8.やったぜ!ダイブ・マスター(2007/10/21)
皆さん、とうとうやりましたよ。
憧れのDM、「DiveMaster」になりました。
フィリピン・セブ島の片田舎、ヨーロッパ人リゾートで、プロ・ダイバーとしての国際ライセンスを取りました。

4週間をかけて潜り続けた最後の60本目、ボートに上がる、最後の最後の瞬間のことです。
ずっと厳しく指導してきてくれた、ディノ先生が「DIVEMASTER, AKIO」と書いたプラークを、水の中で私に渡してくれたのです。 
これには感激した。 そばにいたダイバーから握手を求められ、みんなで何度も水中記念撮影をした。

しかし、一生忘れないであろう、「あの感激」は、正にその直後に起こった。
ディノ先生が、この訓練中何百回と繰り返し使った、水中のあの「世界共通サイン」で、私に、「YOU」、 「WATCH」、 「ME」、とサインを送ってきたのです。
私は、「最後に、何を見せてくれるのかな?」と期待して、すぐに「OK」を返した。

すると、ディノは、いきなり前触れもなく、自分のマスクを外し、器材・レギュレータを全て外し、放り出したのです。
そして、両手を広げ、「さあ、どうする?」と言わんばかりに、私の前に仁王立ちになったのです。
想像もしなかった状況に、とにかく彼に突進し、自分の補助レギュレーターを彼に食わえさせた。
ディノ先生は、私の補助レギュレーターから大きく2呼吸すると、今度はそれまでをも捨て、「今、お前が使っているそのレギュレーターをよこせ。」とサインで指示を出すのです。
「そうっか、高級テクニックの方をやるんだな」と判ったので、食わえている自分のレギュレータから大きく息を吸ったあと、今度はそれを彼の口に入れた。
 
それからが、様々な「プロのスキル」の大パーフォーマンになったのです。
しかも大勢のダイバーが、皆ぴっくりして見守っている中で。
透明度40〜50m、スコーンと抜けた、透き通った水の中、珊瑚礁の上で、ダイブマスターとしての「プロのスキル」を冷静に総合実演したのです。

1本のレギュレータを、常に二人で交互に使って呼吸しながら、次々にディノ先生から「指令」が飛んで来る。

「お前のマスクをよこせ。」 
早速、自分のマスクを外し、彼につける。 
今や、私の視界はほとんど見えない。 そばにいるディノ先生がおぼろげに見えるだけ。

「お前の器材をよこせ。」 
私は自分の器材のリリース(止め具)を手探りで外し、(訓練で身につけた反射動作で)、左の腕から抜いて、右側から彼に渡す。 
彼はそれを受け取り、自分の身に着ける。
「右に移動しよう。」、 「止まれ。 次は、左だ。」 
二人は潮流で散り散りにならないように、相手の胴に巻かれたウェイトをしっかり握ったまま、右に、左に、移動する。
今度は、ディノが私に器材を返してくる。 
私はそれを受け取り、手探りで、また反射的に、まずは右腕、次に左腕を通して、器材を身に着け、異常がないかチェックする。 
次にディノは、マスクを返してくる。
私はそれを受け取り、自分の頭を入れ、上を向いて鼻から息を出し、マスクの中の水を抜いてクリアにする。

この間ずっと、レギュレータは1本だけ。
とにかく、リズミカルに、二人で交互に呼吸を続けながら、全てのパフォーマンスを完了した。
しかも二人ともマスクを外し、ほとんど周りがみえない中で、途中で水を飲もうが、バニックを起こすことなく、対処しなくてはならない。 
他のダイバー達が周りで見ている気配だけが感じられる。 (よそのショップのDMやお客さんも皆が見ていたそうだ。)
いままでの訓練の集大成とも言うべき、プロとしての総合パフォーマンスであった。

気がつくと、ディノ先生の手が目の前に伸びていて、両手で堅い握手をしてくれ、祝福してくれた。
続いて、他のダイブマスターやお客さんまでも、次々と握手を求めて来てくれ、プロとしてのスキルを称賛してくれた。
今思っても、一生忘れることのない、非常に印象深い、感激のパーフォーマンスであった。

パーフォーマンスが終わって、しばらく、私は水中でホバーリング(水中に漂い続けること)をしながら、パーフォーマンス終了直後の、アドレナリンが出放しの「高揚感」と、冷静にプロ意識を持って、パニックを起こすことなく対処できた「充実感」・「満足感」とに酔いしれ、そしてこの長い4週間の成果に対する「感慨」にふけり、思う存分、潮に身を任せた。

全員がボートに上がったのを確認し、最後にボートに上がると、みんなから拍手が返ってきた。
後でディノ先生に聞いた話であるが、上位ライセンスの取得に全く興味を示さなかった、カナダのライリーとニュージーランドのジョンが、我々のパーフォーマンスに感動して、「次回来た時には、上位のライセンスに挑戦する」と、それぞれが言ってきたそうである。

とにかく、長くて、辛い、4週間でした。 (でも、短くて、充実した4週間でもありました。)
日中は早朝5:00に(テスト前は4:30に)起きて「理論」の勉強、7:00からはお客様の「ガイド実習」、合間を縫って各種「講習会のアシスタント」をこなし、さらに自分自身の「スキル・アップ特訓」を受け、ダイブマスターとして耐えうるかどうかの「体力試験」を項目ごとに評価された。 
さらには、地元のお医者さんとの「面接・健康診断」まであるのです。
(医者は45・6歳の女医さんで、非常に説明が上手で、説得力のある、素晴らしい先生でした。)
こんな生活の連続だった。 

私の場合、すでに184本潜った、証拠付きの「実績」があるのですが、ディノ先生からは、
「今までの実績は、全て無視する。 今回だけで60本を潜れ。」と、非常に厳しい条件を出された。
これが、本当に苦しかった。 実習だけで、毎日毎日、3本から、時には4本を潜り続けた。
中でも、国籍がバラバラのプロ・カメラマン6人組を案内した時は、早朝・午前・午後・ナイトダイブと1日4回潜り、かつ、それを3日間連続で対応したので、本当に辛かった。 
しかも彼らのダイビングときたら、1回75分以上、時には86分に亘るロング・ダイブで、水温が29〜30℃とは言え、50分も水の中でじっとしていると、身体の芯の底まで冷え切ってしまい、ボートに上がるとガタガタ震えた。
ドイツ人のDM仲間から、「ダイビングは、必ずしも楽しいことばかりではないだろう?」と言われた言葉が残った。
(技量が向上すると、水中での動作が効率的になり、無駄な動きがなくなるため、空気の消費量が極端に減少するの分、身体の発熱量が下がって、ダイブマスターは常に「寒さ」に晒されることになるのです。 これ本当です。)

また、ダイブマスターとしての、体力試験では
  1. 浮いた人間を押して、100m、5分以内、
  2. フィンとスノーケルだけで800m、
  3. 水泳バンツだけで、400m、10分以内、
  4. 15分間立ち泳ぎ、しかも最後の2分間は両手を挙げたまま、
などなどのスタミナ実技が試されるです。

お蔭様で、私の場合、体力(スタミナ)テストは、全ての試験を1回でクリアしたが、中には、特に「400m競泳10分以内」がきつくて、これのために音を上げてしまったり、あるいはこれをクリアするために数ヶ月間水泳教室に通う人も少なくありません。
(補足ですが、多くの皆さんが誤解していますが、世の中のダイバーには、「全く」泳げない人が結構いるのです。)

幸いにも、私の場合、毎週1・2回、新習志野の公式競泳プールでは3000mを泳いでいるので、現役バリバリの37歳、ディノ先生よりも速くて、これについては他のDMからも注目を浴びる結果になったが、一般的には、この項目を達成するだけでも、かなり困難なのです。
波打つ海の中を、停泊中のダイビングボートにぶつからないように400mを時間内で泳ぐのですから。
これも、全て千葉高・水泳部のおかげです。

このように、さまざまな種類のチェック項目をひとつずつ、時間をかけてクリアしていかなくてはなりません。
通常、仕事をしている現役者の場合は、週末・バカンスを返上して、6ヶ月間から1年がかりで挑戦するのが常のようです。
(現に、オランダからのお客様、ヨハンは、私と同じダイブマスター候補生で、歳も近くてよく話をしたが、彼の場合、大学の運営法を開発途上国に指導する仕事をしてて、その合間を縫ってダイブマスターに挑戦している訳だが、挑戦開始から8ヶ月経過して、ようやく、ペーパー試験をあと2科目残す段階まで、たどり着いたと言っていた。)

ペーパーテストの準備の方は、昼休みに、いつも、カップヌードルを食べながら、理論勉強を自習でこなした。
物理、減圧理論、生理学、器材(メカニック)、スキルと環境、などなど8科目ペーパーテストが待っているのです。
千葉高・稲葉先生のお陰で、自然科学が大好きな私には、試験のための勉強とは言え、水の中の理論は非常に面白くて、結構夢中になって勉強できた。
夜は、昼間の実習で疲れ切ってしまい、とても起きていられないので早く寝て、毎朝まだ暗い、4時半とか5時から勉強していた。
レジャー、バカンスなんて気分は微塵もなかった。
本当に長い4週間であった。 そして、非常に短い4週間でもあった。

講習を始めて、わずか1週間目、「DMを取得したら、年に6ヶ月でも、3ヶ月でもいいから、ここに来て、働いてもらえないか?」との話があった。
「それは、私にとって非常に光栄な話だけど、私は、百姓をやっている。 そんなに空けたら畑が草でボウボウになってしまうよ。 ここは、治安もいいし、海はきれいだし、物価も安い、それよりも何より、あなたのスタッフが大好きだから、私がいつ来られるかは今は分からないけど、来た時には喜んでお手伝いをしますよ。 現に今までいろいろな海を潜ってきたが、ここを発見して以来、私はこの海にしか来ていない。 あなたが来てほしい時期、私が来られそうな時期、についてはメールで相談しましょう。」と答えた。
この件は、ドイツ人経営者、カールに、今回DMを取りたいと日本からメールを打った時に、すでにそんな話が来そうな気がした。 
また、今回の滞在では、スタッフ全員からも、今までのお客様としての対応とは打って変わって、完璧に仲間に加えてもらったような処遇をしてもらった。

DM取得当日の夕方は、大祝賀会になった。
ビール14ダース(168本)、このうち8ダースは(感謝を込めて)私自身が差し入れ、と言っても高々4000円の話。
ディノの奥さんが焼いてくれたポーク・バーベキューと、ディノ先生自らが、さばいたマグロの刺身。
日本から買ってきた、金箔入り日本酒、おつまみ諸々、お煎餅などで、盛り上がった。 

経営者家族、他のダイブマスター達、その奥さん達、子供達、ガールフレンド、ボートマン、空気充填のコンプレッサーマン、ドライバーなどショップの関係者はもちろん、その時のお客様全員にも参加していただき、参加者全員から自分のTシャツにマジックでサインをしてもらった。 
また、ダイブマスター取得の祝賀会の「恒例行事」という、マスクを顔につけてスノーケルをくわえ、そこからビール1本を飲み干すと言う面白いゲームもやり遂げた。
これには落ちがあって、カメラ取りに失敗したから、「もう一度」と言うことになり、2度もやる羽目になった。

パーティの席で、ディノ先生が来て、私に聞いた、「ミスター、ダイブマスター、どんな気分ですか?」
私は答えた、「仲間に入れてくれて本当にありがとう。 これでやっと、あなたが怖くなくなった。」と。
彼は大声を上げて、笑った。

さて、最後にいつもの、フィリピン・フレキシビリチィのお話を、また紹介しましょう。

日本からセブ島に到国際空港に到着し、いつも迎えに来てくれるドライバーのエドモン君の車で、90キロ離れたこの片田舎に行く途中、夜8時頃、整備不良の「片目ライト」運転で、エドモン君は警察官に捕まってしまった。 
エドモンは運転免許証を警官に取り上げられてしまい、事情を聞くと、450ペソ(1000円チョイ)の罰金と講習ペナルティ1日分を受けなければならない、と言う。
罰金は我々の感覚からすると大したことはないが、1日の講習ということは、仕事が出来ないことになるため、首になるかも知れない。
彼は必死でおまわりさんに弁解している。
私は、仲良しのエドモン君が窮地に追い込まれているのを見てられなくて、現地語は分からないけど、日本式に神様に手を合わせるようにして、何度も頭を下げ、「プリーズ」、「プリーズ」と言いながら、罰金を300ペソ(750円)に値切り、それをちらつかせて、そっとおまわりさんに渡した。
神様ってお願いしてみるモンですねえ。
おまわりさんは、エドモン君に免許証を返して、「行ってもいい」とのサインを出すではないか。

ここで一言、エドモン君の名誉のために付言しておくと、エドモン君は客に(値切ったとは言え)罰金を払ってもらったことに、申し訳ないと思ったのでしょう、あとで300ペソを戻してくれたのです。
彼の正直な行為に対し、降りるときにチップ200ペソ(500円)をあげました。

おもしろい話でしょう。
もうひとつは、また出国時の話です。(以下、中略)

本当にフィリピン・フレキシビリティは、こちらがその環境に適応させると、素晴らしく思えてくる。

搭乗ゲート前で、日本人らしいおじさんが、係官3人に囲まれて、神妙に座っていた。

そのおじさんが、携帯で2・3箇所電話をしているのが聞こえてくる。 日本にかけているらしい。
「あのさー、ダメなんだよ。 日本に帰らなきゃあならないんだよ。・・・・まあ、俺がわるいんだけどねー。 国内に入れてもらえないんだよ。」
何をしたか知らんが、どうも、国外追放を食らって、日本に強制送還されるところのようである。
「オー、フィリピン税関も、きちんと締めるところは締めるんだあ。 なかなか、やるじゃあないか。」と独り言。

その時、ドイツ人DMに言われた言葉を思い出した。
「ドイツでも日本でも、賄賂のない国はないだろう。 ただ、この国はそれをオープンにやるだけなんだよ。 それをとやかく自分の国の正義感、文化感で批判してはいけない。 我々は滞在させてもらっている訪問者なんだから。 彼らの文化を尊重し、合わせるところは合わせなくてはね。」と。
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