1.主義・主張より体質か
一年、浪人して大学受験をした年が、東大紛争などで東大や東京教育大学の入試が中止された年でした。
入学した早稲田大学では、全共闘、革マル、民青、中核派など、学生運動が花盛りでしたが、私はそういう運動には反対で、無視していました。今から思うと不思議な時代でした。

今でも思い出しますが、当時私のことを批判した男ー革マルだか中核だが忘れましたがーがおりました。この男については今は恩讐の彼方ですが、その時、感じたことは忘れません。
この時、こいつは、世が世であれば、憲兵(極右)にでもなって、私のことを非国民と言う人間だと感じました。

後に、司馬遼太郎の本を読んでいましたら、「世の中には酩酊体質の人間と非酩酊体質の人間がいるのではないか。」と書いてあり、我が意を得たりと思いました。

時代の風潮に酔う人間は、主義・主張や理論は何でも良いのだ。時代の空気に酩酊しているだけなのだ。そして、世の中には酩酊体質の人間の方が多いのだと思う。

マスコミは今のTVもそうですが、読んでくれること、見てくれることが優先だから、時代の空気を率先して感じ、作る。酩酊を助長する。戦争中の朝日新聞をはじめ、新聞各紙が、国民を戦争へ、戦争へと煽り立てた罪は大きいと思います。

もっとも、酩酊体質が悪く、非酩酊体質が優れていると言っているのではない。体質が違うと言っているだけです。

非酩酊体質の人間が醒めている分、冷静で正しい判断をしているとも思えないし、時代を動かすには、酔う人間がいなくては出来るものもできないことがあると思う。


目次へ
次へ 

同期の人からに戻る