にガイアのシンフォニーを奏でてみ ませんか。
<開催者からのお礼>
●佐久間さんから
昨日はどうもありがとうございました。
大勢の方においでいただいて本当にうれしかったです。
楽しくできればいいなと思ってはじめたイベントでしたが、そのとおり楽しく終わりました。クセになりそうです。
ネットの力のすばらしさもあらためて感じました。
まして友情のあたたかさ、ありがたさ、貴重さを感じ、幸せにひたっております。
どうもありがとうございました。●熊野君から
ガイアシンフォニー上映会に際しまして皆様のご協力に厚く感謝致しております。
佐久間さんからのメッセージで私達の気持ちはお伝えしておりますが、重ねて御礼申し上げます。<参加者より>
★伊藤より
会場で見かけた同期の人は、熊野、佐久間、長谷川(哲)、伊原、奥山、甲田、上野、梅澤、川島、杉浦夫妻、川村、馬場、小出(西田)、和田、日下の各氏でしたが、ほかにもおられたかもしれません。
映画は記録映画的で、冗長な箇所もありましたが、興味深かったです。
バックに流れる音楽が綺麗でした。
寝てた人も、口を揃えて「面白い」、「感動的」と言ってるほどです。
ある人は「”寝られる”というのは気持ちの良いこと」と言っておられましたが、そういうことなのでしょう。
川島君とは32年振りの再会で懐かしかったです。
他の同期との会話や仕草を見て、昔の印象を再確認したり、認識を新たにしたこともありました。映画の最後に監督の龍村氏と、星野さんの奥さん、出演者の一人の外国人の人が会場に見えて、挨拶されていたことも記しておきます。
★奥山君より
ガイアシンフォニーを見ていた時、ふと回りを見渡したら、ついさっき30数年振りに再会したばかりの仲間が一緒になって映画を見つめていました。
私の横には、Bさん・Kさん・Iさん、後にはS夫妻がいました。
不思議な空間と時間でした。
不思議な気持ちでした。
●ビートルズを聴く会 (2001/1/24更新) |
2001年1月19日に「ビートルズを聴く会」が開催されました。
●熊野明夫男 君より「「ビートルズを聴く会」報告 」(2001年1月20日)
1月19日(金)夜。六本木のライブハウス「ABBEY ROAD」にて、ビー トルズを聴く会を開きました。
当日は千葉高と葛城中の同窓生等19名の参加があり、懐かしい曲をガンガン聴い て楽しい一夜でした。午後6時六本木の交差点「アマンド」に集合。考えてみると六本木は10数年前に 千葉高の運動部系の飲み会で六本木のフィリピンクラブに行って以来か。あの時は 林雅之氏の紹介で女子プロレスの長与千種がゲスト参加したような記憶ですが、他 には村田、石井、鴨山等の他全部で10名くらいだったと思う。遠い記憶の彼方に なってしまっていて他に誰が居たのか思い出せない。ゴメン。
さて、六本木の待ち合わせといえばアマンドと返ってきますが、初めて、昔はアマ ンドの前で待ち合わせて中には入ったことがない、あるいは昔デートで入ったこと がある、等という人も含めて8,9名が集まり、初めましてと挨拶した後よく話し てみると3年の時に同じクラスで中学も同じだったと分かったり、バラバラに入っ てくるので席があちこちになり、挨拶等で移動が激しくさんざん店の人に迷惑をか けたり、にぎやかな一団でした。
午後6時30分に六本木の雑踏を抜けて「ABBEY ROAD」に移動。既に数 人が待っていて、「ヤー。」と「オー。」。適当に飲み物を頼み食事をしている間 に殆どの参加者が集合すると同時に7時30分のファーストステージの開演。
プリーズ・プリーズ・ミーがどーんと来ただけで、「これはできる。」。コピーバン ドだから似ているんだけれど演奏も確か。本物のビートルズの生を見たことないけ ど、きっと本物もこうだったんだろうな。馴染みの曲も初めて聴くマニアックな曲 も含めて1ステージ約40分。リクエストに応えてはいたけれど、当夜のリクエス トの数が80もあるとあっては私の「恋する二人」はボツ。残念。
合間の休憩時間に佐久間さんが「ガイアシンフォニー」のチケットの販売をしてい たが、強引さが足りずに成績6枚くらいでやっぱり営業向きでなかったことを再確 認。この日チケット買ってくれなかった人には後日個別にお願いしますので宜しく お願いします。
店は130人位は入るらしいけど満員。店の外には順番を待っている人もいて金曜 日の夜の六本木。
時間が経つのが妙に速く、セカンドステージが9時20分頃終わると我々は帰り仕 度。ようやく豊田(織本)さんが到着し、これで全員がそろったし、もっと聴きた い、まだまだ居たい、という気持ちは誰もが同じだけれど今度は2,3人で来て思 う存分聴こうということにして1次会を終了。私はこれで帰宅しましたが、みんなはカラオケで歌いまくり大会、ヨッパライ大会 となったはず。この様子はその参加者に書いて貰いましょう。
ちょっとした理由でビートルズを聴きたいという話があり、どうせならたくさんの 人とワーワー聴いた方が楽しいと思って企画したことでしたが、楽しめていただけ ましたでしょうか。
尚、中3の男の子も父親と一緒に来て、親子で楽しんでいました。ビートルズだか らかも。
<参加者>
荒川勝子 金沢真佐郎 川村仁子 佐久間憲子 佐藤好男 篠原剛 清水教博 豊田真理 馬場教子 八木明子 横山富美江 和田明夫 熊野明夫
その他 葛城中関係者6名参加者の川村さんより「思い切り弾けました」(1/24)
ビートルズを聴く会、楽しかったです。ありがとうございました。
私のリクエスト曲「In my life」も演奏されませんでしたが、次 の楽しみにとっておきます。
二次会は、荒木一郎の「空に星があるように」で始まり、30年ぶり再会? のお二方のデュエットあり、サザンの「TUNAMI」もあり、いろいろセ ンスある選曲でした。Yさんの絶唱「津軽海峡冬景色」は94点でした。
カラオケは2年ぶりの私も新しいレパートリーを試してみました。高橋真梨 子の「フレンズ」ですが、みんな知らないから大丈夫だったようです。談笑の合間に歌うといったふうで、皆さん優しく、うちとけた雰囲気で、と もかく申し分ない夜でした。 またやりましょうね。よろしく。
江戸前の寿司を食べる会 (2000/7/19) |
7月18日に高橋の「蛇の目寿司」で開催しました。
●事務局(伊藤)より「江戸前の寿司を食べる会の開催」(2000年7月19日)
参加者は10人で、カウンターをちょうど全部占拠いたしました。
トロを炙ってタタキのようにしたもの、イカを食べやすく包丁をいれ、少しレモン味(?)で下拵えしたもの、本当に美味しいアジ、良い味の太巻き、ハマグリの握りなど堪能しました。
ここは貝類の握りがうまいです。
また最後のアナゴなどは、あまりの美味しさに追加注文する人も続出しました。追加注文には別の仕立て(塩味)で出すなど憎い。いい寿司屋はネタをそのまま使うのではなく、更に美味しさを引き出す為に、包丁を使ったり、下拵えなどに気をつかっていることがわかります。
ドイツから帰朝したばかりの西田君は日本の蒸し暑さに閉口していました。
女性に「太った」などと率直(?)な意見を言って、皆から「まだ日本的な相手を傷付けない言い方になれていない」などと冷やかされておりました。暑いから、山越君は扇子を離せない。それなりにトラディショナルなスタイルが決まっており、さすが元千葉高PTA会長らしく、日本の父親という風情。
姉帯君も高橋(純)君に負けず劣らず、高校時代のことなどをよく覚えていて、「そんなことがあったんだ」と新鮮な驚きでした。疾風怒濤の時代の面白い話をたくさん聞かせてくれました。
菊地先生に「伊藤は高校生らしくない」と言われた時の背景を、清水君から聞きました。本人が覚えていないことを覚えてくれているのが嬉しい。
寿司屋のおやじさんに高橋君が「みんな50か51歳」と言い、続けて「女も」と加えました。女性にきつい言い方をする高橋君にはトラウマがあったのではと吉田(俊)君とヒソヒソと話をしていました。
まあトラウマも人間的成長の肥やしにもなりますが。今年の夏の高校野球で千葉高が3回戦まで勝ち進んでいることも話題になっていました。皆様、応援いたしましょう。
おいしいワインと~を楽しむ会 (2000/6/27) |
「ミニ同期会 おいしいワインと~を楽しむ会」が6月24日に開催されました。
●事務局より「ミニ同期会 おいしいワインと~を楽しむ会開催結果」2000年6月27日
幹事の和田さんから、次のようなメールがきました。
一週間が過ぎてしまいました。当日の報告は、事務局の熊野くんに頼んでしまったのですが・・・。
実は、当日の2、3日前から風邪気味で、当日もだんだんモウロウとなり、翌日ついにダウンしてしまいました。授業を休むわけにはいかないので、帰宅するとすぐ床につくという毎日が一週間続いてしまったというわけです。
ようやく回復して、メールを書いています。ワインの会は、"和飲の会"として、次回は 山越くんが日本酒の地酒でやろうということになりました。
6月24日はあいにくの空模様で、せっかくの眺望は煙っていましたが 話の花は見事に咲いたようでした。
ワインの方もボルドーあり、ブルゴーニュありラインありと全部で13本ほどもあったでしょうか。
第一回目なので、まあまあだったと思います。2次会は、駅前の千葉銀行の地階トレビアンに行きました。ケーキの人もビールの人もいました。その後、3次会に行った人もいたようです。
- <和田さんが発見した何の意味もない統計>
- ・参加者の中で、小出氏が3人。同期では小出姓が全部で4人だったということなので出席率75%でした。(<事務局より何の意味もない仮説>小出一族はワインが好き。)
- ・1年のときのE組が5人程度、3年のときのI組が6~7人と言うことでした。
<参加者より>
●伊原昭男君からメールより
時間を忘れ楽しく過ごしました。あれから小出(貢)と篠原とで更に3次会にまで行きました。酔っぱらったと言うより、食いすぎた感じで翌日曜日は、何も食べる気がしなくって、昼間まで寝ていました。ワインはいろいろおいしかったですね。
●高橋純一君からの電話より
酔っぱらって、わかんなくなっちゃったよ。みんなと途中ではぐれた。女性たちが、よく飲んでいた。
ミニ同期会:Q治先生を語る会 (2000/3/29) |
「ミニ同期会 Q治先生を語る会」が3月25日に開催されました。14名が参加して、午後2時からはじめて2次会、3次会と、午後11時まで話が盛り上がったそうです。●川村さん、馬場さん、佐久間さんより「ミニ同期会 Q治先生を語る会開催結果」(2000年3月28日)
ミニ同期会「Q治先生を語る会」は、無事終了いたしました。
春めいてきた土曜の昼下がり、皇居を見下ろす眺めのよいレストランに集まったのは男女14名でした。出席の皆様いかがでしたか。
楽しかった、もっと話したかった…ですよね。
一次会場で3時間、その後も11時過ぎまで話し込んでいたのですから。スピーチ一巡目で、「久しぶりに人間と話したくて来ました」と言ったのは、小学校の先生になった西田(小出)恵美子さん(テニス部)でした。
1年生の担任の彼女は、毎日宇宙人の相手をしている心境なのだそうです。久治先生のエピソードの中では、例えば、
「○○はどう思う?」といつも授業で指されたSさん、
「春川ますみに似ています」と言われたOさん、(名前を言えないのが残念)
そして、「朗読の感想文を書け」「書かない」で激しくやり合ったS君。
ちょっとアブナイ内容の話も出ましたが、ここに書くわけにはいきません。千葉高の国語研究室は文学青年のたまり場だったというF君の説。黒須先生、酒井 先生、あのデコでさえも…そうかもしれません。
結局、先生を語りながら、みんなあの当時の自分を語った。
当時破れなかった殻を今破るかのように、真摯に。
人間と話すいい時間を過ごすことができたのではないでしょうか。参加賞として岩波文庫「トニオ・クレエゲル」を配りました。
芸術と生活の葛藤、そして愛に至る、Q治劇場の第一作ですから。
(偶然ながら、この日の朝日新聞の「私が出会ったこの一冊」という中で、編集者・評論家の山田五郎という人が、「オタクだった私の思春期を支えてくれた一冊」として紹介しています)欠席の方々からも、皆さんによろしくというメッセージをいただきました。
皆さんに感謝しております。
どうもありがとうございました。追伸
ミニ同期会報告で肝心なことを落としました。
菊池先生は現在船橋にお住まいらしいのです。
佐久間さんの尽力で、千葉県の退職教員名簿から住所、電話番号がわかりました。彼女は電話をかけたのですが、お出にならなかったので、そのうち手紙を書いてみると言っています。
今ごろになって30年前の生徒たちが先生を思い出して集まったりしていると聞いたら、さぞ驚かれるでしょうね。
何ておっしゃるでしょうか。A君からは、佐久間さんあてに、「都川というのは記憶違いで、あなたの指摘どおり葭川(よしかわ)が正しい」という葉書が来たそうです。几帳面な人のようです。
みんなからの感謝を込めて、A君にも「トニオ・クレエゲル」を進呈しました。(事務局に託します)
番外編:大阪ミナミ・ミニ同期会 (99/8/13) |
これは堀田君が「落書き帳」に投稿してくれたものである。皆に呼び掛けたものではないが、興味深い内容なので番外編として掲載します。他の同期の皆様も、このように個人的な親交を30年以上にわたって続けていらっしゃる方も多いと思います。
●堀田泉君より「大阪ミナミ・ミニ同期会」(1999年8月13日)
「近くのようですからお会いしませんか」と奥山君から電話をもらったのはもう15年ほど前、関西に来てから数年たった頃だった。
早速、道頓堀に出て一献酌み交わしたのだが、20代すべてと30代半ばまで完全に没交渉だったせいか、最初しばらくは何となくお互いに変な感じだった。
でもそれから、彼が東京勤務だった数年間や私が日本にいなかった期間を除いて、数年に1回のペースで、要するに忘れた頃になると連絡を取りあう。たまたま趣味の合う文楽を観に日本橋(東京ではNihonbashi、大阪ではNipponbashi)に行ったこともあるし、修学旅行を思い出す法隆寺を訪ねたこともある。彼の会社の研究会にチューターとして呼ばれて、冷や汗ものの「講義」をしたこともある。
たいがい両者の勤務先の中間点であるミナミで一杯やってまた今度ね、という感じだ。
彼が昔、吹田の市民合唱団で活動していて、そのときのメンバーの亭主が、数年後に奈良の団地で私と自治会を一緒に結成した仲間であったことがあとで判明した、なとどいった「世間は狭い」類いの偶然もある(なんのこっちゃ)。
おとといは1年ぶりという、短いインターバルで、真夏の雨模様の蒸し暑いなかでのミニ同期会となった。
最近ますます早起き森林歩きに余念のない、体力年齢29歳の健康極まりない奥山君と、いまだに午前2時以前に就寝したことがなく、午前9時以前に起床したこともない、生活態度年齢20歳の私とでは、住む世界や感覚がかなり違うところが面白くて、別れるときは(出来上がっているせいもあるが)いい時を過ごしたなあという気分がいつもある。
対象は全く違うにしても、その時々の楽しみを最大限に追求する貪欲さという一点では一致できるのかもしれない。いつも千葉の事が話題ではないが、今の大阪のど真ん中で語る30年前の千葉というのも不思議な気がする。