27.いかのおすし(2)
 奈良は凶悪犯罪に慣れていないと前に書いたのだが、これは訂正しなければならない。10年近く前になるが、忘れてはいけない事件がこの長閑な月ヶ瀬で起きた。記憶に留めている人もいるかもしれない。
 
 その日は5月の連休中。奈良市の体育館で県の中学校卓球大会が開催された。当時3年の息子は思わぬ好成績をあげ、賞状を貰って意気揚々と帰ってきた。同じ大会に出た月ヶ瀬の2年生のひとりの女生徒は帰宅しなかった。永遠に。

 数ヶ月後、月ヶ瀬の彼女の自宅から200mしか離れていない場所に住む顔見知りの25歳の青年が逮捕された。逮捕直前に有力容疑者としてマスコミにインタビューなど受けていたことで全国的に話題になったことを覚えている人も多いだろう。その青年は自宅に向かう彼女を車で後ろからぶつけ、遺体を車に乗せ、遺棄したことを自供した。彼女の白骨化した遺体が山間部で発見された。

 その動機はいまだに謎が多い。当初はいたずら目的、あるいは事故を隠すためなどといった諸説がささやかれた。しかし裁判で検察側が主張したのは、車から「家まで送ろうか」と声をかけた被告に対して彼女が完全に無反応であったため、無視されたと思いこんだ被告がカッとなってぶつけた、というものだった。判決は無期懲役で被告は服役した。

 こんな程度のことでなぜ逆上したかには、伏線があるといわれている。当初は報道されなかったが、村民ならば誰でも知っていた、被告の父は在日韓国人でこの村に流れ着いた家族であるという事実がある。被告は中学在学中に差別がもとで不登校になり、学業からはここで離れている。村のこの一家に対する長年の態度がこの悪意に満ちた思いこみを呼んだのだ、と。

 もちろん反論は聞かねばならない。村長をはじめ村側は、村の行事や義務には普通に参加して貰ったし、何の差別もなかったのでそのような検察の言い分は心外である、と表明している。事実はここでは問えない。

 問題は、好意かどうかは別としても車に誘われたときにこの女生徒がとった態度は「いかのおすし」を引き合いに出すまでもなく極めて正当で当然であったということであり、しかもその結果として犯罪を呼んだかもしれないということである。この正当性は複雑な事情がからむと、身を守る正しい行為かどう
かもあやしくなる。だからといって被告の行為は許される一点の余地もないのはいうまでもない。

 「いかのおすし」は自衛のためとはいえ、人と人との信頼や好意を一方的に拒絶することがらである。自分の息子が殺されてみろ、そんな事がいえるか、という声も聞こえるが社会というのはこれ抜きには成り立たないのだ。

 それゆえ、「いかのおすし」をもたらさざるをえない犯罪は、被害者を苦しめるだけにとどまらず、社会の、そして人間関係の根幹を揺るがす大事件なのだ。この点への社会としての自覚が今度の誘拐事件でも、興味本位な部分ばかりが報道される割には欠如していると私は不満に思う。「信頼を裏切る罪」と
いう情緒的なものは刑法上の規定は無理かもしれないけれどこの影響の大きさは考えて欲しい。
 
 観光客のまだ出ない静かな月ヶ瀬の湯に浸かっていると、こんなことが周囲で起こっていることが信じられなくなる。番台には貴重品に注意しろとか無粋なことが書いてあるけれど、考えてみればこうやって丸裸で露天風呂に入っていること自体、見知らぬ他人への信頼や好意抜きにはありえないことだ。

 無期懲役囚は29歳のときに大分刑務所の独居房で首つり自殺を遂げている。

(この項終わり、月ヶ瀬事件は山下力著「被差別部落のわが半生」平凡社新書を参考にしました。著者は奈良県議会議員です。)
 
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