10.幻の仮面朗読会・付記
F思い思いの幻

「キクチ朗読劇場」の聴衆各々のその後については無論、劇場の関わることではないのだが、しかしあの劇場の座席に座った聴衆には何かが刻印されたように思われる。数百人の聴衆に向けられ、彼らを今になお幻のごとく触発する一体何が、あの劇場にあったのだろう。

「トニオ・クレーゲル」の朗読に刺激され、原書で読むべくドイツ語を学び、医者になったF(K)君は、近年、国際癌学会での発表にドイツを訪れた折、トーマス・マンゆかりの地であるリューベックまで足を伸ばしたそうだ。マンの生家は小さな銀行になっていた由。トニオ、ハンス、インゲボルグを偲ぶ風情は既に幻のごとくどこにもその影は見えなかったという。

かく言う私も、故郷を離れ転々と北上し、いつしか地方都市の高校で国語を教える身となっている。キクチ先生のようになろうなどとは、一度も考えたことはなかったのだが、教材を読み上げる時などにフト、あの朗読劇場が頭をよぎることがある。

バッハのフルートソナタなどをBGMに小説を読んで聞かせたことがあった。感想を記した女子生徒の文に曰く、
「私はこの朗読を一生忘れることはないだろう…」思い思いの幻は、更に新たな幻を紡いでいくのだろうか。

G橋のたもとにて

T橋Y君の突然の報告が、同期会のサイトを読む一同にショックを与えたようだ。報告の日付は2003年5月、出来事は既に7年前の2000年12月のこと。

卒業後、キクチ先生と親交が続いていたというT君のもとに、深夜S橋警察署から電話があったのだそうだ。
(おそらく所持品から連絡先がわかったのだろう)
キクチ先生がS橋駅近くの路上で倒れており、既に絶命しておられた由。

T君は、先生が好きだったというジョルジュ・バタイユの言葉で報告を締めくくっている。
曰く「エロチシズムとは、死に至るまでの生の昂揚である」

教え子で医者のT君に駆けつけてもらえた先生の旅立ちについて思いを馳せてみる。その後のキクチ先生の人生についてT君に聞いてみたい気もする一方、あの壇上の挨拶でやはり私にとっての「キクチ劇場」は既に幕を閉じているようにも思う。

思えば、あの朗読会は、観客一人ひとりの胸に灯った「思い思いの幻」だったのだろうか。能面や一輪の百合にスポットライトが当てられたその舞台で、黒いマントとギリシャ悲劇の仮面を付けた朗読者の声が会場に響くその夢想された仮面朗読会に、高校生の我々は既に各々の座席を得ていたのかもしれない。

来月は、キクチ先生の七回忌ということになる。私は先生を悼むためにS橋に行ったりはしないだろう。あの「幻の朗読会」を弔うためにこそ、来月、都川の橋の上に立ってみようかと思う。

A君らが同期会のサイトに記した報告に刺激され、お蔭で私も又、胸に残った幾つかの切片を、キクチ先生の去った跡の空隙に捧げることが出来た。以って先生に手向ける香華としたい。

数回に渡ってこのブログにそれを記している間に、同期会サイトを司るI藤君があれこれ有益なコメントをメールで寄越してくれた。中でも、かのA君(サイト上でも仮名A)が、実は私の中高時代を通じての旧友S田君であることを知らせてくれたのには驚いた。

何〜ンだ、S田君だったのかァ…。同期生に凄いヤツが居たもんだ、と思っていたら案外身近な友人だったことに感慨深いものがある。彼にもしも都合がつくのなら、都川の橋で落ち合えれば嬉しいのだが…。
(葬儀・法事というものは、旧知再会の機会でもある)

H「虹の幻」(遅ればせの書写ノート提出)

キクチ先生の朗読の授業には耳を傾けた私も、書写の授業については自主ボイコットしたことを前に記した。
提出を求められた時も「書いてません」と応じた私の悔いを、以下の書写によっていささか償いたいと思う。

題材は、同期生(A君&Sさん)からのコンタクトに対するキクチ先生からの返信。(C高同期生サイトに掲げられた写真版から書写。原文は万年筆による流麗な筆跡)

どのやうにお応へすべきか迷ひました。今でもとほい昔のことをなつかしんで下さってゐるのにおどろき、お礼のことばもありません。
追憶といふものは、それが懐かしいほど、ちやうど虹の幻のやうなもので、とかく褪せやすく凋みやすくて、はかないものでもあるのです。
近づけばそれが見えなくなってしまひ、また時と人によっては、いぢって散らしてみたいやうな心も、きざしうるものです。
私は、貴方たちがあの頃と同じやうに健やかであるだらうと信じ またあなたたちも、あの人は いま生きてゐるのか、どこにゐるのかなと、折にふれて、ふと思ひ泛(う)かべるていどであれば、想ひ出の花も、なんとかふしぎに生きつづけられるのではないでせうか。
 三島さんの最後の小説のしめくくりは、ほぼ次のやうな大意だったやうです。

「さういふことがあったと思へば、あったかもしれませず、無かったといへば、無かったやうでもありますし、しょせん この世のことは、あたかも水に映る月の影のやうなもので、すべては 人の心ごころですさかいに・・・・」

この写真版掲載は2000/6/1付で投稿されている。亡くなられる半年程前のお手紙なのだろうか。キクチ先生を偲ぶ全ての人への返信のように思われる。

まことに、 “そないなお人が、ほんまに居りやしたか居りやせなんだか…”各人の心ごころの中にその空隙がたゆたうている。 <*>

A君による長大にして細微な「キクチQ治伝説」をしみじみと読んだ時もT君の報告に驚いた時も、私の心はそれほど動じることはなかった。

しかし、キクチ先生直筆の手紙に眼を通した後、部屋のテーブル上の水鉢の金魚に餌をやろうと思ったその時、パクパクと口を開けるその水面に、どうしたことかポロポロと涙がこぼれ落ちた。

<*>
既に同期会サイトにA君が述べているのだが、同窓生名簿にキクチ先生のお名前が記されていないという。書棚の奥から「創立110周年記念 同窓生名簿」(1988)を引っ張り出してチェックしてみた。
講師・事務職まで記されている旧職員の頁のどこにも、そのお名前は見当たらない。
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