31.登山はつらいよ伏見稲荷(2)
   前年の信貴山と同じく、私鉄の駅があり、有名な社寺であるという以外に予備知識はほとんどなかった。神社の裏山全体が境内だということも知らなかった。朱塗りの小さな鳥居がたくさんあるということは知っていたが、全山ほとんどの登下山道がびっしりと鳥居に囲まれているとは知らなかった。商売繁盛の神社で初詣の人出が多いことは知っていたが、関西ではダントツ、全国でも明治神宮、川崎大師に次いで第3位だとは知らなかった。関西では住吉大社や平安神宮だと思っていたのだ。
 
 また私事にわたるが、前世は狐かと思うくらいイナリ寿司は私の子供のときからの大好物である。回転寿司へ行っても、へたな魚よりもついつい手を出てしまうことがよくある。味付けも、大きさも、油揚げの厚さも、飯のくるみ方も土地や店により千差万別で、好みを見つけるのも楽しい。五目とか山菜を包むのがあるが、あれは邪道。油揚げの煮付けのダシが白い飯に適度にしみ込むハーモニーが実にいいのだ。所帯を持ったのは、かみさんのおイナリさんが上手だったからという説もあるぐらいである。母親の作るものとは違った味と形に驚いた。でも稲荷は稲稔りを意味し、渡来人の米造りの神様が起源で、狐は(いちおう神のお使いではあるが)ここではあまり重要な役回りを与えられていない、ということも全然知らなかった。

 丹波橋で京阪に乗り換えて駅に着けば、参道には夜店が並んでいる。昨年の信貴山、一昨年の長谷寺と寂しい限りだったので、その明るさに驚く。いちおう幸も不幸もございませんようにと参拝をして裏手の鳥居の並びに入っていった。だらだらとくねった石段や石畳が続き(急坂直線でない理由はあとでわかる)、電灯が適宜ともされているので、長谷寺回廊の雰囲気である。しかし人通りが多いのと、鳥居がびっしり並んでいるために左右の景色が見えにくいところが違う。トンネルくぐりみたいなものだ。適当に行けば鳥居は終わるだろう、こんなの山頂まで続くわけがない。そこから引き返して参道で一杯やって年越しだ、などと思っていたのは甘さ以外の何ものでもなかった。いったん登り始めたのだから鳥居が終わるまでは見ておこう、ここまで来たのだから最後まで、ということのおろかさ加減を自覚すべきだった。こうして往復2時間かけて登山道と下山道を踏破し、昨年に続くにわか登山のカウントダウンとなってしまったのだ。

 それからまたまたさらに私事にわたるが、私はいまだに霜焼けがひどい。さすがに手にはできなくなったが、油断するとそれぞれの足の指やかかとが紫色に腫れ上がってしまう。何かにぶつかれば悲鳴があがり、寒さが遠のけば猛烈な痒み。今年は全国的に寒く、もう言う必要もないが登山の代償は大きかった。

 途中で茶店が紅白歌合戦を流している。ミニチュアの鳥居を大は3500円、小は2500円で売っている。山頂に奉納する(置いてくる)のだそうだ。登山途中の見晴台で一息入れると京の夜景が見渡せる。これはなかなか良かった。

 鳥居には奉納者の名前(企業名も多い)と、奉納年月日が必ず書かれているけれど、全山でいったいどれくらいあるのだろう。後で調べたら1万本ということだが、そんなものではないように思う。ところどころに鳥居が途切れ、歯の抜けた歯茎のように土台の石だけがむき出しになっているのもある。
 鳥居の年月日を見ると、ほとんどが近年のもので、明治大正を見いだすことはできず、昭和というのさえまれであった。・・・ということは鳥居は常に付け替えられているのだ!登山道はいくつかに分岐したり、サブルートができていたりする。道を作ればそれだけ鳥居は増資されていく。獄中のホリエモンが聞いたら何と言うだろうか。

 そのような思考を始めると、ミニチュアが3500円ということなら、本物の鳥居1本いくらなのだろうという疑問が湧くのは当然ではありませんか?後日、奉納した人に聞いたら最低で1本20万という証言を得た。電卓持って来い、20万の1万本、しかも古いのは次々に引っこ抜いて続々更新中。うわっ。光明寺の鐘が不憫に思える。

 疲れ果てて、リザーブ&ウォーターもなしに帰途についた。手には参道で買ったイナリ寿司がしっかりと握られていた(これは甘みを抑えた大柄の関東風)。年が明けてから、ちょっと気になって稲毛の母親に電話して尋ねた。赤ん坊の私を近くの伏見稲荷に連れていったことはなかったか、と。「お腹にいるときに行ったよ」。正確には伏見稲荷再訪であった。

 稲毛には、西養寺の庫裏の前で、生まれて間もない私を背負い、手にはいつのまにか棲み着いて、東京に行くときの唯一の心残りだったという野良猫を抱えた母の写真が1枚だけある。年齢も姿形も、私の娘より若い。(この項おわり)
 
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