14.リヒャルト・ゾルゲと奈良公園()

目の前の人物に10年前の千葉高生で教室にも出ていたと自己紹介されると、先生は一瞬記憶を探ったようだが、教室での私の印象が引っ張り出せるわけでもない。私たちが卒業して間もなく先生は教師を引退されたとおっしゃられ、それからかなりの時間が経っていた。「葛城町の自宅とこちらとで半々に暮らしています」。静かに本を読んで暮らす余生を選ぶなら、これほどふさわしい場所はない。そして私のほうには、10年の歳月を越えた再会は、あの年配の方だったから、やはりずいぶんと年老いた印象を持たせた。

高校の話はほとんど出なかった。風間道太郎の話もしなかった。それよりも今、何をどのように勉強しているのかを熱心に私に尋ねられた。淀みなくではなかったと思うが、そのとき考えていることを口頭試問のようにお答えした。
先生はいつまでたっても先生だ。私も教壇に立って長くなるが、ここらへん習性というか因縁めいたものを感じて何となくおかしい。

翌朝、お礼を述べて合宿所を辞した。冬になって、その夏頃考え、準備していたことを論文にまとめた。そして矢部先生にもお送りした。じっくり読んでいただいて、丹念な感想や疑問を記したお返事をいただいた。

それっきりである。

「スパイ・ゾルゲ」は記憶の底に眠っていたこんなことを思い出させてくれた。(この項つづく)

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