25.信貴山は寒かった
 今年の大晦日は12月なかばに信貴山朝護孫子寺に決めておいた。有名なわりには行ったことがないからという以外にあまり理由はない。下調べもろくにせずに当日が来てしまった。近鉄の生駒と王寺を結ぶローカル線の信貴山下という駅からバスに乗るという予備知識しかないが、関西では名が通っているからそれで十分、という予見があったがこれが祟った。

  ずっと暖冬だったが、31日の午前中、珍しく雪が降ってうっすら積もった。昼過ぎに「卒論が書けねえ」などとぼやきながら息子が帰省してきた。「行くか」と水をむけると「行く」という。初めてのことだ。というよりも正月に帰ってきたのは今年だけだったのだ。体育会系だから休みは忙しい。今回は晴れて引退というわけだ。

  信貴山下駅を降りると表示は奈良県北葛城郡三郷町とある。というとたった一日前、例の学童誘拐殺人の犯人が居住し、かつ捕まった場所なのである。11月なかばのこの事件は、いわば庭先での出来事である。児童が車に乗せられた
地点(奈良市学園大和町)は、毎週1回、私が出講する農学部の通勤途中にある。何人にも目撃されているように、およそ子供を拉致するに適切な場所ではない。しかも被害者の母親に送りつけた写真を殺害した子供の携帯から自分のものに転送して人に見せているという。「自分のしたいこと以外に何も考えていないな」ということを終始感じさせる事件だった。いいかえれば「想像力の完全欠如」。子供やその親にに対してはもちろんだが自分の身に対しても。

  しかし、あまり凶悪事件に慣れていない(例外的には看護師の母親が自分の子供を毒殺したという数年前の事件を覚えているでしょうか)奈良市民を恐怖に陥れたのは確かだ。うちにも小4の娘がいるが、学校の反応は「ともかく一瞬たりとも子供から目を離すな」というヒステリックなものだった。下校時には警察のヘリがしつこく空中を旋回し、繰り返し子供に空から呼びかける。
「良い子たち、知らない人にはついていかないようにしましょう。もし連れて行かれそうになったら大声を出しましょう」。これらがどれくらい効果があったのかわからない。人の心に想像をはせる、ということを個人として、そして社会として考えたほうがいいように思う。

  さて、駅前は門前町かと思っていたら、閑静な住宅街で商店は1軒もなくほとんど暗闇。バス停で見ると次のバスは40分後(年末年始ダイヤ)。駅の案内に北西2.5キロと案内があったので、歩くことにする。緩やかな広い坂道を上っていく。しかし、これが曲者だった。坂はどんどんきつくなり、道はくねくね曲がっていく。しかも人の歩く道ではない。ドライビング・ロードの風情なのだ。時間が時間なので追い越していく車は多くはないが暗くて危険で恐怖である。上るにつれて道路脇に残った雪が多くなり、中央に出て歩かざるをえないからだ。運転者はこんな時間にこんなところを人が歩いているとは思うまい。しかもやたら寒い。

 息子が「信仰心もろくにないくせに、初詣などしようとするからこんなことになる」と文句をいう。終点のバス停には、ほとんどバスと同時に着いた。小登山といってもいいだろう。こんな山の上にあるとは思っていなかったのだ。駅名や地名から想像すべきであった。ついでに天候も考えておくべきだった。

 バス停で歩いてきた車道と別れると、横に非常に狭い参道があり、ようやく門前町らしくなるが、旅館と喫茶店が数軒、まばらに自販機という淋しさである。だが初詣客は結構多い(自動車で来ている)。しかも若い年齢層が目立つ。

 参道の行き着く先に古びた山門があり雰囲気に期待を抱かせる。しかし、中に入ればほとんど竜宮城のような極彩色の寺だった。道端にある巨大な張子のトラがメインで本尊は毘沙門天。生駒の神々もそうなのだが関西商人の商売繁盛の寺なのだ。山寺なので時々眼下に見える奈良盆地の光が美しい。

 とくに感慨もなく淡々と来た道を引き返しバスに乗る。寒さはさらにつのり、風まで出てきた。そのなかで年が明けた。参詣で幸いを願うのは当然だが、しかしこの状況は今年の困難を予感させるような感がある。とくに若者使い捨ての時代という。息子は何とか就職できそうだが、どうなることやら。何を考えているのやら。ここまで誘拐されずに来たからよしとすべきか。

 今年のリザーブ&ウォーターは乗り換えの生駒駅で、大晦日に限り終夜営業をしているKIOSKで入手した。電車のなかで一気にあおって、寒さのなかを走って帰るしかなかった。玄関へのゴールインは息子に相当遅れをとった。思い返せば文句をたれる以外会話らしきものはなかった。今年は暴風、暴走の年かもしれない。
 
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