13.教育問題
教育が大切なことは自明のこととされている。そのため、折に触れて政治家は教育の建て直しを取り上げる。経済人も同様である。自分の子供が人並み以上に育てば自分は教育問題で言う資格を持つと錯覚する。そうなのだ、誰でもが一家言を持てるテーマなのだ。

だからと言うわけでないが、私も仲間に入ろう。ただ、私の意見というほどのものは持っていないので、古来の「ことわざ」、先人の意見を継ぎ接ぎ(つぎはぎ)しただけである。

自分の子供が人並み以上に育っても、「親はなくても子は育つ」と言うように親の関与は不明だ。偉そうに言えないのだ。ただ家庭環境は大切であるのは間違いがない。それはあなたの力ではないのだ。奥さんの力なのだ。

私は、教育は、教育を受ける人間の発火装置にいかに点火させるかにあると思う。
その後は本人の自己啓発だ。「馬を水辺に連れて行くのはできるが、馬に水を飲ませることはできない」ということだ。
その点火のさせ方は、教える人、教える相手によって様々。私は「人を見て法を説け」を信じている。
だから教える方は観察力がポイントだ。そして「豚もおだてりゃ木に登る」。長所を見つけて褒める。褒められればやる気がでる。着火するのだ。

教えられる方が自発的に気づくのも大事だ。谷沢永一の本によって「田舎の3年、京の3日」ということわざを教わったが、俊英の集まる所に行くと、「あっ、こういう人間もいるんだ」となる。周りが発火していると、誘導されて着火するのだ。いい学校に行く効果である。幕末の剣術道場がこういう雰囲気だったようだ。
このことを形を変えて言うと「朱に交われば赤くなる」。あるいは「孟母三遷の教え」もそうなのだ。本人自身も「馬も4つ足、鹿も4つ足」と思い、あいつができるのなら自分もできると発奮するようになるのだ。

でも、遺伝は避けられない現実だ。顔も体形も親に似るのだ。頭の程度も当然だ。
意欲に満ちた教育関係者は、これを認めたがらないが「馬鹿は死ななきゃ治らない」は一つの真理。「栴檀は双葉より芳し」という。もちろん例外があるところが人間の面白さ、古人も言う「鳶が鷹生んだ」、「出藍の誉れ」と。

発火装置に点火させる意味で、教師の役割がある。教師と生徒も畢竟、相性と思う。高校時代の同期と話すと、人によって各先生の影響度は様々だ。「○○先生がいい」と言う人もいれば「○○先生にこういうことを言われたから大嫌い」と言う人もいる。

でも世の中には多くの人に点火できる教師もいると思う。それが名教師なのだろう。小説(例えば『銃口』三浦綾子著)にも聖人的とも思える立派な教師が描かれている。より実在の伝記的な本では、『雪の降る朝』(上坂紀夫著)で知ったいわさきちひろの母上なども生徒に感化できる立派な教師と思う。

有名な人物では吉田松陰がいる。吉田松陰は「各人の長所を見て誉めて伸ばす人」と思うが、人材を輩出した松下村塾はたった3年弱だ。吉田松陰のさらに凄いのは伝馬町の牢でも、牢名主以下の囚人を感化させたと伝わることだ。人柄はおだやかで婦人のような物言いだったそうだが、何か「火」を持っていたのでしょうね。

緒方洪庵の適塾は、同じ程度のレベルの人間が集まっての輪読が特徴と聞いた。前述した俊英の集まるところでの「切磋琢磨」方式なのだろうか。

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