3.犬は友だち |
(1)はじめに 私の人生において犬は常に親しい存在だったし、これからもそれは変わりないと思う。私にとって思い出深い犬たちをこの場を借りて紹介させていただければ幸いである。 (2)秋田犬「マル」 戦後間もない時期に熊本県の天草で生まれ育った私が最初に出会ったのが雄の秋田犬の「マル」だ。幼稚園の頃から通っていたプロテスタントの教会の宣教師の田上(たのうえ)先生がペルーに永住されることになり私の家で引き取るになった。 後足で立ち上がると小学校に入ったばかりの私より大きくて、毎朝、優しい表情で私の顔をぺろぺろと舐めて挨拶する従順な犬だった。しかし、散歩中に他の犬と遭遇するや否や勇猛果敢な戦士に豹変するのが常で、相手が何頭いようと瞬時にすごい力でリードを引き離し突進しあっという間に圧勝しては得意気に私のもとに帰ってくるのだった。 1960年代初頭の我が国の食糧事情は貧しく、「マル」も我々の食べ残しのご飯やさつま芋に味噌汁をかけただけの食事ながらよくもあれだけの体力があったものである。 私が中学に入った年、私の一家は父の仕事の都合で千葉県の市川に転居することになり、連れて行けない「マル」は私の知らないところに貰われて行った。別れの瞬間に耐えられそうもない私は用もないのに裏山で時間をつぶし、だいぶ経ってからそっと帰ってくると「マル」の古い小屋ががらんとして広く見えた。私の胸には言いようのない寂しさと愛犬の将来についての不安がよぎり、それは、同時に、新しい土地に移り住む自分たちについての不安でもあった。こうして「マル」との別れとともに私自身のひとつの時代が終わったのである。 血統書付きでやってきた柴犬の雄の子犬に「ムサシ」と命名したのも長男だった。柴犬なのに黒いので患者さんたちからシェパードの子犬と間違われたり真顔でタヌキですかと問われることさえあった。 本来の飼い主である長男とは朝夕の触れあいと土日の遊びとで心が通じているようだった。ある夏の暑い午後、「ムサシ」が庭で急死した時、中学生になっていた長男は長女(妹)と家内とでニュー・カレドニアに旅行中だった。その夜かかってきた国際電話に私は事実を告げることが出来ず、数日後帰国して初めて知った長男は号泣するのみだった。泣きじゃくるその背中を見ながら私は「マル」との別れを思い出し、もう2度と犬は飼うまいと思った。 あまりの可愛らしさに1年遅れてもう1頭、金髪に近いクリーム色の雌の子犬が登場。ショパンの恋人のジョルジュ・サンドにちなみ「ジョジュ」と命名される。さらにその翌年にはシュガーが4頭の子犬(すべて雌)を自宅で出産。メンデルの法則に忠実に、1頭が黒犬で3頭がブラウンだったが、黒犬だけを残し他は希望者(順番待ち)に譲渡。黒犬はフランス語の黒から「ノワル」と命名。シュガーは同じ年の秋にシャンプーに行った店で相席のシーズーと禁断の恋に落ち4頭の子犬(すべて雄)を身ごもり帝王切開を兼ねて避妊手術を受ける。幸いその子どもたちも里親が殺到しそれぞれ旅立って行った。 翌年(2002年)の秋には日本橋のペット・ショップでの衝動買いからダップル(まだら模様)の「シルビー」(歌手シルビー・バルタンから命名)が加わり、4頭が室内を走り回る状態となる。昨年(2003年)の夏は「ノワル」が3頭(雄2頭=黒とクリーム、雌1頭=ダップル)を出産し、いずれも順番待ちの希望者へと里子に出された。続いて妊娠した「ジョジュ」は死産(1頭)の後、悪性リンパ腫にて永眠し、我々家族(特に家内)は悲嘆にくれる。かくして最終的にミニチュアーダックス・フンドは3頭に落ち着いたが、蛇足ながら、「シュガー」は同居の義母が不治の病で寝こんだ時期に、じっとそばに寄り添いどれだけ病人の心の支えになってくれたことか。
「キヤロル」は2003年10月20日生まれの雌の子犬で、初対面の時は生後1ヶ月でミニチュアーダックス・フンドの子犬そっくりだった。ペット・ショップで一目ぼれして連れて帰ったら、翌日から見る見るうちに大きくなり、同居のミニチュアーダックス・フンド3頭(シュガー、ノワル、シルビー)を圧倒しつつあり。でかい図体に似合わず思考と動作は子犬そのものなのが彼らの最大の戸惑いのもとと思われる。警察犬のような厳しい訓練は必要と思わないが、排泄訓練と咬まない吠えないと言った最低限度の躾けは着実に習得しつつある。強面(こわもて)の顔でありながら甘ったれですぐ抱っこをせがむのが不気味でもあり可笑しくもある。 彼らの順位(序列)では長女がその次に位置しているようだ。大学病院の外科研修医でめったに帰宅しない長男の地位はその2人の中間といったところか。どうやら私は犬たちの上ではあるが人間の家族では最下位と評価されているらしい。 1日3回のハスキー犬の散歩のために私は早起きする習慣となり必然的に六本木界隈での夜遊びは不可能となった。ビーグルのエリックの運動は自転車でレイラと一緒に夜だけ走れば良いが、ハスキー犬とは雄同士でいがみあうのでずらす必要があり、ミニチュアーダックス・フンド3頭にはまた別の散歩がある。 また、犬全体を見れば、人間同様に高齢化に伴う介護は避けられないのは当然である。老衰したハスキー、ドーベルマンは想像しただけでも大変そうだが、犬が好きな人間にはそれすらもさほど苦痛と思えない。むしろ、その日に備えて今から自らの健康管理と体力強化を心がけなくてはと決意している。こんな思いが世間の常識ある皆様に果たして理解していただけるのだろうか。ふっと我にかえり疑問に思わないでもないこの頃である。 |
||
前へ | 目次へ |
次へ |