1.老犬モップ物語(出会いと別れ) |
猛暑の続く7月下旬のある朝、庭にうずくまったまま、老犬モップは、私の手のひらの一切れのチーズをゆっくり食べ、まもなく静かに息を引き取った。この世のあらゆる苦痛から解放されたかのような安らかな表情をしていて、見開いた大きな目の優しさが印象的だった。こうして、年齢素性不詳の1匹の雄犬はその生涯を終えたのである。 私とモップとの出会いは 8ヶ月前の11月末だった。日曜日の昼前に外出していった家内から携帯電話で、近所の公園で怪我をして動けない犬がいるから助けてあげてとの連絡があった。よく事情がわからないまま小走りに現場に向かうと、1匹の汚れた犬がふらふらゴミ箱を漁りながら歩いていて、しかも両方の後肢から鮮血が垂れている。大きさはラブラドールくらいあるが肋骨が見えるほど痩せこけ、何よりも特徴的だったのは、全身を覆う羊のような長い毛だった。白内障があるのか両目は白濁し、歯も抜けているようだった。放浪が長いのか体全体が異様に臭う。捨て犬らしいが首輪だけはしている。 私を呼んでおきながら家内は用事があるとかでそのまま立ち去り、残った私はやむを得ず一人で何とか対処する羽目となり、ズボンのベルトをはずして犬の首に絡ませるとぜいぜい粗い呼吸をしながらも素直に歩いてついてくるので自宅までゆっくり連れ帰った。 自宅の庭で首輪をつなぎ紐で固定し植木に結んでから水と餌を準備すると、洗面器から水をぺちゃぺちゃ飲み、缶詰のドッグフードをがつがつ食べようとする。よほど空腹のようだが急激に満腹にすると良くないので時間をかけて給餌することにする。 名前もわからない老犬だが清掃用のモップのような容貌から「モップ」と命名して面倒を見る事にした。とは言え、既に4匹の犬(ミニチュアーダックスフント、ビーグル、雑種)を飼っているのでスペースの確保に困った。自宅の玄関前は新聞や郵便配達の邪魔だし、庭のビーグルと一緒にしようとしたら大喧嘩するし、しばらくは診療所の2階のテラスで飼う事にした。発見の翌日にペット美容院でシャンプーして見違えるほど清潔にはなったものの、動物病院の診察では、両方の外耳炎がひどいし、全身衰弱が進行していていつ死んでも不思議ではないとの説明だった。 動物病院を通じて警察方面で探し犬を調べてもらったが該当なしだった。どんな事情があったにせよ老衰した犬を捨てるとはひどいと思いながら面倒を見始めたのだが食欲だけは旺盛で毎日もりもり食べているうちに体力が回復し1週間後にはしっかり歩けるようになり12月になったら毎朝散歩するようになったのである。そうなるといつまでも診療所のテラスで飼うのは無理なので自宅の縁側の狭い庭を柵で囲みモップ専用の居住区域に作り直し、放し飼いとしたのだが、朝になると新聞を取りに顔を出す私に太い声でワンと1回だけ吠えるのだった。これは散歩の催促で、散歩から帰ると次のワンで食事を催促し、それ以外には全く吠えないので近所への迷惑にはならないとしても番犬としての働きは期待できなかった。餌をしっかり食べたら他にすることもなく、終日、日当たりの良いところでうとうと居眠りをしているのだった。ほとんど視力は無いようだが私と家内だけは判別できるようで庭の隅からとことこと駆け寄り体をすりつけるのだった。外耳炎は難治で耳が臭うのに閉口したが、最初は警戒していたモップが心を次第に開いてくれたのが嬉しかった。 正月から2〜3月にかけてがモップの最も元気な時期だったと思う。毎朝、20分ほどの散歩が私とモップの楽しい日課だったし、時には昼休みに線路を越えて駅前の写真館まで連れて歩いて行く事もあった。踏切で電車を待つ間、並んでしゃがんでモップを抱きしめているとモップの体温と心臓の鼓動とが伝わってくるのだった。モップの目はかすかに白濁してはいたが丸くてつぶらで愛らしかった。種類は判別できないが、若い頃 は美しい犬だったと思う。 そんな幸福な日が続くと思っていたら4月になってモップの歩きかたが弱ってきた。後ろの左肢を引きずり斜めに歩くようになり、呼吸がぜいぜいして苦しそうになった。それに併せて散歩の距離と時間が日に日に少なくなってきた。餌をほとんど食べない日があるかと思えば翌日は少し食べたりして、全体的に摂食量が減っていった。ドライフードに牛乳をかけると牛乳だけを飲む日が続き、ついには牛乳すらも残す日が見られるようになった。心配しているとふっと何日かは元気になったりして、またその後は食べなくなったり、そんな繰り返しで次第に目が離せなくなってきたものの、そうなればそうなったで更にモップに対する愛情が深まるのであった。そんな状態が5〜6月と続いたが、空梅雨のまま猛暑に突入した今年の7月は老いたモップには酷だったと思う。モップは永眠する 3日前からほとんど動けなくなった。はあはあ努力呼吸をしながら地面にうずくまり水を飲もうとしないので洗面器を口元にあてがい飲ませるようになった。好物の牛肉を刻んで口に入れてやっても少し食べるだけだった。日中の暑さを少しでもやわらげようと時々水を体にかけて冷やしてあげたりした。夜寝る前に呼吸状態を確認し夜中と早朝にも様子を確認する状態だったが、それもわずかな期間だった。最期の朝、モップはうずくまったまま、少しだけ水を飲み、牛乳に浸したパンを口に入れると 2切れだけ飲みこんだ。大好物だったチーズを1切れ口に入れてやるとなかなか嚥下できないようで舌で溶かしている様子だったが、やがてそのまま息を引き取った。頭では理解していた筈なのにいざ現実となってみると私の思考は停止し、ただ機械的に私はモップの体をタオルでふいたり耳の中をきれいにしたりしていた。 動物病院の紹介でペット霊園からのお迎えがくる頃になってようやく冷静になれた。私と会う前のモップの暮らしは知る由もないが少なくともこの8 ヶ月間はお互いに信頼しあって暮らせたと思う。生命ある限り死は避けられないのは当然であり、来るべきして来た別れだったのだが、モップの思い出はいつまでも私の心に残るだろうし、モップの死を見つめる事でより大きい意味で生命について考える事ができた。医者として多くの臨終に立ち会って来たが人も動物も最期が良ければそれで良いのではないか。私自身、モップのような安らかな目をして最期を迎えたいと思うし、いつの日にか天国でモップやその他の先輩諸氏に再会できると思えば死すらもそれほど恐ろしくはないようにも思える。モップとの出会いに感謝するとともにその冥福を祈る次第である。 |
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