13.I葉先生の思い出(その1)「ご両親に見てもらえ!」
@点数は問わない

物理の I 葉先生も個人的にお話をする経験は殆どなかったが、温厚寡黙ながら強烈な印象を与える方であった。黒澤の映画に登場するような練達の古武士の風格があり、九大の教授だったのがレッド・パージにあったのだ、という噂がもっぱらであった。

中学の「理科」という一くくりが、高校では「物理・化学・生物・地学・」と4分野独立した科目に分かれたのだから大変なものだ。当時は文系理系を問わず、理科はこの「物・化・生・地」全科目、社会科は「日本史・世界史・地理・政治経済・倫理社会」全部を三年間で学んだものだ。

ところが、現在の高校生は、各自の進路コースに応じて、断然スリムな、というか複雑怪奇なカリキュラムというか、お一人様毎のニーズに合わせて多彩なメニュー!バイキング・アラカルト・フルコース…  <*1>

ともかく、高校で日本史・世界史、政経・倫社共に学ぶことをせず、物・化・生・地を通して自然科学の概要に触れることもなく、卒業していく生徒が多数生まれていることは事実。これでは自国と世界の歴史をリンクして思考する姿勢も、自己と他者、個人と国家の間合いを図る発想も育たず、まして、自然と人間が接する際の観察・驚異・研究の態度は育んでいけるのか…?

スリムなカリキュラムからは知性も学的好奇心も一層スリム化するよりしょうがない…。

もちろん、食生活の多様性はそれ自身、文化の多様性かもしれない。コンビニフーズから屋台からレストランから、様々な食のスタイルがあっても、それはそれで豊かな選択だろうけども、今の「多様なニーズに合わせた多様なカリキュラム」とは…。
レストランのフルコースが最良の食事とは思わないけども栄養バランスの取れた食事と、広く学ぶことの意義とは
通じるものがあるに違いない。

ともあれ、予習復習の習慣が付いていない私などは、高校のこの怒涛のようなカリキュラムに対して、学校の授業中だけではこなせずにアップアップ・・・。

しかし本来理科好き少年だった私だから、様々な工夫が施されているI 葉先生の毎回お手製の物理教材には興味をひかれた。波動と気柱の単元だったか、長いビニールホースを持ってこられてラッパ演奏をされたのには、クラス中がどよめいた。

虹の理論も、どんなに入り組んだ海岸線にも波が直角に打ち寄せる理由も、夜間には遠くの音が何故聞こえ易いのか…等々、すべて明瞭な理屈で説明できることに、物質世界を明晰な理論で解明することの面白さを味わった。一時期、地球物理の学部・学科を「蛍雪時代」で調べたりし始めたのだが、基礎学力を付けるための、I葉式授業前提出小テストはサボり続けていた。

ある日、やはりやってなかった宿題の小テストを、隣の生徒から借りて休み時間にサッと写して提出した。
借してくれた友人が悪いわけではないのだが、ほとんどが×を付けられて返された。おまけに走り書きで提出したものだから、氏名欄には書きなぐった苗字だけ。そこに、赤鉛筆も折れよとばかりの筆圧でアンダーラインが引いてある。

コメントに曰く、
「点数のことは問わない。この無礼な書きようを、ご両親に見てもらえ!」 <*2>

I 葉先生の高邁な物理の授業のどれよりも、私だけに向けられたこのメッセージは、数十年経った今でも強烈に響いている。教師の立場となったその後、「点数のことは問わない。…」のコメントは、時に使わせて頂いている。

さて、古武士のような I 葉先生の峻厳さは、更に…


≪続く≫

<*1>
食堂によっては、客が食べてなくとも勘定書きには記載されてる裏メニューもあったりして、先頃全国一斉摘発を受けた様子。勘定書きに書いてある以上ちゃんと食べろ、とばかり受験間際に店も客も必死にノルマをこなしている様が哀れであった。

<*2>
「この無礼な書きよう」とは、氏名を書くべき欄に苗字だけをなぐり書きする無礼さだとずっと思い込んでいたのだが、今、ハッと気づいたことがある。

「名」を付けてくれた両親に対する無礼を働いている、という意味をもI 葉先生は指摘されたのだろうか?
「ご両親に見てもらえ」とおっしゃった意味は、そういうことだったのか…。
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