5.本当の戦争責任
「日本人として裁く戦争犯罪」のページで、今となっては、本当の戦争責任者を裁くのは難しいと書いたが、自分なりには、誰が責任をおうべきかについては考えている。

私は、断片的に関係する本を読んだ程度だから、特定の個人が悪いと明確に断罪するのは避けたいと思うし、わからないと言うのが正直なところです。

でも、今では「軍官僚主義」とでも言うようなものが悪いのだと思うようになっている。
当時の軍首脳は、日清・日露の時と違って、軍隊という官僚組織の中で上り詰めた人たちです。
官僚主義の特質の一つは「仲間主義」です。「仲間主義」は「セクショナリズム」を生んで、情報共有化ができず、大局的判断ができなくなります。

また「仲間主義」は「仲間(身内)に甘い人事に終始」します。信賞必罰がなく、責任追及はできません。文句の出ない人事は年功序列ということになります。すなわち平時には有能でも戦時に無能が学校成績だけで上に立つわけです。そして無能が失敗しても信賞必罰でないので責任追及がありません。上が責任をとらないのに、下がとるわけがない。

前任者と違うことをやると、前任者の批判ととられかねません。だから同じような必敗の戦術が続いて日本人を犬死させる。水際線に防御を集中し、突破されると、その夜に万歳突撃とか、バシー海峡のような沈められても、沈められてものワンパターン作戦が続いてしまいます。硫黄島玉砕戦が敵からも評価されているのは栗林中将が当時の異端の騎兵出身で海外経験が豊富。そのため前例主義を採らず、作戦を水際線ではなく、下がった地点で塹壕を掘り、そこで迎撃したからです。(「仲間主義」で異分子、異見の持ち主が除外されているから「前例主義」「ことなかれ主義」が続くのだ。)

加えて、官僚で偉くなるためには学歴が必要で、それには頭が良くないとだめ(記憶力優先という意味です)です。兵学校、陸軍大学の席次で、「おまえは少将まで」などの出世コースが大過がなければ保証されていたとも聞いております。結果、エリート主義となり、自分たちに誤謬がないという過信が生まれ、それは権威主義まで生みます。こういう人が作戦を立てるわけですから、現場軽視や、その案は誰が言ったかが大事になり、まともな作戦も立てられなくなります。

最近読んだ吉村昭の『海軍乙事件』。やりきれないです。あらすじは、山本五十六大将らが撃墜されたのが海軍甲事件、次の連合艦隊司令長官古賀峯一大将らが撃墜されたのが海軍乙事件。この時、2番機の福留参謀長の機が海に落ち、フィリピンのゲリラに捕まる。日本軍特有のセクショナリズムから陸軍にも、この事実は伝えられておらず、陸軍がゲリラを追いつめた時、ゲリラ側からの交換条件として釈放される。この物語は陸軍で、ゲリラの掃討戦を指揮した大西大隊長を主人公に展開する。
参謀長らは捕まった時、機密書類を保持しており、それが米軍にわたり、これがもとで日本軍は丸裸にされてレイテ海戦などで多大の損害を被る。
この事件を海軍は隠蔽し、また「生きて虜囚の辱めを受けるな」と兵卒に教育していたのに、生きて戻った参謀長らに困惑し、何気なく自決を促したが、自決せず、しかたないから「ゲリラは正規軍と違うから虜囚ではない」みたいな理由で不問に処し、あまつさえ死後特進した古賀大将とバランスをとるために、栄転までさせる。
機密書類についてはゲリラはこれが入ったカバンの尋問もなく、興味を持っていなかったようだから漏れているはずはないとした。一方、アメリカ軍は機密を知ったことを隠し、機密が入ったカバンを、捜索している日本軍に見つかるように流すなどの工作をする。
時の上層部がこういうことなのだから、兵卒はたまらん。

軍官僚主義の中で責任をまず取るのは頂点である首相や、大臣しかおりません。官僚は上記のような性癖ですから、上から指示されたことを実施するのが役目です。
だから、当時の軍官僚主義のトップに責任がいくのは当然です。

もちろん、さらに上に位置する天皇も責任がある思います。(私は昭和天皇は好きで、本当に国民のことを考え、心配されていた天皇陛下だと思っています。昭和天皇ご自身も、責任を感じ、責任を取ろうと覚悟されてマッカーサーに会いに行かれたのだと考えます。諸般の事情を考えてあるいは諸般の事情が妨げて、退位されなかったのだと思います)

そして、この軍官僚主義と同じ官僚主義は、今の日本でもあると感じることが怖い。官僚主義(ビューロクラシー)は諸悪の根源になりうるのだ。

前へ
目次へ
次へ 

同期の人からに戻る