23.郡山物語(7) 組長家の団欒
 前回、裏社会めいたものを若干記したが、やはりその頃、隣の階段の同じ階、拙宅から一軒挟んだところに、関西に本拠を置く全国最大組織の末端で、この街を仕切っているといわれていた組長一家が、半年ほどだったが引っ越してきた。階段が違うので我が家に挨拶はなくて幸いだったが、お近づきのしるしにといって、ブランドもののセカンドバッグだかポーチだかを配ったことからして異様だった。ちなみに我が家がここに来たときのご挨拶の品は、当時ではまだ普及しているとは言い難かったボックステイッシュだった。今なら近所のスーパーで5箱298円で買えるものだが、その頃は一箱でそれぐらいしており、挨拶の品としては値段としては標準であったと思う。したがって、隣の階段の家々は受け取るべきか否か、ハムレットの心境だった。そしてその際に組長は素性を隠すこともなく、事務所兼自宅が改築中なので、その間しばしやっかいになると口上を述べた・・・ということが井戸端会議で瞬時に伝わってきた。無抽選で入れた団地だから、こういうこともある。

 やがて駐車場の入口付近に横柄な車が横着に停まるようになり、見るからに「若いモン」が組長を迎えに来るようになった。組長夫人を送迎することもあり、「姐さん、どうぞ」とか言って後部ドアを開いて乗り込ませたりする。構成員はどう見ても5名程度だと思われた。

 近所の住人は、怖さ半分興味半分で遠巻きに眺めている。壁を隔てて隣の奥さんはうちのかみさんに、「ギギギ・・・と夜中に変な音が聞こえるのよ。壁をくりぬいて拳銃でも隠しているのかしら」などと真顔で言う。

 この家族には中学生と小学生高学年ぐらいの男の子がいた。都合4人家族。
そのうち、休日の夜になるとこの家からなんだか次々に歌声が響いてくる、という情報が井戸端経由で入った。今でこそカラオケといえばすぐ通ずるが、当時はごく一部のスナックが導入している程度だったし、だからおそらく傘下の店から召し上げてきたものと思われたが、4トラックカートリッジカーステレオ全盛の時代においては、ともかく一般家庭にはなじみのないものだった。親子がマイクを奪い合う団欒として時代と文化を先取りしていたといえる。

 歌声が聞こえなくなって、住民が心の平安を取り戻したのはいうまでもない。
 
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