6日目

7月20日(火)朝のうち小雨,のちうすぐもり
−天塩川沿いに北端の稚内へ−


(天塩川温泉〜サロベツ原野〜ノシャップ岬〜稚内市)

「ツールド北海道1999」へ

天塩川沿いに

飲み過ぎて,夜中にジュースを飲みに起きた。
5時前に起床。でも,毎日,熟睡しているし,睡眠時間も足りているので快調。
歯を磨いて,風呂に行く。脱衣所に入り服を脱ごうとすると,6時からと書いてある。出直そうとすると人が入ってきたので,「6時からだそうですよ。」と教えてあげると,「入ってもいいよ。」という。風呂の掃除に来たここの従業員の人だった。ありがたく,一番風呂を味わう。携帯電話とMDプレイヤーを充電し,昨日散らかした荷物をパッキングした。今日の行程を確認し,ひげを剃った。スキーに行ったときとか長い休みのときはいつもひげを剃らないのだが,今回の旅行では毎日ひげを剃った。旅行中,ただでさえ汗くさくて見苦しいので少しでも見栄えがいいようにと,父のひげを剃っていたカミソリを持って来た。7時前で少し早いが,Fさんにハンガーノックを起こさないようにと,乾燥バナナとクッキーとアメをとどけた。彼は,あれから他のキャンパーと夜中まで飲んでいたらしく,超フツカ酔いの様子だった。彼はお礼をいってまたテントに引っ込んだ。宿の玄関前にヒデバロ号を置き,入ろうとすると,おじいさんが近づいてきて,「キーを付けたままドアーをロックしてしまった。」といっている。傍らには奥さんらしいおじいさんにしては若い女性が立っている。でも,ボクには道具もなければ,針金で鍵をあける技術もない。ただ,できることは,センターの従業員にその旨を伝えるのと小型車は機械式ロックの場合があるので××すると開く場合があると伝えることであった。朝食前の時間を利用して,今日の雨に備えたっぷり注油し,雨対策をして荷物をくくりつける。玄関前から見える自動車は未だ開かない。傍らでおじいさんと女性はおろおろしている。せっかく楽しみにしていた旅行なんだろうに。荷物を積み終わった頃に,開いた。盛んに頭を下げて感謝の気持ちを表すおじいさんと女性。得意そうに引き上げてくる従業員。思わず「よかったですね!」と叫んでしまった。
ご飯を3杯食べて出発。こんなにいい宿泊施設なのに1泊2食で5,775円だった。すこし靄っぽい中,センターをあとに,天塩川を渡る。
咲来駅の手前から国道40号線に出る。40号線もここいらにくると交通量もそんなには多くない。山間部なのでスピードは出ないがきつい登りもなく向かい風も強くない。ほどなく音威子府(おといねっぷ)に到着する。ヒデバロ号のボトルケージに入れる500mlのペットボトルが売っていない。そのまま,大きく左に曲がり,降雨量が多いときは通行止めになるという23kmの山岳区間に入る。昨日,あのまま佐久に行かなくてよかったと思った。時速20kmどこではない。17kmくらいがいいところである。かすむ山々を眺めながら進む。時々,地元旭川ナンバーの自動車が追い越して行くくらいで,交通量はほとんどない。左は山。右に天塩川。天塩川の向こう岸には宗谷本線が走り,またすぐ山である。でも,炎天下を走るのと違い,そんなには苦しくない。風邪もだんだんよくなって鼻もそう詰まらない。路側帯もそれなりにあるし,交通量が少ないので追い越していく自動車も間隔をとってくれる。よけいな気を使うことはなく,快適なサイクリングだ。さっき追い越していったアベックのライダーが路肩にバイクを止めてレインウエアを着込んでいる。女性のライダーが「がんばって」という。ボクは「ありがとう。」という。アベックのライダーは女性の方が好意的だ。男は自分がバイクであるということに劣等感でもあるのだろうか。
アップダウンを繰り返すうちにとうとう本日最大の難所のトンネルがやってきた。照明のない長いトンネルは最悪だ。道路がくねくね曲がっているので,どれくらい後ろに自動車群がついているのかもわからない。ボクは,迷わず歩道を行くことにした。歩道といっても巾約50cmである。車道は後ろから来る自動車の運転手にボクの命を委ねる。歩道は自分の技量である。入口は明るいが,照明はあるもののすぐに薄暗くなる。あ!いけない!あせって,ライトをつけるのを忘れた。歩道に立ち止まる余裕もない。右は歩道と車道との高低差が20cmあり,左はトンネルの壁が迫っている。右に寄りすぎると車道に転落し,左に寄りすぎると壁にぶつかってバランスを崩す。しかも,歩道の所々に段差がある。もし,少しでも大きな穴が開いていたらと「ぞっ」とする。時々,対向車線を自動車がものすごい唸りをあげてすれ違う。もし,大型車に追い越されたらその風圧だけでバランスを崩してしまいそうだ。祈るような思いで一心不乱にペダルをこぐ。後ろからものすごい爆音が聞こえてくる。ゴウォー。やった!やっと出口だ!急いで広い路側帯に逃げる。さっきのアベックのライダーが手を振りながら遠ざかった。
また,山間部の快適なサイクリングに戻った。橋の近くに作られた川の名とその由来を書いた看板などを読みながらマイペースで進んだ。北海道の河川にはこのような看板が必ずあり,名称のほとんどがアイヌ語に由来している。佐久に着いた。やはり,天塩川温泉から1時間半を少しオーバーした。これから先は天塩川沿いにほとんど平坦な道を行くことになりそうだ。佐久も中川も街は国道沿いにないので自販機も店もない。中川を過ぎたところでガソリンスタンドを見つけ,トイレを借り自販機の牛乳を飲む。また,出発する。本当は,1時間に5分休憩するとよいといわれているが,この日は天塩川温泉から豊富までこれ以外にヒデバロ号から降りることなく約90kmを4時間で走った。本当に原野の中を走っている。国道40号線以外に人工的な工作物はない。放牧された牛が遠くの方から珍しそうにジィーとボクを見ている。
時々,ダンプが追い越していく。風でバランスを崩さないようにみんな対向車線まで出て大回りして追い越してくれる。なんと,それだけではない,後ろから音でダンプが近づいてくるのが分かる。対向車線からも運悪くダンプが来る。まずいなと思っていると,前のダンプが路肩によってライトをパッシングした。俺が待っているから追い越せとボクの後ろのダンプにいっているようだ。何回か経験した。ボクが生活している地域では考えられないことだ。また,北海道が好きになった。
自分は今まで強く生きてきたつもりだった。物事の善し悪しを求め,強いことが正義だと思っていた。弱いもの能力のないものは,怠け者で,悪者で,嫌いだった。初めて,母がいった「(おまえも)もういい年なんだから…」という言葉の意味が分かったような気がした。
天塩川と別れるときが来た。

見えない利尻冨士

豊富に向かう。小雨はあがった。国道40号線から見るパンケ沼(パンケトー)とペンケ沼(ペンケトー)がすばらしいと聞いた。楽しみに峠を越える。でも気が付かないまま豊富に入ってしまった。
最初に見つけたコンビニで缶ビールを買い,食事ができるところはないかと尋ねる。大通の方にあるという。とにかく豊富駅を目指す。ファミレスのような店は望むべくもないが,それなりの店もない。駅の観光案内所で原生花園にレストランはあるかと尋ねると親切に道順を教えてくれリーフレットまでくれた。これから先はそのレストラン以外に何もないと聞いたので,スーパーでビタミン水2本とベビーチーズを買った。サロベツ原野に向かって出発だ。走りながら梅干しと乾燥バナナとココナツクッキーとチーズを食べた。さすがに広い。これで快晴だったらどんなにすばらしいだろうと思った。

原生花園にて

原生花園は,エゾカンゾウの花も終わり,花は咲いていなかった。木道は人が少なかったが,レストランは多かった。ここで,揚げイモを食べ牛乳を飲んだ。
オロロンライン(道道106号線)に向け出発。さっきまでは気が付かなかったが,ものすごい向かい風。時速14kmしかでない。薄曇りだけどこの風が利尻の雲を飛ばしてくれるかも知れないと思いながら,稚咲内(わきさかない)で海に出た。「稚内→」である。後ろから風を受け薄曇りの平坦な道道106号線を快適に飛ばす。途中の景色はまあまあだけど,利尻富士が見えない。富良野でKさんにこの旅行で一番楽しみな所は何処かときかれ,「サロベツ原野から見る海に浮かぶ利尻富士」と答えたのだけれど。見えるのは原野と海と雲。近くなれば見えるかも知れないと,ノンストップで走る。でも,ダメ。とうとう,稚内市街に向かう道とノシャップ岬に向かう道の分岐点に着いてしまった。まだ,15時過ぎである。もしかして,夕日の沈む利尻富士が見られるかも知れないと期待して,今日の宿の「稚内モシリパユースホステル」に電話で18時頃に着くと連絡し,道道254号線を北に向かい,富士見という地名にある稚内温泉の公営施設「童夢」で時間をつぶすことにした。
そこに応援隊のSさんから電話。本当は,みんなに海に浮かぶ利尻富士を見ている感激を伝えたかったのにと思った。風呂は相変わらずアッチッチィである。でもせっかくだからゆっくり入った。そして,レストランで焼き鳥を食べながら生ビールを2杯,本当はこの窓の向こう海に浮かぶ利尻富士が見えるんだろうなと思いながら,飲んだ。
もうそろそろ,行かなくては。もしかして,ノシャップ岬では見えるかも知れない。
バイクもサインを送りながら岬に急ぐ。でも,見えない。さっきサインを送ってくれたライダーさんと記念撮影。ぎりぎりまでねばって宿へ。

ノシャップ岬にて

宿は分かりづらい所にあった。駅前で場所を聞くと親切に教えてくれた。チェックインする。確かにきれいな宿だ。すぐにシャワーを浴び着替える。普通のホステラーに変身した。部屋で昨日のワンカップ焼酎を飲んでいると相部屋の人が一人着いた。19才の群馬大生のジェアラーだそうだ。利尻島からさっき着いたんだけれど,島でも利尻富士の頂は見えなかったそうだ。彼はこんなに早く稚内に帰ってくる予定ではなかったので夕食を頼んでいないという。ボクは下の食堂に行き,彼は外で食べるという。ボクの頼んだのは,特別料理の親子丼だ。シャケとイクラを載っけた丼だ。普通は1,000円で,これは1,500円。でも,これは失敗である。どうしてかというとお代わりができない。部屋に帰り,彼と食べに行こうとしたがもういなかった。一見して,ここのユースホステルはきれいなのがとりえの男女別相部屋ペンションと思われたので,そうと割り切って今日のティータイムは欠席と決めた。彼が帰ってきたので,一緒にコンビニに買い物に行くことにした。コンビニは見つからなかったので,酒屋でボクだけポケット瓶のウィスキーを買った。彼に缶ビールでもと勧めたが酒は飲めないとのことである。部屋に帰り,彼が旭川ユースホステルで合った大正元年生まれ87才のチャリダーのこと,電車に乗っているときに読んでいるという「竜馬がゆく」や司馬遼太郎の小説について話をした。同室の他の人は,日本語はできるが一人旅を味わうという感じのドイツ人の旅行者とオープンカーで旅行をしているというキザな横浜国大を卒業したという人なのであまり話をしなかった。ティータイムになって,彼は下の食堂に降りて行き,ボクは眠った。
たぶん,21時過ぎには就寝。
本日の走行距離は,160kmである。

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