3.街道今昔

歌姫街道と同じように北から京都と奈良を結ぶ道は奈良市内にまだいくつかある。

まず奈良街道。般若寺の横に奈良阪のあるこの道が一番有名だろう。昭和のはじめに馬酔木の花が咲く頃、堀辰雄が息を切らせながら浄瑠璃寺(九体寺)に向かったのはこの坂道であり、また、京都からの旅人がいつの世も大仏殿を眼下に仰いで、ようやく奈良に来たなあとの感慨にふけるのもここだ。そして柳生へと抜ける道も分岐する旧国道24号線であった。
私たちの修学旅行のとき、バスで京都から薬師寺・法隆寺に向かったときもここを経由したはずだ。しかし、上下1車線ずつしかないこの街道は、都市化・産業化とともに木津から分かれたバイパスに主要道の地位を譲り、いつしかバイパスのほうが国道24号線と呼ばれるようになった。まばらな住宅と林が道の両側に残る。

バイパスはならまちと平城宮跡の中間あたりで右に大阪に向かってカーブし、数百メートルほど東西に走る、そして再び左カーブしつつ高架を上り、方向を南に戻す。その下で近鉄奈良線と阪奈道路が直角に交差していく。あとは橿原まで南に向かう広い一直線だ。交通量はもちろん多く、しばし厳しい渋滞となる。このようにして、ならまちにと平城京の双方をかすめるこの国道の両側は、全国どこにでもある主要国道の風景が作られていった。ガソリンスタンド、ファストフード、郊外型書店、ファミレス、中古車屋、ラブホテル。そして15年ほど前、左カーブのあたりで都市景観を問う大きな事件が起きたが、それについては次回に書きたい。

あと1本は未完成の有料の京奈和自動車道。文字通り京都・奈良・和歌山を結ぶ予定の道路だ。そもそも名神高速の恒常的渋滞の緩和のために京都と大阪のバイパスとして作られた京滋バイパスから直角に南下して、京都府城陽市に起点を持つ。現在奈良の手前まで完成したが、平城京を地下で通過するか、奈良市を迂回するかどうかで大問題になっている。もちろん財政再建・道路建設見直しの問題にもかかわってくる。

道は時代と社会を映す生きものだ。(つづく)

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