追悼 菊地久治先生

先生らしいと言えば、先生らしいご最後でした。ご最後も小説の一節のようです。


高橋良当:「菊地先生のこと(訃報連絡)」

同窓会HPから、菊地先生が当時も今も大きな関心と好意を寄せられていることを知り、驚きと同時に大変嬉しく思い、私からも同窓生の皆様に追記します。

平成12年12月だったでしょうか、水道橋警察署から深夜突然電話があり、菊地久治さんが水道橋駅近くの路上で倒れており、既に死亡していた由。
千葉高卒後、30年近くお付き合いをさせて頂きながら、最期に何も出来なかった私ですが、A君や佐久間さんなど、多くの同窓生に脳裏にしっかりと生きていることを知り、少し救われるような気がします。
菊地さんが好きだったJ.バタイユの言葉を同窓生の皆様に贈ります。
「エロチシズムとは死に至るまでの生の昂揚である」


日暮高則:「菊池先生逝去に涙する」

いつも人知れず、同期会のHPを読ませてもらっています。
みなさま、ご活躍の様子、慶賀に堪えません。
そのHPを久しぶりに拝見したら、あの菊池久治先生がおなくなりになっていたという知らせ。
しばし、絶句し、やがて涙があふれてきました。

思い起こせば、高校時代のいちばんの思い出と言えば、高校に入った折、最初に担任になっていただいたのが、
1年C組の菊池先生でした。
新宿中などという千葉の田舎の中学校から、葛城のあの高台の木造校舎へ。文化の香り高い菊池先生のお話を聞いたとき、子供心ながら強いカルチャーショックを受けました。
多くの方が書いておられましたが、春琴抄やトニオクレーゲルなどの朗読は言葉がないほど今も鮮明に記憶に残っています。
あの朗読ひとつとっても、この高校に入って良かったと今更ながら思っています。
ご逝去は本当に残念、冥福を祈るのみです。
1年C組は小生にとって原点です。高校の仲間としては今でも、あのクラスで一緒に山登りをしたメンバーとだけ
付き合っています。それは長谷川信夫、竹内純生、篠崎真幸、白井哲夫、高橋英二、泉水正幸の諸兄。年に1度、2月か3月ごろ、東京・八重洲の某倶楽部に集まり、懐古談をしていますが、話題の中心はやはり菊池先生のこと。
あの木造校舎のわきには、雑草の生い茂った空間があり、その向こうに4メートルの深さがあったプールの跡。
草地で弁当を広げたことも楽しい思い出です。まだ、受験勉強などなかった1年生のころの高校生活がやはり楽しく思い出されます。
それにしても、いちばん菊池先生と縁の深かった1年C組の人がこれまでだれも恩師を語っていなかったのはどうしてだろう。
逝去を知った今、もっと語ってもいいのではないか。
心ある1年C組のクラスメートも、小生の知らなかった先生の当時の話を聴かせてもらえないだろうか。

伊藤三平:「追悼、菊地先生「エロチシズムと死に花」」

Q治先生は高橋良当君を通して、例によって「君たちにはわからないだろうね、フッフッフ」と「エロチシズムとは死に至るまでの生の昂揚である」との言葉を残し て逝かれた。

最近、私は椿に凝っているでしょう。「死に花」と言うのがあるんですよ。 「今年は凄い、花がこんなにたくさん咲いた」と喜ぶと、花が終わると枯れて しまうんです。
 だから蕾が付き過ぎると、蕾を摘むと同時に、根詰まりをおこしていないかと か、病気にかかっているのではないかと気を遣う必要があるんです。

 そう、植物は最後の力で花を咲かせ、受粉して、子孫を残して枯れる。 花をエロチシズムととらえるのはどうですか?  菊地先生。


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