6.レスキュー・ダイバー資格取得(2007/3/7) |
セブ島のド田舎から帰国しました。 やりましたよ!! 自称、『ISP』:「Internatioal SCUBA PEASANT」(国際「鈍」百姓ダイバー) を目指して、今回、「レスキュー・ダイバー」のライセンスを取得しました。 セブ島滞在2週間のうち、最初の1週間は、家内とのファン・ダイブ(遊びのダイブ)に専念することとし、畳1枚もある、大きな「アオウミガメ」が逃げずに海草を食べ続けていたので、家内との2ショットを取ったりして楽しんだ。 時折、まだまだ未熟な家内に、海中遊泳中に、より高度な「中性浮力」の取り方を体得させるのにも気を配りましたが、終わりの頃には、家内は、中性浮力の取り方もかなり進歩し、見ていて安定した海中遊泳ができるようになりました。 家内が帰国した後の、後半の1週間は、自分自身のため、 『仕事をしていては、できないこと』として、「レスキュー・ダイバ」のライセンス取得を目指し、結構ハードな研修・訓練を受けることにしました。 いやー、こーれが、ほーんとうに、大変だったー。 実地訓練では、海難救助の恐ろしさを体得するため、半分殺されそうになったし・・・、坐学では救助専門の聞いたこともない英単語がバンバン出てきて、ステップ毎に筆記試験もあったり、毎晩宿題を出されたりして・・・、去年の暮れから、はまっている「数独」をのんびり解こうと、日本から持っていた数独問題集は1問も解く暇がなかった。 「レスキュー・ダイバー」のライセンスを取るには、まずは地上のEFR「救急救助」の資格が必要条件で、このEFRの国際的な資格を取るために、実地訓練を受け、筆記試験に合格しなくてはなりません。 この資格を取ったあと、いよいよ「レスキュー・ダイバ」の訓練に入るのです。 37歳のDino(ディノ)先生の指示を受けて、17歳のハイミー君が事故者の「溺れ役」になり、様々なパターンの訓練をするのです。 中でも、水面上でパニックを起こした「水面パニック・ダイバーの救出」訓練では、事故者との間の距離を充分取ったつもりだったが、パニックを起こしたハイミー君がすごい勢いで突進してくるのに、潜行が間に合わず、あっという間にとっ捕まってしまい、頭の上にのし上がられ、マスク(水中メガネ)は蹴飛ばされるは、レギュレーターは口からもぎ取られるは、そのまま海中に押し込まれて、海水をガボガボ飲まされるは・・・で、まるでまるでハイミー君との格闘技をし、・・・殺されそうになった。 さらに、別メニューでは、気を失った事故者のハイミー君を背負って岸に上げる訓練も何度もやらされたけど、本当に重かった。 坐学でも、実地でも、徹底的に叩きこまれたのは、『先ずは自分の身を守る』ということです。 それが事故者のためにもなる、という事実です。事故者を見ても、絶対にすぐに助けに飛び込むな!と叩き込まれました。 「Stop, Think, then Action」というわけです。 Actionにも、世界標準があって、 「My name is Akio. I am an EMERGENCY RESPONDER. You need help?」 という言葉掛けから始めるのです。 次回は、「ダイブ・マスター」(DM)のライセンスを取得したいと思っています。 これがまた大変なライセンスで、実地訓練だけでも60本潜らなくてはならず、人間の限界である1日4〜5本を、 毎日潜っても3週間はかかるという非常にハードな訓練で、わたしゃ、3〜4週間かけてじっくり取得したいと思っています。 「ダイブ・マスター」の資格を取ると、 @ダイブ・ショップを出せる、(この気はない)、 A一般ダイバーを指導したり、友達やお客様に対し、海の中を案内をすることができる、 B一般ダイバーのログ・ブック(潜水記録)に、インストラクターとして潜水証明のサインができる、 などなど、ダイバーとしてほぼ全てを知り尽くし、緊急事態に対処できる指導者としての地位が認められるのです。 ところで、今回現地の人に持って行った「古着」ですが、これが期待以上に、非常に感謝されました。 例のエドウィン君(元トライシクルの運転手で、前回は高圧電線の鉄塔建設の足場つくり現場監督をやっていた)は、今回のプロジェクトを完了し、次のプロジェクトまでの繋ぎとして、再びトライシクルの運転手をしていた。 ダイブ仲間からいただいた幼児の服や、私の娘の中学・高校の時の服などを含め、古着だけで合計12・3kgを差し上げた。(Tシャツだけでも20着はあった)。 差し上げた古着に非常に感謝して、我々の滞在期間中、時には奥さんまでも一緒に5回も訪問してくれた。 その都度、果物を持ってきてくれて、ココナッツ(ヤシの実)を合計6個もくれて、家内に目の前で割って食べさせてくれたり、日本にはそのうち2個だけ持ち帰った。 そのほか、今回初めて食した「スター・アップル」は、種が小さく、甘くて、クリーミーで、本当に美味しかった。 エドウィン君が、山に行って、取ってきたものだそうだ。 (注意:最近日本にも出回っているスター・フルーツではない。) また、エドウィン君の、ジャングルのような自宅の庭で、バナナが熟れたからと言って、12本ほど持ってきてくれたが、これが日本では味わったことがないくらい、モチモチしていて旨かった。 (まるで「餅」のよう。) 「見てくれ」は、あまり旨そうではなかったが、我が家の子供たちが「今までに食べたバナナで一番旨い」と好評だった。 そのほか、地元の名前で、タンビス、セレゴイラスという2種類の果物も初めてだったが、これはあまり旨いとは言えない。世の中にはまだまだ知らない果物があるんですね。 さてさて、前回に続いて、例のセブ島空港の出国検査官の話があるので、まっ、聞いてください。(以下はこの場ではカット) 今回のダイビングでは、ベルギーの、45・6歳のカールと言うダイブ・マスターが、私がフランス語を話すのを知って、毎夕方のビール・パーティになると、いつも私に近づいてきてフランス語で話しかけてきてくれたので、期せずしてフランス語の練習までできたことはうれしかった。 この、私お気に入りの、ド田舎リゾートは、ドイツ人が大半で、ビールを飲み始めると、80%はドイツ語が飛び交うことになる。残りの20%はかろうじて英語だから、フランス語びいきの人間には多少肩身が狭い。 私も、愛嬌で、勉強したてのドイツ語で応戦するが、相手が英語に切り替えてしまう、・・・(くそっ、もっとドイツ語をやらんといかんなあ!) カール君には、「何年もここに住んでいるが、お客様とフランス語でしゃべるのは初めて」と、非常に気に入られてしまった。 「Internatioal SCUBA PEASANT」、ISPを極めるには、まだまだ「修行」が足らんなあ。 |
||
前へ | 目次へ |
次へ |