12.教壇を降りて「フランチェスカ…」(M野先生の思い出) |
塾や家庭教師にはトンと縁がなかった。学生時代にアルバイトとして関わったことはあるけども自分で受けた経験がない。だから、テストの成績を上げるような勉強法を知らないまま過ごしていたのかもしれない。 学校での英語初体験がM中のI井先生による松林の歌なのだから、英語の勉強にしても初出の単語などは、授業中机の上に指で書いて覚えてしまい、自宅ではドーナツ版のレコードの歌詞などを勝手に訳して楽しんでいた。 だから高校での英語の授業ともなると、周りの勉強家の諸君の脇にヒッソリとしているのみ。副読本の『O.ヘンリー作品集』やブルフィンチの『伝説の時代』などが面白かったに過ぎない。 ただ、英語の先生方の幾つかの場面は印象に残っている。1年生の担任は英語のK地先生(同期会サイトの担任一覧によるとI組)だった。秀才のA帯君やT田君らについては覚えめでたくとも、ヒッソリ組の私などはご老体の眼に止まってはいなかったようだ。 2年生の担任は英語のI岡先生(H組)、いつも三省堂のカレッジクラウンなどを持参され、語源が載っている中辞典の意義を語られた。それで帰り道、川沿いの古本屋で買い求めた。しかし英語の点数が上がったわけではなかった。 だが、同じく古本屋で求めた広辞苑(国語のF崎先生ご推奨だった)と共に、その後、表紙を何度も修理しつつ今もなお書棚に健在。 英語の小テストで「女神」という単語をGottessと書いてしまい、「これはドイツ語だ」と指摘された。 <*1> 確かに、英語の勉強そっちのけで、ベートーベンの「第九」をスコア見ながら聴いていた頃だった。 3年生の担任は体育のA木先生(B組)、英語担当はM野先生とU木先生。M野先生らが共著で作られたという語形構造の冊子が配られた。接頭語と接尾語等、意味区分で記された記述や「逆引き辞典」の発想は、中学以来の英語学習に怠慢な眼を一気に開いてくれた。ご推奨は研究社のホーンビーの英英辞典、手垢で汚れる程には引いてみたのだが、それほど英語の成績が伸びたわけではなかった。 さて、M野先生の英語の授業で強烈に印象に残った場面がある。どんな流れかは忘れたが、黒板に「SanFransisco」と書かれた。すかさず、「先生、シスコはci...じゃないんですか?」との声。留学経験もあり英語抜群の〇君だ。 <*2> 私など「ヘーェ、そうだったっけ?」という感じ。 M野先生は、教壇を降りて腕組みのまま黒板を眺めておられる。私は一体どちらなんだろう、との関心。すぐに辞書をひくこともせぬまま、先生の後姿を眺めている。ややあって、先生は一言、 「そうか、フランチェスカと言うからな」 教壇に戻り、サッと黒板消しで「s」を消すと「c」に書き直された。 先生の態度は、生徒に間違いを指摘されても焦ることなく、偉ぶった態度で威圧することもなく、卑屈にも傲慢にもならず、単語丸暗記の知識など、底から足をすくわれるような見事さで一層高次のレベルからサラリと問題を解決された。 私は、その眼の醒めるような瞬間に只々唖然とするばかりだった。英語(語学)という世界の奥行きがグンと広がった瞬間だった。 その後十年ほどして教壇に立つ立場になった私は、このM野先生のお蔭でどんな生徒の質問や指摘にも、動じることも焦ることもない(と思うことにしている)。腕組みをして教壇を降り、黒板を眺めつつ「ウーン…」 それまで考えもしなかったアイディアに辿りつくことがあるから、不思議なものだ。 当時、顔も名前も先生のご記憶に恐らくないほどにヒッソリしていた一生徒が、その一瞬をこんなにも記憶しているということを、M野先生はご存知あるまい。教育の効果というのは面白いものだと思う。 <*1> ほんとにドイツ語なら"Gottin"なのだろうけど、要するに当時の私はちゃんとした勉強をしてないものだから、知識混濁の状態だったのだ。先生は「ドイツ語的表記だ」とおっしゃったのだろう。つまみ食いの知識が、結局は虫食い状態の精神と化するという悪路を、当時の私は(今もか…!)まだ気付いていなかった。 <*2> (07/11/26追記) 旧友S山君からメールコンタクトあり、この〇君の名が判明。「高三を休学してAFSプログラムで1年間アメリカに留学したS野君」とのこと。 それで卒業アルバムの写真に載ってなかったのかもしれない。英語で夢を見るんだ、という話を彼から聞いたような気もするのだけどその前にも渡航経験があったのだろうか。 ともあれ、S山君、来月出張で当地を訪れる由。当時の下宿訪問仲間のT橋T君も同席の酒宴計画を任された。 雅兄・詞兄とも呼ぶべき彼らについて記すべきことも多い。待たれよ、両君! 宴席も待つべし…。 ただ、残留孤児の再会の如く名札を胸に付けるべきか。大人になってからの同窓会ってのは、名札を付けるんだそうですね。 |
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