9.「人生の楽園」の怪

さて、「ならまち」の項に入ろう。ここでも紹介したTV番組「人生の楽園」の宇多滋樹さん(56)のことだ。ご覧になっていない人もいると思うのであらすじから。

高校生の時に自転車で大阪から生駒山を越えてやってきて、奈良に魅せられた宇多さんは、将来ここに住もうと決心し、紆余曲折を経て(このあたりは重要なのだが時間の関係上省略された。私の予告のとおりに)、50過ぎにもっとも奈良らしい「ならまち」の町屋と民家のガレージを借りて、念願をかなえる。週に数日、嘱託として大阪の出版社に勤めるかたわらガレージで古本屋「ならまち文庫」を起こす。そしてここを拠点にして、古老や伝統工芸や業の担い手、昔の町並みなどを細かく取材し、地域雑誌『ぶらり奈良町』を自費出版する。人生の残された時間を意識するようになり、実益から趣味へと生活をシフトさせ、組織しなおし、世のしがらみをうっちゃりながら充実した毎日を送る極楽トンボ的「人生の楽園」。これが番組の趣旨だ。「うらやましいですなぁ。ご同輩」といかりや長介。

http://www2.odn.ne.jp/~cdl17850/  (ならまち文庫)

まず、「ならまち」はそれほど魅力的なところか。江戸末期から昭和初期にかけての長屋が並び、人間関係も含めた「古き良き日本」が残されている。実際に数年間住んだことのあるSさんがここで紹介されているように。ここを訪れる大部分の人にとっては好ましい場所であることに違いはないだろう。私もそう思う。

しかし、背後に別の場所での自分の生活を抱え、つかの間の旅人としてやってくる観光客としての目で見たこの町と、根をはった生活者として見たそれとでは、当然のことながら隔たりがある。宇多さんがめざすものはもちろん後者だ。

番組の中途で、家の中で奥さんと卓袱台でお茶を飲むシーンが出てくる。子育ても終わり、古い家具に囲まれた部屋で静かにしみじみと語り合う初老の夫婦。夫唱婦随を地で行くような場面だ。これを見たときひっくりかえってしまった。

夫婦仲が悪いわけではない。しかし奥さんと娘さんは別の場所に住んでいる。理由は簡単で、この趣味につきあいきれないだけの話だ。日当たりは悪い、すきま風は吹く、風呂はない、近所づきあいは煩わしいでは住めたものではない。奥さんの演技力はあっぱれというか、相当なものだった。

宇多さんはいい。奈良の次に好きなものは銭湯だ。『ぶらり奈良町』第5号は銭湯特集で、興福寺の南、元興寺を中心にする400メートル四方のこの界隈に8軒の銭湯があるのは本当だ。宇多さんはそれぞれの湯に浸かり、店主に由来を尋ね、湯船の形や、菖蒲湯はいつであるとか、こと細かに記している。読んでいて楽しい。しかし、家族にとっては、この寒空に石鹸抱えて日参ではたまったものではないだろう。人にいうを憚る趣味ではないにしても、はためいわくであることに違いなく、それを貫くにはけっこう根性と日常との闘いがいるのだ。

もうひとつ。印刷所から『ぶらり奈良町』最新号が出来上がり、ならまち文庫の前で、ライトバンから荷を下ろし、編集仲間ともに手にとって喜びあう場面がある。番組の最終を飾るにふさわしい演出といえる。だがこれを運んで来るのはT社のバンであって、印刷所が唯一所有し、ふだん使っているのはN社のなのである。

そう。この番組の提供はT社。番組制作スタッフとしては、ここでライバルN社の車に登場してもらっては困るのでどこかから調達してきたという話。これは宇多さんから聞いた。げに恐ろしきはスポンサーの意向。フイクションとノンフイクションの境目を云々するつもりはないけれど、だれもそんなシーンでクルマなんか見ていないだろうに。

誘導する文脈と垣間見える真の姿のからみあい。これを読み解く技術がメディア万能時代の視聴者には必要だと思う。どこかおかしいぞ、というところがとっかかりだ。そうでないと作成者の思うとおりの場所に連れて行かれて放り出されてしまう。責任なんてとられたためしはないのだから。

われわれがスポンサーである放送局の「にんげんドキュメント」や「プロジェクトX」といったクソ番組も、一歩さがってこういう疑いを保持しながらかかわるべきだろうと思う。

宇多さんは1月末に出版社を解雇され、趣味に生きるにはこれからが正念場となった。

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