26.いかのおすし(1) |
奈良の温泉というと南部の和歌山県境の十津川に代表されるように高温泉で秘湯の趣があって、根強いファンがいる。中部の吉野にもいくつかある。しかし北部の奈良市内となると、温泉とは無縁と考えられてきた。しかし、昔からないわけではなく、観光産業の不振とともに、温泉掘削が試みられ、近年、さらにいくつか誕生した。泉温40度前後のものが多く、温めているところもあるが、泉質はなかなかよい。スーパー銭湯のようなものも出来、温泉ブームといっていいだろう。 奈良市の東部に接し、三重県境にある月ヶ瀬村に数年前温泉施設が出来た。車で柳生を越えて約50分。ここは梅林で有名で、これからは花見客も訪れる。山間の静かなところだ。今年の4月に行政区としては奈良市に併合される。 だいたい奈良県にしても奈良市にしても人口密度が高いのはほんの北西部に限られる。奈良市も大仏殿を越えて奈良阪から柳生街道に入れば、ほとんど過疎、山林地域なのだ。風景も昔ながらのものである。 突然前回に話が戻るが、奈良市のあるボランティア団体が誘拐殺人事件をきっかけに標語を作り、学校を通じて小学生への普及につとめている、という。 「いかのおすし」というのがそれだ。事件発生の17日も市の教育委員会によって毎月「子ども安全の日」に指定された。防犯教室、避難訓練などするらしい(大阪の池田小学校の事件で制定された「安全確認の日」に連動している)。 いか いかない (道で知らない人に誘われてもついていかない) の のらない (車に乗せてあげるといわれても乗らない) お 大声を出す (引き込まれそうになったら大声を出し) す すぐに逃げる し 知らせる (事態を大人に通報する) という呪文で、小学生は見知らぬ人から声をかけられると、咄嗟にこれを唱え、対処する。道で何か困っている子どもが手をさしのべられても、大声を上げてひたすら逃げていく教育が徹底されているのだ。被害者側からすれば、これぐらい徹底してもらえればという切実な、当然の要望だろう。安全神話が崩 壊した日本社会、判断力が備わっていない(と思われている)子どもを考えるとやむをえないといえるが、これでいいのだろうか。 見知らぬ人はおのれを攻撃してくる無法者と思え、ということを17世紀イングランドのトーマス・ホッブズは『リバイアサン』で国家論の基礎とした。同じ事態が21世紀の日本の子どもの世界で繰り広げられている。そのことといかのおすしと月ヶ瀬は何の関連があるのか、以下次回。(つづく) |
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