1.サイボーグ朱雀

 「朱雀」は古い中国の四神のひとつで南方を意味するのは良く知られている。
奈良の朱雀はでたらめもいいところで平城京の真北3
kmに位置する。何のことはない、70年代中ごろから始まる平城ニュータウンの開発にともなって、奈良らしい名前をということで付けられた。千里や泉北ニュータウンの街区が、個性のかけらもない○○台という呼称を次々に持たされていったのを、後発として反面教師にした面もある。しかし、名前をいじったところで、街づくりのポリシーは全国にあまねく作られた○○台と変わるところはない。かくして都の位置から見ればこれまた正確に正反対の「右京」と「左京」、それに加えて「神功(じんぐう)」とともに、それぞれが1丁目から数丁目までを画一的に持つベッドタウンを構成している。

千里や泉北と違うところは、筑波を擬した学研都市となっているところである。ただし、東京まで1時間半はかかる筑波と比較して、京都まで電車で直通35分、大阪難波まで西大寺乗り換えて40分というように中心都市との近接性の違いはいろいろな意味で大きい。

 「ならまち」や大仏のある奈良旧市街へは直線距離で4km足らず。しかし両方の住民相互には同じ奈良市民であるという自覚(アイデンティティ)は、当然のことながらあまりない。
平城宮跡にある奈文研の資料館に
1950年代に撮影された奈良市の航空写真のパネルがある。それを見れば平城宮のすぐ北の佐保、佐紀に点在する農家とウワナベ・コナベ古墳の北側は、近鉄の線路だけが横切る全くの山林であって、樹木以外何も見当たらないのである。そこに忽然と出現した人口2万3千人のコンクリート・ジャングルは、古代より歴史が堆積する旧市街からみれば、全国あちらこちらから流れ着き、毎日大阪や京都に勤めに出るよそ者の街だし、逆にニュータウン住民は観光客として旧市街に出かける。買い物はタウン内のスーパーで済ませるし、済まなければ観光土産屋は多いがデパートひとつない旧市街は用をなさず、大阪・京都に出るだけのことだ。

 私の住まいは朱雀3丁目。奈良市の最北端。同時に奈良県の最北端。隣の棟は京都府相楽郡木津町である。小学生の登下校は幹線道路をはずすから、子供たちには歩いて府県境を何度も横断するということが日常的におこなわれている。

 さて、かつてのこの山林一帯は、当然ながら、作り物の「朱雀」などとは無縁の、それこそ万葉の時代の息吹を伝える実に優雅な名前を持っていた。(つづく)


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