3.インターナショナル・ダイバー資格(2006/9/30)
去年の8月から何度も長期の旅をしてきたが、今回は2度目の一人旅だった。
そんな旅の中で、スイスはいつも心から溶け込んでしまうためか、帰国すると毎回、安堵感よりも「虚脱感」に襲われたものだが、今回はフィリピン・セブ島から戻って来ても同様の虚脱感を覚えてしまう。 いよいよ、セブ島の片田舎にまで「はまり」始めたか。

セブ島の片田舎(セブ空港から約100km、タクシーで2時間半)、小さな村でダイビングを楽しんできた。
高々2週間足らずの滞在だが、最初は現地で知り合った、軽快で爽快な若者ダイバーのグループに加えてもらった。
彼らが帰った後は、今度は長期休暇のダイバー4人と知り合いになり、それもそれぞれ別々に現地にやって来た人たちで、また偶然にも滞在期間がほぼ重なっていたこともあって、朝食以外は、ほとんど行動をともにしていた。 泊まったコテージも別々である。
「国籍が5人とも違っているのに、こんなに気が合うのは珍しい」と、全員が実感・納得するほどであった。
  1. 英国人(36歳、男性):大型プロジェクトを終えて、2ヶ月間の休暇で旅行中。 典型的な英国紳士で、彼が皆の取り仕切り役を努めた。
  2. スイス人(推定35歳、女性):ジュネーブの赤十字本部で仕事をしていたが、この6月から夫とシンガポールに移り住み、彼女自身はシンガポールの赤十字で働き始めた。 私とはスイス中のローカルな話をフランス語を交えて話せたので、非常に楽しく話が弾んだ。 (もちろん全員の共通語は英語)
  3. フランス人(推定30歳、女性) & アイルランド人(40歳、男性):2人で12ヶ月間の予定で、南米から旅を初め、7ヶ月が経過し、残り5ヶ月間でアジアを旅行し続けるという。(結婚はしていない)
私は受験地獄の後遺症で、いまだに興味あるものは徹底的に覚え込まないと気がすまない質なので、魚の名前もダイバー仲間ではかなり熟知している方だが、今回は英語付けだったので流石今までの知識が全く通用せず、幾度も歯がゆい思いをした。
お蔭で魚の名前を英語でかなり覚えた。 今後はインターナショナル・ダイバーとして英語名で覚え直すことを自分自身の課題にすることにした。

滞在中に、その英国人のダイブ暦が200本目(私は170本)を超えたのを記念して、みんなで祝賀会をやった。
翌日、全員がアウトになり、みんなダイビングをスキップしたのも、偶然で面白かった。 

さてさて、今回、是非、ご紹介したい話は、「エドウィン・カストロ」のことである。 
エドウィン(40歳?)は去年まで、現地のトライシクルの運転手で、私にとっては「お抱え」運転手のような存在であった。
それが、今回セブ島の電力会社に努め、高圧電力線の鉄塔建設の現場監督をしていた。(大した昇格である)
このエドウィン君が私を「ご自宅」に招待してくれたのである。 非常に心のこもった歓待を受けた。

いやー、すごいよ。 多分、ほとんどの人はひるんでしまい、受け入れられないでしょうね。ジャングルような「けもの道」を分け入り、電気もない、「掘っ建て小屋」のような家でした。 (申し訳ないけど)、隣に建っていた「豚小屋」とさほど変わらない。 周りはバナナやマンゴーの木が被い茂っていて、鶏が放し飼い、豚が数等つながれている。

そんな家の屋外「ダイニング」に小さな手製の木製テーブルが据えられていた。 椅子はひとつだけ。
エドウィンは自分が飼っている10羽ほどの鶏の内、1羽を丸々、「丸焼き」にしてくれて、別の一羽で「フライドチキン」を作ってくれた。
飲み物は、その場で割ってくれた「ココナッツ・ミルク」(実の中の「核」に入っている100%果汁)で、デザートはココナッツ核の内壁、ジェリー状の所謂「ココナッツ」であった。 大感激である。 お客様をもてなす「最大」のご馳走である。 

家は、とんでもなく、貧しくっても、最大限のもてなしをしてくれたのだ。
子供が5人いて小さい子はまだ6ヶ月。 奥さんがとても気がつく女性で、家を実質的に切り盛りしていることがよく分かる。
言葉少なげで、慎み深く、英語もエドウィンより通じるし、ヒアリングもエドウィンよく、まともな返事が返ってくる。字も上手いし、スペルも間違っていない。 
生活の「水」を(50mくらい離れた)隣の奥さんの実家からもらって来るところを見ると、エドウィンは現地の資産家(?)のお嬢さんを射止めたようである。 (奥さんの実家には水道が引かれているのだ)

村を離れる前日にも、夫婦で挨拶に来てくれた。(これもきっと奥さんの気遣いだろう) 
重い大きなココナッツの実を3つも土産にくれた。またそれを、(エドウィンと一緒に買いに行った)「マンゴー」といっしょに包むため、「段ボール」を持ってきてくれた。エドウィンと一緒にマンゴーを1つ1つ新聞紙で包み、ダンボールに詰め込んでくれたのである。(以下の顛末の一部はこの場ではカット。どうしても聞きたい人は伊原君に直接どうぞ)

さらに出国通関の中に入って、不愉快だったのは、日本人観光客のあの「横柄さ」である。腹立たしいというよりも 悲しくなった。 完璧に現地の人を見下した人種差別に根付く行動である。「あいつら、まったく、金で横柄さを買っている。」としか思えない。
多分、2泊3日か、3泊4日のツアーで、高級ホテル「シャングリラ」にでも泊まり、贅沢三昧をしてきた「成金」どもであろう。いっくら貧乏でも、エドウィンの夫婦のように、一生懸命頑張っている人たちもいるのに。

最後に、少し、ダイビングの話をすると、・・・
初めて、「Mandarin fish」(和名:ニシキテグリ)を見た。 それも1ダイブの間に「5回も」である。
身体は、緑色を基調に、目の覚めるようなブルー、オレンジ、空色の鮮やかな色で包まれた、稀有の魚である。
このニシキテグリは、非常に臆病で、明るいとまず出てこない。 曇った日か、夕方日が沈む直前だけである。

もうひとつの感激は、中性浮力状態で「大自然のパノラマ」を長時間楽しんだことである。
ダイビングは、それぞれの水深に応じて、浮きもしない沈みもしないような浮遊状態、「中性浮力」状態を作るのが難しい。
ダイビング暦100本を越えるくらいまではこの中性浮力状態を維持するのが非常に難しいのである。

今回の最終日は、正に潮流が強くて、この中性浮力状態を保ち続けることで、劇場で大パノラマを見ているような、上下360度の大自然のスクリーンを73分間も見続けることができたのである。 足に体重もかからないので、椅子に座る必要もない。 潮流に身を任せるだけである。

分かるかなあ、 移動するのにフィンでキックする必要もない、身体が潮流に流され、目の前の大自然がドンドン左から右へ流れて行くのである。 上を見れば太陽が差し込んでいる海面が、足元を見れば何百メートルも続く底抜けの谷底が黒闇の中に消えていく、そんな壁の前で神の創造物、生命の営みがドンドン流れ動いていくのである。 海草を食べ続ける海亀に4度も遭遇した。 上に行きたければ深く空気を吸い込む、下の方を見たければゆっくり息を吐いていく、そうして水深10m〜25mをくらげのように浮遊しながら、上下360度の大パノラマを見るのである。 後ろを振り返るとカンパチやギンガメアジの大型魚が小魚のササムロを追い掛け回し捕食している。 なんと大自然の大パノラマであることか。 正に上下360度の大スペクタクルが73分間も目の前を流れ続けるのである。 まさに、大自然の一遍を、謙虚に「見せていただいた」思いであった。 

まだまだ話はいっぱいあります。
でも、この辺で。
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