2.霧のプリマドンナ

その名は「歌姫町」といい、1986年に私が大和郡山市からここに転入してきたときの住民票にはそうあった。それが朱雀になったのは、千葉市の吾妻町や本町が「中央区中央」になったり本郷西片町が消滅したのと事情が似ているようだが、多少異なる。

歌姫町は古い家並みを持つ現存する町名で、その一部すなわち山林部分が朱雀として分割されたのだ。消滅でなければ反対運動も迫力が欠ける。同じことは山陵町(みささぎちょう)の一部が「右京」や「神功」になったことについてもいえる。

 旧市街はそれこそ街路ごとに、昔ながらの由縁のある町名がそのまま引き継がれている。先日紹介した宇多さんの「ぶらり奈良町第5号」の特別付録の地図には、そのなかでも難読町名が列挙されていて、餅飯殿町(もちいどのちょう)、公納堂町(「ならまち文庫」のある、くのどうちょう)、大豆山突抜町(まめやまつきぬけちょう)、阿字万字町(あぜまめちょう)など、ミニマム十数軒でひとつの町名を持っている。ここは絶対に「中央○丁目」にはならないだろう。

それに比べると、旧市街や平城京の外延部にあたる歌姫や山陵や佐紀は、確かに由緒は正しいが、農家や田畑や山林を含めて実におおざっぱに広いゾーンを有した状態で今に至っている。でも愚痴っぽいようだが私は「朱雀3丁目」。

 「うたひめ」。出来すぎの感もあるが、なんという優雅な響きであることか。そして平城京から北に向かって、歌姫の古い集落を抜けてニュータウンの端をかすめ、木津へと至るのが「歌姫街道」という昔ながらの道だ。大和国と山城国を分ける一本松もある。いちおう上下一車線だがところどころで道幅が半分になる。大半がのんびりした田園風景。

奈良盆地は霧の出やすいところで、小さな谷になっているこの歌姫街道は、土地の人によれば霧の発生地だそうだ。晩秋から冬にかけて年に数回、ここは霧の朝を迎える。ときには前の建物すら見えなくなってしまうこともある。身の引き締まる寒さのなかで、ささやくような足音と歌声だけが響く心象風景がここにはある。しかし、すれ違いもできないのに大型トラックもよく疾走していく。現代と古代が交錯する。(つづく)

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