台湾が国連加盟を入口で断られました。すでに国として機能している国、民族を中国の圧力で断るのはおかしい。
私は新婚旅行で、中国人が人民服を着ている時代に行ったように、中国は好きです。
でも、それと台湾問題は違う。
台湾にも観光ツアーで行っただけですが、我々の現地ガイドの人が「台湾は台湾で中国ではありません」と繰り返し以下のような話をしました。
このガイドは蒋介石を祭った中正紀念堂でも、蒋介石の悪口ばかり言うから妻と子ども達に「大丈夫かね?」と思わず言ってしまうほどでした。
司馬遼太郎の『街道をゆく−台湾紀行』も参考に「台湾は台湾」をまとめると次の通り。
- 原住民だけの国に大航海時代、スペイン、オランダが海岸に砦を作って占拠。倭寇もたびたび来ていた。
- 明の遺臣、鄭成功(国姓爺)(母が日本人)が台湾を建国する(1661→1683)。この時から日本と合作の国とガイドは言う。鄭成功は福建省から明の遺臣を招くが、来たのは男ばかりで、妻は原住民の女性。すなわち台湾原住民とも合作の国。その後に清が占拠。
- 清は台湾の統治に無関心で、来る役人、来る役人、私服を肥やすことだけ、収奪のみで台湾の為になることなにもしない。
- 実際に清が統治していたのは台湾西部のみ。他は原住民がいるだけ。清は台湾は難治の国と認識。真ん中に3000b級の山が聳え、東西の往来は難しい。
- 明治初年に琉球民が台湾南部の牡丹で殺され、日本が清に抗議するが清は原住民のことで自分たちは関係ないと回答。そこで日本が後に出兵。これで清も慌てる。
- 日清戦争後(1895)に日本領。統治に苦労し、原住民との抗争(例えば霧社事件)があるが、第4代台湾総督児玉源太郎、第5代後藤新平などの偉材が教育、上水道・医療、灌漑、道路、鉄道の敷設などに努める。
衛生面は高木友枝、上下水道を造った浜野弥四郎、音楽教育の伊沢修二、新渡戸稲造などの優れた人物が基礎を作る。(もちろん悪い日本人もいました)
- また土木技師の八田輿一は嘉義市から台南市までの嘉南平野の灌漑(ダムを造る)で現地の人に深く敬愛されていて、今は神様。
- 第2次世界大戦の時、毛沢東に追われた蒋介石軍200万人以上が台湾に流入して、傍若無人な振る舞いを繰り返した。これに反抗した民衆を1947年2月28日に大弾圧して1万〜2万の犠牲者がでる。以降も親日の知識人を弾圧。この白色テロ(毛の赤色テロと同じこと)は国民党政権時代に続く。
- 1988年に李登輝氏が総統になる。以降も中国共産党政権の脅しは続く。ガイド曰く「日本のヤクザと同じね」
ガイドが「台湾人にとって蒋介石→蒋経国の国民党時代は勝手に流れ込んできたならず者が台湾を統治した時代。現在のメインランド中国の共産党一党独裁政権と一緒に「中国は一つ」と言っていたが迷惑きわまりない。台湾と中国は違う。台湾は自由の国になりました。自由とは努力すれば何にでもなれること、香港のような一国二制度なんていう口先には騙されません」と言っていたのが印象的でした。
日本にとって数少ない親日国です。日本が応援しないでどうします。台湾の自由が永遠(とわ)に続くように。
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