18.郡山物語(2)チビ太やバカボンがそこに
  住んで2年目に、ノーベル化学賞を受賞した人がこの町から出て、たいへん な騒ぎになった。その業績の内容と偉大さは申し訳ないことにさっぱりわから ないが、漫画家の赤塚不二夫だったらいうことがたくさんある。敗戦後、中国 から引き揚げてきた赤塚一家は母の出身地である郡山に身を寄せた。中国では 憲兵(あるいは駐在?)をしていたという父はまもなく亡くなり、不二夫は幼 少期をここで過ごしたのだが、置かれていた境遇はこの経過から察するとおり である。

  ここに住んでいたからいうのではない。赤塚不二夫は私が少年の頃に親しん だ最高の漫画家である。新しい雑誌が手にはいると真っ先に夢中になって読ん だものだ。手塚治虫はいつも最後になるか流し読みだった。今では宝塚に記念 館ができるほどの人気で、大人になってから読んだ「ブラック・ジャック」な どでは多少認識を改めはしたが、疑いを挟まぬ科学信仰と単純な勧善懲悪は面 白くなかった。赤塚記念館が建たないのは不思議でならない。

  テンポよくつぎつぎに繰り出されるナンセンス・ギャグ。少し大きめの子供 の世界を描きながら、出てくるキャラクターは結構小狡く、えげつなく、リア ルである。しかしどこかに、説教的ではない何かしらの救いが用意されていて 飽きることがなかった。

  後年、赤塚はこれらの作品の原点は郡山の子供の集団にあったことを語って いる。仲間とともに畑で野菜を盗んで奈良の闇市に売りにいった体験、ここで 浸かった子供同士の序列関係、いさかいや助け合いが生かされているのはいう までもない。子供の世界といえども(いや、子供であるからこそ)大人顔負け の騙しあいや権力闘争、見栄の張り合いなどが日常の風景としてあり、それが こちらの体験に響くのであって、手塚の描く子供とは全く視点が違った。それ も漫画の描く世界のひとつだろうけれど。

  古い家並みの間の狭い路地からそんなガキの集団が走り抜けていくような、 郡山はそんな空気をなお残すところだ。(つづく)  

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