19.郡山物語(3) どんな絵や写真よりも
  国鉄郡山駅のすぐ北にある15棟ほどの団地の最北棟に引越した翌朝、4階 の北側の窓を開けて息を飲んだ。北北西2Kmに薬師寺の全容が直接目に入って きたからだ。そこまでは一面の水田と畦道であり、前を遮る建物は何もなく、 いくつかの小さな森はさんで寺近辺の集落へと続く。当時は西塔、金堂と豪華 な伽藍が相次いで建設されたばかりで、修学旅行のときはぽつねんと佇んでい た「凍れる音楽」の東塔とセットになると不調和な感じもした。壮大な話だ が、あと千年も経てばそんな意識もなくなるほど溶け込んでいくのだろう(法 隆寺の西岡棟梁に弟子入りし、この建築を請け負った小川三夫さんは千葉県出 身の宮大工なのだが、「千年先の状態を考慮して寺を造る」と語っていること を後年知った)。

  窓側に机を置き、仕事場を整えた、部屋に何も飾る必要はなかった。中も見 ずに住むことを決めたのだからこれは驚きだった。仮の住まいのつもりが5年 も住んだのはこのせいだったかもしれない。

  北東に向かって国鉄関西本線の線路が延び、その4Km先に奈良の街並みが遠 望できる。郊外の工場や倉庫の大きめの建物がその前でまばらに見えるが、遠 いので視界を遮ることはない。さらに向こうは高円山・若草山が壁を作り、じ っと目をこらせばその麓に大仏殿の屋根がかすんで見えた。郡山駅を出た電車 は団地の横でスピードを上げつつ、騒音と振動をかきたてながら奈良めざして 走っていく。田園地帯の踏切の警報機が鳴る。早朝から深夜まで断続的に。5 年しか住まなかったのはこのせいだったかもしれない。しかし、眠たくなる街 だから、夜はほかに何の音もない。吸い込まれるような静寂さ。夏の夜には蛙 の鳴き声が微かに聞こえてくる。

  この仕事場でよく徹夜をした。原稿がうまく書けず、いたずらに時間ばかり 費やして夜明けを迎えた。梅雨時などは朝が早い。終電を送ったばかりなのに 薄明るい中を初電が行く。細かな雨のなかに薬師寺が浮かんで見えた。ぜいた くな光景だった。

  さて、話の続きはこの田圃のことになる。ここには郡山ならではの仕掛けが あった。(つづく)  

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