20.郡山物語(4) ようやく金魚
 正式には「士族の商法」というのか、ともかく維新以来の地場産業として郡山の金魚がある。もとは江戸時代に国替えと共に甲府から伝わったそうだが、なぜに郡山なのか?生産のノウハウの集積と流通機構が確立しているのは当然だけれど、それでは理由にならない。もうひとつ有名な産地は愛知県の弥富町で、出荷高は負けているようだが、これは郡山から伝えられたもの。両者に共通するような特徴のある自然的条件はほとんどない。

 しかしこの街の養魚場を歩けば、あるいは歩かなくても「金魚」という商品を思い浮かべればおよそ察しはつく。他が参入して競うほどの産業ではないのだ。需要が飛躍的に伸びることもなければ、新しい製品にとってかわられることもない。このあいだのヘルペス騒ぎで鯉の産地は全国にかなり分布しているということがわかったけれど、バブルや「失われた10年」もかんばん方式も金魚生産には関係はない。伝統工芸みたいなものか。しかし、最近では航空機で地球の裏側にまで輸出される。ビニール袋に少量の水と金魚を入れ、あとは酸素で膨らませてダンボール箱に詰めれば2,3日はもつそうだ。

 ワキン、リュウキン、ランチュウというのは生物学上の分類だが、私の分類では「観賞用の高価な(といっても鯉に比べればしれているが)金魚」と「夜店の金魚」しかない。前者は関係者に聞くとたいへんな世界で、たとえば「幻の金魚」の再生などというテーマがあるらしい。何でも大正時代に大阪周辺で飼育され、絶滅した特別な色と形をもつ品種で、何代も交配を繰り返して復活させようとしているが至難の業ということ。このような高級魚は春の郡山城の桜祭りの際に品評会が開かれて、様々な色と形の美しさを並んで競う。都会の釣り堀のような養魚場のコンクリートの水槽で大事に育てられるのである。輸出用ももちろんこれだ。養魚場は町はずれに集中している。

 「夜店の金魚」はそんな待遇は受けない。どこで育てられるかというと、街の外側の田圃で育てられる。冬でも水の張っている田や、田植えの時期が過ぎても苗の植え付けられていない田が本来の田圃に囲まれてぽつぽつとあるのだが、それがふるさとだ。ため池のようなところでも生産される。田圃の隅にポンプが設置されているのを見ることもある。網などの道具や餌を置く金魚小屋も見かける。春が深まってくるとそういった1枚の田が無数の夜店用によって全体が赤黒くなってくる。飼育は結構むずかしいようで、春先に冷え込んだり、強風にあったりすると一夜にして全滅、ということもあるらしい。

 このような生産の仕方だから、畦道の散歩のついでにバケツを持参すれば容易にお持ち帰りできる。しかしそれは犯罪なのであって、この街に住んでみてある種のルールのようなものがあるのを知った。それは、そのような行為はだめだけれど、大雨で田圃の水が溢れ、共同溝に金魚が放流されたら子供たちが網とバケツを持って歓声をあげることになるのである。こうして我が家にも夏近くなると拾得した金魚がやってきた。

 だが困った問題があった。近所の田圃がそんな状態だから、子供をそう簡単に遊びに出せないのである。普通の水田なら泥だらけになる程度で済むが、金魚池に落ちたらやばい。魅力たっぷりの場所である。いうことを聞かないのが子供というものだ。塾にやらずにスイミングスクールに通わせて着衣水泳というのをやらせた。実は大人でも面白いのだけれど。(つづく)
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